八話 作戦会議
「作戦会議ですか?」
唐突な言葉と笑みに海老根と牡丹が目を丸くする。
「そう。私らしくでいいって言ったでしょ?」
これはこの先一生分の幸福を賭けた職業体験だ。そう落とし所をつけてしまえばいっそ吹っ切れられもする。
(やってやろうじゃないの! こちとら破産がかかってるんだから!)
末にはまた家賃諸々が引き落とされる。一刻も早い帰還を目指して、元来負けず嫌いの琴音の闘魂が今、着火した。
戻った萬奉と桔梗も加わり、琴音と四人は政室の上下段で向かい合う。
琴音は大袈裟に挙手をして宣誓した。
「たった今から、三百十一代目天照大御神流に仕事をしていこうと思います!」
海老根はわずかに目を見開き、桔梗は「うふふ」と微笑む。牡丹は拍手しながら目を輝かせ、扇を広げた萬奉はまた仕込んだ紙吹雪を散らした。
「やや〜! それは素晴らしいことでございますな! して、何をされるのでございましょう」
琴音は四人を見回し、一転して真面目な面持ちで尋ねる。
「まず、みんなが今どれくらい仕事を抱えてるか教えて欲しいの」
「どのくらいと申しますと……」
急な質問に四人は唸り思案する。
「じゃあ、減らせる仕事はどのくらいありそう?」
まず口を開いたのは桔梗だった。
「主殿への立ち入りが許されているのは、侍従頭と付き巫女だけなんですの。ですので、主殿のお掃除は私たち三巫女が担っていますが、他の者にも任せられれば」
「もっと手が空きますよ〜!」
横から牡丹がぶんぶんと手を振る。
琴音はふむ、と頭の中に配置図を描いた。
「もし今海老根たちに何かあった時はどうなるの?」
「天照様付きが欠けてしまいますね」
(なるほど)
それは困る。この作戦に支障が出かねない。
「じゃあ、新しい付き巫女を教育するのはどう?」
琴音の提案に三巫女は顔を見合わせた。
「良いかもしれませんね。牡丹もまぁ…独り立ちできるようにはなりましたし」
「私、先輩になるんですね〜!」
「あらあら。じゃあ牡丹ちゃんもそろそろしっかりしなくちゃね」
海老根と桔梗の頼りなさげな視線をよそに、牡丹は両の拳を揚々と握る。
「良い人材はいる?」
「そうですね……あ! 鈴蘭姉妹なんか良いかもしれません」
良案らしく、桔梗が両手を打った。
「じゃあ、人選は任せるね。萬奉はどう?」
「そうでございますな〜……」
侍従頭に政務長と、かなりの上役である萬奉はいくつもの仕事を掛け持っている。
「減らせそうな仕事がないなら無駄を削っていくしかないと思うんだよねぇ。例えば、ただのスタンプラリーになってる書類とか?」
琴音はわざとらしく言ってみる。
蛙顔の目が不自然に泳いだ。
(ビンゴ)
昨夜の自習中に見た三百八代目の引き継ぎ書に愚痴のように殴り書かれていたのだ。「無駄に書類作るわ上に回すわ、会議に時間かけ過ぎ」と。
「みんなにはね、私を助けて欲しいんだ」
琴音は萬奉、三巫女のそれぞれと視線を合わすようにして言った。
社会人歴およそ一年半。職場を転々としクビ同然に退職に追いやられた二十歳を少し過ぎただけの琴音に、人の上に立ち采配できるほどの知識や経験は皆無だ。自信なんてものもどこかに置いてきてしまっている。
「私は三百八代目みたいに初めから器用になんて絶対に無理。だから、頼らせて欲しいの。みんなにはその余力を作って欲しい。これはそういう作戦───ていうか、お願い」
ただ、琴音だって伊達に社会の荒波に打ちのめされているわけではない。学んだのだ。できない、わからないと頼り、甘え、教えを乞うことが許されるのは、最初も最初の未熟で若いうちだけの特権なのだと。
「みんなにもたくさん仕事があることはわかってるけど、どうか私を助ける余力を作ってください!」
朱の座布団に座した琴音は、額を畳にぶつけんばかりに頭を下げた。
「やや! 頭をお上げくださいまし!」
「そうですよ天照様〜! 腰痛くなっちゃいますから!」
「あ、あ、天照様……天照様……!」
「大丈夫よ海老根ちゃん、落ち着いて」
慌てふためく声に顔を上げると、どこか誇らしげな萬奉と目が合う。
「そういうことでしたらお任せください〜! 効率を見直し、大急ぎで神職を再教育いたしましょう!」
「できるんですか〜? 萬奉様い〜っぱい務めあるじゃないですか〜!」
萬奉が胸をどんと叩いて見せたが、牡丹が見事に出鼻を挫く。海老根と桔梗に窘められるが「だって〜」と不服そうだ。
「でも、たしかに萬奉様は手一杯ですね……」
「お務めの負担が変わらない限りは難しいんじゃないでしょうか?」
「うーん……」
眉を下げる海老根と桔梗、それに琴音が唇を尖らせ唸った時、萬奉が飛び跳ねるように声を上げた。
「やや〜! これは名案ですぞ!」
常に笑顔の小男だが、今は『満面の』が付く。それほどに顔を輝かせている。
「天照様が外務をなさるのでございますよ〜! さすれば高天原のことも良く学べ、私の仲介の必要もなく一石二鳥でございますな!」
「どういうこと?」
萬奉は今にも小躍りしそうな勢いだが、琴音にはいまいちよくわからない。
「天照様は最高神ですので、八百万の神の宮の訪問や視察といった外務はよほどのことがない限りされることはないんです」
「萬奉様はじめ神職を使わすのが基本ですの」
「血気盛んに殴り込みに行かれたお方はいらっしゃいましたけどね〜!」
(誰よそれ)
想像する人物でまず間違いないだろうが琴音は口には出さないでおく。
琴音にとっては願ったり叶ったりの提案だった。正直なところ座りっぱなしの机上仕事は得意ではないし、人づてに見聞きした話だけで判断を下せるような頭もない。
「天照様が気軽に外務をされては権威が損なわれませんか?」
海老根の顔が曇る。
「や~、真摯にお務めいただけるのならば何よりではないか。逃亡や胃弱で務めもままならない、ましてや殴り込みをなさる天照様と比べれば、外務をなさることで損なわれる権威などないに等しかろう」
笑う萬奉の言葉に三巫女と琴音が納得したのは言うまでもない。
「はいは〜い! 私たちは何をすればいいですか?」
待ってましたと言わんばかりに牡丹が挙手した。
「そうだなぁ、いちばん付き巫女歴が長いのは海老根だよね?」
「はい。天照様のお務めについても最も把握していると思います」
「じゃあ、海老根は政務の補佐をお願い。桔梗は新しい付き巫女の教育を頼むね」
主宰神である天照大御神として政務の判断を下し、書類を仕分け必要な資料を用意するなど一夜漬けの琴音ではとてもままならない。海老根の動きを見れば政務のサポートに集中して付いてもらうのが良いだろう。
桔梗はまさに理想のメイドだ。穏やかな性格的にも、特に生活周りにおける付き巫女教育には最適だろう。
(残るは───)
牡丹に視線を移すと、期待に満ちた瞳が琴音を見つめる。
「牡丹には、私の外務にお供してもらおうかな」
「わかりました〜!!」
活発がゆえ外回りは嬉しいのか、牡丹がぴょんぴょんと飛び跳ねた。
牡丹のコミュニケーション能力はまさに陽キャのそれだ。人見知りはしないが人付き合いに決して器用ではない琴音にとって、きっと良い潤滑油になってくれるにちがいない。
「じゃ、そういうことで」
琴音は立ち上がり、下段に続く階段を降りる。並びの両端にいる萬奉と牡丹を招き寄せ、その肩を組んだ。
「やや!」
「えへへ!」
萬奉は一瞬驚いたものの愉快そうに海老根の肩に手をかけようとする。だが、小男なので届かない。
牡丹は嬉々として隣の桔梗の肩に腕を回し、桔梗は「うふふ」と微笑みながらその輪に海老根を巻き込んだ。
海老根は若干恐縮しつつも、萬奉の手が届くように膝を曲げてやる。
そうして五人は円陣を組んだ。
「たくさん面倒かけちゃうかもしれないけど、よろしくお願いします! 頑張って行きまーっしょい!!」
「「「おー!!」」」
こうして、三百十一代目天照大御神流の統治が幕を開けた。