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死出の演舞

唄とは。

「菜穂子。上級工作員が紛れている。三人食われた。南西区画に追い込むが問題無いか。」

 通信の向こう側にある夫の報告を聞いた菜穂子は、その時点で不測の事態が最悪の形で発生した事を理解した。彼が普段から完璧に再現している感情の抑揚が全く消えている。深青の湖底の様に重く澱んで平坦な声色が淡々と事実を告げた時、傍に立つ一人の戦士として菜穂子はすべき事をよく理解していた。

「……お前さまの咎じゃないさ。私の読みが甘過ぎた。」

 即座に街中の人員配置を確認し、殺された三人の代わりを周囲の担当区域を広げる事で補填する。パレードの開始時刻と捕縛のペースから既に殆どの鼠は狩り終えている。筆頭戦闘師の勘が、今後は逃げ道を塞いで掃討戦に移行すべきだと囁いていた。

「早く帰っておいで、お前さま。」

「……ああ。すぐに戻るよ。」

 吉光から預かった小型通信機の向こうの妻の声も、今の重蔵には響かなかった。否、元々彼にとって何一つ響くものなどありはしなかった。ヒトのままでいられなかった菜穂子と共に在る為に、必要以上にヒトで在る為に彼は常々ヒトとしての在り方を模索し、実践していただけだった。

 中ノ湾の屋根から屋根へ、壁から壁へ。体内に蒸気機関を宿す者達にとって、地面も屋根も壁も変わりはしない。最上級工作員のうちの一人を除き、空中以外の全ては移動の一手段に過ぎない。今、大通りを歩く無垢な市民が丁度良く上を見上げたところで、その視界を横切る重蔵達に気付くことはない。上級工作員と最上級工作員が繰り広げる本気の鬼ごっこは、常人の認識能力を上回っていた。

 埃混じりの中ノ湾の空気が重蔵の身体を踏み留めんと立ちはだかる。だが、今の彼から奪われるのは微かな水分のみ。既に万象を世界に食い荒らされ、奪い尽くされた彼には、その肢体に紐づく些細な庭しか残ってはいない。

「数週間程度の付き合いの人間に揺らされるとはな……。僕も少しは人らしさが残っているのかね。」

 呟いた老戦士は血走った双眸を細め、着々と愚かな殺人犯を追い込んでいた。ただ追いかけている様で細やかに双方の位置関係を管制し、注意を逸らす事で思い通りの位置へと誘い寄せる。このままでは逃げ切れないとようやく男が判断したのは、周囲にすっかり人影が消え失せてからのこと。

 動力鎧を使用出来ず、戦闘能力を持たない人員を吉光が避難させたのはこの状況をも予期していたからだった。

「む、誘われたか。」

「気付くのが遅いね。上級工作員にしては中々やる様になったが。」

「……鬼の叢雲が他人を褒めるとは。聞いていた話とは違うな。」

 呼気だけで笑ったその男は、まるで特徴の無い出立ちをしていた。眉にかかるかかからぬかという前髪に耳を半ば隠した横髪、短髪という言葉を辞書で引いたら載っていそうな程の後ろ髪。吊るしで揃えた様な背広の生地は着こなしと着古しを足して二で割った程度のこなれ具合を孕んでいる。

 輪郭、両眉、眉間、両目、鼻、頬、口、髭、肌、喉、両腕、両手、腰、両腿、両足。内臓以外の何一つとして固有の特徴を持ち合わせない姿。どれだけ目を凝らして見ようとも一切の記憶を許さない、それこそが帝國重工の抱える裏の表側。蒸隠機関の上級工作員である事を物語る。

「このパレードは貴様の入れ知恵か?」

「吉光さんの発案だよ。君たちがご丁寧にも司令書をくれたものだからね、対策も楽だったさ。」

「それが理由か。全く……霞む世に 馬鹿なカシラの 尽きぬこと だ。」

「懐かしい狂歌を。華やかに目を曇らすよりはましだろう?」

 わざとらしい仕草で笑ってみせるその裏に、とうに感情など失せている事を双方理解している。これはある種の様式美でしかない。だが、それすらも失っては市井に紛れる事もできないと彼等はよく理解していた。

「少なくとも貴様が生きている限り、奴の悩みの種は尽きんだろうよ。」

「渡鳥に評価されているのは嬉しいねえ。娘にも少しは誇れる父でありたいものだよ。」

「は、は、は。俺達でも追えん場所に隠しておいてよくも抜かす。随分と腑抜けたなあ、叢雲。」

「そろそろ口を閉じたまえ唐紅。今の僕はただの重蔵だよ。」

「少なくともお上はそう思っておらんようだ。黒狐に誑かされて牙を抜かれた、とな。」

 ぎしりと何かが軋む音がした。何かと思えば、重蔵の足元の地面に亀裂が走っている。上辺だけの笑みすらもかなぐり捨てた老紳士は目の前の敵を殴殺する用意をとうに終えていた。

「わざわざ、中ノ湾まで僕を挑発しに来たのかい?」

「無意味な諜報と無価値な狩りのためにわざわざ派遣されたんだ。憂さ晴らしの一つでもさせてくれたって構わんだろう?」

「構うさ、僕がね。」

「……堕ちたな、村山重蔵。」

 語るべき事は尽きた。これより交わすのは言葉ではなく、ある種言葉よりも雄弁な響き。

 同時に天へと掲げた手には、各々自らを象徴する装具が握られる。唐紅と呼ばれた男の手には帝國重工の社章を、村山重蔵の手には真鍮の杖を。

 鮮血に塗れた喉と錆び付いた真鍮の喉が同時に世界へ奏でるのは、自分が自分で在るという紛れも無い事実への渇望。


「十万億土で懺悔しろよ、ロートル!」

――闘神 無間 鎖ノ輪

   喰ライテ 砕キ 狂イ咲キ

    地ノ果テマデモ 血煙ヲ――


「返り討ちだよ、青二才。」

――封神 太極 狐の目

   清水に紛れる 寒椿

    枯れて 朽ちても 花盛り――


 握った社章が音も無く、瞬く間に砕けて散った。刹那、テープを逆回しにする様に手元に寄り集まり、形を成していく。瞼が上がった頃、その手に握られていたのは、艶の無い漆黒の刀身を備えた一振りの打刀。鍔の無い匕首拵えの刀身は薄く長く、光の加減で微かに輝く乱れ刃が持ち主の殺意を写し出す。

 対し、重蔵の右腕がけたたましい音を立てて崩壊する。絹の布を力任せに引き裂く様な、錆び付いた金属を擦り合わせる様な耳障りな騒音は、数秒聴いているだけで気の狂いそうな響きを乗せ、身を切り裂く真空の刃となって吹き荒れる。中心に立つ戦士の腕は既に腕と呼べる形では無くなっていた。表面から捲れ上がり、内に秘めた本来の武器を描き出していく様はさながら真鍮の彼岸花の如く。事実、その花は赤い花弁の本物などよりよほど恐ろしい毒を内包している。蒸気機関とは、内燃機関とは本来そういう代物であった。

「血煙、ねえ。……刃を交える時こそ殺気を隠せと教本に書いたはずだがな。」

「闘神まで開放もしないとは、お前も舐めた真似をする。」

 彼等の操る詠唱は、当然伊達や酔狂で爪弾くそれでは無い。

 本来ならば人の身に収めることなど不可能である蒸気機関や内燃機関を抑え込み、制御するには正気のままに自らの腕を引き千切り、指を一本ずつ丁寧に喰い千切るよりもなお強靭な意志を必要とする。まともな人間のままではまず不可能。だが、蒸隠機関に所属する上級以上の工作員は当然須く備えている。

 詠唱とは、その強靭とも呼べぬ狂人の如き正気の意志力が言霊となって溢れ出した結晶なのだった。その結晶は砲身となり、彼等の体内で荒れ狂う外付けの心臓が生み出した人外のエネルギーを意志の通りに形成し、固定化させる。そこらの感情擬きに訴えかける薄っぺらな歌の文句よりも、それは余程純粋な詩であるのだろう。ゆえに彼等はその力の結晶をより強く、鋭く形にする為に、常に語彙力と表現力の研鑽に余念が無い。

 畢竟、詠唱は人間性を捨てた者達による死出の舞の前に捧げられる祝詞の如く謡い上げられるのだった。なんとも様式美的なそれは、かつて内燃機関を作り上げた技術者が根っから好んだ形でもあった。だが、既にそれを知る者は出日ノ国に一人を除いて居はしなかった。

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