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第3話

 翌朝、アルヒ島第二駐屯地の一角に五人の兵士が集められていた。

「お前達の今日の任務はとある魔術師の捕縛だ」

 横一列に並んだ兵士達を前にピズマ兵長が厳かに言い渡す。

 兵士達は直立不動で上官の話を傾聴している。その中にラクリスとアプロスの姿もある。

「この魔術師は《調教》(イグジメロノ)という特殊な中位魔術を使う。先日エラトマ様に聞いたところ、これは野生の獣を操る魔術らしい。捕縛対象はこの魔術を使って何度か強盗行為を働いている。絶対に捕らえなくてはならん」

 ラクリスは兵士たちが眉をひそめながらこちらを見ているのを感じた。魔術師相手の任務なのに何故ラクリスが、とでも言いたげな視線である。

 ラクリスも同感だ。まさか一昨日あのような失態を演じた自分が何故魔術師にぶつけられるのか、こちらが聞きたいくらいだ。寝不足を堪えながら説明がされるのを待つ。

「この悪党の住処が昨日、常備兵達による調査で明らかになった。東の街道をはずれたところにある洞窟の中だ。ここを叩く! 作戦メンバーのお前達五人を、俺が直々に指揮する。作戦の詳細は――」

 こういう場合は向こうに動きを悟られないよう、隠れながら敵拠点に近づくのが定石だが、相手は獣を従える魔術師だ。獣相手の隠密行動は相当難易度が高く、見つかりやすい。

 だから下手に隠れるくらいなら、堂々と姿をさらして仕掛ける。

 幸いにも敵の拠点は街道に比較的近い。兵士たちは荷車の護送を装って可能な限り近づき、敵の警戒心が緩んでいるところを強襲するというのがピズマ兵長の立てた作戦だった。

 ピズマ兵長は地図や地面に書いた図も使いながらブリーフィングを進めていく。

 ちなみにラクリスは悪目立ちを防ぐため荷車に身を隠す予定らしい。

「ラクリス、お前はおとりだ。お前ならば獣を片付けるのはたやすいだろう。つまり! 向こうにしてみればお前を真っ先に潰さなければならんわけだ。敵がお前を魔術で始末している隙に、俺たちが動く! どうだ! これならばお前も多少は役に立つはずだ!」

 お前のために考えてやったぞ、と言わんばかりのピズマ兵長だったが、この役割は非常に危険なものだ。

 例えば魔術師が加減なしで放つ《子守歌》を受ければ、ラクリスの眠りは一晩ではすまないだろう。何日もの間眠り続け衰弱死する可能性もある。

 そして本職の魔術師は《子守歌》とは比べものにならないくらい強力な魔術を使う。ラクリスは魔術師と戦うなら死を覚悟せねばならないのだ。

 正直なところ、ラクリスの気は進まなかった。

 兵士として働いている以上、命をかける覚悟はもちろんある。だが決死の覚悟となるとまた話は変わってくる。しかもたかだか一人の平凡な犯罪魔術師を相手にだ。

「気は進まない。だが臆するわけにもいかない、か」

 おそらく、これはピズマ兵長がラクリスに与えた最後のチャンスなのだろう。

 魔術の耐性がない。兵士の才能がない。それでも兵士としての立ち位置がほしければせめて気概を見せろ。ピズマ兵長は頑固で理不尽な発言が多いが慈悲も持ち合わせている。

 ならやるしかない。せいぜい派手に囮をやってやろうではないか。

 人選に疑問を抱いていた他のメンバー達もラクリスの役割を聞くとあっさり納得した。例外はアプロスだ。アプロスは作戦開始直前になってもラクリスを心配していた。

「ラクリス、これお前けっこー危ないんじゃ……」

「心配するなアプロス。何、強力な魔術なら発動前に攻撃が届く。速度重視の魔術なら即死はすまい。それよりお前の方が心配だ。このメンバーで一番平凡なのはお前だぞ」

「う、うるせぇ。俺だって着々と力をつけてるし……それにピズマ兵長がいるならそうそう負けはしないって……多分」

「お前達! 作戦を開始するぞ、荷車の前に集合しろ!」

「おし、行くか!」

「ああ、互いに武運を祈ろう」

 こうしてラクリス達は一台の荷車を馬に引かせて駐屯地を出発した。


ガタガタと揺れる荷車の中でラクリスは呼吸に集中する。巨体を折りたたみ、上から布をかぶせられた窮屈な状態だがかえって心が落ち着いた。

 ラクリスは呼吸を整えつつ、接敵時の対応を脳内で確認する。

 武器は短槍三本と剣が一振り。小剣や拳で獣を仕留めながら敵拠点へ向かう。前回の反省を生かし、短槍は魔術師に投擲するため温存して――。

 コンコンコンと荷車が三回ノックされる。目的地到着の合図だ。十秒後の号令とともに荷車を捨てて突撃を開始する。合図に乱れた呼吸のリズムを整えながら号令を待った。

「突撃開始ぃ!」

 ピズマ兵長の号令とともにラクリスは布を投げ捨てて荷車を飛び出した。暗い荷車から明るい外に出たことで目がチカチカする。街道の風景が太陽の光に白んでいる。

 ラクリスは素早く周囲を確認する。兵士達が槍を構えて走り出しているのが見えた。荷車の右手側にあるなだらかな山の方だ。魔術師はこの山の中腹にある洞窟に潜んでいる。兵士達に続いてラクリスも走り出す。ラクリスが最後だったがすぐに抜かして先頭に出る。

 全力で走れば他の兵士達よりずっと早く洞窟に着くがそれではチームを組んだ意味がない。他の兵士達とはぐれない程度のペースで山を駆け上がる。

「脚は強く、靴は軽く、されば十里を踏破せん! 《速駆け》(トレケイン)!」

 兵士達の一人が魔術を発動すると他の兵士たちの行軍の速度が上がった。本来なら詠唱通り十里を全力疾走で駆け抜けられるようになる魔術だが、術者が凡庸なので速度を一、二割あげる程度にとどまる。

 それでも行軍の負担は減り、力を温存できる。《速駆け》はこの作戦の要の一つだ。

 ラクリスは兵士達に合わせてペースを上げようとしたが、すぐ近くの木立から遠吠えが鳴り響いた。狼のものだ。次いで、タッタッタと山を軽やかに駆ける足音が続く。

「やはり来たか! ラクリス、お前の仕事だ、蹴散らせ!」

「了解!」

 腰に差した剣を逆手に抜き放つ。なかなかの刃渡りだがラクリスが握ると包丁のよう。

 剣を胸の前で構えながら一歩大きく前に出ると正面に数匹の狼が現れた。狼たちはラクリスの体を見ても怯むことなく襲いかかってくる。

「自分より大きな相手にためらいもなし……やはり《調教》の魔術か!」

 右太ももに飛びかかってきたのを思い切り蹴りつける。蹴られた狼は体を不自然にねじれさせ吹き飛んでいく。落下地点は分からないが生きてはいまい。

 ラクリスが脚を上げたのを見て、一匹が股間、もう一匹が軸足を狙ってくる。ラクリスは剣を逆手に振り下ろし股下の狼の頭部を串刺しにする。足下のは左手にまとめて握り込んだ三本の槍の石突きで小突いてから踏み潰した。

 瞬く間に三匹を殺したラクリスに、もう手加減無用と残った狼全てが飛びかかってくる。

 剣と槍、それと全身を武器にして狼を撃墜するも対応が間に合わず、左腕に一匹が噛みついた。ラクリスの太い腕に牙が食い込み、幾筋かの血が流れた。だが、

「……浅い!」

 噛みつかれる前に腕の筋肉に力を入れていたため、狼もすぐには顎を閉じられない。その隙に剣で首をはねる。ばっさりと切り離された胴体がきりもみに回りながら宙を舞った。

「これでひとまず全部か!?」

 乱暴に左腕を振るって狼の生首を振り落とす。後ろを振り返るとピズマ兵長が追いついていた。槍の穂先が汚れているのはラクリスのうち漏らしを始末していたからだろう。その他の兵士は少し遅れているようだ。

「足を止めるなラクリス、それともっと派手にやれ! ……おいアプロスこのノロマが! ニコスの魔術が効いているだろう、もっと死に物狂いで走れ! 他の連中もだ!」

「ひぃー、り、了解っす!」

 アプロスは大分余裕を失っていたが遅れていた分戦闘の消耗はないはずだ。ラクリスはそれだけ確認すると再び走り出す。

 狼たちはラクリスを攻撃する前に遠吠えをした。つまり仲間を呼んだのだ。遠吠えと血のにおいを目印にすぐにでも他の獣たちが集まってくるはずだ。

「洞窟まではあと少しか、行くぞ!」

 獣たちの数は多かった。最初に出会った狼を含めれば二十に届くかもしれない。ラクリスはそのほとんどを仕留めた。

 生臭い返り血にまみれ、ラクリスは自分が興奮しているのを自覚していた。

 楽しかった。屈強な兵士でも恐れる狼や猪の群れ。それらを天性の巨体をもって蹂躙するのは今まで経験したことのない圧倒的な快感だった。

 《調教》の魔術がかかっていなければ獣たちもラクリスに気付いた時点で逃げ出していただろう。だが魔術で操られた畜生達は勝てもしない相手の前に現れ、当然のように死ぬ。

 どうして自分は魔術が当たり前になった時代に生まれてしまったのか。魔術さえなければ誰も自分にかなわない。きっと五十年前でも人々に恐れられるのは同じだろう。だが恐怖と同じくらい尊敬もされただろう。都にまで名のとどろく英雄として。

 ラクリスは頭を振った。

「馬鹿か俺は……そんなたらればの話に何の意味がある」

 獣たちの防衛線を突破した先には魔術師が待ち構えている。別に希代の天才魔術師というわけでもない、アルヒ島のような僻地でけちくさく強盗を働く悪党だ。それを相手にラクリスは味方を守る使い捨ての盾となるのだ。それが今のラクリスだった。

「……あれか」

 ついに目的の洞窟を見つけた。倒木や枯れ枝に隠れているが、たしかにぽっかりと人の通れる穴が開いている。入り口は小さくラクリスが入るのは難しそうだが、洞窟の入り口はこれ一つだという。魔術師が中にいるのならいずれ出てくるだろう。

「そこか!」

「お前達、配置につけ! 絶対に逃がすなよ!」

 ピズマ兵長たちも追いつき、息を整えながら入り口を取り囲む。洞窟周辺に新しい人の足跡はない。まだ中にいるか、あるいは今日はここにいないのか。

「ピズマ兵長ー、ほんとにこの中にいるんすか?」

「万が一もぬけのからでも奴の奪った盗品は取り返せるし、新たな手がかりも見つかるだろう、どっちに転んでも損はない! それに獣をあそこまで使い捨てたのだ、いないなどありえん。確実にいる!」

 その時、兵士たちは洞窟の奥から鳴り響く低いうなり声を聞いた。

「狼ではない、これは……どうします、突入しますか? あまり相手に時間を与えるのも」

「バカモン、数を生かせない狭所に入るわけがなかろう。しかも一名減るしな。さらに罠でも仕掛けてあれば終わりだ。何、最悪入り口を埋めてしまえばいい。待つぞ」

 結果として兵士たちはあまり待たなかった。ほどなく洞窟から二つの影が現れたからだ。

 影の片方はローブ姿の男だった。男は腹立たしげに兵士たちを一瞥する。

「六人か……一人も死んでないとはな。結局、巨人は私がやらねばならないか」

 男は武器こそ持っていないが、ローブの下に胸当てとすね当てを装備している。抵抗の意思は明らかだ。現れた魔術師を前に、ピズマ兵長は声を張り上げる。

「お前が獣を操り強盗を働いていたのはとうに調べがついている! おとなしく降伏しろ! さもなくば殺害も辞さない!」

「ふっ、降伏だと? 六人相手は面倒だが、魔術を修めた私が負けるはずがない。私は君たちには従わない。私は強く、君たちは弱い。強い者が君たち弱者から奪って何が悪い?」

「理屈は牢に入ってから並べるがいい! 第二駐屯地の管轄で悪事が働けると思うなよ!」

「やれやれ……これだから兵士は嫌いなんだ。野蛮で盲目的で愚か。君たちに見せてあげよう、私の十八番《調教》の真髄を」

 魔術師が芝居がかった仕草で指を鳴らすと、洞窟の影からそれが現れる。黒茶色の剛毛に覆われたずんぐりとした体から伸びる四本の脚――

「熊か……!」

 魔術師が呼び出したのは、大人が小さく見えるくらいの大きな熊だった。アルヒ島で最も危険な獣の登場に兵士たちが浮き足立つ。

「うっそだろ、よりにもよって熊かよ。熊にはトラウマが……ら、ラクリスぅ」

「すまんな、今回はあの時みたいに助けてはやれん! 何とかしろ!」

「熊相手なら隊列その3だ、構えろ……総員戦闘開始!」

「セイッ!」

 号令と同時にラクリスは魔術師に短槍を投擲する。手加減抜き、渾身の一投だ。

「何!? なんて威力だ!」

 警戒されていた攻撃は回避されてしまうが、すぐそばの地面に深々と刺さった短槍は魔術師の度肝を抜いた。

 ラクリスは舌打ちする。当たっていれば、敵の防具も貫通し一撃で終わっていただろうがそう上手くはいかないようだ。

 だが、この攻撃は相手にラクリスの脅威を認識させるための布石でもある。

「ラクリス! 熊をやれ!」

「了解!」

 ラクリスは剣を振りかぶり熊へと斬りかかる。熊の方もラクリスに向かって突進する。

 確かに熊は侮れないが、この熊はラクリス並に大きいわけではない。倒すのにそう時間はかからないはずだ。だがもちろん魔術師も指をくわえて見てはいない。

「巨人が魔術に弱いのは調査済みだ、やらせん! 命は世界――」

「魔術を使う気だ、この隙を逃すな!」

 魔術師の判断は素早かったが、ラクリスを狙うのは作戦立案の時点で想定済みだ。ここぞとばかりに兵士たちが肉薄する。魔術師はこのままでは自分がやられるとみて一旦詠唱を中断して後ろに下がった。

 そのためラクリスの攻撃が間に合う。剣を選んだのは範囲の広い攻撃で確実に当てるためだ。熊は二本脚で立ち上がり爪を振り上げている。爪がラクリスの胸まで届きそうなのは流石に熊といったところだが、この体勢は攻撃を当ててくれと言っているようなもの。

だから剣が外れるとは思ってもみなかった。

「……な、に?」

 ラクリスは目で見たものが信じられなかった。ラクリスの剣が熊に届くか否かという刹那、熊がいきなり地面に這いつくばり回避したのだ。

 一瞬意識が真っ白になったが、すぐに剣を切り返す。これも外れる。

「な、何が起きている……?」

 ラクリスは剣にこだわらず拳も振るうが、何をやっても当たらない。

 熊はラクリスが攻撃してくるのを見るとふらりと身をかわしてしまう。体の軸を居着かせないその動きはまるで熟練の兵士のようだ。間違っても野生生物のものではない。

 常識外の熊の動きにラクリスが止まる。そこへ追い打ちをかけるように魔術が紡がれた。

「命は世界なり。肉体は大地なり。血潮は大海なり――」

「魔術だと!?」

 ラクリスはこの魔術が自分を狙ったものだと直感した。魔術を引き受けるのは予定通りだが、兵士五人に囲まれた魔術師がラクリスを攻撃する余裕があるとは思えない。

「兵長達は……」

 見回すと、兵士たちが狼と戦っているのが見えた。

「狼などさっきまではいなかったぞ……魔術で隠していたのか!?」

 新たに現れた狼は二頭だけだったが、魔術師をかばうことに専念している。狼を兵士たちへの盾にしながら、後方で魔術師は悠々と詠唱を続けている。

「――精神は大空なり。そして魂は輝き、即ち太陽なり――」

「うろたえるな! ニコス、クレオン、ペトルスは魔術師を牽制! その隙にアプロスはそっちの狼をやれ!」

「うぉおおおおお! ラクリスはやらせねぇ!」

 熟練のピズマ兵長と決死のアプロスが狼を仕留めるが、すでに手遅れだった。

 魔術が結実する。

「――かの世界より輝きを速やかに運び去れ、《告死》(タナトス)」

「……あ?」

 途端、ラクリスに激痛が走る。心臓が締め付けられるような感覚。思わず左胸を押さえると、そこには鼓動が止まっているという厳然たる事実があった。急速に遠ざかる意識。アプロスが何か叫んでいるようだが何も聞こえない。そういえば声も出せない……というより呼吸が出来ないのか。

 今、体をむしばむ呪いは今まで受けてきた魔術の中でも最上級に凶悪なものだとラクリスは遅まきながら理解した。

 ああ、これは致命的だ。

 その思考を最後に、ラクリスの世界から光が失われた。

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