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披露目

「……はいよ。焦蒸酒とクワスだ。飲み忘れにはご注意を、ってな。」

 野火にニヤリと笑いかけ、店主はグラスを二人の前に置く。方便というのは便利なものであると感心する間もなく、少女は酒精のゆらめく焦蒸酒を堂に入った仕草でくいと呷った。割らずに飲めば一杯で大の大人がひっくり返るそれを、年端もゆかぬ少女の姿が艶めかしく飲み干すのは中々に倒錯的な光景だった。

「感謝するよ、名前も知らん坊主。酒精で身体を焼かねば動くもままならん身でねえ。いや助かる助かる。」

「洒落た言い訳だな。ただの酒浸りじゃあなさそうだ。何を抱えてるかは知らんが、酒代に話しちゃくれないかい?」

 努めて軟派な雰囲気を作りながら問いかける。どう繕っても彼女等は堅気ではなさそうだったから、誘いも軽く断れる様にしたのだ。

 だがそんな心配りなどどこ吹く風、少女は狐面を揺らしてけらけらと笑い、からりからりとグラスを鳴らした。

「酒浸りじゃねえってのは正解だ。何か抱えた訳ありってのもなぁ。ただ、どう話したものかね……。どう思うよお前さま?お眼鏡には適ったかい?」

「……うん、いいかもしれない。中々に面白い男だね。」

 彼女が唐突に傍らの男に話を振ると、店に入ってからずっと押し黙って居た口は案外簡単に言葉を紡いだ。

 こんな男の何が面白いのか、分からないがどうにも彼には響くものがあったらしい。

「それを話す前に、店主君よ。君に少し聞きたい事があるんだが、いいかな?」

「はっ!男前の旦那に頼まれて断ったとあっちゃあ、酒場の名が廃る。答えられることならなんでも答えてしんぜよう。」

 大仰に構えてみせた店主に老人は苦笑し、細められた眼差しは瞬く間に凍てついた殺意へと変化する。それは顔の動きすらも威圧の一因とする、明らかに脅しに慣れた者の仕草。

「闇医者の神代六平という男を知っているね?今何処にいるか分かるかな?」

「……神城?」

「そう、神代だ。」

 覚えの無い名前だったが、店主には思い当たる節があったらしい。何処か軽薄なその面がはっきりと動く。長く彼の店に入り浸っていたが、そんな顔は今まで一度も見たことが無かった。

「……神城か、知らんな、そんな奴ぁ。」

「いいや、知っている筈だ。彼は君が記者を辞める事になった元凶だ。忘れるわけが無いだろう?」

「知らん。もし仮に知っていたとしても言えない事くらい分かっているだろう。」

「そうかね?聞き出してもいいんだが。」

 少しずつ身を乗り出していた男。ヤマモトが後ろに退く毎に進んでいたその動きを、少女はつと腕を上げて止めた。

「あまり怖がらせるものじゃないよお前さま。わたしの事とはいえ、喧嘩っ早いのは褒められた事じゃ無い。」

「む、そうか。済まないな店主君。謝罪代わりと言ってはなんだが、クワスをもう一杯頂けるかな?」

「……ああ。こっちこそすまん。少し気を落ち着かせるから待っててくれ。」

 固い声のまま裏へ消えて行くヤマモトを一瞥し、男は大きく息をついた。無理をしていたようには見えなかった。

「お騒がせして申し訳ないね。僕は村山重蔵むらやまじゅうぞうと言う。こちらは妻の菜穂子なほこだ。」

「村山菜穂子だ。酒の礼をしたいところだが、こちらも路銀は心許なくてねぇ。なんなら接吻でもしてやろうか?この若見えする身体ならいい思い出になると思うがね。」

「こんな手練の旦那の前で接吻なんざ頼まれたってお断りだよ!あー……野火ってんだ。よろしく。」

 蜃気楼でも見えそうに空気感の違う二人であったが、けらけらと笑うその表情はそっくりだった。どうやら、夫婦というのはあながち間違いでも無いらしい。

「野を駆ける火か、疾くて良い名だね。酒の礼がてら話してあげてもいいだろう。……帝國重工と蒸隠機関の話だ。」

「前置きひとつ無しか。都市伝説談義ならお断りだぜ?」

「都市伝説などでは無いよ。紛れもない真実さ。」

 二人が来る前、ヤマモトと喋っていた蒸隠機関。それと帝國重工になんの関係があるというのか。

 英公国で誕生した蒸気機関、それを出日ノ国に一早く取り入れ、東方諸国向けに改造を行ったのが帝國重工である。生来の手先の器用さが幸いしたのか、その技術はあっという間に世界を追い越して時代の頂点に君臨した。

 最近何か新技術を開発していると報道されていたが、その絡みなのだろうかと野火は推理した。

「ああ、まさにそれだ。思っていたより聡い子だね。」

「んっふふふ。随分惚れ込んだじゃないかお前さまよ。後継にでもするかね?」

「あんたみたいな武人の後継なんざ、何やらされるか分かったものじゃない。悪いが遠慮しとくよ。」

「そうやって僕の力を測ろうとするのも中々に好感が持てるね。」

 そう言って村山は片手ではグラスを傾けつつ、もう片手で頭を撫でようとしてきた。堂に入った好々爺っぷりである。孫がいるのかは知らないが、いればきっとこうしていただろう。

「蒸隠機関というのはね、帝國重工の開発した技術の実験場なんだ。新しいタービンやら兵器だったり、出力が高過ぎて民間では使えない武装なんかを試させるんだよ。」

「いるのかいないのか、なんて言われちゃあいるが、構成人数はそこそこ多いんよ?激務だけどねぇ……。」

「ほお…まるで見てきたように話すんだな。」

「そりゃあそうだ。僕ら二人とも蒸隠機関の元工作員だからね。」

 全く何でもないように、今日は天気がいいですねとでも言う様な調子で村山は言ってみせた。

 呆気に取られて黙り込む野火の顔を見て二人はけたけたと笑う。先程は何とも思わなかったその笑顔が、今は底冷えのする圧力を伴って視界に居座っていた。

「……あんたからする武人の気配はそれが原因か。医者を探してるってのもその繋がりか?」

「ある意味じゃそうとも言えらあね。ただ、坊主の思う意味とはちと違うかもしれん。」

「違う?どういう事だ?」

 てっきり仕事で負った傷の治療かと思ったが、それは妙だろう。暗部とはいえ重工の組織であればお抱えの医師の十人や百人、並んでいたとておかしくは無い。そこまで思い当たり、ふとモノクロの紙っぺらが頭をよぎる。

 新聞に載っていた新しい手配書。

 顔の傷。

 背格好は子供の如く華奢であると。

「……まさか、お前らじゃねえだろうな?」

「今、僕が否定して君は信じるかい?」

 相も変わらぬ笑顔と見れば、その眼の奥はまるで笑わずこちらを見据えている。

 訳も故も分からずとも、あの手配犯が彼等であることを暗に示していた。

「何でもいいさ。この程度で動く程腰は軽くねえよ俺は。」

「良い肝っ玉じゃあないか。武人とは皆こうであって欲しいものよ。」

「ふふ、そうだね。……店主君、遅いねえ。」

 知らず知らずのうちに話に夢中になっていたらしい。気付いた頃には、ヤマモトの気配は店の中から消えていた。煙草一本に少し足りない時間だが、店主は煙草を呑む男では無い。ここまで遅いのは不自然だった。

「あー、あいつは以前営業中に寝てた事があるんだ。叩き起してくるから待っていてくれ。」

「いや……君もすぐにここを出るぞ。菜穂子、もう大丈夫か?」

「ええ。いつでもいけるよ、お前さま。」

 楽観的な野火とは対照的に村山の顔は固くなっていた。

 その態度は不思議なほどに神経質だったが、考えてみれば分かる事である。重工の暗部である蒸隠機関の元一員。そんな人間が指名手配されている事。それ即ち狙われているという事であろう。

 新聞に乗るほどの指名手配とは、国がその人物を潰す為に動いたと同義だ。石もて追われる身となれば、些細な異常に気も尖ろう。

「なら着いてきなお二人さん。追われてんなら裏道通った方が良いだろう?ゴロツキ御用達の路地裏迷路を案内してやるぜ。」

「おおすまない、お願いするよ。」

「お前さまに迫る男っぷりじゃないかい。娘を紹介しても良いかもねぇ?」

「あんた子供もいたのかよ!」

 衝撃の一言もそこそこにカウンターの中から裏口へと抜けた。すぐ前に置かれた大きな塵箱を横合いから蹴り飛ばせば、一流の屑しか知らない秘密の道がご開帳。ヤマモトは影も形も見当たらなかった。

「ここから大通りの駅側へ抜けられる。先導するから旦那は奥さんを頼むぜ。」

「言われずとも。君のお手並み拝見といこうか?」

「棒振るくらいしか能がねえ奴にゃあ重い言葉だよ!」

 細道は不愉快な湿り気に満ち、気道にカビでも生えそうな空気が埃と共に絡み付いてくる。大戦も遠く過ぎた今、表通りや主街区の街並みは鋼板と真鍮で硬質な美しさを醸しているが、こんな場末の路地には都市の最先端技術は届きやしない。左右を挟み込む古臭い煉瓦造りの壁は四六時中吹き抜ける蒸気に食われ、薄く苔が群していた。

 目印も何も無い分かれ道を幾つも越え、自分がどこから来たのかとうの昔に分からなくなった頃。菜穂子が急に痛みを訴え、その歩みが止まった。

「……すまないね。急拵えのせいか、継ぎ目がすぐに痛む。」

「継ぎ目?あんた怪我人か。こいつは悪かったな、少し道を変えるか。」

「いや、幻肢痛というやつさ。ありもしない脚が痛むのさ……。」

「ん?脚、付いてるじゃねえか。」

「話せば長くなる。野火君、今は先を急いでくれ。手遅れになりかねん。」

 そう言うと重蔵は一息に菜穂子を抱え上げた。脇の下と膝裏に腕を通す、近頃の若者に流行りの抱き方である。古臭く見えても中々ハイカラがお好きの様だ。

「きゃぁ!これやってみたいと言ったの、覚えておいてくれたんだねえ!お前さまのそういう所私大好きだよ!」

 ただの嫁馬鹿であった。黒の狐面が桜色に染まったように見えたのは気の所為だろう。

「乳繰り合うのもいいがその辺にしておいてくれよ。もうすぐ駅へ抜けるぜ。」

「有難う。帝都方面の階段まで行ってくれるかな?そこまで行けば神代が目印を残しているはずだ。」

「ああ?そいつの居場所は分からないんじゃなかったのか?」

「僕が何時、そんなことを言ったのかな?」

 食えない老人は食えない笑みを浮かべて前へ出る。昔はこういう奴を見たら遠慮なく殴り倒したが、恐らくこの男には手傷の一つも負わせられないだろう。刃の一つ交わさずとも自分では敵わぬと理解させる、それこそが一流の武人たる素質なのだ。

「神代は慎重な男だから、不測の事態が起こったら必ずそうと分かる情報を残す。バーテン君に聞きたかったのはそれさ。外れに終わったけどね。」

「あれもあれで中々変だがな。いつもはあんな奴じゃねえよ。」

 いつも飄々としているヤマモトがあそこまで取り乱す姿は今まで一度しか見た事がなかった。何年前だったろうか、気まぐれで数えてやった競馬の累計負け額が百万に届いた時だ。カミシロなる人物の価値はどうやらヤマモトの中で大体百万程らしい。

「高いんだか安いんだか……まあいずれ分かるか。」

 泥溜りを踏み越えて右へ左へ。大通りの喧騒が次第に肌を揺らし始める。最後の十字路に差し掛かった時、彼等は唐突に現れた。

「っと、危ねぇな。この道使うなら足音くらい聞いておけ…あ。」

「……聞いてたから待ってたんだよ、野火い?」

 裾のほつれた着流しをだらしなく着崩し、無精髭を蓄えたいかにもな無頼漢が三人。時代遅れな喧嘩煙管に回転式拳銃を携え、標本にでもしたいくらいの物騒無精な無頼漢どもである。

「野火くん、知り合いかい?」

「知り合いというより殴り合いだな。以前絡み酒してきた奴の顎をかち割ったら恨まれちまって。」

「ゴロツキとはいえ、素人の顎割るなんて坊主も随分やんちゃだねぇ?」

「俺も酒が入ってたんだ。それで言い訳って事にしてくれ。」

 二人はけたけたと笑いながら音も無く後ろに下がる。それは手出しはしないという意思表示、野火自身の火種なのだから当たり前と言えば当たり前。

「野火い……落とし前つけさせて貰うぜ?ひとまず顎と両手足位は頂こうかなあ?」

「おお怖い怖い。お味方さんもびびっちまって前に出られんと見えるなぁ?あひゃひゃひゃ!」

「変な笑い方だな。喉悪くしてんのか?」

「そうなんだよ、酒と煙草のやり過ぎで……って何言わせんだこの野郎!」

「喧嘩に来たのか漫才に来たのかはっきりしてもらって良いか?拳とおひねりどっちをやるべきか選ばなきゃならねえからな。」

「うるせえ!お前らさっさと構えろ!」

 親分格の一喝で二人は視線を戻す。見せつけるように銃口を向ける動作は蝿が止まるよりも緩慢。

 軽口を叩いている内に足場の確認は済んでいた。気付かれない様にかき分けた足元の土に特別性の草履を噛ませ、一歩目を最大速で踏み飛ばす。

 正面ではなく、煉瓦の壁に向かって跳ねた。ひとっ飛びで足は軽く彼等の頭に届くが、体幹を捻って更に加速させる。

 それでも理想にはまだ足りないが、どうせなら意識も刈り取ってしまえと。

 銃口は未だ見当違いの方向を向いていた。

「ッらぁ!」

 右足の爪先に仕込んだ寸鉄が親分格の男のこめかみを張り倒し、声も無く昏倒させる。残った二人が面食らっている隙にその手から喧嘩煙管を奪い取れば、形勢は完全に傾いた。

「ついでだお前らも寝てろ!」

 三人は仲間の顎の落とし前を同じく野火の顎でつけるつもりだったらしい。であればこちらも顎を狙うのが筋というものだ。じゃらりと鈍器を振り抜けば二人の間抜けが倒れ伏し、十字路には静寂が舞い降りた。

「本気で動くならこの三倍は欲しいところだが、まあこんなもんか。」

「うん、悪くは無いんじゃないかな。喧嘩殺法の域からは頭ひとつ抜けていると言ったところか。」

「随分とまあ派手好きなんだねぇ坊主。どこで習ったんだい?」

「習った、と言えば習ったかな。一応……。」

「火嶋流棒術だろう。型破りも甚だしいが多分そうじゃないかな?」

 感情の読めない目で錆び付いた戦士を見つめる重蔵はさらりと言い当てた。確かに野火の修めた流派は火嶋流だ。しかし今の一戦でその技は一つたりとして使ってはいない。むしろ積極的に使わないようにしているのに、喧嘩煙管を握る手を見る両目はその負い目すらも見抜いているようだった。

「目が良いんだな、重蔵の旦那。今まで随分苦労したんじゃないか?」

「生憎と、ね。良くも悪くもだよ。」

「……漢の会話かい?よく分からんね。」

 呆れ声の狐面を置き土産に、この街最大の人通りを誇る大通りの終着点へと向かう。路地裏に放置された阿呆はこのままであれば風邪の一つも貰いそうなものだが、それよりも先に身包みと命を盗まれるのが掃き溜めの常なのだった。

何とは言わないが、誤字ではないので。あしからず。

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