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二話 知らない天井 前編

「なー宿題やった?」

「やってねぇ!」

「俺今日当たるんだよー」


 和気あいあいと登校する青春真っ只中の学生が河川敷を歩く。


 ランニングに精を出すお兄さんに、まったりと犬を散歩させる老婦人、すぐ脇のカーテンが閉じられた部屋は夜間の仕事から戻った家主がようやく眠りについたのだろうか───人々は今日も各々の一日を生きている。


「おかーさん見てー! ひこうき雲!」


 自転車に乗せられた幼子の小さな指が指す先には、青空のキャンバスに描かれた一筋の白い軌跡が走る。


 人々の遥か頭上、その軌跡のずっと先にある尊き世界でもまた、新たな一日が始まろうとしていた。



 ◓◑◒◐



 チチチチ、と鳥のさえずりが聞こえる。


 琴音(ことね)はうーんとひと唸りし、寝返りをうって布団にくるまる。息を吸うと鼻に抜けるい草の香りが心地いい。


 今は亡き祖母の家が思い出される。ぬくもりの中祖母が起こしに来てくれるのをわざと待っている時間が琴音はとても好きだった。


(ばあばー……)


 ふふっ、と満足気に再び眠りに落ちようとして、ふと意識が浮上する。


(うち畳だっけ)


 重い瞼を持ち上げ薄目を開く。障子越しに届く柔らかい光が眩しい。うっと(またた)き、光の中を漂う塵を眺め目を慣らすがやはりなにかちがう。


(うち障子だったっけ)


「んー!」


 ぐぐっと大きく伸びをしながら仰向けに転がり目を開くと、そこには知らない天井が広がっていた。


「……は?」


 六畳洋間のワンルームではない。朱漆(しゅうるし)格天井(ごうてんじょう)に圧倒される。


 琴音はとりあえず昨夜の暴飲暴食の余韻をたっぷり含んだ体を起こし寝台に長座する。

 だが、目の前の光景にまた次の言葉しか出なかった。


「は?」


 豪華絢爛な障壁画が描かれた(ふすま)。天井と同じく朱色に統一された柱や長押(なげし)。そして、一見してわかる高級そうな厚い羽毛布団に質のいい白絹の寝巻。


(ここどこ…)


 ただでさえやけ酒翌日のまわらない頭で周囲を見回し呆けていた矢先──、ドタバタと複数の足音が鳴り響いた。



「「「天照あまてらす様ー!」」」

「!?」


 スパンと勢いよく障子が開き、三人の巫女がズカズカと上がり込んでくる。


「天照様! いつまで寝ていらっしゃるんです! 太陽神ともあろうお方がお寝坊だなんて許されませんよ」

「天照様、朝餉(あさげ)が出来ておりますわよ。冷めないうちに召し上がってくださいませ」

「天照様、天照様〜! 御髪を整えて召し替えましょう〜!」


(ちょ、なになに!?)


 先程まで鳥のさえずりが聞こえていた静寂で雅な空間は、一転して騒々しい朝となる。

 三巫女によりあれよあれよという間に着せ替えられ化粧を施されること人形の如し。



「「「さぁできましたよ、天照様」」」



 琴音は差し出された紙垂(しで)で飾られた見事な彫りの手鏡を覗く。白い太陽紋様が入った白練(しろねり)の正絹の大袖と真紅の袴に身を包み、勾玉の首飾りと宝冠を飾った優美な貴女がそこにいた。


 もちろん、御原(みはら) 琴音その人である。





「さぁさぁ務めに遅れてしまいますから!」

「えっ、えっ、ちょ……」


 わけがわからないまま運ばれてきた朝食を取り終え、押されるままに廊下を進む。

 寝室の障子の先には絢爛(けんらん)たる景色が広がっていた。


 欄干らんかんの向こう、中庭と思わしきそこには多彩な花が咲き、緑麗しく、耳に心地良い小川が輝くように流れている。中庭を囲む建物も古式ゆかしく、柱や梁はすべて朱色で統一されている。


 だが、目を見張ったのはその景色の白さだ。


(雲……?)


 本来地面と思わしきそこにはわたがしのような白いふわふわが広がる。しかし、よく見ると地表は(もや)がかかったように境界がおぼろげで、琴音は昔ドライアイスに水をかけた時のあの光景を思い出した。


 他に見知った地面らしきものといえば、花や木々の根元に土が施されていたり所々白砂はくしゃや石が配置されている程度だ。


 雲様の地面は光を柔らかく反射し、視界が眩い。


(天国ってこんなイメージだよね)


 呆けた感想を抱きつつ、琴音は広い廊下を奥に抜けた。






 三巫女に連れられたのは総(ひのき)造りの広間だった。


 強引に座布団に押し付けられ、琴音は独り座する。

 (あけ)の座布団は極厚でとても座り心地が良い。金糸の立派な飾り房と刺繍された太陽紋様がいかにも豪華だ。


(ほえ〜)


 見回した室内は二段造りになっている。琴音が座する上段と下段の広間とに分かれ、上段は朱漆の玉垣で囲われ中心に設けられた三段の階段で下段と続いていた。

 上段の三畳ほどのスペースは埋込みの畳で、そこには朱漆の文机(ふづくえ)や飾り棚が品良く配置されている。

 畳外向かって左手には真ん中を向くように質素な文机と朱色の座布団が二つずつ並び、厳かな彫刻の欄間(らんま)からは御簾が下がっていた。


「あのー……誰かー……?」


 三巫女は琴音を座らせると笑顔で出ていってしまった。異様な場所に何も聞かされないまま取り残され心許ない。


 ため息に肩を落としたその時──。


「なにこのお───っと!?」


 急な激しい地響きと共に正面の大扉が開き、怒涛の勢いで人々が流れ込んできた。


「天照様だ! 天照様がいらっしゃるぞ!」

「天照様! 早う決議書に目を通してくだされ!」

「天照様! 土神(つちのかみ)が造園に関してご相談されたいと!」

「天照様! 月読(つくよみ)様が昨晩また床に伏せられたようで…」


(わっ……!)


 たちまち広間は埋め尽くされ、押し寄せた群衆は口々に声を張り上げ琴音に何やら訴え掛けてくる。それだけに留まらず、玉垣を越えて何やら書類を握った手までが次々と伸びてくるのだ。


「えっ、ちょっ……待って! 待ってってば!」


 だが次の瞬間、琴音は視界に映ったものにさらに目をひん剥いた。


「なななああなああなあなああなあ!?」


 群衆の中に混ざった兎や猪といった動物が二本足で立ち装束を着て、同様に掲げた書類を琴音に向かって振り上げてくる。


(なにあれ!? なにあれ?! なにあれぇ!?)


 (おのの)き腰が抜け、力なく開いた口から発せられる声は言葉にならない。琴音は全身が鳥肌立ち、体を引きずって後ずさった。


 喧騒は温度を上げる。

 パニックに陥る琴音を引き戻したのは雑踏を掻き分け進み来る、何とも間延びした調子外れな声だった。


「天照様〜、大丈夫でございますか〜?」


 腰を抜かす琴音の前にひょいと躍り出た小男は朗らかに笑って手を広げる。


「やや〜、ようこそ高天原(たかまがはら)へ! 三百十一代目の天照様!」






(わたくし)は代々天照大御神にお仕えしております、萬奉(まんぼう)と申します」


 騒ぎ立てる群衆を追い出した広間で、落ち着きを取り戻した琴音は蛙顔の小男と向かい合っていた。向かい合うといっても琴音は上段に座し、小男は下段の広間に立ってにこにこしている。


 萬奉と名乗る小男は烏帽子(えぼし)を被り、黄みがかった白の上衣に、白地に白の太陽紋様が入った袴を折り目正しく(まと)って恭しく礼をした。


「お会いできて光栄でございます、天照様」


 頭は未だ混乱したままだ。まずは何から問うべきか琴音は考える。


「あのー……質問してもいいですか……?」

「なんなりと〜! ですが敬語はおやめくださいまし。私は仕えている身でございますゆえ」


 萬奉は琴音が口を開いたことが嬉しいらしく目を輝かせてまた頭を下げた。


「いや、ちょ、頭上げて……」


(なんなのもう!!)


 上段に座したままにさせられたことといい、さっきからこの小男はどうも琴音を目上として扱ってくる。琴音としては意味がわからないうえになんとも居心地の悪い扱いだが、話を先に進める方が先決だろう。


 ここは郷に入っては郷に従え。

 琴音は盛大にため息を吐き、語調を崩した。


「さっきから私のこと天照様って言うけど、なんなの?」

「はい〜! それは貴方様が三百十一代目の天照大御神(あまてらすおおみかみ)でございますゆえ!」


 萬奉は両手を大きく広げ、琴音を称えるように右手に持った扇を振る。どこに仕込んでいたのか、白い紙吹雪がひらひらと舞った。


「いや……はぁ?」

「大変でございましたんですよ〜、えぇ。先代の三百十代目天照様が突然神位を降りられましたもので」

「はぁ」


(どゆこと)


 呆ける琴音に対し小男はにこにこ顔を崩さない。

 琴音が黙るとただ満面の笑みで見つめてくるので、どうやら会話の主導権は琴音が握らないといけないらしい。


「あー……まず、ここはどこ?」

「ここは高天原でございます〜!」

「高天原ってどこ?」

「やや、ご存知ありませんか? 天照大御神が統べる天上界にございますぞ」


(天照大御神に高天原?)


 わかるようなわからないような、聞き覚えはある気がするのに頭の霞が晴れない。


「ん〜?」


 頭を捻って思い出そうとする琴音は、嫌な想像が頭を過ぎり血の気が引いていくのを感じた。


「……待って? 天上界って言ったよね?」

「はい〜!」

「天上界ってまさか……」


 声が震え、呆然となる。


「もしかして私、死んだの?」

「はい?」

「これ転生とかそういうやつ……?」


(え? え? 急性アルコール中毒?? やけ酒で? たしかに結構飲んだけど……)


 クビ同然にまた職を失ったあげく、二十を若干過ぎただけでこの世を去ることになろうとはなんて報われない踏んだり蹴ったりな人生だろうか。


 じわりと目元が熱くなる。


「やや〜、そのような(たぐい)のものではございません」


(ちがうんかい!!)


 琴音は目の前の小男をどつきたい衝動をすんでのところで堪えた。


「じゃあなに?」


 転生じゃないならなんだというのか。


「それに、私が天照大御神ってなによ?」


 噛み付くような琴音の問いに、萬奉は聞き慣れない言葉で答えた。


「まま、魂の縁族(えんぞく)でございますな〜!」



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