第8話
◇
私は廃屋へ飛び込みながら叫んでいた。
そこには、床に倒れ込むように横たわった中年女性がいた。痩せこけた体に、ぼろぼろのシャツ。すぐそばにゴーグル型のヘッドマウントディスプレイが転がっている。
「……ごほ……っ。誰……」
咳き込む彼女を、先輩があわてて支える。私はバッグをまさぐり、『汎用的』だと確認しておいた痛み止めと抗生物質を取り出して、水と一緒に飲ませた。
「大丈夫、飲んでください。少しはマシになるはず」
彼女は弱々しく身を起こそうとするが、震えてすぐバランスを崩す。
「……誰……ありがとう……配信……途中で……ああ……」
目がとろんとしている。先輩が廃屋の周囲を警戒しつつ、ぎしぎし言うドアを閉めた。彼女は朦朧としているが、薬が回り始めたのか、すぐに眠りに落ちていった。
それからしばらく、私たちは廃屋の中を片づけて、できる限り清潔な環境を整えた。彼女が倒れ込んでいたまわりに、発電装置やトラッカーや名前の知らない機材が雑然と散らばっていた。ガタガタの机の上には、配信中に使っていたらしいPC。先輩は、それを大切そうに触れながら復旧しておいた。
「……いったん眠ってくれてよかったですね」
私は手持ちの毛布を彼女にかけながら言う。
「くじいた」と語られた足は、異常に腫れ上がり化膿していた。
先輩は、唇を噛んで小さくうなずいた。
「かなり限界だったんだろうな。この人が『中の人』か……」
「……あの状態で、ここまで続けるなんて」
私と先輩は廃屋の窓から外をうかがい、ドローンの巡回を交互に警戒した。
数時間後、彼女は微かな声とともにまぶたを開いた。
まだ視線が定まらないようだが、吐息はさっきより落ち着いている。
上身体を起こそうとするのを、私と先輩があわてて両側から支えた。
「……あなたたちは……?」
「私たちは、あなたの配信を観てたんです。ずっと元気もらってて。でも、あなたが危なそうに見えたから――」
私がそう言うと、彼女は目を大きく見開いた。
「ミア……の視聴者?……まさか来る人がいるなんて……」
「はい……痛みはどうですか?」
「うん……だいぶ楽になった。薬、飲ませてくれたんだね。ありがとう……でも、うつるかもしれない。近くに来ない方が――」
そう言いながら、彼女は自分の汚れた服を気にするように胸元を押さえた。
先輩は、彼女の言葉を遮るように首を振った。
「大丈夫です、空気や飛沫や接触からは、うつりません。調べました」
先輩は、彼女が寝ているうち病気の分析を終えていた。予想通り、『あれ』が起こったときに某国研究所から広がった、傷口から感染するけど破傷風でも壊疽でもない新病だった。
感染させる危険がないことを知った彼女の表情には、少しだけ安堵が浮かんでいた。
先輩がちらりと私を見る。何か言いたげだ。私は言葉にならないまま彼女を見た。彼女が意を決したように弱々しく笑った。
「……もうバレてるよね。『VTuber空名ミア』は、本当はこんなオバサンでしたーって……悪い冗談だよね」
「そんなことないっ」
「驚いたでしょ……うん、いいの……あたし、本当は『空名ミア』なんてキャラじゃない。名前はモリタサトコ……ただの痛い中年女」
彼女は私の渡した栄養補給のゼリーを、申し訳なさそうにひと口ずつゆっくりと口にする。少し体力が戻ってきたのか、声にわずかながら強さが宿った。
私と先輩は、ゆっくりと自己紹介を行い、自分たちが遠く離れた地下シェルターから来たことを説明した。
「ありがとうございます。あなたに、会って言いたかった。あなたがいなかったら、あのシェルターは酷い場所になってた」
「……ありがとう。あたしは……何から話せばいいかな……あたしには弟がいたんだ……弟はVTuberが好きでね。特に好きだったのが、駆け出しの空名ミアってVTuber」