悲しみの先
ロバーツの瞳には、深い絶望が滲んでいた。親友の死、仲間の消失、残されたのは自分だけ。
───自分は、敵に立ち向かう事すら出来なかった。
もう彼の後ろ姿からは、生きようという気持ちが感じられなかった。
そんな今にも消えそうな、彼の命の灯火を繋いだのは、他でもないサブロウ大佐だった。
「ロバーツくん、しっかりしなさい!まだ君は生きているでしょう!」
サブロウはロバーツの両肩を掴み、懸命に揺らす。
しかし彼の瞳から、光は消え失せていた。心の内で抱く自責の念は、自らの存在も、命すらも、否定していた。
「あの人たちの代わりに…僕が死ねば…」
ロバーツが呟く一言は、サブロウの手を挙げさせた。
今まで優しく差し出してきた手は、初めてロバーツの頬に当たる。
「お前がそんな気弱になってどうする!残された者がそんな事を言って、あいつらは喜ぶか!?」
普段誰にでも丁寧に接するサブロウの言葉は、珍しく荒々しい口調だった。
そんな怒りに燃えるサブロウの目の端には、何か光るものが見えたような気がした。
「苦しいのは分かる、辛いのは分かる、俺だって同じ気持ちだ!だがな、せめて、自分が生きている事を、自分の事を否定するな!生き残った自分を否定したらな、居なくなったあいつらも、一緒に否定することになるんだぞ!」
その言葉は、王宮兵の上官としてではない。この場で同じ苦しみを共有する、人生の先輩としての言葉だった。
サブロウの励まそうとする言葉を聞いたロバーツの目に、少しだけ光が差し込んだ。
そして、彼の中に浮かんでくる、みんなの姿。
同期として切磋琢磨してきたバロン。
強化訓練の後、戦い方を復習してくれたハインツ。
いつもいろいろな話を、面白おかしく聴かせてくれたミルズ。
みんな、みんな居なくなった。でも、それが戦いなのだ。それこそが戦場なのだ。
ここで立ち上がれないようなら、もう、人の事を救う事はできない。
ロバーツの中に、覚悟が芽生えた。
これは訓練ではない、手加減してくれる敵なんていない。もう、命を賭して戦わなければならないのだ。
崩れ落ちていたロバーツが、ようやくサブロウの助けを得て立ち上がる。
「頬が…すみません。私も取り乱しました。」
「大丈夫です…、サブロウさん、ありがとうございます。」
サブロウとロバーツの間には、王宮兵としての絆が確かに残っていた。
そして、彼の班長であるサエを欠いたロバーツへの指揮は、自動的にサブロウが握ることになる。
「A班諸君、そしてロバーツ君。E班の面々に加え、我々の班もコウスケ君を欠いた以上、今から作戦を遂行するのは困難と判断しました。その為、一度王宮へ帰投致します。そこで改めて、体勢を整えるのです。異論は…ありませんね?」
A班一同が仕方ないという表情で頷く、ロバーツも同じだった。
瓦礫がそこら中に転がる、屋根のない車両。そして無惨にも横たわる、2人の兵士の亡骸。
それと共にこの車両にあったのは、この国において最強と言える部隊、王宮兵の”敗北”という、あまりに重たい現実だった。
〜
屋敷の一室で、王国兵から接収した装置を、しばらく眺めていたシルフィア。
ロバーツの絶望も、カストルとミルズの消失も、奮起させようとするサブロウの言葉も、全てその装置から、まじまじと見つめていた。
「どうでしたか、貴方が見込んだ方は?」
スピカが茶化すようにシルフィアへ尋ねる。
「正直、今は期待外れだな。」
肩をすくめながらシルフィアが答える。
「無理もありません。彼らが対峙していたのは、あのカストルなのですから、十二聖団でも五本の指に入る実力者なので。」
スピカが同情するような顔で、淡々と話す。
カストルは───ポルックスとの双子の片割れは、”戦闘”の才覚に長けた人物として、魔王軍の中でもその名が知れていた。
その実力は、彼女を一介の雑兵から、部隊長にまで導いた。そして、たまたま戦場で出会ったスピカによって、その才覚と伸び代を見出され、五芒星の一員として重用されるようになった。
時を同じくして、ポルックスも同じ場所で実力を認められる。似た顔、似た背丈、似た声色、違いを挙げるとするならば、ポルックスの持つ才覚は、”頭脳”だった。
その結果、珍しく双子で五芒星の名をいただくことになった。
静のポルックスと、動のカストル。
彼女たちこそ、戦場で恐れられる“最強のツインズ”だった。
「相手が悪かった…という事か。」
「そうとも言いますね。ですが、なぜ貴方は彼を?」
スピカの疑問は、そこだった。
“なぜ大事な局面で動けもしない王宮兵に、そこまでして注目するのか”
シルフィアはニヤリと笑いながら、スピカの目を見つめる。
「ふふ…今に見てなさい。彼は、”とんでもなく化ける”。」
───戦場で怖気付いて、一切動けもしない兵士が、とんでもなく化ける?
なんの冗談かと言わんばかりの声色で、スピカは疑問をぶつける。
「それは…何故にですか?」
しかしシルフィアは不思議そうな表情で、スピカをじっと見つめた、
「なぜって…君もあの日、同じだったじゃないか。」
スピカの脳裏に、嫌な記憶が蘇る。
流れ出る血、冷たくなっていく身体、二度と開くことのない彼の瞳。
内から自然と湧き出る怒りが、彼女の口調にも乗っていた。
「…冗談でも笑えませんよ。」
「ふん、私はありのままの事実を述べたまでだ。」
シルフィアは平然と言い退けた、そして言葉を続ける。
「彼の死を、私もまだ受け入れてはいない。ただあの日、君は彼の死を目の当たりにして、もう動けなくなっていただろう。」
淡々とした口調で、シルフィアはあの日の事を話し続けた。
「彼は無謀にも、急な敵襲に立ち向かった。君たちほどの実力もないのにだ。当然彼は相手に圧倒されたまま、致命傷を負った。ラサルハたちの到着も間に合わず、君は、彼を看取った。」
スピカの肩が、わなわなと震える。
「今でも思い出したくないだろう、私にとっても嫌な記憶だ。しかし、彼の死は君をさらに強くした。十二聖団の長たる強さに、彼の犠牲は拍車をかけたのだ。彼が死ななければ、君は今以上に強くなれなかっただろうよ。」
淡々と語るシルフィアの首元に、剣先が向けられる。
その剣を持つスピカの目からは、涙が流れていた。
「これ以上…彼を…彼の死を侮辱しないで。」
「ほう…この私に刃を向けるか…。」
今にもシルフィアに切りかかりそうなスピカ。
そんなスピカをシルフィアは睨みつけると、腰に刺していた扇を抜く。
そしてその扇を広げずに、閉じたままスピカへと振るった。
「ぐあっ…!」
スピカの身体は、扇の風に乗って壁へと叩きつけられる。
シルフィアは飛ばされた彼女を見つめて、吐き捨てるように言った。
「いくら君が魔王軍の中で強いと言われようとも、所詮は十二聖団なのだ。四天王たる私如きに勝とうなど、土台無理な話なのだよ。今の無礼は不問としてやる。今の君に命があること、私に感謝するんだな。」
部屋を出ていくシルフィアと、悔しさで啜り泣くスピカ。
しかし心の中では、静かに怒りの炎が燃えたぎっていた。
立ち去る彼に聞こえるか聞こえないかの声量で、彼女は強く決心する。
───今の彼女の心は、そう容易く折れなかった。やしなかった。
「…この私を軽く見たわね。あんたを…泣いて後悔させてやる。」
〜
「あんたねぇ…急に転移魔法使わないでくれる!?」
カストルは合流して早々、転移魔法を使った“オールバックの男”にキレていた。
「落ち着いてください…。ひとまず、陽動は成功したみたいですね。」
溜め息をつくカストルだったが、彼女以上に怒っていたのは、先に合流していたラサルハだった。
彼女はニコニコしながら、カストルへ話しかける。その圧はまるで、十二聖団のリーダー顔負けだった。
「ねぇカストル…、私との約束、忘れちゃったのかしら?」
カストルがびくんと身体を震わせる。しかしそのまま無謀にも、ぎこちない笑顔でラサルハに話しかけた。
「そ、そんな事ないですよ…やだなぁーラサルハさん…あはは…。」
「ふーん…あんたそうやってしらばっくれるのね。貴女が次怪我しても、絶対に治してやらないんだから。」
ラサルハは頬を膨らませたまま、カストルに背を向ける。
カストルの顔から、ぎこちない笑みは消え失せていた。
しかしラサルハの悩みは、約束を破って魔力を使った彼女だけではなく、もう一つあった。
「というか…この子どうするのよ。カストルにしがみついてたせいで、一緒に転移してきちゃったじゃない…。」
全員の視線の先に居たのは、カストルにしがみついたまま転移してきた、ミルズだった。
幸いにも転移の瞬間、機転を効かせた“オールバックの男”が彼を気絶させているので、おそらく目を覚ましても、何が起きたのかわかっていないだろう。
「私の見立てでは、ここに置き去りにしても問題ないかと。」
「賛成ですね、さっきの列車とは離れたところに、我々は今いるのですから。そう容易く元の位置にも、王宮にだって帰って来れないでしょう。」
「…。」
“オールバックの男”も、同席していたKF-882───またの名を“フジ”も、彼を生かす判断を下す。正確には、わざわざ手を下さなくとも、彼は勝手に死ぬだろう、という判断でもあった。
そしてもう1人、何も口を開かない”凛々しい女“は、ただ虚ろな目付きで、彼のことを凝視していた。
カストルは列車での戦闘という経緯もあってか、何も対処しないみんなに対して、明らかに不満そうな表情を浮かべる。しかしラサルハにかなり怒られている今の彼女には、それを言い出せる空気は無かった。
「それでは、これで皆さん集まりましたね。これより、五芒星のアンタレス、並びにレグルス奪還作戦を始めます。これより王宮に向けて進軍し、作戦を実行します。」
フジの一言で、ついに作戦が動き出す。
その中心にいたのは、ラサルハとカストル。そして、王宮兵の服装に身を包んだ“オールバックの男”と、”凛々しい女“だった。
フジは言葉を続ける。
「カストルさんのおかげで、王宮兵の実力は粗方分かりました。ですが油断は大敵です。この布陣を組んだのも、ある程度敵への警戒をする為です。誰1人欠けることなく、アンタレスとレグルスを連れて帰りましょう。」
ラサルハも、カストルも、”オールバックの男”も、その言葉に静かに頷く。ただ、”凛々しい女”だけは、虚ろな目で前を見つめるだけだった。
───まるで彼女に、自我が無いかのように。
そんな彼らを遠くから見つめる、1人の影があった。彼の瞳は、”王宮兵“をはっきりと映していた。
「…あいつが、例の裏切り者。」
影は相手が誰なのかをしっかりと見つめた後、胸元に入れていた小型無線を使い、誰かと交信をし始める。
「…えぇ。おそらく彼女が、彼を連れて敵の元へと向かったと考えられます。」
「はい。では引き続き、こちらも偵察を続けます。」
「1つ気がかりなのは、私が爆発のどさくさで列車を離脱した時、サブロウ大佐らが交戦状態に入った事です。」
「そうですか、分かりました。無事に皆さん王宮に戻られれば良いのですが…。」
影の内心は、目の前にいる敵の動向以上に、サブロウ大佐たちの安否を気にしているようだった。
「はい。引き続き監視を続けます、カラマ中佐。」