上野公園の壁
難民が大量にアメリカから押し付けられている近未来の日本。
東京にやってきた連中は、取り敢えず台東区の上野公園に押し込まれていた。
そんなある日、難民の一人ホセの視線からみた日常。
朝が来る。窓から日が差し込んでくる。コンテナの中に住んでいても、窓から太陽の光が差し込んでくるのでそれは解る。コンテナ側面に無理やり開けた、50cm×1mの長方形の空間にアクリル板を嵌め込んだものを、果たして窓と言っていいのか解らないが。ホセは早速日課となっている朝の用足し、及びお丸の中に溜った汚物を捨てるためにコンテナを出た。故郷のメキシコソノラ州とは違って、東京の気候はまだ彼には慣れない。(特に梅雨のジメジメとした湿度といったら!)来たくて来た訳ではないから仕方ないが。コヨーテと呼ばれる密輸業者(実態は麻薬の密売人やマフィアと何も代わりはしない。連中が兼業している場合もある)にカネを払って何とかアメリカ国境をすり抜けることは出来たものの、結局テキサス州の収容者センターに連れ込まれてしまった。その後東京都台東区の上野公園に流れついた。
ーいや、待って。話が違う。
そう言おうとしたが誰も取り合ってくれない。そもそも相談する相手が誰なのかすら解らない。けれども人生は不公平で不条理なものだ。今更それを言い立ててなんになる?
”今までの人生のことばかり振り返って、今必要なことに何も手を付けようとしない”
母のイザベラからよく言われた小言だ。父と母は今故郷でどうしている事か?24にもなって未だに独身で結婚できる見込みが立たない身としては、責めて故郷の両親には穏やかな日々を送ってほしい。父母と一緒に来れば良かったのか、と思う時がないではないが、メキシコ=アメリカ国境の砂漠地帯を越えるとなると、到底老いた両親を連れてくれる訳がなかった。だからこそ、たった一人でアメリカを目指したのだ。
ー本当にそうか?頑張ればやれない事はなかったんじゃないのか。老いた両親の面倒を見たくなかっただけじゃないのか?
表面に錆が目立つ足場に渡された階段を下りながら、ホセは自分の考えに反問する。
ー本当は両親と離れられて清々しているんじゃないのか。大体あのままソノラ州の狭苦しい住居で兄弟姉妹たちと一緒に暮らしていた所で、悲惨な未来しか残されていなかった。ホセの他には3人いる弟や姉妹たちは、やはりこと介護の話ともなると皆揃って口を濁すのだ。かといってホセの一家に老人ホームを頼るなどという余裕はない。だからホセが介護するしかないという結論になる。自分は親の介護から逃げ出しただけなんじゃないのか?
いつの間にか階段を降りて地面についていた。右手には2日分の汚物がため込まれた金属筒。左手にはこれまた2日分の小便が溜め込まれたポリタンク。金属筒には蠅が耳障りな羽音を立てて群がっている。人間が4日間で排泄する量といったら馬鹿にならない。最近は業者が毎日糞便の汲み取りにきていた。既に公園の中にある公衆便所は機能していない。公園の中に中南米系難民を詰め込めるだけ詰め込んでいれば、いずれは公衆便所が壊れてしまうであろうことは解り切っていた。当初はそこら辺で勝手に大小便を済ませてしまうホームレスが少なからず居た。だがそういう人間は、徐々に難民の自警団組織によって公園から駆逐されつつある。糞尿の処理は命に関わるのだ。冬場こそそこまで気にならないが、夏場ともなれば悪臭を発し、疫病の原因ともなる。医者に掛かるどころか、食糧も満足に行き渡っていないこの居住区で伝染病が発生したらどうなることか。
大便を捨てる場所というのは、厳密に決まっていた。ホセたちのコンテナ住居群が建っている場所から500mも離れていない場所に穴が掘ってある。その中に捨てるのだ。捨てる場所は上野公園の中で自然発生的に生まれてきた自警団が管理している。皆さん、今月はここの穴に大便を捨ててくださいね。ああ、もうこの穴は7割方埋まってきたか、じゃあその隣にもう一つ穴を掘りましょう。といった具合だ。自警団という名前とは裏腹に、実際にやっている事は何でもござれの犯罪組織といった所だ。その証拠に、今この汚物を捨てる場所にいる自警団2人を見てみるがいい。彼らは揃ってAK-47を利き腕で見せびらかしながら、
「捨てる人間は列に並べ!2列、2列だ!列を乱すな!」
と威圧的に叫んでいる。自警団の印はただ一つ、その入れ墨だった。背中だかどこかしらに入れ墨があって組織の紋章なりなんなりを彫っているらしい。2人とも口元にはバンダナを巻いている。臭いのかそれとも口元を見られたくないのか?
ホセは最後尾に並ぶ。人数と列が掃ける速さから考えて、大体10分といった所か?4月だというのに早くも汗ばむ日が続いているのは勘弁して欲しい所だ。
「よぉ、ホセ、元気してるか?」
「おはようございます。ロベルトさん」
ロベルトもこういった糞便当番(彼らの組織ではそう言われているようだ。他の人間がこの仕事をそう呼ぶのを聞いたことがある。解りやすい言い方だ)になったばかりらしい。だが顔つきに幼さが残るロベルトは、幾らも歳が違わない筈のホセに向かって兄貴分の様な態度で接してくる。
「今月の集金、いつがいい?別に俺は早くても一向に構わないぞ?」
ーあぁ解っている。大きな組織の中にいると、自分まで偉くなった様な気になってくるのであろうことも。大体こういう手合いが口にする話題は、カネ、女、博打、酒、刑務所と相場が決まっている。因みにホセは月々30,000円の上納金を一度でも欠かしたことはない。
「毎月20日までに納めればいいと、アレッハンドロさんから聞いてますけど」
「解ってる。解ってるよ。お前さんがアレッハンドロ氏のお気に入りである事もな。それにこれまでカネというか、入金を欠かしたこともない。ただ言ってみただけさ」
ーそうかい、俺もただ言ってみただけなんだがね。
心の中で舌を出しながらホセは自分の住んでいるコンテナ住居に戻る。上るとロベルトは露骨に顔を顰める。面白いほどに。アレッハンドロ氏は上野公園の1/3を縄張りとする自警団の幹部だった。この公園の中では立派な顔だった。
ホセが難民にしては割と良い給金を貰えているのも、メキシコにいた頃、トンネル掘りをやっていたからだ。機械いじりが好きだというのが、後々こんな形で自分の身を助けるとは思いもしなかった。幼い頃は夢中で家の中にある時計を分解しては組み立てなおしていたものだ。一個か二個はネジやら歯車を組み込み忘れ、時計が動かないという事もしばしば起きた。その度に母親に怒られながら焦って直すという事もよくよくやっていた。その後には他の家に行って壊れたトラクターを直したり、耕運機の油を差すなどといったバイトに励むこともあり、これは結構いいおカネになったものだ。家の農作業の傍ら、機械修理の片手間仕事をこなす。これで当座は十分にやっていける。それは事実ではあった。
だがそのうちに老いた母か父が老人ホームに通うことになったとして、そのおカネは誰が出すのか?いや、ホセの兄弟姉妹は彼自身も含めて4人いる。自分は既に大学に行くのを諦めているが、弟や姉妹たちには諦めずに進学して欲しい。でもこんなメキシコの片田舎の農家で一生懸命に働いた所で稼げるおカネなどたかが知れている。だからこそホセはアメリカを目指した。
ー今にして思えば、アメリカに行った所で幸せになれるとは限らないのだし、もう少し視野を広げても良かったのかも知れない。例えば軍隊に行けば、少なくともそこで教育を受けることも出来ただろう。事実、今ここら辺を仕切っている顔役のアレッハンドロ氏は、軍隊で経理の勉強をしていたという。その経験が今にも生きているらしい。或いは同じく移住するにしても、ブラジルとかコロンビアみたいな国にすればいい。アメリカよりもだいぶ稼ぎは劣るし、治安も悪いと聞くけれど、少なくとも住み着いて稼ぐことは出来る。不法移民だというだけで収容所に入れられるアメリカとは偉い違いだ。
上野公園各所に建てられた違法建築のコンテナ住居。五階建て(コンテナを五段上方向に積み上げただけだが)の三階部分に住んでいる。一つ一つのコンテナには表札などない。ただ「A-36」、「C-20」といった無味乾燥な記号だけが各コンテナの扉に書かれていた。顔と顔の関係で全てが回っているから問題ないのだろう。周囲の樹木は勝手に切り倒されていた。公園の中はテントやらバラック小屋やらで犇めきあっており、何にせよ現状のままで良い訳がない。公園の中で独自に団地じみたものを建ててしまおう、という計画はあるにはあった。だが公園の中で日夜繰り広げられる刀傷沙汰やグループ同士の抗争を経て、大概の業者は近寄ってくれなくなった。そのせいで団地建設プロジェクトは頓挫しっぱなしだ。結局、違法建築のコンテナ群が公園の中で増殖していくことになる。壁が出来る前には1日に10個か20個くらい運び込まれることもザラだった。用途は様々だ。中を改造してお店としたり、或いは資材保管庫、はたまた住居とするなど幾らでも使い道はある。一つのコンテナの中に若い衆10人ほどを詰め込んだ「寮」を作り、そういった「寮」を5,6段重ねて即席の集合住宅としてしまう連中すらいるくらいだ。
基礎工事などは全く行っていないため、地震がやってきたらまず間違いなく倒壊するのだろう。だが週に30人ほど難民が送り込まれてくる状況にあって、イチイチ建築基準法など守っている余裕はなかった。一応東京都や台東区も公園内部に仮設住宅としてプレハブ小屋を都内各所に増設しているが、まるでスピードが追いついていない。彼らは建築基準法などを満たさねばならないからだ。だからこそ難民達が自前で違法建築に勤しむことになる。区役所と保健所にとっては、違法建築だとしてもコンテナで簡易住居をある程度確保してくれるのは有難い。余り大声で言えることではなかろうが。こうした難民への住宅建築などで、チョットした建築ブームに沸いている事は事実なのである。コンテナは大抵人道支援にかこつけて持ち込まれる。名目など幾らでも立つ。物資保管庫、食料品保存倉庫etc。コンテナの用途は無限にあるのだ。ある程度コンテナの個数が溜った所で、足場となる金属材と工具や資材を堂々と搬入していけばいい。
全ては茶番だった。職人たちは人道支援をしにいく支援団体であるかのような体裁を纏う。警官たちはそれが嘘であると知っていながら騙されたフリをする。そうやって今日も違法建築群は増え続ける。
コンテナ内部は細長い空間であり、その中をホセ自身と他に3人いる難民とで共有していた。プライバシーはおろか水洗トイレや空調機も付いていない空間だ。日々大便をお丸で済ませ、読み捨てた雑誌か新聞紙で汚物を拭う。トイレットペーパーが手に入るのは余程カネ周りがいい時だけだ。空調設備など付いておらず、精々あっても扇風機がいいところ。夏場は灼熱地獄となり、雨の日には何処かから雨漏りがしてくるわ、お隣さんの生活音は筒抜け、おまけに鼠やらゴキブリやらといった害虫がいつの間にか入り込んでくる。単なるコンテナにそこまで期待するなという話ではあるのだろうが。だから難民の中では、まずコンテナから自治体が作った仮設住宅に移り住むことが最初の目標となる。
ーだがまぁ、テキサス州の難民収容者センターよりはマシな暮らしだ。
ホセは難民として上野公園に送り飛ばされてきた直後の日々を思い出していた。そう、飛ばされてきたんだ。国境沿いの砂漠を死ぬ思いで乗り越えて、そしてあっけなくテキサス州のエルパソ市街地で息を潜めるように暮らしていたら、ある時突然移民警察(移民なんとか執行機関とかいうらしいが、ホセは何回聞いてもそんな名前を覚えようとは思わなかった)に摘発されたのだった。刑務所みたいな収容センターで何回もこう言われたものだ。
「別段我々はアメリカにやってきた移民を敵視しているのではない。これは法律に乗っ取った処置であり・・・」云々。
だがそういった建前をつらつらと述べているその脇で、犯罪者という訳でもないのに両手を金属製の鎖で縛られた自分達を喜々とした様子でスマホで撮っている職員なども居た。誰も彼のことを咎める様子はない。実際に収容者センターでの扱いは犯罪者そのものであり、なればF氏はお役人にこう嫌味を言ったものだ。
「お役人様。私たちが犯罪者という訳ではないのに、こうやって両手を鎖で縛られているのはどういう理屈だね。俺にはどう考えても納得できねえ」
そのお役人が、まさしく人間の屑であれば話はスッキリもしよう。だが収容者センターでF氏の取り調べ(これもよく解らない言い回しだ。国境を越えてくるのが一体どういう罪だというのか?)をした係官には、半ば同情的な態度を示す人間も多くいたからだ。彼らは一様にこういった。
「貴方がたは法律上謝ったやり方でアメリカにやってきた。だから今こうして収容者センターに入れられている。」
そこまでは、まぁ納得できる。だがこの台詞には例外なく続きがあるのだ。
「次からは正しい方法で入国して欲しい」
収容者センターでは絶えずこう言われ続けるのだった。だがその正しい方法とやらを待っていたら、永遠にアメリカに入国出来ないとしたら?俺達は単純に心静かに建設現場で働き続けたかったのだ。だがカルテルの抗争に巻き込まれそうになったから、アメリカへ脱出せざるを得なかったんだ。コネもカネもない連中は、不法入国するしかない。でも生きる為だ。それも自分の家族が。
ー俺達が生きるってそんなにいけない事か?こちらは家族を抱えてるんだが。
そう問われても、大抵の職員は黙ってうつむくか、
「次回からは正しい方法で入国するように」
という文句を繰り返すだけだ。少しマシな連中もいるにはいた。『アジアに行くかい?日本か韓国だ。台湾でもいい。君たちも聞いたことあるだろう』と聞いてくる連中だ。どうやら俺達には三つの選択肢しかないらしい。自分の祖国でカルテルに怯えながら暮らすか、アメリカに渡って警察に怯えながら暮らすか、地の果てのアジアに流されるか、だ。なんて素敵な人生!!!
もう考えるのはよそう、とホセは被りをふる。世の中にはどう解決すればいいのか誰にも解らないことばかりだし、俺もそういう面倒くさい話の一編なんだろう。ともかく今はこうして日本に落ち着いていられる。流石にここから何処かまた別の場所へ移されるという事はなかろう。もうこの国に根付くことを前提に生きていくだけだ。
ホセが足場の階段を登りながら自分達が住んでいるコンテナに戻ると、他の連中は既に自分の仕事に出ていた。時計を見ると7:15。もう職場に出る時間だ。朝飯なんて屋台で済ませてしまえばいいし、最悪抜いてしまう事も出来る。ともかく急がねば。彼の仕事は未認可のトンネルを掘り進めていくことだった。ヘルメットとゴーグル、そしてお気に入りのジャケット。仕事道具はそれくらいだ。
コンテナを出て、足場に取り付けられた階段を降りていくに付けて意図的に視線から避けているものがある。本人も無意識のうちに目にしない様にしている。
壁だ。
ベルリンの壁を手本とし、高さ5m、幅1mほどの鉄筋コンクリート製の壁が延々と連なった区画。壁の中には上野公園そのものがすっぽりと含まれている為、かなり巨大だと解るだろう。元々鉄筋コンクリート製の壁などなく、単純な金属製のフェンスで覆われていたらしい。らしいというのは、その頃はまだホセは日本にいなかったからだ。丁度いまから2年ほど前の事だ。中南米難民が日本へ押し寄せてきた直後。当初は難民たちが住み着いた区画を一般市民から隔離する程度の意味合いしかなかったが、絶え間なく流れ込んでくる難民が徐々に自分達で自警団を結成していくにつれ、まず区画を覆うのがフェンスからブロック塀の壁となった。自警団同士の抗争が激化すると、ブロック塀は鉄筋コンクリート製の壁へと変化した。その頃には、公園内部に警察の手が及ばなくなっていた。治安の悪い区域を壁で覆ったとて、あまり現実的な効果は見込めない。臭い物に蓋をしたいという大衆からの要望によって建設された壁である。
ー結局日本人もアメリカ人と同じ。難民なんて見たくもないし、難民が上野御徒町中に広がって欲しくないんだ。
壁というと、ホセにはアメリカとメキシコ国境沿いに作られた壁を連想してしまう。いかめしい高々とした鉄の柱が延々と聳え立つ。ここから先はお前らが来てはならないのだ、と。これ以上なく解りやすく示している。日本へ流刑されてからも目にするとは思わなかった。収容者センターで『アメリカは諦めなさい』と言われたのがまるで昨日のことの様だったが、実際には8ヶ月前の話ではある。8ヶ月もあれば人生様変わりするものだ。そうしてホセは職場へ向かう。壁の外へ出るためのトンネルを掘るのが仕事だった。
なまじ鉄筋コンクリートの壁なんかで公園を覆ってしまった為に、ただでさえ目の届かなかった上野公園の片隅で密かにトンネル建設現場への入り口が出来上がってしまったのだった。トンネル建設現場の入り口周りには、コンテナ住居が矢鱈と集中している。表向き住居という事になっているコンテナに入り込むと、その中には何故か地下への階段が出来上がっているのだった。
階段を降りていくと、踊り場には早くも屋台が開いていた。上野公園の中がバラック小屋やらプレハブ小屋、そして違法コンテナで埋め尽くされようとしているのであれば、この地下トンネルは屋台だの闇賭博場だのといったお店が犇めいていた。それも仕方ない事情ではある。上野公園の中は既に人間で溢れかえりそうであり、今更新しく建物やらお店を広げる訳にも行かない。だから自然と商売はトンネルの中で行われるようになっていった。京成電鉄の旧博物館動物園駅に繋がっている通路を補強・修復して使っている。勿論、壁もその上を通っているし、この廃駅となった施設を利用されないように出入口は入念にセメントなどで封鎖されてはいる。だが昔線路が通っていたトンネルを利用して自由自在に外と出入り出来るというのは、警察や難民の間では周知の事実であった。だから定期的に上野警察署の連中が廃駅内部の闇市場を摘発しにきて、その度にショバ代を上げている自警団が駆けつけてくるというのがお決まりのパターンとなっていた。
廃駅の壁はあちらこちらの壁面が剝がれ落ちており、修繕が必要なことは明らかだった。天井には穴が何か所も開いており、そこから地下水か何かの水が垂れてきている。そんな具合だから換気もあまり出来ていないらしい。おざなりに備え付けられた換気扇が連なる中、ホセが階段を降りて行った先の踊り場には待ってましたとばかりに屋台が軒を連ねる。ホセの同僚、カルロスもここで立ち食いそばを食べていた。日本に来るまでは知らなかった習慣だ。何しろ、立ったまま飯を食べるとは!食事というのは、食卓に座った状態で食べるものではないのか?それに箸とかいう二本の木の棒。これも二本に来てから初めて知った食器だ。そんなものが飯を食べる為に何の役に立つのかと思ってみてみると、日本人達はこの二本の木の棒を実に器用に使いこなして食事をする。他の難民仲間と一緒に恐る恐る立ち食いそばの屋台に行き、たぬきうどん(狸の肉でも入っていたらどうしようかと思って頼んでみてみれば、何のことはない!揚げられた何かのカス(天カスというらしい)が乗っているだけの太いヌードルとおつゆだけ。それがたぬきうどんだった。これを一体どうやって食べればいいのか解らず、2,3分程呆然としていたものだ。日本人の店主はそういった外国人にも慣れていたようで、やれやれと言った表情でホセ達に箸の使い方を教えたものである。(勿論、その場では上手く扱えず、結局手づかみでうどんを掬うことになったが)その一件以来、ホセとカルロスはずっとこの立ち食いそば屋に通い詰めている。
この立ち食いそば屋に限らず、一つ一つの屋台は、広くとも幅が1mは越えない。小さい店だと30cmX30cmしかない机の上で何やらお店を開いていたりする。後ろの黒板に為替レート一覧がチョークで書いてある所を見ると、地下銀行らしい。ホセは故郷に居る両親へ送金するために使うことが多い。正規の銀行や送金業者に比べると1/10ほどの手数料で済むので助かっている。勿論、こういったお店は摘発されてしまえばそれまでではある。大体中にはカネだけ貰っておいて送金せず、そのまま行方をくらましてしまう連中すら居ると聞く。大事なのは誰の紹介なのかだ。その点、ホセはアレッハンドロ氏から紹介を受けているのが大きい。この立ち食いそば屋の隣で細々と営業している林さんというのは、アレッハンドロ氏が上野公園に押し込まれて自分達の組織を立ち上げて以来の資金洗浄サービスを提供してくれている業者だという。近づきづらい人間ではあるが、心を許した相手にはトコトン誠意を尽くすタイプだな、とホセは分析している。初対面の頃からそれは感じていた。いきなり紹介なくやってきたホセの事を睨みつけた挙句に
『なんだ、てめぇ・・』
と凄んでから
『誰の紹介でここに来た!』
と怒鳴りつける。まるで自分とその仲間以外は全て敵だとでも言いたげな態度だった。だがアレッハンドロ氏の紹介でやってきた、と一言添えるや否や、別人の様に愛想よく仕事に応じてくれたのだ。彼らの関係性の深さという奴だろう。この一帯の闇市場は、多かれ少なかれこういった顔と顔の関係で成り立っているのだ。
ホセはカルロスがきつねうどんを頼んでいるのを見て、自分も同じくきつねうどんを注文する。その様子を見た林さんが、
「解っちゃいねえな、ここらじゃあソバだよ。ソバ。うどんなんて関西のくいもんだ」
と茶々を入れた。だがホセは賢明にも何も言わない。この台詞は屋台の主人同士で交わされる会話なのだ。
「うるせえな。ウチの店の客が何頼もうが勝手だろう?」
蕎麦屋の店主はそう言ってから、はい600円ね、と代金を言ってきた。普通のお店で導入されているような券売機は見当たらない。昔ながらの現金でやり取りする方式だった。スマホでの送金サービスは手数料が高い上、足跡が残ってしまう。それでは警察の手入れがあったときに言い訳が出来なくなってしまうというものだ。大体彼らは税金など税務署へ支払っていない。アレッハンドロへショバ代を支払いはするが。きつねうどんを食べていると、今度はまた林さんが愚痴を零し始めた。
「最近、デコ助共が張り切りやがってよぉ・・。山下も田中もみーんなパクられちまってんの」
視線を互いに向けずに喋るので独り言を言っているかと誤解してしまうが、隣にいる立ち食いそば屋の店主に言っているらしい。
「なんだぁ。地下はもう駄目ってかぁ?」
「シノギ変えられる歳でもねえしなぁ」
と言いながら林はタバコを口に加えた。大事そうに火を付けている所からして、あまりスパスパ喫ってもいい代物でもないらしい。
「最近トンネルが掘れなくなったって。アレッハンドロさんが零しててさ・・・兄さん?そうだろ?」
といきなり林はホセに水を向けてくる。きつねうどんを食べている最中だったホセはカルロスを一瞬見たあとで(何故そんな事をするのかホセ自身もよく解っていない)、
「えぇ、そうですよ」
とだけ言った。すると立ち食いそば屋の店主は、黙って首を振りながら
「何処も上手くいかねえや」
とだけ呟いた。
食事それ自体は数分で終わる。早くて、安くて、味はソコソコ。メキシコで例えればタコスの屋台か。そう言えば日本に流されてからタコスなど久しく食べていなかった気がする。今度仲間内で食べに行こうかな。
ヘルメットを被り、それと一体化したライトが点灯するのを確認して現場に向かう。都内の治安が悪くなったことを反映してか、最近は京成電鉄も上野付近のこの区間を廃線としてしまった。だから電気自動車を改良して車輪式にしたお化けが活躍する。最寄の工区まで電気自動車もどきに引かれたトロッコで移動するのだ。カルロスはこのトロッコに乗るのが嫌だった。何と言わずに棺桶を連想するからだ。
本来であればシールドマシンでもって一気に掘り進められるのだろうが、未認可でトンネルを掘っているのでそんな便利な道具は望めない。けれども問題はなかった。暇を持て余している人間など幾らでも居るからだ。それに大概の人間はスペイン語が通じるので言葉の問題もない。壁の下に広がる岩盤を、ただ黙々と鎚やら鶴嘴でもって掘り進める。それがホセ達の役目だ。掘り進める方向は自警団の連中が教えてくれる。どうやら区役所だか都庁だか知らないが、ここら辺の岩盤データを持っているらしい。一体どうやって手に入れたものか知らないが。恐らくは買収するか恐喝するかして手に入れたものなんだろう。資料は全て日本語で書かれており、ホセ達には読めない。だが今の時代スマートフォンに取り込まれた翻訳アプリである程度は単語をスペイン語に変えることが出来る。それよりも問題は、資料の古さだった。大概は10年以上前のデータなのだ。だから運が悪ければ、掘り進めた先に別のトンネルなり水道管なりが通っている場合もあり得る。厄介な問題だったが、ミスをする訳にもいかない。一度でも大きなミスを犯してしまえば、そこを足がかりに壁の周囲を監視している警察共が勢いつく。
警察よりも問題は、地下水だった。上野御徒町では建物を建てても数年もすれば地面に陥没してしまう。地下水が地盤の砂やら土やらをいつの間にか運び出してしまうからだった。かと言って上野御徒町界隈の土質なんて誰が教えてくれる訳でもない。確かに熟知している職人はいるかも知れないが、そういった職人は概して工賃が高い上にプライドも高い。だから決してこのような現場にやってくる事はないだろう。となれば、自分達でひとつずつ確かめていくしかない。
ホセには、夢があった。いつかこの狭苦しい上野公園を脱出して、外の世界で自由に生き抜いてやろうという。
アメリカで自由に暮らす夢は叶わなかった。だがこの日本では。この日本ではやれるんじゃないか。そういった奇妙な、もっと言えば根拠ない自信がホセの中には渦巻いていた。
だが一方で彼には解っていた。所詮自分は難民である。万が一、自分の掘ったトンネルで壁の外へ脱出できたとして、その後はどうするというのか?脱走した難民として、また上野公園の中に戻されるだけじゃないのか?仮に警察や入管の目を盗んで生きていくとして、マトモな職業なんて壁の外にあるというのか?
そう考えると、壁の外で自由に生きてやろう、という自分の夢が幻想のように思えてきてやりきれなくなる。だからという訳ではなかろうが、この公園の中では麻薬が蔓延していた。皆、壁の中で送る暮らしから逃げたいと思っていた。
今の所、ホセにやれるのはトンネルを掘ることだった。
ここら辺のトンネルがどう掘られているのかを把握しているのは、この界隈でもそこまで多くない。更にその上、それらを書面に落とし込める人間となると更に限られてくる。
ー取り敢えずの目標は、コンテナ住居を抜け出して、自治体の作った仮設住宅へ移ること。その先の事は後々考えていけばいい。
そう考えてホセは現実に向き直る。横にいる相棒のカルロスと共にひたすらトンネルを掘るしかない。