始まりの日 Side B
「敵が列車でこちらに向かってきている?」
「は、はい…。ですが、向かってきている人数は、お、多くありません…。」
シルフィアはハマルから上がってきた、敵襲の報告を静かに聞いていた。ハマルが持つ能力によって、スピカが捉えた王国兵は、もはや都合のいい手駒でしかなかった。今の彼らがどれほど朽ちた牢獄に居ようとも、まるでそこは居心地の良い最高級ホテルだ、と信じて疑わない事だろう。アルデバランはとても毛並みの良い執事に見えるし、スピカはきっと才色兼備なメイドのように映るだろう。
『お疲れなんですね皆さん…。』
『そうなんだよ!今の任務がきつくてなぁ。』
『でもまあ、数日以内には王宮から応援が来る予定なんだけどな。』
『えっ!そ、そうなんですか?』
『そうだとも!まああの人たちは相当手練だし、まず負ける事はないだろうよ!』
『それはそれは…王国万歳、でありますな。』
3人の召使いを相手に、気をよくしたのかいろんな情報を話し込んでしまう。ハマルはそのまま質問を続ける。
『い、今どの辺にいらっしゃるんですか?』
いや、それは聞きすぎか…?ハマルたちがしまったという表情を薄ら浮かべる。しかしこの王国兵は、完全に術にかかっていた。一度開いた口は、もう閉じる事はなかった。───そもそもこの牢獄に居る時点で、すでに手遅れなのだから。
『お嬢ちゃん、結構聞くんだな。まあいいか!今聞いてみようか?』
『あっ、ありがとう…ございます…!』
「ほう…スピカが捕らえた王国兵から、君らの力で情報を得たという事か。でかしたぞ君たち。」
「お、恐れ多いお言葉…!ありがとうございますっ…!」
王国兵からの情報、という戦略的なアドバンテージを得られたのは、シルフィアにとってあまりにもいい誤算だった。人数が多くないならば、迎撃する側はそこまで力を加えなくてもいい。来たもの全てを、返り討ちにしてしまえば済む話だ。
「そういう事はだ、シルフィアさんよぉ。俺たちも敵の方に向かったほうがいいのか?」
「差配は貴方が振るうのです。シルフィア様と、我々十二聖団の関係は主従関係。貴方が指揮権を有するのです、シルフィア様。さあ、籠城でも、出征でも、なんなりとご命令を。」
えらく大柄なアルデバランも、王国兵を始末して己の強さを誇示したスピカも、結局はシルフィアの配下。2人とも片膝をついて、次の命令を待つばかりだった。
「まあまあ、そう慌てなさんな…。相手は少ないんだ、我々が直接手を下すまでもないだろうよ。そうなれば…ここは1つ、彼の力を借りる時だな…。」
シルフィアが席を立つと、どこかへ通信する素振りを見せた。この屋敷に混沌が2つ、訪れようとしていた。
〜
「…ふぅん?」
「そうです、皆様のいらっしゃる湖畔には、C班が単独で向かってきています。そもそも急造のチームですし、トップは中佐になったばかりの男です。さほど、強いとも思えません…。」
「そう。あのフジ君の事も、十二聖団たちの事も、そちら側は舐めてるって事かしら?」
通信機のマイクに話しかける、彼女の言葉に怒気が乗る。しかし通信相手は、平然とカラクリを言ってのける。
「いえ。事前に偵察班には、あらかじめ偽の情報を掴ませました。十二聖団は3人、彼は未だ再起不能。それらの情報は、新しい偵察班のトップまで、最速で伝わるようにしました。まさかトップが彼になって、焚き付けられたのがあのお方とは…正直滑稽もいいところです。」
思わぬ種明かしに、彼女は笑いを堪えずにはいられなかった。
「…あっははは!貴方、なかなか考えてるのね。」
「それが逆に、煙幕になり得るのです。私はこちらでのロールを、引き続き完遂致します。」
「えぇ…頼んだわよ。報酬は…私でいいかしら?♡」
「ふふっ…楽しみにしてます。」
互いに通信を切ろうとした時、列車のジョイント音が聞こえてきた。なぜ?外?列車内?王宮じゃない?
「…え?貴方、今王宮内に居ないの?」
「あ、えぇ、そうです。これも表向き任されてる任務ですし、仕方のない事…
「ちょっと、今すぐ王宮に戻ってちょうだい!彼らを解放するには、全班が王宮から出て行っている今がチャンスなのよ!?」
彼女の怒声が響く。通信相手が少し思考しながら、一つ投げかける。
「かしこまりました、それでは…偵察班に花を持たせる、というのはいかがでしょう?」
「…あー、そういう事ね?いいわね、私たちから伝えておくわ。作戦は合流したら。」
「かしこまりました。」
改めて通信を切ると、彼女は小さくため息をつく。ここも、この湖も、直に戦場になるのだ。その前に機械人間、いや彼には再起動してもらわねばならない。今まで急ピッチで最終調整を進めていたが、ふと自らの小腹が空いていたことに気がつく。そういえば今の状況下になってから、食事や間食やら、そんなものをまともに口に出来るほどの、余裕なんて無かった。腰を据えて、味わって食べて、仲間となんでもない会話で談笑する。そんなことなぞ、今は全く考えていなかった。戦いは、争いは、そして悲しみは、そういう日々のささやかな楽しみさえも、根こそぎ奪い取ってしまう。
「…しっかりしなさいラサルハ。私は、私はっ…このままじゃ、みんなに顔向け出来ない…。アークくん、スピカちゃん…。」
静かに肩を揺らす。頭に過る、あの時の会話。そして、自らの手から消えていった、彼の温もり。
『…いや。いやぁぁぁぁぁ!!!アーくん!起きてよ!ねぇ!起きてよぉぉぉ!!!』
『あなたがっ…あんたが間に合っていれば…!アーくんはっ…こんなことにならなかった…!ねぇ…返してよ…私のアーくんを返して!!!ねぇ!!!』
『おいよせ!…ラサルハは最善を尽くしたんだ。それに…彼女がここに来るまで、道中妨害にあったんだ…。だから…悪いのは全て…あいつらだ…。』
『お願い…。返してよぉ…、私のアーくんを…お願いだからぁ…。』
…今でも、不意に夢に出てくる。彼女の記憶の中に居るスピカは、いつまでも泣き続けていた。無力、あまりにも無力。自らが手にかけた訳ではない。単に、その場に間に合わなかったのだ。それでも彼女の中には、自責の念が耐えなかった。あの時…。
『何よっ…この軍勢…!』
『貴様ラサルハだな?その命、ここで刈り取らせてもらう!』
『邪魔よ!どいて!人が、人が死にそうなのよ!』
『どうせお前らに加担する者共だろ?そんな奴の事なぞ、知ったことでは無いわ!』
『…あんた…王国軍?』
『ご想像に、おまかせする。』
あの場所に向かう道中、ある輩の襲撃にあった。ただ今考えてみると…あれは、本当に王国兵だったのか?あの頃のことは、どうしても記憶が錯綜しがちだ。あの時妨害してきて交戦していたのは、王国兵の服装だったと思っていた。ただ、よく考えてみると…。
『あらぁ!結構お似合いじゃない?』
『…皮肉ですか?』
『そんな事ないわよ。これから内偵任務にあたるには、この制服が必須条件なんだから。』
『まあそうですが…。というか、わざわざ頼んだ制服って言うから、何か特別なものかと思いましたが、こういうデザインですか…。』
『まあ…確かに王宮兵の服装って見慣れないからね。私も実際に届くまで、こんな服だなんて知らなかったし…。』
『そうですか?確か王国兵の服装と共通だったはずですよ…。』
…やはり、頭の中が混線しているのだろう。
「お腹、空いたなぁ…。」
ぼんやりと空を見上げる。妖気をまとった、決して綺麗とは言えない青い空。私の生きているうちに、澄んだ、綺麗な空は見れるのか?彼女が自問自答しようとしても、答えを返してくれる人はいない。濡れた目尻を拭いながら、再び目の前の彼に視線を戻す。
「でも…やらなきゃ!さあ、もう朝ですよ…!」
彼女が勢いよくEnterキーを叩く。すると、彼の身体が再び起き上がる。
「…KF-882、今ここに再始動しました。」
「おかえりなさい。…やっぱ型式よりも、私は貴方をフジって呼びたいんだけど?」
「かしこまりました、ラサルハさん。…また貴方が直してくれたんですね。フジ、感謝致します。」
ラサルハは満足そうに、再起動した彼を、フジの頭を撫でる。
「ラサルハさーん、クッキー出来ましたよー!」
「あ、フジさんようやく起きたんですかー!?遅かったじゃないですか!」
「あらぁ〜、嬉しいわ!ごめんね時間かかっちゃって…!」
「いやはや、遅れましてどうもすみません。あら、ポルックスさん達が焼いたクッキーですか、美味しそうですね。…私もそれ、食べられれば良かったんですが。」
「ふふ、そんな寂しい事言わないの。」
まるで、慈愛に満ちた母とその寵愛を受ける息子だ。ポルックスらがカゴいっぱいのクッキーを持って来て、最初に抱いた感想だった。ラサルハがクッキーに手を伸ばそうとしたその時、ある事を思い出す。あと2人が、まだこちらに来ていない。それならば…あの話をしておかないといけない。ラサルハがいつになく真剣な声で、ポルックスとカストル、2人で1人の彼女に話しかける。
「ねぇ。あなた達に大事な任務の話があるんだけど、少し聞いてくれるかしら?」
〜
「…なあ。」
「…なんだ。」
彼らが入れられた牢獄の壁には、小さな穴が出来ていた。─誰が掘ったかまでは、知る余地もないが。その穴を通して、お互いが生きているかどうか、定期的に確かめるついでとして、他愛もない話をしていた。
「俺たち…なんで地上の監獄に入れられたんだ?」
「どうでもいいよ、んなもん。」
「そういうなって…。ずっとここに入れられてると、何もする事がないからな。」
「そんなもんお互い様だろうが。」
「ふん…相変わらずつれないねぇ。」
「俺は気が立ってんだ。いつまでもこんな所で、大人しくなんてしてられるかってんだ。」
1人は獰猛で、誰彼構わず喰らい尽くさんとする獅子のように、もう1人は虎視眈々と、その毒で相手を刺さんとするさそりのように。
「それにしたって、スピカ…あいつ元気にしてるかねぇ…。」
「あの子に限って、元気がないなんて事は、さすがに無いんじゃない?」
「まあ、それならいいんだが。」
「それに、アルデバランも一緒に居るんでしょ?何かあればあいつも居る。だから心配しすぎだよ。」
「まあな…おっと、守衛が来たみたいだぜ。そのまま俺は寝るからよ、また明日な、アンタレス。」
「あぁ、また明日、レグルス。」
〜
「…くしゅんっ」
「ん…風邪か?」
「誰か私の事話してる…と思う。」
屋敷の一室で、アルデバランとスピカは待機を命じられた。おそらくかつて、応接間として使われていた部屋だったと見受けられる。普段生活をしている部屋よりも、色々な調度品の等級が上の物だと、直感で分かるような異彩を放っていた。
「4人でこうして、円卓を囲みながら人を待つなんて、一体いつぶりであろうな。」
「はっ、はい…。でも…昔に戻ったみたいで、なんだか…嬉しいです。」
シルフィアとハマルと、小間使いにされたかつての王国兵のひとりが、アフタヌーンティーのセットを持ってくる。華やかな見た目の菓子類を見て、スピカの目が光ったように見えた。
「…おい、食いすぎんなよ?これはみんなの分なんだから。」
「失礼なことをおっしゃりますね。そんなひどい事、致しません。」
少しむくれたような表情を浮かべつつ、スピカが一番下のサンドイッチに手を伸ばす。
「そ、そのサンドイッチ…わっ…私が作ったんです…。いちごのジャムと、ブルーベリーのジャムのがありますのでっ…。」
「へー、ハマルはそういうのも得意だったかぁ!どこかの乙女様とは違うな!わっははは!」
「…それ以上言ったら胸板削ぎますよ?」
そんなやり取りを尻目に、シルフィアもハマルお手製のサンドイッチを口に運ぶ。今まではそれぞれが、勝手に何かを食べたりなんだりすることが多かった分、今日のサンドイッチは特別柔らかく、特別甘酸っぱかった。
「…これ、いけるな。」
「あっ…ありがとうございますっ…!やったぁ…!」
ハマルが飛びきり大きな笑顔で、シルフィアの方を向く。自分達の娘のようにかわいがっていた仲間が、あんな表情を見せたなら、自然と表情は綻ぶものだ。傍らに置かれた、淹れたてのセイロンティーを口に運べば、先程まで言い争いをしていたスピカもアルデバランも、自然と優しい表情に変わっていく。この瞬間だけは、今が戦争中なのだという状況から、目を逸らすことができる。魔王軍が敗北したという事実も、志半ばにして死した仲間のことも、あの時の悲しみからも。
「あー、あー、武装班、ただいま到着致しました!」
そんな状況もつかの間、伝声管から人の声が飛び出してくる。待ち人がどうやらやってきたようだ。シルフィア達が急ぎ下の階へ向かう。すると目の前には、魔王軍の制服に身を包んだ、屈強な戦士たちが列を成して、綺麗に並んでいた。すると、1人分のスペースを開けたまま、武装班全員が一糸乱れぬ立ち姿勢から、シルフィア達へと敬礼をする。
「武装班各位、ただいまシルフィア様のご要請に応じ、任地に到着致しました!」
「…ふっ、綺麗な並び方だこと。これも教育の賜物か?出てきなさい、司令官…いや、デネボラ殿?」
彼がその名を口にした途端、わざわざ開けられた道から、一人の男が顔を出す。
「お久しぶりです、シルフィア様。直接お目にかかるのは、先代の勇者が討伐に来た頃以来でしたかね…。」
シルフィアとデネボラは、かつて共に戦った仲間であった。その時と立場は違えど、在りし日の仲間であることに変わりはなかった。───見た目は時を重ねる事で、大きく変わっていったようだったが。2人が固い握手を結ぶ後ろで、十二聖団の3人が、状況を見守っていた。
「デネボラ…。あなた相当変わったわね。」
「これはこれは、スピカ様にアルデバラン様。そのお隣のお嬢さんが、貴方が選んだハマル様、とやらですか?」
「うおっ…こいつの口からこんな言い方が出てくるなんて…。慣れねぇもんだなぁ…。」
「当然です。今の昔とでは、立場も何も違うんですから。昔みたいにざっくばらんに話すなんて出来ませんよ…。少なくとも、彼らの前ではね。」
かつてはよく顔を合わせていたのだろう。昔あった出来事の話に、徐々に花が咲いていった。そんな3人の会話を横で聞いていたハマルは、自らの表情がだんだん強張っていくのが分かった。彼に何かされたわけじゃない、そもそも今日初めて会った人間だ。ただ、彼の話を聞いているうちに、彼のくすんだ灰色の瞳を見ているうちに、内なる自分が、彼に対して警鐘を鳴らす。
(この人、怖い。この人、何か嫌。)
今日は様々な始まりの日だ。武装班とシルフィア、共同作戦の始まりの日。再起動したKF -882が動き出す、始まりの日。
───そして、裏切りと悲しみと、新たな道が交錯する、始まりの日。