五話 巫女三人娘
「痛いよ〜海老姉ちゃん!」
「まったくあんたは。何度言ったらわかるの!」
「うふふ。ちゃんとごめんなさいしなきゃだめよ」
萬奉に突撃した巫女が、駆け寄ってきた長身の巫女に首根っこを掴まれもがく。
その隣では同じく駆けてきた女性らしい肉付きの巫女がその様子を口に手をあて微笑み傍観している。
「や、これこれお前たち。ご挨拶せんか」
激突されつんのめった萬奉は腰をさすりよろめきながら、閉じた扇でぽんと突撃巫女の額を叩いた。
突撃巫女が「あたっ」と大袈裟に痛がってみせる。
「申し遅れました。名を海老根と申します」
「桔梗です」
「牡丹で〜す!」
「この者たちが天照様の身の回りのお世話をいたします。何かございましたらばこちらの三人にお申し付けください〜」
朗らかに紹介する萬奉に続くように三巫女は琴音に礼をした。
「昨夜はよくお眠りになれましたか?」
実直そうな長身の巫女、海老根が一歩前に出る。
「あっ、うん、はい。ぐっすり眠れました」
(といっても、いつからここの布団で寝てるのかわかんないけど)
琴音はつい敬語で話してしまったが、案の定即座に海老根から「仕えの身でございますので敬語はおやめください」と言われた。
「後ほどお好みや召し上がれないものを伺いますね」
このおっとりした巫女は桔梗だ。編んだ艶やかな黒髪を片側に流している。
「天照様、天照様〜! 本日の上掛けはいかがですか?梗姉ちゃんと選んだんです〜!」
突撃巫女、牡丹は見るからに人懐っこそうだ。ぐいぐい距離を詰めてくる。
三人とも年下だろうか。大人びた海老根と桔梗とはいくつも離れていないように見えるが、牡丹は童顔と落ち着きのなさで、パッと見七つは下に思えた。
「それにしても、今度の天照様はお優しそうな方で良かったですね〜! 萬奉様!」
「やや~、そうであるな~」
「皆さんもそろそろ限界でしたでしょうしね」
「神職は過重労働で倒れかねませんでしたものね」
四人がうんうんと頷き合う。
その様子に琴音の顔が引き攣った。政殿を案内されている時も思ったが神職たちの様子が尋常じゃない。
「ね、そんなに大変なの?ここの仕事って」
「う~ん、大変と言いますか〜、ここ数代まともな天照様がいらっしゃらなくて! 立て続けにお変わりになるので全然仕事が片付かないんですよ〜」
「先代は三日で逃亡、先々代はひと月もいらっしゃらなかったかしら?」
「三代前のお方は数年ご在位されましたけど、その前も短かったですしね」
(先代だけじゃないんかい)
琴音は呆れ、不思議に思った。
「神位の拒否や逃亡はその先一切の幸福がなくなるんでしょ?」
それを回避するためにこうして覚悟を決めたというのに、なぜそんなにも逃亡者が相次いでいるのか。
その質問に答えたのは、困り顔の桔梗だった。
「たぶん、皆様信じていらっしゃらないんだと思いますの」
(ああ、なるほど……)
たしかに、目が覚めたら知らない場所で、いきなり神様をやれだなんだと言われても信じる方が難しいだろう。
(けど、感覚がまぎれもなく現実的だからなぁ)
琴音は昔から自分の直感を信じるタイプである。
(それに、どーせ仕事ないし。独り暮らしだし)
今後の幸福を捨ててまで急ぎ戻る理由はなにもない。
さらにいえば、すべてが凡人過ぎるがゆえに社会の荒波に揉まれ自信喪失中の心には、『選ばれし者』感が染み入ったのだ。
「先々代はすごく胃の弱そうなお方でしたし、先代はこーんなつり目で傍若無人だったんですよ〜!」
「三代前はなんというか、濃い方でしたしね」
牡丹が自分の目尻に指をあててにゅーっと吊り上げてみせ、なぜだか海老根は遠い目をする。
三代前というと、かのインテリアプランナーだろう。
「八百万の神が気圧されておられたからな」
「兎神の大将様なんて、やっといなくなったって祝福の宴を開いてたらしいですよ〜!」
「お気持ちはわかりますわね」
また四人でうんうん、と頷き合っている。
「ねぇ、なんでそんな人たちが魂の縁族になるの?」
太陽を司る所願成就の天上界の主宰神。そんな天照大御神の意思を継ぐ者だというならば、それなりの人格者であるはずではないのか。
(まぁ全然人のこと言えないけど)
とりあえず一旦自分のことは棚に上げておく。
「始祖・天照大御神のご意志ともいえる魂は確実に次の世に繋げるため、多くの欠片に分かれ散り散りになったのでございますよ〜。そのため受け継がれる魂片はとても小さく、魂の縁族の中で芽吹くのを待つ、いわば種のようなものなのです」
萬奉の説明によると、魂の縁族は数多おり、その中から選ばれた者もはじめから神位にふさわしい人格者というわけではないそうだ。結局芽吹かずに終わる者も多いという。
「じゃあさ、天照になる人はどうやって選ばれるの? そんなに魂の縁族が多いのに」
琴音は『選ばれし者』への期待に胸を膨らませるが───。
「まぁ無作為ですな〜!」
「八咫鏡という宝鏡に次々とご縁族が映り、鏡面が止まったお方をお招きするんですよ〜!」
せっかく築かれようとしていた自尊心が脆くも崩れ去っていく。
「それにしても、数代ぶりに普通そうなお方が来てくださって良かったですね萬奉様〜!」
「そうであるな〜。私も一目見て、普通のお方だと胸を撫で下ろしたものだ」
「うふふ。牡丹ちゃんもとっても嬉しそうだし、海老根ちゃんもこんなに普通のお方なら安心ね」
「そうね。ようやく普通のお方だって、なんか涙出そう」
「ちょっと! 普通、普通言わないでよ!」
項垂れる琴音をよそに和気あいあいと語らい、キラキラしい目で見つめてくる八つの瞳を琴音は睨めつけた。
「あ〜ん! 拗ねないでくださいよ天照様〜!」
「ふんだ、どーせ取り柄もなんもない普通女ですよ」
「私たちと〜っても歓迎してるんですよ〜!」
口を尖らせる琴音にじゃれるように牡丹が絡みつく。
動く度に頭のてっぺんで無造作にまとめられたお団子が揺れ、なんだか小猿のようで琴音は妙に庇護欲を掻き立てられた。
だが、目ざとくそれを察知した海老根によって牡丹は首根っこを掴まれ引き剥がされる。
「だめですよ天照様。牡丹を甘やかさないでくださいね」
「牡丹なのに、壮麗さとは程遠いお子ちゃまですものね」
「海老姉ちゃんも梗姉ちゃんもひどいよ〜!」
牡丹はわざとらしく萬奉に泣きつくが、「牡丹は名前負けしておるからな」と告げられあっさり撃沈した。
「ふっ……ふふっ」
その光景に琴音は思わず笑みがこぼれる。頭を下げられるばかりで恐縮しきっていた気持ちが和んでいくのを感じた。
そんな琴音を穏やかな笑みで見つめていた萬奉だったが、切り替えるようにパンッと扇を開くとどこかあくどく見える笑顔で言い放った。
「や、ではそろそろ政室に戻りましょうか。お勉強の時間でございますよ」
「え? お勉強?」
へへへと笑う牡丹が気持ち悪い動きで手をわきわきさせにじり寄ってくる。
「頑張りましょうね〜、天照様〜!」
「うふふ、久しぶりに詰め込みがいがありそうですわね」
語尾にハートでも付いているんじゃなかろうかというほど喜々とした調子で微笑む桔梗にいつの間にか右手側をとられ、琴音は本能的に後ずさる。
背中に突き当たりを感じ見上げると、爽やかな笑顔の海老根がいた。
「参りましょうか」
怪しげな笑顔の四人に囲まれた琴音は言葉や逃げ場を探すも為す術はない。あれよあれよという間に両腕を抱えられ、無情にもズルズルと引きずられていった。