五櫻吉光
男の中には力が内包される。
帝國重工が真鍮の悪魔とするのなら、五櫻鉄鋼は鋼鉄の軍勢であろう。
爆音と金属音が耳を苛む製品試験場、何も知らないながらに野火はそう断じた。鈍色の全身鎧に身を包んだ漢達が組み手をしたり荷運びをしたりと騒々しく動き回るこの風景はまさしく鋼鉄の国であり、群体だった。
「……あれ、何なんだ?鎧?」
「動力鎧って呼んでますねえ。人間本来の体の動きを補助しつつ、力だけを増幅してくれる優れものですよお。」
「中々面白い製品だね。これが五櫻鉄鋼の懐刀というわけだ。」
元は工場作業の補助として適当に組み上げたガラクタの寄せ集めだったものが、職人の道楽によって洗練されていったという。今では車を持ち上げる様な重量級から時計を組み立てる程の精密作業をこなす機種まで幅広く造っていると。
「これだけが主力なのか?面白い技術ではあるが、正直なところ蒸気機関の方を見るとどうしても見劣りするがな。これ一つであっちの商売敵になれるものかね?」
「全く好奇心の塊ですねえあなた。子どもですか?」
「知りたくもなるさ。生まれてからこの方存在すら知らなかった世界なんだからな。」
「え?そうなのかい?」
「わたしらに比べりゃあ坊主なんぞ子どもみたいなものさ。……あれ、蒸気機関じゃないねえ。動力源は何だい?」
菜穂子に尻を叩かれる。野火は彼等の様な社会の暗部の人間とは違う、つい先日巻き込まれただけの一般人だ。何もかもが目新しいのは仕方ない事である。
「ちゃんと蒸気機関ですよお?純正じゃありませんけどねえ。型落ちの模造品に色々混ぜてますう。流石に本物は使えませんからねえ。」
「まあそうか。一応敵対企業な訳だし、そのまま使っていますなんて言えねえわな。」
「ええ。あ、あの人の方が詳しいと思いますよお?丁度ここに来たのも彼に会うためですからあ。」
ふっと指し示した扉が音もなく開き、人影が見えた瞬間の事。各々雑多な作業をしていた男達は瞬時に作業を止め、人影に向かって一糸乱れぬ最敬礼をした。それは最早統率とも言えず、狂信とも呼ぶべき群体であった。
「貴様ら御苦労、今日も五櫻の名を良く負ってくれているな!作業に戻れ!」
雷撃が奔るかの如き大声とその威圧感は、人と言うよりも何かしらの自然現象の様だ。撃ち抜かれる様な真夏の空にくっきりと浮かぶ積乱雲、凶暴な光の槍を内包したそれの様な男が、紋付きの羽織袴に身を包んで存在していた。
地を這う一介の平民がその威光をただ見上げている横で、根猫蛇は平然と彼に声をかける。
「久しぶりですねえ、吉光さん。依頼通り神代の客を連れて来ましたよお?」
「おお、御苦労だな根猫蛇の!五体満足でお連れするとは重畳重畳。これで首の皮一枚繋がったわ!」
こちらに近づく一歩一歩はまるで地震の様に気配を揺らす。
「儂が五櫻鉄鋼の現頭取にして中ノ湾の主人、五櫻吉光だ。この度はよくぞ無事でいらっしゃった!」
「村山重蔵だ。こちらは妻の菜穂子、それに一応弟子の野火君。お目にかかれて光栄だよ。」
「野火といいます。お目にかかれて光栄です、五櫻さん。」
「うむ、よろしく!積もる話もあろうからな。儂の執務室までお連れしよう。」
思わず敬語になる体躯は、相対して見れば野火とそこまで変わらぬ小柄なものだった。しかし何故なのだろうか、この背中は何よりも大きく見えた。
「東潮の方からいらしたのでしたな。最新の蒸気機関は如何でしたか?」
「ああ、また大分出力が上がっている様だ。内部で技術革新が起きたらしい。」
「やはりですか。神城から送られてきた新型も、既にあちらではもう型落ちという訳だ。」
「彼もこちら側の人間ではあれど、重工の組織だからね。横流しも難しいんだろう。」
「現品送って寄越せるんだから、動力鎧の新しい図面も一緒に送って欲しいものですねえ。どうせ同じなんですからあ…。」
溶鉄の熱に煽られつつ、金網で組まれた空中の通路を歩きながら彼等は喋り続けていた。その内容のほとんどについて野火は理解が出来ず、結果として菜穂子と一緒にその後ろを着いて行きながら工場の中を眺めるしかなかった。
最初に連れられた製品試験場とは違い、ここでは市民の為の日用品を作っている様だった。手前の島では雪平鍋の本体に取っ手を付けていたり、少し奥で箱詰めしているのは三徳包丁だろうか。よく見ればヤマモトの店で使っていたものと同じ製品だ。東潮の外れの酒場で別れてから、彼は今何をしているだろうか。
「本当になんでも作っているんだな。帝國重工の商売敵だってんならもっと兵器ばかり造ってそうなもんだが。」
「むしろ逆なのさ。重工が兵器ばかり造るものだから、五櫻は生活必需品を作るんよ。ここの包丁は切れ味が落ちないと評判なんよ?鍋も薄くて軽くて凹まない、主婦の味方だねえ。」
「へえ。菜穂子さんのナリで言われるとどうにも違和感があるが、そう言えばあんたも人の親なんだったな。」
「……娘に名前以外の何一つ与えてやれなかった女を親と呼ぶなら、だねえ。」
「……すまねえ。無神経が過ぎたな。」
「そう思うならいつか雲乃を貰ってやっておくれよ。私とあの人の子さ、最高に良い女に育つ。」
「会えたらな。考えとくよ。」
はぐらかしたのは視線を感じたからだった。三人で帝國の動向を議論していた筈の重蔵の刺し貫くような冷熱の眼差しが気配も無くこちらに向いていた。下手な答えを返していたら首が一つ落ちていたかもしれない。嫁馬鹿なだけでなく親馬鹿なのだろう。
「……それもまた良い男の条件、なのか?」
「何か言ったかい野火君?」
「いいや何も?」
「ならいいんだ。……おや、良い匂いがするね。旨い米の炊き立ての匂いだ。吉光さん、これは期待して良いのかな?」
「応!間違い無くお疲れで来ると聞いていたからな、腕利きの料理人に手配させておいたのさ。悪巧みするにも先ずは腹からよ!」
「これは嬉しいねえ。私好みのきつい酒もあれば嬉しいんだが。」
「そこはあたしが担当しましたあ。わざわざ西浦から取り寄せてきましたんで、期待しておいてくださいなあ?」
何もかも至れり尽くせり、という訳だ。神代という男は一体何処まで想定しているのだろうかと薄ら寒い感覚を覚えながら一行は執務室の扉を潜った。