内燃機関
何者?獣。もしくは物。
―――「……内燃機関、玩弄。」
その文句を口にした時、この身体は兵器に変わる。
心臓がある筈の場所に埋め込まれた内燃機関が焦熱を放って駆動する時、元々薄い手足の感覚は今度こそ完全に喪われる。
身体の中身を焦がし焼いて食い散らす暴力を少し外に向けてやれば、周りを取り巻く有象無象はあっという間に消えていく。
「がアァっ!」
声帯だけは自分で制御出来なくなる。最短距離で手刀を振るい、追っ手で寄越された機械人形共の首を叩き折る度に獣の様な声が出ていることには気付いている。
「っりゃア!」
四方八方から寄ってくる敵に囲まれるのがまるで他人事の様。羽交い締めにされたところで内燃機関の力には敵わない。前に転がりつつ跳ね飛べば、組み付いた人形は天井に叩きつけられて事切れる。
「ぐっ…るアァ!」
意志など無い筈なのに怯んだ敵を一瞥する。壁を蹴飛ばして後ろに回り込むのも簡単で。振り返るよりも先に、鈍色の回し蹴りが頚椎を五本まとめて砕き折る。
「…ふーっ……ふー……」
呼気が熱い。唇を焦がすようだ。
敵が見当たらない。もう居ないのか?
「菜穂子さん!」
音とも声ともつかない空気の波。もう判別もできないそれに反射で手刀を振るう。よく見えないヒトガタの首を撥ね飛ばす寸前、苔むした大岩の様な優しい力が手首を暖かく抱き留める。
「菜穂子」
声がした。焼け焦げた脳幹を甘く蕩かしてくれる、聞き慣れた低くて柔らかい声が響く。
草臥れた背広を着たお前さまが立っている。大事な狐面を差し出して立っている。傷を隠せるようにと初めて貰った贈り物を、もう一度差し出してくれて。
「……ああ。お前さまは、やっぱり背広が似合うねぇ……」―――
「……今のが、内燃機関の力か。」
「そうだ。人の枠を超えて肉体を駆動させる、正真正銘悪魔の技術だよ。」
結局、この列車に乗っていた人は全て人形だった。人とまるで見分けがつかない自動人形が、先頭車両まで死屍累々と積み重なっている。
「内燃機関を起動すると、菜穂子は自身を制御出来なくなる。強制停止の鍵を設定していなければ、彼女は死ぬまで戦い続ける。僕を殺したって気付かないだろうね。」
金臭い蒸気を撒き散らして人形を破壊していく菜穂子の姿は、誇張した歴史小説の中に出てくる悪鬼羅刹の如き様であった。今は力無く気を失った肢体を抱え、重蔵は痛みを堪えるような表情のまま立ちつくしていた。
「……菜穂子さん、強いんだな。多分旦那も相当強いんだろ?こんなになってまで、顔は笑っていられるんだから。俺には、無理だ。」
火嶋流棒術。先の時代の実践剣術から派生したと伝わる棒術の流派の一つだ。打刀と同じ長さの棒を得物とするが、その戦い方は棒を操るというより格闘術に棒術を添えた様な暴力的なもの。
野火は先代当主、火嶋宗平の筆頭後継者候補だった。由緒ある流派の後継だということで随分持て囃されたが、あちこちの大会に出ても結果は出せず。半端な実績とその賞金だけが積み重なり、いずれ彼に向く視線には哀れみが混じる様になった。
金を積んで身分を消し、何者でもなくなったのは何年前だったか。
今ではもう、錆びついてのたうち回る木偶人形が一体転がって居るだけ。
「今の君には無理だろうね。君はまだ人間だ。」
「そうか……変われ、と?」
彼女を座席に寝かせた重蔵は無感情に野火を見た。その目は野火という人間を通してその先の何か、地の底の炎を見ている様にも感じられた。
「手始めにその腕切り落としてみてはどうかな。随分変わるものだよ。」
「……は?」
呆気にとられた野火を見て重蔵はまたけらけらと笑った。酒場で出会った時から全く変わらない調子、全く変わらない顔で笑うこの男を見てようやく気付いた。
この二人は、とうの昔に笑顔も涙も無くしていた事に。
「腕落としたら義手が必要だろう?義手ということは機械だ。機械なら武具を仕込める。万が一の時の捨て石にも出来るし爆薬を積めば自爆も出来る。」
「まあ、そうではあるが。」
「なのに何故やらないか?君達が未だ人間だからだ。人間のまま強さを求めたって結局は頭打ちなんだよ。」
「……。」
「巨大な力には代償が必要なんだ。僕らはその為に肉体を差し出した。菜穂子はそれでも足りなかったから人間性を奪われた。その結果がこれだよ。」
「代償……。」
それでも君は望むのか?と重蔵は目で問う。艶の無い瞳孔を見据えると、吸い込まれる様な感覚を覚えた。瞳の奥には何一つ光るものは無く、ゆえに執着も怒りも、恐らくは希望すらも無かった。今まで野火が見てきた中で最も人間らしい動き方をしていた男は、しかし最も人間の在り方を持ち合わせていない。彼はその事にようやく思い至った。
この列車の中で唯一の人間は、充分に温められている筈の車内で身震いをした。
「……なんで神代を探してるのかと聞いたね。」
「ああ。」
「僕はあの男に、菜穂子を殺してもらいたいんだ。義体化技術を作ったのは彼だからね。」
「は?」
妻を殺したいと、重蔵はそう言った。助けたい、でも、逃がしたい、でもなく。殺したいと願った。
「……そう唐突に物騒な事を言うものじゃないよ、お前さま。」
「菜穂子!起きていたのかい!」
今の今まで大太刀の如く振り回していた腕は、力無く重蔵の頬に添えられる。
言葉を失った重蔵に変わり、菜穂子が口を開いた。
「殺して欲しいってのは、わたしが頼んだのさ。刃物も通さず、弾丸も弾き、死ぬ事も出来ない難儀なこの身体の為にね。」
「死ねないって……どういう事なんだよ。いくら重工製の義体とはいえ、寿命が無いわけじゃないだろ?」
「義体の寿命は問題無い。ただ内燃機関の方は別なんだ。菜穂子の中にあるのは耐久を度外視した試作品だからね。」
横たわる彼女の胸の中心に手を当て、重蔵はその奥を見透かす様に睨み付けた。
「近い将来、この内燃機関は寿命を迎える。義体を巻き込んで勝手に暴走を始め、菜穂子の身体を焼き尽くす事になる。」
「……なんでそんな事が分かるんだ?」
「私らはこの目で見たのさ。限界を迎えた内燃機関の末路を。」
任務における死亡で、蒸隠機関の面子は常に減り続ける。二人の目撃した内燃機関の末路は、最後まで残っていた同期だったという。
「金臭い蒸気を撒き散らして狂った人形の様にのたうってねぇ。数分間暴れ回った後に、唐突に倒れて心臓が小さく爆ぜた。それきりだ。」
「最期には僕らの事も分かっていなかったよ。獣と呼ぶにも足りない、歯車の狂ったカラクリ人形の様だった。」
誰も視線を交わすことが出来ないまま、菜穂子を待つ未来に絶望していた。
「そんな死に様は、死とは言わねえよ。そんな事……。」
「あってはならない。そうだろうさ。」
「だからだよ、坊主。……わたしが人として死ねる間に、旦那と一緒の死に方がしたいのさ。少し、寝るよ。」
人として生きる為に死ぬ。歪められた不老不死の先には矛盾しか残らない。そんな愚かさに頼らねばならない程に二人は全てから追い詰められていた。