東潮から来た男
笑顔の裏で殴り合う。全くもって平和な世界。
未だ長距離通信の技術が確立していない出日ノ国において、公的な連絡というものは基本的に紙面のやり取りで行われる。お陰で秘密裏の交渉などもやり易いのだが、その連絡は何ともあからさまにやって来た。
「頭取、東潮からの客人がお見えです。」
「ご苦労。執務室に通してくれ。」
裏で敵対していようとも表向きは企業同士の対話であり、それを断っては五櫻鉄鋼の側が非を被ってしまう。ゆえにどれだけ嫌でも吉光は笑顔で帝國重工からの使者を自身の聖域に通してやらねばならないのだった。
「はるばる出日ノ国は東潮よりよくぞいらっしゃった。列車に揺られてお疲れだろう。先ずは腹ごしらえをしてからでも罰は当たるまい。」
「……結構。と言いたいところですが、その口振りでは既に調理も済んでいるのでしょうね。食材に罪はありませんし、頂きますよ。」
鉄面皮の男は顔の通りの硬い声で答えた。促されるままに卓に着いた男は黙って湯呑みを傾けている。その所作をよく見ていた吉光は、恐らくは下半身が丸ごと義体化されているだろうと結論付けた。
「人のことじろじろと眺める習慣があるのですか、この街は?」
「すまぬな、中ノ湾には義体化した住民がいないものでね。一人の技術屋としてどうにも気になってしょうがない。気を悪くしたなら謝罪しよう。」
「お気になさらず。この様な型落ちの義体など見ずとも、ここには動力鎧があるではないですか。帝國重工もあの鎧の有用性には常々感心しておりますから。」
「その台詞を下で働く彼等に伝えたら小躍りして喜ぶだろうな。……さて、どうやら料理が到着した様だ。中ノ湾流のもてなしも考えたが、今回は東潮に合わさせて頂こう。」
「助かります。義体化手術をしてからどうにも食が細くなってしまいましてね。」
「食費が浮いて丁度良いではないか。うちの従業員など揃いも揃って食い意地が張っていてなあ、社食にかかる経費が増えて増えて敵わん。」
上辺だけの空っぽな会話に花を咲かせる。運ばれてきた料理は東潮の流儀に合わせ、高級な品を少しだけ。中ノ湾では貴重な豚肉を様々な香味野菜で包んだ煮込み料理をメインに、炊き立ての鯛飯と松茸の澄まし汁、肉厚の青菜の浅漬けを据えた膳に二人はしばし舌鼓を打った。
部屋の空気からも美食の残滓が消え始めた頃、東潮の男は懐から重厚な印が押された封筒を取り出した。
「本題に入るか、良かろう。」
「ええ。先日の出日ノ国議会にて、新規の戦時法案が採択されました。つきましては善良なる出日ノ国臣民たる中ノ湾の方々にも御協力願いたいとの要請です。」
寄越された封筒を開けると、口頭で話された事と同様の文面が出日ノ国の名前で記されていた。しかし、封筒の印はどう頑張った所で帝國重工のそれである。あからさま極まれり、という訳だった。
「笑えぬ話だな。帝國重工の勝手に我々が付き合う理由が何処にある?」
「何を仰っているのか分かりかねます。この要請は出日ノ国議会からの公的なものであり、帝國重工はその運び人としての任を託されたに過ぎません。」
「議会を私物化した程度で国を握ったなどと勘違いしておるのは何処の阿呆だろうな。」
一企業が民主制を牛耳る国家など既に国家と呼ぶに値しない。吉光はそう言っているのだった。議会からの告知ならば議会の人間がすべき、当然の話である。しかし目の前の男は帝國重工から来た人間であり、それは背広の襟に着けられたバッヂからも当然理解出来る。
要するに議会の人間を連れて出直せ、という訳である。
「はあ……まあ、道理は通っていますね。しかしこの書類が議会より寄越されたものであることには変わりありません。中ノ湾は要請に応えるのか、もしくは応えるつもりは無いのか、どちらですか?」
「その答えを儂が既に持っていたとして、貴様にくれてやる筋合いが何処にある。戦争への協力という国家の議題において、五櫻鉄鋼は出日ノ国議会と対話をする用意はあるが帝國重工と雑談をする時間も理由もありはしないのだからな。」
普段の吉光を知る者ならば、この口調がよく出来た演技であることは容易に想像がついただろう。彼は初対面の人間に対して喧嘩腰で挑む事は決して無い。それが無意味であると良く理解しているからである。しかし、重工を迎え撃つ為に街の物流を制限している現状はあまり長続きすると自滅を招きかねない。
むしろ、喧嘩を叩き売りして相手が早くに手を出せば出すほど有り難いのだった。野火達の行軍が予想以上の速度で進んでいるからこその戦略である。西浦との交渉が失敗に終わる事など、彼は微塵も考えてはいなかった。
「全く、私が議会の人間であるとは考えないのですか?」
「少しでもそう思われたいのならば、背広のバッヂは裏返しておくべきだったな。貴様らも一応は議会に関与していない立場というのが表向きの方便だろうが。」
「今更あなたに誇示したところで無意味でしょうに。よほど内紛を誘発したいとみえる。」
「ほざくではないか。そんなに玉座の盾が大事か?」
「勅令の弾丸が国家を平定し得るなど幻想ですよ。あなたならよくご存知でしょう。五櫻、吉光?」
見透かした様な物言いに吉光は言葉を失う。この男はある程度権力の使い方を心得ている。その類の人間には脅しも泣き落としも通じないという事実を吉光はちゃんと理解していた。
「何にせよ、我々は正しく議会の人間を連れて来ぬ限り動くつもりは無い。これが中ノ湾の公式見解だ。」
「ふっ……端から動く気など無いでしょうに。」
男はそこで初めて少しだけ笑い、これ以上の議論を打ち切った。
東潮に向かう駅のホームで、男はもう一度吉光の目を正面から見た。その時だけ、背広のバッヂが外されていたのを吉光は見逃さなかった。
「五櫻吉光、あまり重工を舐めない方がいい。神城はそこまで気の長い男ではないのだから。」
「忠告感謝する。……お前、名前は何という?」
「……名はありません。わたしはそれを許される存在では無いので。失礼します。」
一礼した男の胸には既にバッヂが戻っていた。黙って列車に乗り込む後ろ姿を吉光は苛立った表情を隠しもせずに見送っていた。
「……重蔵殿、儂だ。取り敢えず喫緊の危機は去ったが、裏工作を掛けられる危険が増している。五櫻の執務室まで今から来られるか?」
「……構わないよ。平原の改造の進捗も後半分程だ。残りは菜穂子に任せても問題無い。」
「有難い。すぐに頼む。」
駅を後にしてしばらく歩いたところで、重蔵が合流した。男と交わした会話の内容を細かく確認していたら、五櫻の社屋には直ぐに到着する。
「少し片付ける用事がある。執務室で待っていてくれ。」
「ああ。その送られてきた封書も見せてもらっていいかな?」
「構わんよ。何か不審な点があったら教えてくれ。」
入り口で吉光と別れた重蔵は、聞かされた会話の内容を反芻して眉を顰めた。どうにも、自分の記憶に比べて帝國重工の動きが鈍いように感じたからだった。
五櫻が参戦の要請に応えるつもりが無い事は当然重工側も理解している筈だ。ならば、わざわざ重工の印が入った封書やら重工のバッヂを着けた使者などあからさまな真似をする理由が無い。その様な先延ばしの策を講じるのは中ノ湾にとって有利になると考えるべきなのに。ならば何故こんな時間を設けたのだろうか。
「ふむ……誰の差金だろうね。」
執務室の机に置かれた封書を手に取った重蔵はふと気付く。封書に押された印は帝國重工のそれではあるが、本来公的文書に使われるものではない。その印が使われる場面は基本的に一つだけである。
「……工作員への、指令書だ。」
「……何だと。指令書?」
「ああ、話すと長くなるがこの印は公的文書に使われる物ではなく、工作員への指令書に押されるものなんだよ。」
「なんと。……知らなかったな。」
「蒸隠機関の人間以外は知らない事だ。あまり口外しないでくれると助かる。」
封書を手に重蔵は苦笑した。しかしその笑顔も、その中身を開いて確認した瞬間に消失した。
「重蔵殿、どうかしたか?」
「……吉光さん。どうやら思っている以上に時間が無い。迂闊だったな。」




