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夜戦

実力の差と戦闘時間は反比例。

 五櫻吉光の執務室を乗り切った野火の集中力は、ほぼ削られ尽くしていた。ゆえに前の座席に頭をぶつけた彼は、その一瞬実に間抜けな顔を晒した。

「痛ってえ……何だよ?」

「まさかもう捕捉されるとは予想外ですねえ。早く降りて下さい。仕事ですよお?」

「随分と内まで食い込まれているじゃないか。内憂外患とはこの事だね。」

 野火が神経を切り替えた時、既に重蔵は車を降りていた。慌てて彼の背中を追えば、無言で杖を投げ渡される。

「ここは市街地だ。菜穂子は出られない、分かるな野火くん?」

「おう。出来る限りのことはやるよ、重蔵の旦那。」

「敵は四人ですかねえ。蒸隠機関と見て間違い無さそうですう。」

 殺気はまるで感じられない。しかし背骨をなぞられる様な感覚と視線だけが野火の神経を削り始めていた。

「三時と九時方向、建物の屋上に一人ずつ。六時方向路地の奥に一人だ。そっちは頼むぞ野火くん。」

「任された。気を付けろよ旦那。」

「ふふ。余裕だよ。」

「菜穂子さんはわたしにお任せ下さいねえ。」

 黙って頷いた重蔵は背広の裾を翻し、仁王立ちの右手をすらりと星空に掲げる。

 一拍置いた呼吸の後に紡がれる言葉は低く、平坦でありながらも腹に重く響いて。さながら傍に立つ者の闘気を鼓舞する太鼓のそれであった。


――封神 太極 狐の目

   蒸煙貫く 星灯り

    這い寄る根の国 音も無く――


「真鍮兵装、蒸着。……加減は不得手でね。速やかに片づけようか、ダイタラ。」

 唄の終わると同時に、重蔵の右手が耳障りな音を立てて崩壊する。千々に分かれ、砕ける様に裏返って行くその様は十秒とかからずに鎮まり返る。そしてその後に彼の手に握られていた得物は。

「何だそれ……。そんなのありかよ旦那。」

 身の丈をゆうに超える、真鍮の大槌であった。

「真鍮兵装試作三号機、ダイタラ。呆けている暇は無いぞ野火くん。仕事をこなしたまえ。」

「おうよ。後で説明してもらうからな、そのいかした得物のこと!」

 瞬く間に掻き消えた重蔵に続き、野火も身を翻して駆け出した。目指す路地の奥、黒い人影が見えなくなったことを確認し、一息に最大戦速まで加速する。肺に詰め込んだ息を一瞬で吐き切り、縮まった視界はぎゅうっと音を立てて知覚ごと広がっていく。

 既に思考は切り替わった。何を為すか、から、どうこなすか。かつて叩き込まれた火嶋流の技は全て捨てたものの、作り上げられた肉体は歓喜して闘争を迎えていた。

 高まる体温が交感神経を炙り付け、跳ね回る心臓が足をさらに前へと進ませる。預かった杖を握る右手は万力の如くそれを締め上げ、感触を楽しんでいる。逃げる背中を射程に捉えた時、野火は自分でも気づかないうちに笑みを浮かべていた。

 無言の気合と合わせ、最高速度のまま放たれた突きは狙いの通りに頸椎を砕き穿つ。それは一つの生命を呆気なく破壊する筈だった。

「……なっ!」

 黒い人影は疾走の速度を一切落とさず、振り向きざまに石突きを払い除ける。咄嗟に制動をかけると同時、視界の外から差し込まれる蹴りは野火の脇腹を痛烈に打ち据えた。

「素人が。俺が誰だか知ってんのか?」

「……知、るかよ。犯罪名鑑は読まねえ。」

 吹き飛ばされても杖はまだ握れている。ぐらついた視界を抑え付け、無理矢理呼吸を整えて憎まれ口を叩きながら相手を観察する。

 中肉中背、少し伸びた黒髪、表情の読めない顔。まるで特徴の無い男である。得物は無し。しかし間違い無く暗器を持っていると野火は見抜いた。

「しかし速さで敵わんとはな。見られたからには殺すが恨むなよ。」

「それに頷く奴がいるなら見てみてえな。」

 無言のまま予備動作もなく男の左手が振るわれる。見極めるまでもなく飛び道具と理解し、姿勢を低く落としてやり過ごす。微かな風切り音が頭上を通り過ぎた事に、密かに胸を撫で下ろした。

 その呼吸の隙間を縫うが如く、黒影はぬるりと滑り込む。必殺のギロチンと化した左脚の踏み下ろしを野火は何とか横っ飛びに回避した。

「他人に踏まれる趣味は無えんだ。悪いが。」

「……よく回る口だ。」

「よく言われるよ。」

 軽口を叩きながらも野火は相手の分析を怠っていなかった。この時点でその余裕があった事に一つの予測が確信へと至る。

 動き出しに癖は無く、体重移動に予兆も無い。確実に先手を打って殺す事に特化した作り。しかし何か、引っかかるものがある。一つだけどうにもおかしく思うところがあった。

 それを確かめるべく、野火は大きく賭けに出る。

「……舐めてるのか?」

「そう思うなら殺しに来いよ。お得意だろう?」

 杖を握る手も脱力し、無策で歩いて間合いを詰める。毒針でも投げられれば確実に自分が仕留められる距離。だが野火は妙な確信があった。この男は、絶対に自分の手で俺を仕留めに来る、と。

 開ききった瞳孔を自覚しつつ踏み出すその足は十三歩目、前触れなく男の身体がふわりと消えた。咄嗟に視線を下に振っても見えるのは踏み固められた地面のみ。

 ならば。

「上。でもって左脚だろ?」

「何っ!」

 半身を引いて体勢を整え、杖を握りから石突に持ち替える。背骨をぜんまいに見立てて回転力を溜め込み、唇を歪めて待ち受けた。

 初手に蹴り飛ばされた時、野火はその感触に違和感を覚えていた。当たった感触は明らかに肉のそれでは無く、金属のものであったのだ。相手の五体が生身でない事がその時点で理解できた。

「持ってる筈の暗器も使わず、左脚での攻撃に固執しただろ。それでいてあからさまな隙には付け込まない用心深さ……。歪と言えば聞こえはいいがな。」

 悪く言えば芯が無い。型が無い。だから簡単に読み切られる。蒸隠機関とはいえこの程度か。

「違うよな。……洗脳か何かされてるだろ、あんた。植え付けられた殺気が薄っぺらい。」

 全力をもって得物を叩き付ければ、甲高い金属音と共に男の左脚が外れて落ちた。返す刀で男の眉間を叩き割り、駄目押しに喉仏を踏み砕く。動き出されては困ると肩を外し、両腕も逆方向に畳んでおく。

 気付けば暗い路地裏には見るも無惨な人体模型もどきが転がっていた。少々壊し過ぎではあったが、知らず知らずの内に高揚していた野火にはそれを自覚する頭は残されてはいなかった。

「終わったか。何と言うか……拍子抜けだな。」

「ああ、終わりましたかあ?お疲れ様ですう。」

 踵を返して菜穂子の待つ車まで戻ろうとした時、妙に間伸びした声が路地裏に響いた。はっきり聞き覚えがあるその声は今、菜穂子の護衛に就いている筈であったが。

「中々堂に入った壊し方ですねえ。後、出来ればこれも回収してくれるとありがたいですう。」

「根猫蛇、見てたのか。菜穂子さんの護衛はどうしたんだ?」

「仕事は果たしましたよお?ほら。」

 拾った小石をそこらに放る様な仕草には似つかわしく無い湿った音を立て、音々が投げて寄越したのは既に事切れた黒尽くめの死体。喉元がぐちゃぐちゃに切り裂かれている。

「回収ってのは、何のことだ?」

「蒸隠機関の連中は喉仏の所に通信端末が仕込まれてるんですよお。なので、首を掻っ捌いて回収しておいてほしいんですう。ほら、これ。」

 言いながら音々は、野火が壊した男の喉を当たり前のように切り裂いていく。星灯りでも赤い照り返しが路地裏を彩った。

「よし、ありましたねえ。大体切れば見えるはずなので次からお願いしますう。」

「分かった。しかしそれは何に使うんだ?」

「……聞かない方が良いですよお?」

 鮮血に塗れた視線を野火に向け、音々はにたりと口を歪ませる。それ以上踏み込むなという意思表示だった。

「……先に車に戻ってる。」

「はあい。菜穂子さんをよろしくお願いしますねえ。」

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