七話 務め初め
「天照様! 決議書に印を!」
「天照様! 図面のご確認をお願いします!」
「天照様! 祭儀についてご相談が!」
「「「天照様!!」」」
皆が声高に訴え、ひしめき合う中で自らの声をすくい上げて貰おうと必死になっている。
その視線が集中する先で琴音は脂汗を滲ませながら必死の形相をしていた。
「あ゛ーっ! 押印が必要なものはあっちの箱に! 萬奉が回収します! 検討が必要な資料は牡丹に渡してください! 相談がある人はまずアポとって! 桔梗が応対しますから!」
喧騒に懸命に答えながら手元の書類に目を血走らせる。
(無理!!)
根をあげる暇もない。
政室は三百十一代目天照大御神の務め初めとあって、昨日の五割増で神職が押し寄せていた。
「えーっと、薬神より各宮医務室への薬剤配給申請……こっちは祭器保管庫清掃についての改善要請……?」
机上にとどまらず床にまで広げた幾つもの綴から該当の資料を食い入るように探す。
(薬剤配給については引き継ぎ書に記載があったはず……。祭器保管庫の清掃はたしかひと月ごとの当番制で……)
「あった、これだ!」
風を切る勢いで手を伸ばし掴む。
そんな琴音の前方、下段の広間では押し合う神職たちを萬奉たちが誘導している。
「やや、押印はこちらであるぞ」
「こっちです〜! こっち〜!」
「はーい。並んでくださいね」
牡丹が挙手をしてぴょんぴょん飛び跳ねるが、小柄なので琴音の位置からは手の平の半分も見えない。蛙顔の小男に至ってはどこにいるのかさえわからない。
書類、引き継ぎ資料、施工図、計画書。
書類、引き継ぎ資料、配置図、管理表。
書類、引き継ぎ資料、議事録、決議案。
かるたのように該当の資料を探し当て取っては、資料間に目まぐるしく視線を行き来させる。
(もう無理〜!!)
頭が沸き、泣き出したくなるほどの混沌。
それでも食らいつくしかないと眉間にぐっと意地を集めた琴音に足早に近づいた海老根が告げた。
「部屋の用意が出来ました」
(助かった!!)
琴音は勢いよく顔を上げる。
うっすらと涙が膜を張る視界で、ぼやけた海老根が萬奉たちに向かって両手で大きく丸を作った。
「はぁ〜」
「ようやく落ち着きましたね」
静かになった政室で海老根とふたり脱力する。
詰めかけていた神職たちは別室へと誘導され、そこで萬奉、桔梗、牡丹により内容別に仕分けられ応対されている。
「申し訳ありません。ちょうど空きがなく、部屋を抑えるのに手間取りました」
「ううん、ありがとう。海老根が神様に見えた〜」
琴音は両手をだらりと下げて文机に突っ伏す。まだ動悸が収まらない。
「無理。無理無理無理無理。絶対無理」
額を文机に擦り付け、ぶつぶつ唱える。
「わかんないわかんない。全っ然わかんない」
陰鬱とした空気が琴音から発される。舞い込む業務量と神職の勢いに気圧された。
(未経験の新人なのに)
新人として扱われない。それどころか、初日から上司として判断を仰がれる立場にいる。
(一夜漬けの詰め込み教育で現場に出すなんてブラックだブラック。労基に訴えてやる)
不貞腐れながら見るともなくパラパラと引き継ぎ書を繰っていると、そっと湯呑みが差し出された。
「まずは一息つきましょうか」
「ありがとう〜!」
フーッと数回冷まし、熱い煎茶を啜る。嚥下と共に気持ちが少し凪いでいった。
「先程は申し訳ありません」
「んー?」
「昨日の状況からも十分予測できたことですのに。私たちの対応が後手に回っていました」
海老根が頭を下げる。
当然の謝罪に琴音は何と答えようか逡巡するが、「いいよ」も「大丈夫」もちがう気がした。
「ねぇ海老根」
「はい」
「三代前の天照はさ、どういう人だったの?」
「三百八代目天照様ですか?」
「そう。その人も一夜漬けだった?」
琴音と同じように先代にバックレられ、ここ数代では唯一八百万の神に認められて譲位し、去った人。
「そうですね」
「その人はいきなりの仕事でどうしてた?」
(仲間がいれば文句のひとつも言い易いんだけど)
そんな希望的観測で尋ねる。
「三百八代目天照様は、大変有能なお方でした。即位翌日のお務めでも的確な采配であったように思います」
初めからできる人なんていない。そんなものは甘えた考えだ、お前の能力の問題だと突きつけられた気分になる。
ただ、と海老根は続けた。
「あのお方は天照様よりご年齢を重ねられていたこともありますが、いちばんは、ご自分や周りの者をよく分析していらっしゃる印象でした」
「分析?」
「はい。得手不得手や知識量、経験値、それに力量なんかを的確に」
その上で、素早く状況判断していたと。
(なにそのスーパーウーマン)
落ち込みが加速していく。萬奉は大丈夫と言ったが、三代前と同じように琴音にもやれると思ったのだろうか。
(できるわけないじゃんそんなの)
心中で盛大に抗議の声を送る。あの蛙顔を踏み潰してやりたい。琴音は尖らせた唇を湯呑みの縁にのせた。
「書類持ってきましたよ〜! って、なにいじけてるんですか〜?」
両手で書類の束を抱えた牡丹が戻ってくる。ひょっこりと顔を覗き込まれ、笑われた。
「自分の無能さに落ち込んでるだけ」
「なんですかそれ〜!」
「……三代前はできたっていうから」
「三百八代目天照様ですか? あのお方と比べてもしょうがないですよ〜。あのお方はなんていうか、異次元ですから!」
カラカラと牡丹が笑う。
とりあえず手は動かそうと、琴音はしらけた顔で渡された書類に目を通し半ば投げやりに仕分けていく。
(これもわかんない。これも。これも……ん?)
手が止まったのはなんだか見覚えのある案件だった。どこで見たのか、記憶を探って引き継ぎ資料の綴を漁る。
神席の右手側、畳外に置かれた付き巫女用の文机でなにやら記帳しながら牡丹が無邪気に続けた。
「いいじゃないですか〜!天照様は天照様のやり方で!」
(だってそれじゃ早く地上に帰れないし)
とは言えず、適当な理由を言っておく。
「だって、仕事が溜まっててみんな困ってるんでしょ?」
「それはそうですけど、天照様らしくないとだめになっちゃうんじゃないですか〜?」
「え?」
「牡丹は『ご自分らしさを失われては良い結果は出ないのではないでしょうか』と言っています」
琴音がわからないと避けた案件に適切な資料を組みながら海老根が補足してくれる。
牡丹が万年毛筆を持つ手の指を一本立てた。
「天照様のお務めはた〜くさんあって、み〜んな重要なお仕事です!」
「うん」
「さらに〜、先代も先々代もまともにお務めをされなかったので、今それはそれは仕事が増えています!」
「うん……」
牡丹が二本目の指を立てたが、それについては物申したい。
「けど、天照様の歩幅でいいんですよ〜! 亀だって兎を追い抜きますし、簡単な泥船に乗って沈むより、大変でも木を切り出して造った方が良いじゃないですか〜!」
「えーっと、それはつまり……?」
「急がば回れ、ということかと」
「そーゆーことです!」
牡丹は満面の笑みで立てた二本の指を前に突き出した。
牡丹の独特な言い回しに破顔し、琴音はまた作業に戻る。ひたすら綴の山を引っ掻き回し目を走らせ続けると、間もなくして目当ての資料は見つかった。
(これだ)
こと細かに記されたそれは非常に良くまとめられている。担当部署や案件に詳しい神職名のほかに、併せて見るべき資料や関係する別件、先の推測までが時には図解を用いて初めての者にもわかりやすく書かれている。
その字を琴音は知っていた。
薬剤配給の件も、祭器保管庫の件もそう。先程多少琴音にも紐付けができた案件は、すべてこの字で引き継ぎ書が記されていたのだ。
記入者欄の名前は──。
三百八代目 天照大御神
(どんだけ仕事できる人なの)
感嘆のあまり呆れてしまう。ペラペラと綴を捲っていると、書面の隅に大きく丸で囲まれた走り書きが出てきた。
Give it a Try !!
次代に続く後輩たちに向けて書いたのか、それとも自分自身を奮い立たせるためのものなのか──。意図はわからないが、この短いフレーズが琴音には三代前の人柄そのものに感じられた。
(やってみろ、か)
自然と口角が上がる。琴音は綴を閉じると、まるで憑き物が落ちたような清々しい顔でふたりに告げた。
「ねぇ、作戦会議しよっか」