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契約

過去は見えず、その残滓を持って存在を示す。

「……事の発端は、もう誰も知らん。そもそもきっかけと呼べる出来事があるのかも、な。」

 遠い昔、一つだったこの出日ノ国が西浦、中ノ湾、東潮に分かたれた。それが今の状況を招いたのは間違いないという。見えぬ何かを見透かしながら吉光は語った。

「この国に中ノ湾という勢力は元々存在しなかった。何故出来たか知っているか、野火?」

「いえ……実のところよくは知らないんです。西浦と東潮にいた人らが集まって出来た、というのは聞いた事がありますが。」

「おっと、そこからか。そうだな……誰も聞いていないから言えるのだが、ここは元々罪人や流れ者達の寄せ集めの様な街だったのだよ。」

 西浦から弾き出された者、東潮に居られなくなった者、そもそも出日ノ国の者では無い者。そういった流れ者の吹き溜まりが中ノ湾の始まりだそうだ。

「前にも言いましたが、外で流れ者とか言っちゃダメですよお?ぶん殴られますう。」

「ああ、心得ておくよ。自分が原因で殴られるのはとっくに懲りてる。」

「ふふ。坊主も色々あったんだねえ。」

「話を戻すぞ。中ノ湾の成り立ちの後だ。流れ者の集まりとあって、三つの勢力は当初大変に仲が悪かった。当然だな。中ノ湾にいる者たちは大なり小なり他二つの勢力に対して恨みを持っている者ばかりだ。一時は内戦の一歩手前まで発展したと言われている。」

「……でも今はそうじゃない。もしや、それを取り成したのが五櫻鉄鋼、ですか?」

「鋭いじゃないか。正解だ、恐らくな。」

 彼の直系の先祖がその人徳によって中ノ湾の掃き溜めを纏め上げ、川上から流れ出る良質な砂鉄を利用した産業を興したのが五櫻鉄鋼の始まりという事である。小柄な体躯に似合わぬ威圧感と存在感は五櫻の家系なのだろう。初対面の時の印象を思い返しながら野火はそう結論付けた。

「大規模工業の東潮、流通の西浦が支配していたその頃の社会において、中ノ湾の細やかな供給は市井の需要をすぐに満たしていった。二大勢力からしてみても、自分達の領分を脅かさずに埋められていなかった需要を埋めてくれる存在は歓迎出来るものだったようだ。」

「当時の五櫻は随分な切れ者だったんですね。初期は印象も悪かったでしょうに。」

「だろうな。そこは儂の先祖の腕の見せ所だったというわけだ。気に食わん相手を懐柔する虎の巻があったに違いない。」

「それも根猫蛇の情報網あって、ですけどねえ。裏も表もお任せあれ、ですよお?」

 片手に湯呑みを保持しつつ、音々が絡み酒の如くしなだれ掛かる。頬をつつく指先をあしらいながら野火は吉光に続きを促した。

「しかし、五櫻の手腕も末端の下部組織までは届かん。幾つかの組織間で小競り合いはよくあったそうだ。……ある時までは、な。」

「ある時、とは?」

「八十九年前の国家間大戦、いわゆる蒸気大戦だ。その時、何かがあった筈なのだよ。」

「……その何かは分からないんですか?」

「分からん。だが結果として東潮の帝國重工、中ノ湾の五櫻鉄鋼、そして西浦の円環技研という三すくみは完全に成立し、末端組織の小競り合いすら一つ残らず火種は消滅した。かくして出日ノ国は一応の安定を迎えた……そんな形らしい。」

「先ほどから随分と不明瞭ですね。何か理由が?」

「うむ。……それが問題なのだ。なんと言ったものか……。」

 渋い顔の上に更に肩を落とす吉光。覇気が嘘の様だ。

「残っていないんだよ、記録が。全くね。」

「ああ。重蔵殿の言う通りだ。出日ノ国の三すくみが成立する時期の記録が、綺麗にそこだけ抜け落ちているのだよ。文献、石碑、口伝、果ては遺跡に至るまで今まで無数の調査を行なってきたが、その時の記録だけがすっかり消えているのだ。全く気味が悪い。」

 文献資料や石碑であれば、焼くなり砕けば記録など無くなる。しかし、良かれ悪かれ人は別だ。人の口に戸は建てられず、ゆえに歴史は紡がれる。出立ちに人となりは現れ、立ち居振る舞いの特徴はそれ即ち生きた証である。

 しかし、口伝の調査さえ不可能とは気味が悪いどころではない。それは明らかに何かしらの力が働いている現象と捉えられる。

「それに関しては僕も機関時代に任務で調べたよ。西浦と中ノ湾の繋がりを深掘りしていたんだが、こちらも断片すら出て来なかった。唯一分析出来た事と言えば、中ノ湾の成立すらも何か隠された意図があるかもしれないということくらいだ。五櫻の人徳があったとはいえ、方々で有り得ない人の流れが散見された。それだけだね。」

「誰かしらが真実を封鎖している、という事か。重蔵の旦那ですら追えないのは中々だな。」

 出日ノ国における勢力関係の真実は闇の中、という事である。

「……それで、この国の力関係と帝國重工の戦争の事、それに俺達を五櫻鉄鋼に迎える事に何の関係があるんですか?」

「理由は一つ、君達が儂の信頼に足る人物であり、神代も推す人物だから。そして目的は三つ、消された歴史の調査と帝國重工の牽制、そして五櫻の懐刀としての戦力だ。これで君の知りたい事は全部かね?」

「ええ。……何とも信じられない話ですが。聞けば聞くほど俺なんかが居て良いのか不安になります。」

「帝國重工を調べようとすれば間違い無く蒸隠機関、もしくはそれ以下の武闘派が出張って来る事は間違いないからね。坊主程度の戦闘技能なら逃げる位は容易いさ。」

「そうですねえ。根猫蛇の諜報も回してますが、重工の中まで食い込もうとすると決まって裏道の下水に浮かぶ羽目になってましたから。最近になってからもう十人は消されましたねえ。わたしらでは限界なんですう。」

 つまりは腕っぷしで自分を守りつつ五櫻の使いっ走りという訳である。相応の対価は有るのだろうが、それでも危ない橋だ。

「あなたがそれで良いと仰るのなら俺は喜んでそちらに付きますが。……重蔵の旦那は?」

「条件が二つある。良いかな?」

「飲める範囲ならば。何でも言ってくれ。」

「先ずは、五櫻の中でも内燃機関の解析と研究を進める事。僕はあくまで菜穂子を人のまま死なせたいだけなんだ。そこは尊重して欲しい。」

「承知した。研究班の女性を総動員しよう。」

「もう一つ。僕らは助力を惜しまないから君達も支援を惜しむな。意味は分かるね?」

「応。ただ、五櫻の屋台骨が揺らがん範囲で頼む。」

 老獪な男が二人、束の間視線を絡ませて黙り込む。菜穂子が男の会話と称する言外の意思疎通は恐らく二分に満たなかっただろう。

 にやりと口を歪ませて固く握手を交わした瞬間、場の空気はようやく食事時の様にほころんだ。

「契約成立だ。末永くよろしく頼む、吉光さん。」

「こちらこそだよ重蔵殿。蒸隠機関最強最優の二人を迎えられて光栄だ。」

「私が来たからには五櫻の戦力底上げも出来るからね。任せておくといい。」

「俺は……まあ、出来ることをします。出来るだけ。」

 けらけらと笑いながら菜穂子は野火の背中を叩く。この瞬間、ひっそりと五櫻鉄鋼と帝國重工、円環技研の力関係は少しだけ変動した。

「詳しい話は明日にしよう。根猫蛇が御三方の拠点を用意させているからそちらに向かってくれ。音々、用意は出来ているか?」

「万全ですう。五櫻の建屋からは少し離してありますのでえ、そうそう早く勘づかれる事はないと思いますよお?」

 ひとまずの別れを告げ、四人は五櫻の建屋を後にした。いずれ露見する事とはいえ、重蔵達が五櫻についた事をそう簡単に言いふらす様な真似をするわけにいかなかったからだ。

 根猫蛇の運転する魚臭い車に揺られ、細い道を右へ左へ抜けて行く。彼女の緩やかな鼻歌に少し眠気を誘われた頃、唐突な制動に全員は飛び起きた。

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