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擦れる風

世界を眺め読み取るに、両の眼じゃまだ足りず。


 思い返せば、とうに夜は明けている筈。金墨と別れ、牢獄で過ごした時間。響一郎と話した時間。狙撃を回避し、西浦の夜を巡って二人の手がかりを探った時間。

 下手をすれば月どころではなく、太陽が天頂に至ってもおかしくは無い時分だった。しかし見上げた天蓋には青白い月がふてぶてしく居座り、地に立つ矮小を嘲笑っている。

「……具体的に何時かは断言出来ません。ですが、あの月が逆行した事と金墨の消失は関係があります。」

「どうして断言出来る?」

 音々は答えず、袖口から無地の葉書を取り出した。裂いた細かな切れ端は指先からほぼ垂直に落下し、彼女の膝辺りで急激にその軌道を水平に変える。眉を顰めた野火が地面に手を近づけると、その手の平に伝わるのは明らかに指向性のある空気の流れ。人肌ほどに生暖かいそれは全くもって気味の悪い何者かの意図を感じさせた。

「金墨が消えたすぐ後、この不自然な気流の発生を確認しました。起動からして源流は西浦中心部、円環技研の社屋です。無関係とするには噛み合い過ぎていると思いませんか?」

「……言わんとする事は理解出来る。きっと響一郎が一人戻ったのもこの件と関わりがあるんだろうさ。……だがな。お前、これ以上深入りするのは不味くはねえか?」

 野火も音々も、西浦の人間では無い。円環技研内部の人間ですらない二人は本来ならば円響一郎への目通りが叶う身分ですら無く、ゆえに本来ならば西浦の運営に口出しのできる立場ではない。最悪の場合には技研側の機嫌を損ねて内政干渉として中ノ湾は吊し上げられる事になる。その時、生贄として四つ辻に首を晒されるのは間違いなく彼等二人だ。

 既に常識から弾き出された座標に身を置いている者として、野火はようやく冷えた頭で事態を俯瞰していた。何故か位置を変えた月、何かに気付いた響一郎、そして消えたという金墨小兵衛。

 全ての糸が不透明な意図を孕み、円環技研に繋がっている。手繰った先に鯛が釣れるか、それとも引き摺り込まれて土左衛門か。頭の底で、何かねちゃりと音がした。

「今更ですよ。ここまで関わったならむしろ貫き通した方が得る物は多いと思います。究極、わたし達にとっては首に荒縄くくられてからが本番でしょう?」

「見透かした様な事を言うんじゃねえ。荒縄よりも真綿で締められる方が場合によっちゃ痛いんだ。……だがまあ、一理あるか。侵入経路に候補は?」

「んっふふふ。安心して下さい。金墨からそれとなく聞き出しておきました。明言はしませんでしたが、位置取りとはぐらかし方で丸分かりですう。」

 眉間の溝がようやく薄れ、性悪猫の笑顔が顔を出す。それを視界に捉えた野火は、ずっと感じていた居心地の悪さがふと消えている事に気づいた。四六時中顔を突き合わせている事による慣れなのか、それとも他の何かか。理解には至らなかったが、野火は少しだけ息を深く吸える様になった事に感謝した。

「で、どこから侵入出来るんだ?」

「すぐ南、金墨と会った噴水から繋がる地下水路ですう。海まで直通らしいので、万一の時はそこから逃げましょうかねえ。」

「どうやって聞き出したんだ……?」

 素朴な疑問に音々は答えなかった。細かく聞き出す気にもならなかった。

 新たな目的地に向かい風の間を抜けて行く最中、野火は考え込んでいた。それはこの事態の原因についてであり、響一郎が何に気付いたのかという事でもある。

 彼の行使した無限軌道の力は確かに現実ではあり得ない代物だった。限定された一部の領域内とはいえ、直接の干渉無く運動エネルギーを奪い取るなど尋常の技では無い。少なくとも、水が低きに流れる古典物理学においては考える余地も無く超常のそれである。

 しかし、それはあくまで運動エネルギーに関わるもの。今起きている現象とは似ている様で本質は全くもって異なる場所にある。さながら時間を巻き戻しているかの如き現象は、とうに人間に許された域を超えている。その様な真似は円環技研どころか帝國重工にも不可能だろう。いくら彼等とはいえ、世界の摂理を破壊する程の仕事が出来るはずはない。

「……筈なんだがな。奴等なら出来てもおかしくは無い、か。」

「何か言いましたあ?」

「いや、何も。」

 砕いた人形の瞳と脳裏で目が合った気がした。自分の理解出来ない世界に生きねばならなくなる事には慣れていたが、その世界そのものが自分に牙を剥き始めているのは流石の野火といえど精神を削られる。答えの出ない思考を回しながら、地面を這う生暖かい風が爪先をぬるりと抜けていった。

 次第に二人はあまり地面を踏まず、壁や建物の上を走る様になった。そもそも、霜月も深まったこの時期の空気は動いていても震えがくるほどに冷え切っている。暖かい空気は下には流れない。猫でも知っている当然の学問である。きっと、この風すら尋常のものではないのだろう。

「……学びの全てが無駄になると、筆も帳面も捨てたくなるな。」

「また何を哲学してるのか知りませんがあ。知識が無駄になるのは生きている世界が狭いからですよお。」

 屋根の上から降ってきた声には、雪混じりの風よりも冷たい視線が絡んでいた。

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