九話 外務
「高天原の花の多くはここで育ち、造園や祭儀の際に使用します」
「花の生育には土も不可欠でございますので、私も口を出しております」
赤、白、桃色、黄色に紫。ひとつひとつが芳しく咲き乱れる花園で琴音はふたりの神と会談している。
ひとりは花神。花庭のような鮮やかな頭部を持ち、下部が蕾のように膨らんだ衣を纏っている。
「実は神職を臨時で回していただきたいのです。以前試験的に生育した品目が上手く咲き、今度の造園の際にぜひお勧めしたいのですが……」
咲き誇る蘭のように嫋やかに話す彼女の袖口からは葉の手が覗く。
もうひとりは土神。しわがれた声で話す老神は背中が曲がり、杖で体を支えている。
「増殖しようにも追加で培養土を作るのに少しばかり手が足らんのでございます」
人型でもその皮膚は黄土色で、表面は乾いてざらついて見える。
ふたりの姿は神であり人ではないのだと、琴音にここが天上界であることを改めて実感させた。
「手が足りないというのは?」
「はい──」
「苗数はどの程度をお考えですか?」
「七百ほどを」
「わかりました」
琴音は手帳に書付けると、頁を切り離して牡丹に渡す。こくりと得意げに頷いて離れる牡丹の背から視線を戻し、改めて花園を見回した。
作戦会議から三日。昨日一昨日は萬奉や三巫女と役割分担の詳細を詰め、神職の業務改善案の検討をし、外務関係の予習を詰め込むなどと忙しくしていた。
そして今日、晴れて外務デビューとなったのである。
(ここに来て四日かー。色々急ごしらえだけどよくやってる気がする)
ここが地上なら出前パーティーでも開催して自分を褒めてあげたいところだ。久しぶりにピザが食べたくなる。チーズが恋しい。
(頼んだら作ってもらえるかな)
琴音は文明の利器に富んだかの厨房を思い出す。
「それにしても、天照様自らお越しくださるとは殊勝でございますな」
琴音を見上げる土神の細目が弧を描いた。
「高天原に来たばかりですし、こうして直接見たり聞いたりしないと私にはとても……」
「それは良いお心掛けでございますな。即位されてすぐはわからぬことも多かりましょう。なんでもお尋ねください」
微笑み、老神が軽く咳き込む。
琴音はその背に手を伸ばした。
「風邪ですか?」
「この歳になると、自らの土埃でむせ返るのでございますよ。歳を重ねるほどに土も乾きますのでな」
土神は問題ないというように琴音を制すと、「ふぉっふぉっ」と白髭を揺らし笑う。その度に口から土埃が舞って出て、見ているだけで喉が渇き琴音はゴクリと唾を飲み込んだ。
「天照様〜! 人事部に伝えましたよ〜! すぐに神職を手配できるよう検討するそうです!」
「ありがとう牡丹」
それにしても。
「すごいよね、それ」
手を振り戻ってきた牡丹の手中にある物に琴音は改めて感心する。握っているのは無線機によく似たものだ。
(オーブンも大概だけど、神様と無線機って取り合わせが珍妙すぎる)
もう天上界にはなにも驚くまい。やはりピザくらい簡単に出てきそうだ。
「すごいですよね〜これ! 電電様のおかげなんですよ〜!」
「電電様?」
「電波を司る電電神のことです」
花神は袂を探り無線機を取り出した。気づかなかったが、土神の腰元にも備わっている。
「特に私や土神のように屋外での務めが多い者は、この無線機のおかげでとても楽になりました」
「私はこの通りもう声を張り上げることは難しいですからな」
広い花畑には点々と作業に従事する神職の姿がある。それまでは大声を挙げ、畑のみならず高天原中を仲介の神職や侍従たちが駆け回っていたというから、確かにこれは便利だろう。
「天照様、竜神にはもうお会いになられました?」
花神が話すとまるで香水のように花の香が香る。
どこに電波が飛んでいるのかと探すように宙を見上げていた琴音は、その香りに向き直った。
「いえ、まだです」
「そうですか。そろそろ今季の雨量のご相談の時期ですから」
(えーっと、たしか…)
琴音は学び得た記憶を手繰り寄せる。
太陽神である天照大御神が統治するため雨が降ることがない高天原で、花や樹木が育つ理由。それが竜神であったはずだ。
そもそも、雲様の地面から直接植物が芽吹くことはない。土神が土を施し、そこに花神や樹神が種を植え付け根を張らせる。そして植物が育ち、豊かな土壌になるようにと竜神が雨を降らすのだ。
(雨量も頻度もしっかり管理してるって読んだはず)
宮庭などは神職たちが水やりを行うが、花園や森など決められた場所では降雨する。
天宮を案内して貰っている時だったか、萬奉が「高天原は一部を除き雨は降らない」と言ったのはこういう理由だった。
「また申請を出しますけれど、竜神にお会いになられましたらどうぞよろしくお伝えください。ここのところ少し竜神のご動向が気がかりですから」
「気がかり?」
「はい。それと──」
琴音は花神の言葉に首を傾げたが、花神は侍従を呼び寄せ何かを受け取る。
「ご即位のお祝いです。長いご縁でありますことを願っています」
しなやかな葉の手から琴音へと渡ったのは一輪の白百合だった。
まさか早々に譲位したいと思っています、とは言えない琴音は手に握る一輪にひどく重みを感じた。
「天照様知ってますか〜? 白百合の花言葉!」
隣に掛ける牡丹が預けた白百合を弄んでいる。嗅いだり揺らしたりと忙しい。
「私は知らないですけど、きっと花神は天照様を表されたんですよね〜!」
(知らないんかい)
調子は軽いが勝手に話してくれるので、やはりお供に牡丹を選んだのは正解だったと琴音は思う。楽で良い。
「私も花言葉なんて知らないけど、自分に白百合が似合うようには思えないんだけど……て、そうだ。ね、これ動力はなんなの?」
今、琴音と牡丹は雲に乗り高天原上空を漂っている。正確に言うと、乗っているのは<雲みたいな水上バイクみたいななにか>だ。
(神様が雲に乗ってる絵ってよく見るけど、あながち間違ってないんだ)
金細工があしらわれた華美な朱の操舵棒に、太陽文様の朱の後部座席。それを雲様の車体が形作っている。
操舵棒を握る侍従は立ったままで重心移動と、押す、引く、傾けるといった簡易な操舵操作のみで操っている。
どうやって動いているのか行きでも気になったが、立ち寄る先の予習に勤しんでいたため聞きそびれていたのだ。
「ん〜っと、大気をもって風を制す? ……とかなんとか聞いた気がしますけど、よくわかりません!」
「雲は?」
「雲?」
「これもそうだし、高天原も。なんで乗れるの?」
なあなあに受け入れていたが、雲に乗れるというのは悲しいかな子供の夢物語に過ぎないのだ。実際はただの水滴と氷粒の集まりであって、乗れるはずはないのだから。
「神雲ですよ〜、神雲! 神々の尊きお力の賜物です。地上界の雲をよく知らないですけど、たぶん全然ちがうものじゃないですか〜?」
(神の力は偉大ってやつね)
高天原の不思議について深く考えることを止めた琴音は、机付きの安全棒に頬杖を付いて軽風に髪を流した。
少しの間そうして空を漂っていた時、耳がかすかな電子音を拾う。出処と思われる牡丹の腰元に目をやると、無線機の赤灯が点滅している。
牡丹がスイッチを押すと、落ち着いた声が聞こえてきた。
『こちら海老根。牡丹、聞こえる?』
「はいは〜い! 海老姉ちゃん聞こえるよ〜!」
『天照様は近くにいらっしゃる?』
牡丹が無線機を向けるので、琴音はそのまま会話を引き継いだ。
「こちら天照。今なんかよくわかんないやつに乗って空の上だけど、どうしたの?」
『飛車雲ですね。実は立ち寄っていただきたい所ができました』
「うん」
『兎神と狸神の諍いを仲裁していただきたいそうです』
「はい?」
『場所は──。では、よろしくお願いいたします』
淡々と簡潔に伝えられた内容を飲み込めずにいる琴音の横で、牡丹がケラケラと笑い出す。その顔はなんだか呆れているように見える。
「も〜、またやってるんですね〜あのおふたり!」
訳が分からないと琴音は牡丹に尋ねた。
「なに、どういうこと? 兎と狸が喧嘩?」
「兎神の大将様と狸神の長老様のおふたりは、どちらも大変長くご即位されているんですけどすっごく不仲なんですよ〜! しょっちゅう言い争ってて、もう名物みたいなものですね!」
まぁご覧になった方が早いですから、と牡丹は下方を指す。
「近くを飛んでて良かったですね〜! すぐ着きますよ!」
操縦する侍従が重心を爪先に掛け、操舵棒を前に押す。飛車雲という名の乗り物は少し速度を上げて高天原を滑空した。