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十三話 月読 前編

「あー……つっかれた」


 宝冠を取り去った琴音(ことね)は主室の長椅子(ソファ)に倒れ込んで四肢を投げ出す。夕餉を終え後は入浴するだけだ。着衣と髪の乱れは大目に見てもらおう。


(動画見たいゲームやりたーい)


 高天原(たかまがはら)には現代っ子の琴音にとって娯楽がなさ過ぎる。

 疲労とストレスを発散する捌け口がないのは堪えるが、仕方がないので目を閉じた。目元を覆った腕の重みと体温になぜだか少し安心感を覚える。


 琴音はその手を無意識に握り開いた。


 祈応(きのう)は精神を消耗する。願主(がんしゅ)の人生を賭けた願いが自分に託されているのだ。その重みを受け止めるのには胆力が要った。さらには陽の欠片という(パワー)を授け背中を押すなど、恐れ多いことこの上ない。


(……)


 今日見送った紙鳥(かみどり)たちはもう願主の心に光を(とも)しただろうか。


 月明かりの下で風にそよぐ草木の音だけがかすかに耳に届く。

 入浴の準備が整ったら桔梗(ききょう)が声をかけてくれるはずだと、それまで琴音は眠ることにした。




「……様、天照(あまてらす)様」

「んぅ……」


 十五分も経たないだろうか。開こうとした目は照明に眩んでまた閉じられる。頭がぼーっとして覚醒しない。


「天照様、今よろしいでしょうか」


 障子の向こうから桔梗の穏やかな声がする。


「んー……なに……?」

萬奉(まんぼう)様がいらっしゃってます。いかがなされますか?」

「んー……わかった……」


 返事は返すが起き上がれない。結局、琴音が体を起こしたのはそこからさらに十分後だった。


「やや〜、お休みのところ申し訳ございません」


 一日の務めの疲労を感じさせない笑顔の萬奉を主室に迎え、向かいの椅子を勧める。小男の蛙顔にかかる疲労の影をまだ琴音は見たことがなかった。


「あらあら、うふふ」


 桔梗が優しい手つきで琴音のぼさぼさになった髪を梳く。鈴蘭姉妹が温巾(ホットタオル)を当ててくれる脚腕が気持ちいい。


「どうしたの、こんな時間に」


(できれば今すぐ帰って欲しい)


 とは言わずに、琴音は取り繕った顔で応対する。


「はい〜、月読(つくよみ)様が倒れてしまわれたと連絡がありましたのでお伝えに」

「つくよみ……?」


(って誰だっけ)


 琴音は記憶を探る。覚えはあるのでどこかで資料を読んでいるはずだ。しばし唸り、脳内を引っ掻き回してみる。


「ああ!! 弟か!」


 手の平を打ち、はいはいと首を縦に振りながら右手の人差し指を立てる。


「はい〜、弟君の二百三十六代目月読命(つくよみのみこと)でございます」

「で、その弟がなんだって?」

「はい〜、また倒れてしまわれたと」

「倒れたって、大丈夫なの?」

「あまりお身体がお強くないようで……。月読様の魂の縁族にはそのようなお方が多いのでございます」


(そうなんだ)


 そういえば、初日に神職(しんしょく)に押しかけられた時も誰かが月読が倒れたとかなんとか言っていた気がする。


「月読様、優しい。好き」

「好き」


 足元で鈴蘭姉妹がぽそりと呟く。


「それで、なに?」

「はい〜、お見舞いと、遅くなりましたが即位のご挨拶に赴かれてはいかがかとお誘いに参りました」

「え! 今からぁ!?」


(もうくたくたなんだけど!)


 正直休みたい。休みたいが、相変わらず有無を言わせない程にこにこ笑顔の小男と月読を慕う鈴蘭姉妹の視線を前にした琴音は、渋々腰をあげるしかなかった。



 ◓◑◒◐



 資料の記述によると天照大御神(あまてらすおおみかみ)にはふたりの弟がいるとされる。

 そのひとり、月読命は天照が太陽を司るのに対し月を司り、夜の高天原の統治を担っているという。昼の天照、夜の月読というわけだ。琴音が顔を合わせなかったのも頷ける。


 日が沈むと主宰権が月読へと移り、天照は体を休め眠ることが出来る。そして日が昇ると主宰権は天照へと返され、月読が眠りにつくのだ。


(弟って言われてもねぇ)


 飛車雲(ひしゃうん)に揺られながら琴音は心内でぼやく。


「さぁ〜間もなくでございますよ。正面に大きく見えて参りましたのが月読様の宮、月宮(げつぐう)でございます」


 夜闇に浮かぶ月を背に天宮(てんぐう)にも劣らない荘厳な宮が建っている。

 琴音と萬奉を乗せた飛車雲は、その中へ吸い込まれるようにふわりふわりと滑空していった。



 ◓◑◒◐



「こちらです」


 付き巫女に案内され月読の主殿へと通される。

 奥の寝室へ進むと、半ば上げられた御簾の向こうの寝台に体を起こす青年がいた。


(綺麗な男の子……)


 思わず見とれてしまうほど眉目秀麗(びもくしゅうれい)な青年は、月の光を浴びたかのように輝く指通りの良さそうな色素の薄い髪をもち、その肌は透き通るように色白い。

 ほっそりとした、しかし節に男性を感じる指で本のページを捲る所作にどこか儚げな色香を孕んでいる。


 月の美青年は琴音たちの来訪に気づくと顔を上げ、憂いを帯びた柔和な目を細めて微笑んだ。


「やぁ、姉さん」


(姉さん!?)


 突然の姉さん呼びに困惑する琴音を気にもとめず、美青年は申し訳なさげに眉を下げる。


「また心配かけて悪いね、萬奉」

「やや〜、月読様〜。具合はいかがでございましょう」

「いつも通りだよ、大したことない。萬奉の好きな茶菓子があるんだ。主室で寛いでてくれないか」


 寝室に琴音を残した美青年は萬奉の背を見送る。扉が閉まるとゆっくりと寝台を抜け、琴音に窓際の椅子を勧めた。


「どうぞ姉さん。掛けて」

「……ありがとう」


 琴音は勧められるまま腰掛ける。

 空いた窓から入る風に室内にわずかに漂う柔らかな香りがかき混ぜられ、琴音はすんと鼻息を吸い込んだ。


「少し香を炊いてるんだ。木蓮だよ。落ち着く良い香りだろう?」


 美青年は琴音に線の細い右手を伸ばす。


「ようこそ姉さん。ようやく会えて嬉しいよ」


 落ち着いた音調(トーン)で話す美青年は月光に照らされ、きめ細かな肌が一層青白く輝き琴音は思わず見とれる。


「あ、うん、こちらこそよろしく。……なんで姉さん呼び?」


 握手に応えながらも、琴音は怪訝な顔で尋ねずにはいられない。


「だって僕は姉さんの弟だからね。魂の縁族であれど、月読は天照の弟だよ」

「だから姉さん?」

「そうだよ。僕はずっとそう呼んでる」


 言葉を切り、美青年は琴音を見つめる。色素の薄い瞳に惹き込まれるようで琴音はむず痒くて仕方なかった。


「ずっとって、いつからここに居るの?」

「もう三年になるよ」

「三年!?」


 どうしてそんなにここにとか、家族は心配しないのかなど様々な疑問が首をもたげる。


(いろいろ平気なんだろうか……)


「僕は高天原(ここ)が性に合ってるんだ。高天原(ここ)の方が生きやすいんだよ」


 そう言って美青年は窓の外を見る。穏やかな風になびいて、月光を弾くように毛先が揺れた。


「三年もここにいて、家族とか地上での生活は大丈夫なの?」

「うん、問題ないよ」


(問題ないんだ)


 なにか軽々しく聞くのを(はばか)られるような事情があるのだろうか。

 なんともいえない表情になる琴音に、美青年はただ柔らかな笑みを返した。


「わからないことがあればなんでも聞いて、姉さん。せっかくこうして姉弟になれたんだから、助け合わなくちゃ」


 それに、と美青年は続ける。少し首を傾け、顔に親しみの甘さを滲ませる。


「姉さんのことも教えてよ」

「……っ」


 琴音は思わず息詰まった。目の前の雰囲気たっぷりな美青年にたじろぐしかない。


 月の美青年の一挙一動が独特な優雅さを持ち、目が釘ずけにされる。瞬きの度に伏せられる瞳や震える睫毛(まつげ)、唇のわずかな動きなど、そのすべてが中性的な美しさを際立たせているようで強制的に惹き込まれる。


(これは……危ないかもしれない)


 匂い立つ哀愁の色香に、琴音はすっかり月の美青年の雰囲気に飲まれていた。



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