一の狙撃
見えないからこそ見えるものもある。
「この写真、何処から?」
「解剖図、いや分解図だな。それは五櫻の報告書から抜いて来た。もう一枚の方は俺が自分で。列車が片付けられていなけりゃ今でも中ノ湾にあるはずだ。」
「一体、東潮にどれ程が?」
「あれでいて眠らない街だからな。誰も違和感を感じていないとなれば、おそらく六、七割方はすり替わっていても不思議は無え。方法については……一つだけ、心当たりがある。」
響一郎は顔を顰めて写真を突き返す。ただの写真であっても、眺めていたら自分までソレに成り変わってしまうのではないか。そう思うと脊椎を冷水がなぞって流れ落ちていった。
「東潮と協力を続けていたら西浦の民もいずれこうなる、と?」
「そうは言わねえ、予想の話だ。これは根猫蛇も知らん話だし、現場に居たはずの重蔵の旦那も菜穂子さんだって気付いちゃいねえ。殴り合い以外じゃ鈍感な人だからな。」
「と、いう事は今出日ノ国でこの真実に気付いているのは私達だけですか。」
黙って頷き、響一郎に促す。この情報を信用するのかどうか。信用するとして、果たして東潮の行いを許容するのか。仮に最悪の予想が外れていたとしても、本物そっくりの自動人形など倫理的に許される代物ではないのだから。
「これでも渋るなら、吉光さんにもう一つ預かってるカードがある。しかし出来るだけこれは切るなとも言われてる。早めに決めてくれ。」
「……君の予想は、恐らく当たっています。この人形に搭載されている蒸気機関は、出力こそ最低だが自己修復機能を備えて長時間運用に特化したモデルだ。それでいて精巧に人間に似せている。腕に仕込んでいるのは……仕込み刀と、多分爆弾かな。」
「人間一人を切り刻むにゃ随分と過剰戦力だな。菜穂子さんには束になっても敵わなかったが、一般人じゃ手も足も出せないだろうよ。」
「ええ。これは間違い無く市街戦、それも虐殺用の人形です。こんなもの、生産どころか企画構想段階で逮捕されたっておかしくない。……これと肩を並べて戦う事は、出来ないな。」
いつの間にか彼の口調が変わっていた。私心無き冷静な社長から、年相応の義侠心を燃やす若者へ。その本質は五櫻吉光と同じなのだろう。円響一郎は常に西浦の民を最優先に考えている。そして吉光はそれ以上に、皆の知らない未来を何か見ているのだった。
「少なくとも俺達は、これと正面から喧嘩するつもりでいる。今の中ノ湾には東潮の手の内を知り尽くした元蒸隠機関が二人もいるからな。」
「ふむ……勝算は?」
「知らん。が、勝てねえ喧嘩を売るほどの馬鹿なら俺は最初から着いていっちゃいねえよ。」
きらりと一瞬だけ光る戦士の目が、響一郎の視界に軌跡を残す。真昼の太陽をしかと見据えたかの様に、その痕跡はどれだけ瞬きしても消えなかった。
色にも形にも特徴の無い野火の目は、それでいて人を惹きつける。野火自身は気付いていないが、普段の彼の目は実に内面を良く表していた。音々が分かり易いと評したその瞳孔は環境の変化を瞬く間に吸い込み、吉光が気に入ったその虹彩は感情を反映してくるくると世界を反射する。
そして、本人の感情を映す目は転じればその目を見る者をも写すのだ。
ヒビの入ったガラスを通した太陽が亀裂に沿って歪む様に、野火の瞳を見る者は彼の感情を通した自分を見る。彼の鮮烈な感性に染まる自由な自分に束の間触れ、その未来の虜になってしまう。吉光の言った素質とは、まさにその目を指していたのだった。
「……西浦の産出する全ての資源に増産指令を出そう。経営陣も何とか黙らせる。東潮への言い訳、一緒に考えてくれよ?」
「っははは!任せろ。理屈捏ねるのは得意分野だ。」
弾けた笑い声を受けて響一郎は大きな溜息を一つ吐き、ネクタイをするりと外して机に放る。その手で投げて寄越した紙とペンを受け取り、野火は早速東潮に向けた二枚目の舌を書き始めた。内容は至極単純にして明快、簡潔にて記すのが良いと昔から言われる。即ち。
「糞食らえ、っと。」
「ふ……ふふっ、流石にそれはやめてくれ。皆が黙っても金墨が怒る。……そういえばその金墨は一体いつ戻るのかな。何時も必ず連絡して来るんだけど。」
「俺達の話し合いが終わるまで東潮の連中を足止めしてる筈だ。根猫蛇も一緒だと思うから、そろそろ呼んでやってくれ。」
右手の動きで同意を示し、響一郎は執務室を去った。しんと空気が重くなり、暖かい色の照明に月明かりが混じる。よく耳を澄ましてみると、無限軌道が役目を果たす低い軋みが西浦の街に広く響いていると感じられた。
野火は改めて三枚目の舌を書き始めたが、時候の挨拶の二文目に差し掛かったところで部屋の主人が足早に駆け込んでくる。
「おう、どうした?」
「野火。根猫蛇さんとの通信は今可能か?」
「こっちからは出来ねえが……付かねえのか?手間取ってるんじゃないか?」
「僕からの連絡に出ないなんてあり得ない。そもそも機関の工作員程度に遅れを取る男じゃないよ。」
「通信機の故障は?」
「昨日に全機点検済みだ。問題があるとすればアンテナの方だけど、そっちは僕だけじゃどうにもならない。」
手に持ったままだった通信機を机に放り出して顔をしかめ、隠しもせず焦りを露わにする。明日は休日、当然この時間に社員の技術者が残っているはずもない。既に円環技研本社の社屋には彼ら二人しか居はしなかった。そう自覚すると墨塗りの夜闇が途端に質量を持ち、部屋の中にぬるりと流れ込んだかの様な感覚を覚える。
何か妙な空気を感じ、野火はふと窓の外を見やった。丁度、窓の外に出ていた半月が一瞬陰る。ガラス越しに二等分された青白い欠け月を、右下から左上へ。鳥や雲の仕業ではない。どれだけの暴風が吹いたとて、本気の彼自身をも超える速度で鳥は飛ばず、雲も流れはしない。その直感はあまりにも唐突で、ゆえにその命を危機一髪に繋いだ。
「っ伏せろ響一郎!」
腰掛けていた椅子を蹴り飛ばし、身体全体を使って跳ねる。目の詰まった木がへし折れる音も取り敢えずは気にせず、響一郎の上半身を抱え込んで諸共に床へ倒れ込む。半拍置いて背後の窓が儚く砕け散った。
ガラスの破れる耳障りな音に紛れて聞こえた風切り音は、その下手人が投石などという野蛮な優しさとは似ても似つかぬ美しき殺意を備えている事実を明らかにしている。
「狙撃か?」
「ああ、かなりの凄腕だ。体勢を低くして早く窓から離れろ。定石通りなら次は爆薬が飛んで来る。」
指で示した天井は格子状に区切られた中に一つ一つ故も分からぬ優美な刺繍が施された布張りで、そのうちの一区画が無惨に引き裂かれていた。
「銃声がしなかった、つまり空気銃だな。地上から撃ったと考えると生半可な威力じゃない……。蒸気機関を使ってると考えて間違い無いな。しかしどんな構造で……。」
「仕組みが気になるなら奴を殴り倒してからにしろ。俺もお前で対処出来るかは分からんがな。」
「そうだな。相手に心当たりが?」
何故、今まで思い出せなかったのだろうか。監獄で聞こえたあの声。根猫蛇を、金墨を、蒸隠機関の真実を知っている東潮側の人間。壁一枚隔てた至近距離でありながらその気配を一切野火に悟らせなかった、恐らくは敵であろう存在。
全く前後に食い違いの無い記憶の中で、その存在だけが今の今まで奇麗に記憶から抜け落ちていた。
「……一人だけ、やれる奴がいる。あくまで俺の直感だが。」
その直観は、外から見れば全くもって信用に値しない飛躍をしていたが。彼の中でのみ二つがまるで都の大路の如く太い道で繋がっていたのだった。




