第6話
「というわけで今日からラクリスさんの家に住みますから」
「……何故そうなる」
「そりゃいつまでも野宿や路上生活を続けるわけにも行きませんから」
「宿に泊まればいいではないか」
「お金がかかるでしょう? 宿代に使うお金があるならアミュレットの制作費に充てるべきです。ただで寝泊まりできる場所があるならそこを使うに限ります」
「し、しかしだな……」
一人暮らしの男の家に、若い女が住むというのは倫理的によくない。
無論マティナが美少女だからといって、ラクリスにその気はない。ないのだが……
「無防備すぎないか?」
「そうでもありませんよ。だって私に危害を加えてラクリスさんに何のメリットがあるんですか? もし万が一があっても、私には抵抗する手段があります。たしか素のラクリスさんは《子守歌》も耐えられないんですよね。私は戦闘用の魔術は不得手ですが、それでも勝敗は五分五分でしょう。あまりにリスクが大きすぎる」
「そこまで考えていたのか……」
すらすらと答えるマティナにラクリスは感心したが、ある種の危うさも感じた。
最低限の保険をかけた上で、リスクに飛び込みリターンを漁る。合理の名の下に自分の身を切り売りするような立ち回りだ。したたかではあるが綱渡りじみている。
一方で、マティナは儲からないアミュレットに執着している。年頃の少女が身を危険にさらしてでもやることがアミュレットの研究とは。趣味とはいうが、理解はしがたい。
「一筋縄ではいかないな。一体彼女はどんな人物なのやら」
しげしげとマティナを観察するが、何を考えているかはさっぱり読めなかった。するとマティナはしなを作りながら身をかき抱いて、
「それともムラムラして損得を考えられなくなりそうですか? なら《不能》の呪いを」
「不要だ」
「あら失礼、ラクリスさんは男色の方でしたか」
「そっちでもない」
「じゃあ何ですか! 私に魅力が無いって言うんですか! 女の子に対して失礼ですよ!」
「お前は俺に何を言わせたいんだ! ……そら、着いたぞ。ここが俺の家だ」
「あれ、思ったより普通の家ですね。少し造りが悪いようですが。てっきりどこぞの洞窟を家と言い張っているパターンかと」
「洞窟に住むつもりだったのか? 言っておくが中は荒れているぞ。使いづらければ適当に手を入れてもらってかまわないが、その場合は一人でやれ」
「たしかにラクリスさんには室内の手入れは難しそうですね。本当ならお任せしたいんですが仕方ありませんか。おじゃましまーす、ってドア大きすぎ!」
うんしょ、とドアを押し開けてマティナは家の中に入っていった。ラクリスはそれを見送ると、自分の用事に取りかかる。昼間の任務で使った武器の手入れなどやることはつきない。雑事を片付け食事を済ませた頃にはもうあたりは真っ暗になっていた。
「俺はもう寝るぞ」
マティナに声をかけてから広間に身を横たえる。疲れていたせいかすぐに意識が遠のく。《告死》の臨死とは違う、いつも通りの感覚に安心して意識を手放した。
悪夢は見なかった。
翌朝、ラクリスはすっきりと目覚めた。
「一昨日は老婆の呪いで散々な夢見だったからな」
立ち上がって軽く伸びをする。このように体を伸ばせるなら、二階の床をくりぬいた甲斐があったというものだろう。天井にぶつからないというのは気持ちがいい。
「階段付近の床には手が出せなかったが……」
構造上、そこの床を抜くと外壁が崩れそうだったためだ。だから二階には一つだけ小さな部屋が残っている。ラクリスが入ることは出来ないが、空き部屋を遊ばせておくのももったいないので、内壁を壊して棚代わりに使っている。つまりラクリスの身長なら吹き抜けからその部屋の中を見ることが出来るわけだ。
ラクリスはなんとなしにその部屋をのぞき見た。そこには
「すぅすぅ」
穏やかな寝息を立てて眠る可憐な少女の姿があった。
「!?」
しかもすぐ近くに。高さの関係で、ラクリスの頭部は二階の床のすぐ上に来る。
だからラクリスには少女、つまりマティナの寝顔がこれ以上なくはっきりと見えた。
柔らかそうな頬にうっすらと産毛が生えているのまで確認できてしまう。偶然とは言え女性の寝顔を盗み見てしまった罪悪感に、ラクリスは目を泳がせる。
だが顔があれば体もあるわけで、しどけなく乱れたぼろ着からのぞく手足は薄暗い部屋の中でドキリとするくらい白く、ラクリスの泳いだ視線をすさまじい吸引力で引き寄せる。
とどめに、
「んっ……」
と、鼻にかかった寝ぼけ声を出されては退散するほかない。ラクリスは全力でしゃがんで二階から顔を引き剥がした。
「ふ、不覚……」
早鐘を打つ胸を押さえてラクリスはうめいた。
ラクリスにとって人の姿は高所から見下ろすもので、先ほどのように間近で見つめたことは子供の時にしかない。
初めて出会った時も美しい少女だとは思ったが、近くで見るとここまで破壊力があったとは。しばらくあの寝姿は忘れられなさそうだ。
「……素振りでもするか」
邪念払うべし。ラクリスはマティナを起こさないようにこっそりと外に出た。
マティナが起きてきたのはラクリスの肌にじんわりと汗が浮かんできた頃だった。
「おはようございます、ラクリスさん」
「お、起きたのか。よく眠れたか?」
「ええ、おかげさまで。やっぱり屋根と壁があると違いますねぇ。ところで朝食はまだ用意されてませんよね?」
「忘れていた。すまん、俺が用意することになっていたのにな」
ラクリスの思っていた以上に、あの光景は衝撃的だったらしい。自分の未熟さが情けなくなる。だが何故かマティナは胸をなで下ろしている。
「ふう、良かった。じゃあ私が作りますから待っていてください」
「手間をかけさせる」
「ところでラクリスさん。これはとてもとても大事なことなんですが」
「何だ?」
「食材をなんでもかんでも一緒くたにしてスープにするのはやめた方がいいと思います」
「……善処する」
昨日ラクリスが作った夕食は口に合わなかったらしい。至極まっとうな味覚をしていると思う。よく考えてみればあれは人に食べさせるものではない。むしろよくマティナは完食したものだ。
「あれは餌です料理ではありませんそもそも何で料理に剣を使うんですか包丁が小さすぎる?知りませんよそんなことそれだから味も混沌と化すんです塩で何もかもごまかせるとでも思ってるんですかそんなわけないでしょう……」
ブツブツと不満を並べ立てながらマティナは包丁を振るっている。人に文句を言うだけあって、その様子は慣れたものだ。
「まぁこんなものですか。とにかくここには料理に必要なものが足りなさすぎです」
出来上がったのはやはりスープだ。食器がマティナの持っていた椀一つしかないため当然の帰結である。
だがラクリスが作ったものとは雲泥の差であり、トマトと魚だけと具材はシンプルながらオリーブと塩で味が上品に整えられた立派なものだ。ラクリスは素直に感心した。
「美味いな。朝にこんなものを食べられるとは。豪勢なものだ」
「当然です。朝食をパンとチーズだけで済ませている人たちの方がおかしいんです」
とマティナは断言するが、一般的ではないのはマティナの方だ。金持ちは例外として、朝と昼は簡素に済ませその分夜に食べるのが一般市民の食生活である。それを指摘すると、
「っ……。つ、次もちゃんとご飯が食べられるとは限らないじゃないですか! だから食べられるうちに食べておかないと! …………もう虫は食べたくないんです」
と遠い目をし始めたので細かく追求はしないことにする。
食事を終えた二人は改めて方針を話し合う。
「それでマティナ。今日はどうする? 材料が足りないといっていたが」
「ええ。ただ、その材料を今の私たちの所持金で買うのは難しいと思います。ですから自分たちで取りに行くのがベストだと思うんですが……ラクリスさんは今日何か外せない用事はありますか?」
「そうだな。本来なら今日は休む予定だったから問題はない。ただ、午前中はだめだ。怪我をした同僚の様子を見ておきたい」
「分かりました。私の方も準備がありますから午後にまた会いましょう。それとこれを渡しておきます」
「これは……昨日壊してしまった《抵抗》?」
「応急処置ですが修理しておきました。でも本当に弱い魔術しか防げないと思いますので気をつけてください」
「驚いた、仕事が早いな。感謝する」
マティナが新しい《抵抗》を作るまで、どうやって任務をこなそうか悩んでいたラクリスにはありがたい話である。早速受け取った仮の《抵抗》を身につけた。
「では駐屯地まで行ってくる」
「ええ、いってらっしゃい」
マティナの見送りに気恥ずかしさを覚えながらもラクリスは家を出た。
「今日は仕事をせんのか? じゃあ何をしに来たラクリス」
駐屯地ではピズマ兵長が出迎えた。ぎろりとラクリスを見上げるその気迫こそいつも通りだが熊に折られた腕を吊り、全身に包帯を巻いている。普段滅多に座らない椅子を使っているのも弱っている証だろう。
「ピズマ兵長や先輩方の見舞いに。傷の加減はいかがでしょうか」
「フン。お前に心配されるとは俺も落ちぶれたな。俺の怪我は軽い。兵士をやってりゃ腕の骨の一本、二本は折るもんだ。ガタガタ騒ぐほどのことじゃない。だがニコスたちは「多少」傷が深いな。まだまだ起き上がることは出来んようで、今も眠っている」
「そうですか……」
改めて聞かされると被害の大きさが実感できる。自分たちは昨日、生きるか死ぬかの戦いをしたのだ。その事実の重さに身震いが走るようだった。後悔と罪悪の念も高まる。
「もしあの時俺がもっと動けていれば……」
「おい、いらんことを考える前にお前自身の状況を報告しろ。アプロスの野郎、お前がどんな負傷をしたか覚えていないときた!」
「あの時の自分は返り血も多く浴びていましたから覚えていないのも仕方ありません。俺の方はかすり傷です。狼のかみ傷と、熊に引っかかれた傷が少しある程度で」
「ラクリス、獣の爪を甘く見るな。傷が浅くとも病気の毒で死ねるぞ。傷は濾した酒で洗ったんだろうな? 何? してない? このバカモン! だがまぁ湯冷ましで洗っただけましか。せいぜい体調の変化に気をつけることだな」
「気遣い、痛み入ります」
「気遣いだと? 勘違いするなよ、使える道具なら手入れもする。駐屯地の戦力をいたずらに減らさないようにするのも兵長の仕事。これはただそれだけのことだ。分かったな」
「ピズマ兵長……!」
ラクリスは言葉に詰まった。今ピズマ兵長は遠回しにラクリスを褒めたのだ。今までは「無能なデカブツ」扱いだったというのに。
「それとだ、ニコス、クレオン、ペトルスは身の程知らずにも俺に伝言を頼みやがった。「任務を完遂し、命を助けてくれて感謝している」だとさ。ふん、もう用は済んだだろう。俺はこれから仕事だ。エラトマ様が来たら昨日の反省もしなければならん。じゃまだ、とっとと帰れ」
「分かりました。ありがとうございます。ピズマ兵長もあまり無理はなさらないように」
ラクリスは一礼してからきびすを返す。心なしか、兵士たちの視線が温かに感じた。
「まさか俺がピズマ兵長に褒められる日が来るとはな」
駐屯地を後にしながら、ラクリスは夢でも見ているような気持ちだった。
いつかは兵士として認められるのだと努力してきたが、それがかなうとは思っていなかった。死ぬまで無駄な努力を強いられるのだと思い込んでいた。
しかし状況はアミュレット一つでがらりと変わった。ラクリス自身は何も変わっていないのに、周りの見る目がこうも変わるとは。
「マティナには感謝してもしきれないな」
マティナはただアミュレットを売っただけのつもりかも知れないが、それでラクリスの人生は大きく変わろうとしている。いわば恩人だ。
「そうだな。この恩を返すためにできる限りのことはしよう」
ラクリスは決意を新たにした。