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二十一話 荒魂

(はあああああああああ、緊張した……)


 (おさ)たちが去った政室で、琴音(ことね)は後ろ手をつき両足を投げ出して盛大なため息を吐く。二刻にも満たない神議(しんぎ)が半日以上に感じられた。


(とりあえず私がやるべきことは、神使だっていう<やた様>に竜神(りゅうじん)との会談の仲介を頼むこと。それから竜神についての勉強と、会談の想定問答も要るかな? あとは──)


 天井の木目をなんとはなしに眺めながら頭の中で今後の動きを組み立てる。

 そんな琴音を月読(つくよみ)萬奉(まんぼう)が下段から見上げ、賛辞を送った。


「お疲れ様、姉さん。最後の良かったよ」

「はい~、真っ直ぐで大変天照(あまてらす)様らしゅうございました」


 そんなふたりの元へ袖に控えていた牡丹(ぼたん)が軽やかに駆け寄る。海老根(えびね)もお茶を運びに出てきたことで、場はすっかり和気あいあいへと変わった。


「月読様~! ご無沙汰しております!」

「しばらくだね、牡丹。変わりなさそうでなによりだよ。海老根も久しいね」

「ご無沙汰しております。お身体はいかがですか」

「そうだよ、時間外なんだから休んだ方がいいんじゃない?」


 月読の声色や表情は調子良さげだが、目元には薄らとクマが出ている。


「いいんだ。日暮れまでそう長くはないし、姉さんに話しておきたいこともあるしね。ね、萬奉」


 そう言って月読は流れるように湿潤(ウェット)な色気を孕む柔和な笑みを萬奉へと向ける。顔の動きにつられて、照明に輝く毛先が揺れた。


(相も変わらず美麗なことで)


 心浮つかせる性格(タイプ)がこの場にいないことが幸いといえよう。


 琴音は月読が座る小上がりへと移動し、上段へ続く階段に腰を落ち着けて海老根が差し出した盆の湯呑みに手を伸ばす。

 体の芯を通る熱と渋みにようやく奥底の強ばりがほぐれた。


「話しておきたいことって?」

「はい~。や、天照様は<荒魂(あらみたま)>について覚えておられますか?」

「あらみたま……」


 さすが出来る巫女、海老根。即座に文机(ふづくえ)から帳面(ノート)を取り、琴音に渡す。


(えーっと……えーっと)


 もはやどこに何が書いてあるのかわからない。それほど雑多に書き込まれた情報から琴音は記憶を頼りにおおよその位置を割り出し、ぱらぱらと過ぎ行く見開きに高速で目を通した。


「あった! 荒魂──荒ぶる魂。神の魂の側面のひとつ。対に和魂(にぎみたま)がある……」


 そこから一筋の線が伸び、強調するように丸で囲まれこう書かれている。



 ”神も人間と一緒!!”



「んん?」


 思えば昔からノートの取り方が独特だった。後から見返してもう少し分かるように書けないものかと首を捻る琴音の正面から帳面を覗き込んだ月読が、小さく首を縦に揺り動かす。


「うんうん、合ってる。そういうことだよ」

「熱心に(わたくし)の講義を聞いてくださっておられましたからな〜」

「姉さんのノートの通り、神の霊魂が持つ二つの側面、それが荒魂と和魂(にぎみたま)なんだ」


 月読の説明を要約すると、人に善悪の感情があるように神も優しく平和的な心──和魂と、怒りに荒ぶる心──荒魂を併せ持つ。それぞれはまるで別の神かと思われるほどに異なる強い個性となって表に表れるため、人々は魂の均衡を支えるために神を拝して祭儀を行い供物を捧げてきた。

 この二面性こそが信仰の源といえるのだという。


「その均衡が崩れ大きく荒魂に傾いた時、神の行いは神罰となって表れるんだよ」

「なるほどねー。ここにいればよくわかるけど、神にももちろん心はあるもんね」

「はい〜、左様でございます」


 神は祈願に加護を授けるための傀儡ではない。数々の神話が物語るように喜怒哀楽の感情を持ち、時には悩み、我を失うほどに怒りもすれば酒に酔って大笑いもする。まさしく人間と同じだ。


「竜神の心は今、荒魂に傾きすぎている状態だと思うんだ。だから神罰の兆候が出てる。歴史を辿ると荒魂によって下された神罰には疫病や災害で多くの死傷者が出た事例もあるんだけど、実はね姉さん。そんな荒魂にはもうひとつの名前があるんだよ」

「もうひとつの名前?」

「うん、新しい魂と書いて<新魂(あらみたま)>。もうひとつの意味と言った方が正しいかな」


 荒魂はその荒々しさから新たな事象や物体を生み出すエネルギーを内包するとされる。


「わかりやすく言うと、メリットとデメリットだよ」


 最もわかりやすい例は自然災害だろう。小さな国土に山や谷が複雑に入り組み起伏を作る日本の豊かな地形は地震があってこそ生み出されたものだ。それに、地震や火山活動の発生は温泉や地下水を露出させる。きれいな湧き水は飲み水や農工業に利用され、火山灰を利用した野菜作りや、マグマの熱で電気を作る地熱発電なども可能になる。すべて地震や火山活動の発生があってこそできることだが、その反面甚大な被害を出す。


「荒魂による神罰が下され災害に見舞われたとしても、それにより生み出される恩恵を大昔から享受し続けていることも忘れちゃならないんだ、姉さん」

「自然を司る神は世の守護と繁栄を願い導かれるご存在。下される神罰には大変大きな意義が込められておるのでございますよ〜」


(大きな意義、か……)


 手の平に伝わる湯呑みの熱は随分ぬるまった。琴音は透き通る水面の底に沈み円を成す濃緑を見つめる。

 目線だけを上げ、月読を見た。


「それはつまり、竜神がどんな神罰を下そうと受け入れるってこと?」

「んー……」


 月読は考えるように視線を下げ、揺らした。


「甘んじて、なわけじゃないよ。けど、今僕たちは神だ。人間のものさしで判断を下してはいけないんだよ」

「……」


 月読(のみこと)として言っていることは正論だとわかる。だが、理解と納得は別だ。


 実は昔からニュースを見る度に琴音が思っていたことがある。「これが起こったから変わるきっかけになったんだ」と。


 ある出来事をきっかけに、法が制定される。

 ある出来事をきっかけに、議論が高まる。

 ある出来事をきっかけに、新たなものが生み出される。


 そんな<転機の出来事>は、大抵犠牲の上に成り立ってきた。災害ひとつとってもある種『そのおかげ』で現状が見直され、より強固に後の世が守られている。


 月読の言った通りまさにメリットとデメリット。

 それが神罰であれ、自然発生的なものであれ、国土形成から身の回りの生活に至るまで地球も人間も太古の昔よりその恩恵と被害に両手を繋がれて生きているのだ。


(荒魂は新魂……)


 だが、いくらより良くなるためとはいえ苦しみは享受したくない、大きな意義など知ったこっちゃない、試練など与えないで欲しい……そうした人間の本音は隠せない。神の事情によって与えられる神罰であるならばなおさらだ。


「神には神の務めがある。地上界や高天原に対する務めを果たさなくちゃならない。それには神罰も含まれるんだ。神として地上界に必要な神罰は下さなければならないんだよ」

「うん」

「人の善悪と神の善悪はちがうから、神罰を一概に悪とは言えない。だから、まずは竜神の意向を聞きたいんだ。どういう意図で神罰を下すのかを。神にも感情があるからね」

「……わかった」


 琴音は数度頷く。とにかく竜神と会わねば自分の中でも何も定まらない、それだけは確かだった。


「海老根、ご馳走様。じゃあ僕はそろそろ戻るよ」


 月読を見送りに皆で連れ立って扉口へ向かう。

 政室の最後方、扉の両脇に控えていた月読付きの巫女と(かんなぎ)も立ち上がり、琴音たちに深々と礼をした。


「月読様、また〜!」

「お体ご自愛ください」


 手を振り頭を下げる牡丹と海老根に微笑み、暮れかかる西日の中ふたりの侍従を従え<神の御道(おみち)>を去り行く月読の背中を琴音は見つめる。


「ご立派になられましたなぁ」

「え?」


 萬奉が目を細めて感慨深げに呟いた。


「早三年なのか、未だ三年なのか……。当初より利発なお方ではございましたが、あんなにも自信なさげにしておられたのに……」

「あの月読が……?」

「はい~。ですから、天照様も焦ることなく歩まれてくださいませ」


 脂で照り輝く穏やかな蛙顔が向けられる。

 父に見守られているようなむず痒さを感じながら、琴音は小さくなる背中を見つめ続けた。



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