第9話
「『あれ』が起こって、弟が行方不明になった……たった一人の家族だった……まだどこかで生きてるって信じて探した。
でも探しても探しても、見つからなかった。壁に書いた家族の名前は、すぐにドローンが壊してた」
彼女の声が少し掠れる。先輩が息を呑んだ。私は言葉を挟まず耳を傾ける。
「弟のSNSを見直すうちに、弟の好きだったVTuberのチャンネルを見つけたの。世界が壊れてからそのチャンネルは更新が止まってた。
最初はおかしくなった頭で考えた思いつきだった。
3Dモデルと声の設定……それを、ハッキングで引っ張ってきたの。そんなに難しくなかった。ワールワイドウェブ最後の頃で、セキュリティがぐちゃぐちゃに崩壊してたから、三流プログラマーの私でも‥…」
彼女は、自嘲気味に笑う。
「そうやってキャラデータを手に入れて、勝手に『中の人』を継いだ。
いつか弟が気づいてチャットくれるんじゃないかって……バカみたいでしょ?」
「そんなこと絶対ないです。私たちだって……家族を全員亡くしてる」
私が思わず言葉を返すと、彼女はうつむき苦しそうに眉を寄せた。
先輩は、口を強く結んで拳を握った。
「……ずっと、『弟がまたチャットしてくれるかも』って思って、弟の好きな歌を歌ったり、ゲームをやったりしてみた。
ずいぶんバカな配信もいっぱいしたよ。ボットから見えるとこで踊ったり……今思えば、家族のところにいきたかったのかもしれない……
……でも、いくら続けたって、チャットは来なかった……
……ほんとは、はじめからわかってたの。あの子はもう……きっと……」
先輩がそっと尋ねる。
「ほかに弟さんの手がかりは……」
彼女は首を振り、涙を浮かべたまま言葉を呑み込む。もう、事実を受け止めている。
「正直、配信なんかやめようと思った。馬鹿馬鹿しいって。……数日の間やめた」
彼女は窪んだ目をつむった。
「でもね、そうすると、待ってる人たちがいるのがわかった。 『生きる理由』とか、 『この世界で唯一の楽しみ』とか……言ってくれる人がいて。最初は、何言ってるんだろうと思った。でも、そういうチャットを笑うことが、あたしにはどうしてもできなかった……だから、誰かのために続けたいって思うようになった」
彼女は咳き込んで苦しそうに胸を押さえる。私がそっと背をさすると、彼女はゆっくりと息を整えた。
「ミアさんの配信を、私たちはずっと見てました。シェルターの仲間も一緒です。企画に笑ったり、突っ込んだり、チャットしたりして……だから、何とか助けたいと思って」
私が伝えると、彼女――モリタさんは申し訳なさそうに目を伏せる。
「……元気に見せたかったんだ。あのVTuber姿なら、みんなが笑ってくれるから……そっか、あなたが、いつもチャットしてくれてた『先輩の後輩』ね」
彼女の声は弱々しいが、覚悟の響きがした。
「こんな身体でも配信が止まるのが嫌だった。死ぬまで空名ミアを演じようと思ったの。……でも電源が生きている場所なくなってきていたし、ボロボロで薬もないし、食糧ももうほとんどなくて、……どのみち限界だった」
「間に合ってよかった。助けになれてよかった」
「……ありがとうね。本当は……あたしは、ここで死ぬと思ってたから。あなたたちが来てくれて、少しだけ……希望ができた」
私はそっとモリタさんの手を握る。あたたかい。だけど、先輩の横目が語っている――この人の寿命はもう長くない。薬がある程度効いても、根本的な治療はできない。
「私たちこそ、配信に救われてたんです。だからこうやって、お礼を言えてよかった……」
「うん。しばらく眠りたい……もうちょっとだけ、やりたいことがある」
彼女の目線が、転がったヘッドセットを捉える。
見つめる先輩の表情からは、いつもの皮肉っぽさは消えていた。
彼女はもう一度薬を飲んで静かに眠りについた。さっきより深い呼吸。少しは安心したのだろう。私はその寝顔を見つめながら、配信で元気そうに笑っていたミアの姿とのギャップに胸が痛くなった。
先輩が、悔しそうにひび割れた壁を拳で音を立てずに何度も叩いていた。
私と先輩は廃屋にとどまり、モリタさんを看病した。
容態は一進一退を繰り返したが、特効薬には程遠い、世界崩壊後の付け焼き刃の薬では病魔の勢いを覆せなかった。顔からは赤みが失われていった。
一度、彼女は短い配信を試みようとした。
だが、弱りきった声はボイスチェンジャーでも、もう隠すことができなかった。
彼女は静かにマイクを切り、「今日は休みます」の画面を出すことを選んだ。
起きあがろうとした彼女が、もう自分の力では難しいことを悟ると、彼女は瞳を潤ませて身をベッドに沈ませた。そして、モリタさんは意を決して言った。
「あのアカウントのIDとパスワードをあなたたちに渡したい」
「……」
私と先輩は、一瞬視線を交わしてから、彼女にうなずいた。
「……モデルや声データも全部そのPCに入ってる。IDとパスで入れるから……」
書き留めたIDとパスワードを先輩が読み上げると、モリタさんはわずかに顔をほころばせた。
「…………ほんとは、死にたい気持ちの代わりに、ずっと空名ミアに逃げてた……」
私は静かに言った。
「空名ミアは、あなたと出会えて幸せでした」
やがて、彼女の目がぼんやりと中空をさまよいはじめた。
「弟の……好きだった歌、たくさん歌ったの……もう届かないのに……」
「私も、あの歌に何度も励まされました」
私は、先輩と作業用BGMにした夜のことを思い出していた。
「空名ミアさん。ありがとう」
彼女の呼吸が浅くなる。彼女は、ふらつく手で、ゴーグルを私に握らせた。
腕が持ち上がらない分を、先輩が静かに支えた。
「お願い……『空名ミア』を…………」
私は強くうなずき、手をしっかり握った。
その手からすべての力は抜けていったのは、少しあとのことだった。
薄闇の廃屋の中、横たわる彼女を前に、私と先輩は黙祷を捧げる。
外ではドローンの羽音が響いていた。
こうやって、『あれ』から何億人がこの世界から消えたんだろう。
何億人が、こんなふうに後悔を残したんだろう。
先輩が細い目をもっと細めて「やんだよな?」と声をかけた。
私はゴーグルを抱きしめながら、うなずいた。
「私がいちばん『空名ミア』をわかってますもん。あのイかれた明るさ」
先輩は乾いた声で、なのに子供みたいな笑顔で言った。
「慰めでもいいじゃねーか。やろうぜ」
私は先輩の肩をグーで叩いた。
「もちろん手伝ってくれますよね?」