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第1話

その日のアルヒ島の空は雲一つなく、水平線の果てまで澄み渡っていた。暖かくも優しい陽光が降り注ぎ、それはアルヒ島第二駐屯地も例外ではなかった。

 駐屯地を守る兵士が欠伸をかみ殺すような空の下で、ラクリスは正座をさせられていた。

「なぁ、俺が何を言いたいのか分かるか?」

 と、渋面でラクリスを問い詰めるのはピズマである。ピズマは壮年の男で、胸当てに腰帯、サンダルという模範的な兵士の出で立ちだ。実際ピズマは兵士歴二十年のベテランで、アルヒ島に四人しかいない兵長の一人だった。

 兵長は兵士の取りまとめ役だ。その職務は多岐にわたるが、現在は「へまをした部下の叱責」を誠心誠意遂行している最中だ。

「ラクリスよぉ、そもそも昨日の晩のことは覚えてんのか、ん?」

 ピズマ兵長は正座をしているラクリスを見上げながら言った。

「申し訳ありません。あまり覚えておらんのです。染物屋から出てきた盗賊を追いかけていたところまでは記憶しているのですが……」

 ラクリスは身を縮こまらせながらピズマ兵長を見下ろした。

 ラクリスは巨漢だった。それも常識外の。どのくらい大きいかというと、直立しているピズマ兵長より正座をしているラクリスの方が目線が高いほど。

 それも痩せの長身ではなく、巌のような筋肉をまとう大男……いや、巨人だった。

 しかもラクリスは十七歳であり、その身長は未だに微増しているのだから驚くほかない。

 だが驚愕の巨人もピズマ兵長にはただの若造に過ぎないのか、嫌みったらしく

「そうかそうか、俺も詳しくは知らん。だがなぁ、お前の追ってた盗賊とやらは影も形もなく、一方お前は昨晩街道で高いびきかいて寝っ転がってんのを発見された。これで何があったかは十分分かるだろう、え?」

「そういえば……」

 言われてラクリスは自分が何をされたかを思い出す。盗賊の増援、あの小男が何かを唱えたところで意識が遠のき、そのまま倒れてしまったのだ。

「そうでした。俺は《子守歌》で眠らされて……」

「《子守歌》だとぉ!」

 ラクリスの言葉にピズマ兵長は大仰に驚いて見せた。

「《子守歌》と言えば確かに眠りの魔術だが、あんなの赤ん坊にしか効かん、文字通りの子守歌だろうが!! 魔術が苦手な俺にだって使える初歩も初歩の低位魔術だぞ!! なんでそんなもんで大の男がぶっ倒されるんだ!!」

「面目ありません」

 心底悔しそうにラクリスがこぼすが、ピズマ兵長はついに沸点を超えたのか

「バッッカモーーーーン!! なぁーにが面目ありませんだ! お前が二年兵役を終えてこの駐屯地に仕事をもらいに来てもう一年、その間ただの一度でもお前の面目が立ったことがあったか!? 今回みたいに低位魔術の一撃でやられることが今まで何度あった!? それで何度事態をややこしくした!? それで何度俺の顔を潰した!? 全く図体ばかりでかく役に立たん無能が……!」

 ピズマ兵長は止めどなく暴言を吐き出している。駐屯地の実質的ボスが激怒しているというのに、周囲の兵士たちは無視を決め込んでいる。慣れているのだ。しかし中には、

「またラクリスがやらかしたのか」

「全く勘弁しろよ……でかいだけの役立たずが」

「ほんとだよ、腕力だけがものを言う時代は終わったんだっつの」

 と冷笑混じりにさげすむ者もいる。

 当然ラクリスにも聞こえているが、兵士たちの侮辱は事実であるため返す言葉もない。

 魔術。己の魔力を代価に、様々な超常現象を引き起こす秘技。

 魔術の起源は古く、何百年も前から存在していたとされ、魔術師も然り。

 彼らにとって人を眠らせるなどというのは序の口だ。優れた魔術師は虚無より炎を顕し、獣を傀儡とし、万病を癒やす。超人と言うほかない。

 これほどまでの力、戦場で振るえばさぞ活躍しただろうが、あいにくと魔術師は非常に数が少なく戦争の表舞台に出てくることはまれだった。

 だから兵士たちは魔術などを気にかける必要はなく、ただ槍を振るうことにだけ専心すればよい……というのが、二十年ほど前の常識である。

「だが世界は、戦いは変わった! もう俺たちは一人の例外もなく魔術と向き合っていかねばならんと言うのに、全くお前は若い癖に頭の固い……!」

「ピズマ兵長、よろしいかな」

 怒鳴り続けるピズマ兵長の背後から穏やかな声が投げかけられる。

「え、エラトマ様……」

 ピズマ兵長は即座に説教を中断して振り返る。

 声の主は白ひげ面の老人だ。だぼついた大仰なローブから細い手足を覗かせている。

 エラトマはアルヒ島の執政官の一人だが、今日この駐屯地に来ているのは執政官としてではなかった。

 エラトマはひげをさすりながら、

「いや失礼、少々指導が脱線しているように思われた故つい口出しさせてもらったのです。まず事の発端を思い出そうではありませんか。なぜあなたはそこの大きな若者を叱っておられるのです?」

 兵士たちの間では恐れられるピズマ兵長も、何回りも年上のエラトマ相手には頭が上がらない。少しばつが悪そうにしながら

「ええとですな、ラクリスの野郎が《子守歌》を食らって賊を取り逃がしたもので。《子守歌》程度でのされてしまうなど全く気合いが足りん、けしからんと言う話をですな……」

「それは誤解ですぞピズマ兵長。魔術師である私が断言します。魔術は気合いで防げるものではありません。毎月の魔術教練で何度も申し上げているでしょう」

「そう言われましても。私が《子守歌》を受けたときはこう……ふんっ、と気合いを入れれば眠気が消えるのです。私にできてラクリスにできんというのは」

「ですから魔術の耐性というものは生まれつきなのです。この前も言いましたが、そこのラクリス君は魔力が非常に少なく、魔術の耐性に至っては皆無。彼はこの先どんなに努力をしても魔術が使えるようにはならない。また《子守歌》すら防御できるようにならないでしょう。ピズマ兵長、あなたは翼を持たぬものに空を飛べと言うのですか」

「ですが兵士は「空を飛ぶ」のが仕事です。それが出来ん奴に日当は出せません」

「別に人と戦うばかりが兵士の務めではないでしょう。害獣の退治や駐屯地の整備、ラクリス君にもできることは必ずあるはず。若者はとかく失敗をするもの、ピズマ兵長も今回のことは大目に見て次からは彼に合った仕事を回すよう心がけてみてはいかがかな。幸いラクリス君にはこの大きな体があります。うまく使えば日当以上の働きはするはずですぞ」

「これでも配慮はしているのですが、まぁいいでしょう。分かりました、エラトマ様がそう言うのであれば。……おい、ラクリス! もう正座はいい、とっとと持ち場に戻れ! それと、次やらかしたらこの程度じゃすまないと思え!」


 説教から解放されたラクリスは長時間の正座で痺れた足をもつれさせながら立ち上がった。一歩一歩、確かめるように歩き始めたラクリスに陽気な声がかけられる。

「ははっ、災難だったなラクリス」

「アプロスか」

 ラクリスは顔をほころばせて足下を見やると、くせ毛の青年兵士がラクリスを見上げていた。胸当て、腰帯、サンダルの三点セットは周囲の兵士と同じだがその細部の意匠は今年の流行を取り入れた最先端だ。

 このよく言えば陽気、悪く言えば軽薄な男はラクリス唯一の友人だった。

「全くピズマ兵長も学習しないなぁ、ラクリスが魔術方面からっきしって知ってるのにさぁ、説教とか時間の無駄じゃん?」

「いやアプロス、耐性云々はともかく俺が下手を打ったのは事実だ。手元に槍を残しておけば魔術の詠唱中に賊を倒せたはずだ」

「え、《子守歌》の詠唱って秒じゃね」

「槍を投げるのも秒だ」

「あー、ラクリスの槍なら一撃かぁ。でもさ、よく普通の槍なんか使うよな、ラクリスにとっちゃ小さすぎるんじゃないの」

「槍は消耗品だからな。それに、俺はどうせ飛び道具としてしか使わんのだ、簡単に手に入るものの方がいい」

 二人はとりとめの無い会話をしながら駐屯地の外壁まで移動する。石造りの壁だが、古くなっているせいかずいぶんとひびが目立つ。壁を前にアプロスはうんざりした様子で、

「まーた壁の点検かよぉ」

「すまんな、俺に付き合わされているばかりに」

 ラクリスは巨体のため、駐屯地の建物や天幕には入れない。加えて指先が大きすぎるため繊細な作業もできない。自然と仕事が限られ、掃除や荷運びなど似たような仕事ばかりしていた。ラクリスと組むことの多いアプロスはその巻き添えを食う形になっていたが、

「いいっていいって。友達だろ、それより早く持ち上げてくれよ」

「ああ」

 ラクリスが両手を地面に近づけると、アプロスは慣れた様子でラクリスの手に飛び乗る。ラクリスがぐいっと手を持ち上げるとアプロスの体はあっという間に外壁の上までたどり着く。もともと外壁はラクリスの身長程度しか無い。こうすればはしごを使わなくても上り下りができるというわけだ。

「便利なのになぁ」

「……まぁ、はしごを使っても大して作業の速度は変わらないからな」

 外壁は駐屯地をぐるりと囲んでいる。そのすべてを点検するとなれば本来は二日仕事だ。だが幸か不幸か、二人は壁点検をさせられすぎ、異常に点検速度が速くなっていた。

 もともと彼らの住むアルヒ島は時折行方不明事件が起きることを除けば平和な島だ。駐屯地が襲撃されるなどと言うことはなく、石壁も老朽化しているというだけで大きく崩れている箇所も見つからない。

 日暮れ前には点検を終え、ピズマ兵長へ報告する。丁度終業時間なので日当も受け取る。

「今日の手当だ、受け取れ」

「どもっす」

「確かに」

「二人とも分かっているな? お前達の代わりはいくらでもいるんだ、これからも兵士で食っていきたければもっと仕事ができるようになれよ?」

 渋々といった表情で硬貨を手渡すピズマ兵長とは違い、ラクリスとアプロスは日雇い兵士だった。

 アルヒ島には常備兵はごくわずかしかいないが、その代わり男子すべてが「二年兵役」と呼ばれる訓練を受けている。有事の際にはもちろん全員が兵士として戦うことになるが、平時においても兵士の任務に参加する一般人がいる。彼らは日雇い兵士と呼ばれ、文字通り日雇い、または月極で兵士として雇われ、常備兵だけでは手が回らない職務を遂行する。

 時には盗賊退治など危険な職務もあるものの、「二年兵役」を終えた男なら誰でもできる仕事なので決して人気は低くない。

「お前達を雇っているのは単に人員の入れ替わりが激しいと面倒が生じるという、それだけの理由であることを忘れるな」


 二人が駐屯地を後にした時、まだ日は沈んでいなかった。日雇い兵士は昼番と夜番の都合のいい方で働くが、昼番であればたいてい明るいうちに帰宅できる。

「ラクリスはこの後どうすんの? 酒場にでも行く?」

 アプロスは何気なく尋ねたが、

「行っても女将さんを怖がらせるだけだ」

 というラクリスの返答を聞くと居心地が悪そうにした。

「ラクリスは怖いやつじゃねぇ、って何度も言ってるんだけどなぁ」

「……アプロス、何度も言うが。俺を怖がらないのは魔術を使える人間だけだ。魔術教練が盛んになった今でも魔術を使える人間と使えない人間は半々程度。俺が恐れられるのは仕方が無いことだ。それに、全くの偏見というわけでも無い」

「それってあれか、昔はやんちゃでしたってあの話か? ゆーてお前その時何歳よ?」

「年は関係ない。今のこの状況は俺の自業自得だ」

「でもよぉ」

 その後もアプロスは熱心にラクリスを遊びに誘うが、ラクリスもかたくなに断り続ける。

 押し問答の末に根負けしたのはアプロスの方だった。

「分かったよラクリス。でもまた誘うからな」


 アプロスと別れたラクリスは家に帰る前に市場へ寄ろうと大通りを歩く。両脇に立ち並ぶのは自由市民の住宅だ。日干しレンガを積み上げて建てられたものだが、外壁に石灰が塗られているため雲のように白い。

 大通りには商店もある。色鮮やかな天幕を掲げた屋台がそれだ。本来商売は市場でやるものだから規模は小さいものの、日用品程度ならそろっている。ちょうどラクリスが通り過ぎた商店にはみずみずしい野菜が並べられていた。よい品に思えたが、あいにくラクリスはここで買い物をするつもりは無い。

「トラブルの元だからな」

 大通りの商店は無視して歩き続ける。その間、ラクリスはちょっとした罪悪感に苛まれていた。アプロスの誘いを断ったのを気に病んでいるのだ。

「悪いことをしたか。俺のためを思っての誘いだっただろうに」

 わざわざ気に病む必要などないと分かってはいた。アプロスはラクリスを友人だと認めている。なぜラクリスを酒場に誘うのか、なぜラクリスの風評を弱めようとするのか、それはただただ「友達だから」の一言で片付くことに過ぎず、誘い断られたからと言って気を悪くはしないはずだ。

 だが体の大きさゆえ恐れられてきたラクリスにとって友人はアプロスただ一人。そのたった一人の友人の誘いをむげにしたとなればいたたまれない気持ちにもなる。

 罪悪感。そう、罪悪感。ラクリスの人生は常に罪悪感とともにあった。

 例えば、この時間の大通りは少なからぬ人で賑わっている。客を呼び込もうと声を張り上げる商人や、きゃーきゃーと笑いながら裸足で駆け回る子供、その子供を遠目に見守りながら楽しげに話し込む女達。

 だがラクリスの巨体が近づいてくるのを認めると彼らはそろって押し黙る。息を潜め、動かないように、目立たないように、できる限り背景に同化しようと努めるのだ。まるでラクリスに目をつけられまいとするかのように。

 無理もない、とラクリスは思う。ラクリスはアルヒ島で最も体の大きい生き物だ。魔の森にすむ猪や熊よりも大きい。この大通りの住宅群の屋根よりも背が高い。そんなバケモノをどうして恐れられずにいられよう? そう思えば怒りもわかない。

 むしろ申し訳なくなってくるくらいだ。自分のような怪物が大通りを歩いて、皆を怖がらせて申し訳ない。だが大通り以外を歩けば強盗に間違われてしまう。

 だからラクリスは大通りを歩く時は空を見上げているふりをする。そうすれば市民と目を合わせることはない。足下に注意する必要はあるが、他人を必要以上に怖がらせることはなくなる。だからといって罪悪感が消えることはないのだが。

 「皆を怖がらせて申し訳ない」。ラクリスはその罪悪感と共に生きてきた。ラクリスの抱える罪悪感は他にも無数にあるが、最も大きなものがこれだろう。

 以前それをアプロスに話したら、

「それラクリスのせいじゃなくね? 生まれつき体がでかいのはどーにもならないじゃん」

と返ってきたが、そうではない。かつては市民達もラクリスを受け入れようと手を差し伸べてくれていた。だがラクリスはその手を払った。だから現状がある。つまり、自業自得。 少なくともラクリスはそう思っていた。

「着いたか」

 ラクリスは常人の倍の大きさだ。歩幅も倍、歩く速さも倍。駐屯地から市場まではあっという間だ。気付けばラクリスの眼下には市場が広がっていた。

 この港市はアルヒ島で最大の市場だ。大通りで見かけたような商店の屋台がびっしりと並び、活気に満ちあふれている。港市と言うからには港に隣接しており、船から下ろした積み荷はすぐさま開封され市場に並べられる。

 ラクリスは基本的にこの市場でしか買い物をしないと決めていた。理由はいくつかある。単純に敷地が大きく、ラクリスが歩けるだけのスペースがあること。品揃えが豊富で必要なものをすべてそろえられること。だが最も大きな理由は港市の空気だった。

 港市の客層はどちらかというと玄人、つまり商売人が多かった。商売人は時に客を選ばないもの。一般的な市民に比べればラクリスにあからさまに怯える人間は少ない。それ故、店をやっている方もラクリスにちゃんと物を売ってくれる。

 ラクリスは適当な店に当たりをつけ、しゃがんで商品を見る。

「その干物をくれ」

「……4ラクミーだ」

「相場は知っている。他の店だと……」

「悪かったよ、本当は2ラクミーだ。その代わり金を出したらとっととあっちへ行け、デカすぎるんだよ。お前が店の前にいると他の客が商品を見れないだろうが」

  その後、ラクリスはいくつかの店を回り、腰帯にくくりつけた袋の中へと商品をしまっていく。ラクリスは一般的な成人男性の三倍は食べるため、袋は食べ物で膨れ上がった。

「日用品の類いはこれで十分だ」

 次にラクリスが向かったのは港市の端、専門的な品物を扱う商店が集まった区画だ。その分客はまばらで、ラクリスの気も楽だ。

 迷うことなく目的の店にたどり着く。歯の抜けた老婆が店主の小さな露店だ。老婆はラクリスに気付くとニタァといやらしく笑った。

「よく来たねぇ、アタシの財布」

「しばらくぶりだな、店主。いい品は入っているか」

「イイーヒッヒッヒ! さてね。それより今日もちゃんと金を落とすんだろうね?」

「それは品揃え次第だな」

 ラクリスは店の前に座り込んだ。顔には今日一番の笑みが浮かんでいる。大通りの市民が見たら気絶しかねないような表情だ。

 客を迎え、老婆もニタニタと笑いながら言った。

「ようこそ、アタシの魔導具屋へ」

 魔導具とは端的に言うと「魔術に使う道具」である。魔導具屋は魔導具を売る店だ。

 商品の魔導具を真剣に眺めるラクリスに老婆は懐かしむように言う。

「アタシが師匠に師事していた頃はねぇ、魔術ってのは本当に限られた才能ある人間だけのものだった」

 店の常連であるラクリスはこの話を幾度となく聞かされていたが、昔話をしている老婆は機嫌がいいので黙って聞き流すことにしている。

「才能のないやつに魔術を教えても時間の無駄だろう? それに魔術のありがたみが薄れるしね。人が一万人集まって、その中に魔術師は二、三人いればいい方さ。だから魔導具屋なんて商売あの頃はなかったんだ。魔導具を使うのは魔術師だけ、そして魔導具なんてのは自分の弟子に作らせるものだったんだからねぇ」

 そこで急に老婆はしかめ面になった。ラクリスはこの顔も見慣れている。

「都のお偉いさんが「魔術学校」とやらを建ててから何もかも変わっちまった」

 老婆が言っているのはメソン大陸にある「メソン魔術学校」のことだ。

 魔術の力は絶大だ。軍事、医療、建築、農業、工業など様々な分野に活用できる可能性を秘めている。

 ならば魔術師の数こそ国の力、国家の総力を挙げて魔術師の育成に取り組むべき。

 当然の論理だが、これが実際に行われはじめたのはほんの三十年前からだ。魔術師は何百年も前からいたにもかかわらず。

「「わずかでも魔力がある人間なら誰でも魔術を学べる学校を作る」。その話を聞いた時はできるわけがないと思ってたさ。魔術師ってのは誰も彼も自分のことしか考えてなかったからね。弟子をとるのは助手にするため、それ以外に魔術を教える理由なんかなかった」

 つまりは教師となる魔術師を確保できなかったのだ。魔術学校を作ろうという試みはこの数百年の間に数え切れないほどあっただろう。だが魔術師の利己主義は長年変わることなく、魔術学校の創設計画は頓挫し続けてきた。

「けど気がつけばほんとうに魔術の学校ができてた。アタシ達からすればお遊びみたいなことしか教えてなかったけれど、それでも魔術を教えてた。それで二十年くらい前から三流魔術師がうじゃらうじゃらと増え始め、気付けばもう魔術なんてのは珍しいものでも何でもなくなってた……近頃じゃ「二年兵役」でも魔術を教えるんだって? あーあー、いやになるねぇ、ゴミみたいな魔術師が一人前の顔して。まぁでもいいさ。そのおかげでアンタみたいなカモをからかって遊べる。ええ? そうだろ、魔術の才能も耐性もゼロな癖に魔導具買いに来てる巨人さんよ?」

「余計なお世話だ」

 ラクリスは老婆をにらみつける。

「魔導具は魔術師のためのもの。そんなことは分かっている。だが中には非魔術師でも使える魔導具がなくもないだろう。それを上手く使えれば……」

「耐性がなくて失敗続きの俺の人生変わるかもって? 健気だねぇ」

 ラクリスはぐうの音も出ない。全く老婆の言うとおりだった。今日この店を訪れようと思ったのも、昨晩の《子守歌》昏睡事件が原因である。

「で? そろそろ決めなよ、何買うか」

「待て、まだ見ている途中だ。……これは何だ?」

「魔導松明だね。持っているだけで辺りを照らせる」

「おおっ、光ったな。悪くない……何? 一瞬で消えたぞ」

「そりゃアンタの魔力がカスだからね」

「ぬぅ……ではこれは?」

 こうしてラクリスはいくつか気になった魔導具について老婆に説明を求めていくが、

「……残念だが今日はいい品がなさそうだ。帰らせてもらう」

「は? ふざけんじゃないよ、いい品がなかろうが何だろうが金をお出しよ!」

「滅茶苦茶ではないか。また来るからその時まで待て」

「アンタこの前もそう言ったの忘れたかい? 約束を破る悪い子には罰がいるねぇ……」

 危険を感じ取ったラクリスは立ち上がって走り去ろうとするが老婆の方が早い。

「薪の上に安らぎはなし、炎は心を侵すものなり、《悪夢》(エフィアルテス)!」

「グッ!? ま、魔術を……!」

 体に魔術をかけられた時特有の不快感が生じる。それ以外の不調はないが、何かしらの呪いが植え付けられたのは明らかだった。

「ハン、うろたえるんじゃないよ。アタシが金づるを呪殺するわけないだろう? 今アンタにかけた呪いは一晩寝ればきれいさっぱり消えてなくなるよ。その代わり、夢見は最悪だろうがねぇ! イイーヒッヒッヒ!」

 老婆は溜飲が下がったとでも言いたげに笑った。

「明日の朝に後悔するといいさ、アタシの店を冷やかしたことをねぇ! そら、とっととオウチへ帰りな坊や、ペッペッ!」


「ぐっ……店主め、やってくれる」

 ラクリスは冷や汗を拭って老婆の店を後にする。肝が冷えた、というのが正直な思いだ。

 魔術の耐性がない、というのは魔術が効きすぎると言うことだ。他の人間にはたいした害を及ぼさない魔術だったとしても、《子守歌》で昏倒するラクリスにとっては命に関わることもある。

 無論それを知らぬ老婆ではない。手加減は完璧のはずだ。しかし怖いものは怖い。

「腹いせで命を脅かされてはたまったものではない」

 口では怒りを表明しつつも、内心では惨めな気持ちになった。なぜなら、これだけのことをされてもラクリスはまた老婆の店へ行くつもりだからだ。

「アルヒ島で多少でも信用のおける魔導具屋はあれだけだからな……」

 先天的な魔術の才能に恵まれないラクリスにとって、魔導具は唯一の希望なのだ。だから老婆の店には行かざるを得ない。

「足下を見られているのは分かっているが」

 ラクリスはため息をつき、魔術弱者のつらい現実から逃げるように港市を出た。


 港市から自宅までは見慣れた道のりだ。だがその道に今日は変化があった。

「珍しいことだ、あそこで商う商人がいるとは。……一週間前は見なかった店だな」

 ただ地面に布を広げ、その上に商品を並べただけの簡素な露店だ。店主は疲れ切っているのか呼び込みもせずじっと商品のそばに座り込んでいる。着込んでいるローブがボロボロなところを見ると相当困窮しているようだ。

 気になるが、ラクリスがあの手の商店で買い物をするとろくなことがない。視線を逸らし通り過ぎようとしたが、布の上に並べられている商品が目にとまった。

 商品は奇妙な形をした金属片だった。装飾品の類いだろうか。だとすればラクリスには必要ないものだが、ある可能性に思い当たる。

「まさか、アミュレットか?」

 ラクリスのつぶやきに店主がビクリと顔を上げる。フード付きのローブのせいで表情は見えないが、どうやら間違いないようだ。

 アミュレットは魔導具の一種である。魔除けとも呼ばれるこの魔導具は実際のところ、実用性は皆無だ。身につけているだけで何かしらの魔術的な効果が得られるという品なのだが、その効果が弱すぎるのである。

 詐欺なのか、効果が弱すぎるのか判別も付かないアミュレットをラクリスは敬遠していたが、今日くらいは見ていってもいいかもしれない。

「だが……」

 ラクリスはアミュレットから店主へ目線を移す。店主は明らかに怯えていた。

 ラクリスを初めて見たような反応だ。となると恐怖もひとしおだろう。果たしてあそこまで怯えている店主と会話が成立するものだろうか。

 だが意を決してラクリスは店に寄っていくことにした。店主を怖がらせてしまうのは申し訳ないが、何か買って帰れば詫びくらいにはなるだろう。

「そこの店主、アミュレットを売っているのか」

 できる限り姿勢を低くしながら声をかける。しゃがんだことにより、店主の顔が見えるようになる。店主と目が合った瞬間、ラクリスは息をのんだ。

 青い、青い眼をした少女だった。

 空の青よりも、海の青よりも、なお青い瞳。青という言葉はこの少女の瞳を表すためだけにあるのだと、そう思えてしまうほどに純粋な青色だ。

 さらに目以外を見ても希有な容姿をしていた。あまり日に焼けていない白い肌、結い上げることなくただ束ねただけの亜麻色の髪、どちらもアルヒ島ではまず見ないものだ。

 ただ、そのほかの何と比べても青い目が特徴的だった。

 ラクリスはしばらく言葉もなく少女に心を奪われていたが、我に返ると慌てて謝罪する。

「すまん、ぶしつけだった」

 少女の目には恐怖と警戒心がありありと見える。逃げ出す様子はないが……いや、腰を抜かしているのかもしれない。それとも逃げ切れないと諦めているのか。

 少女が口を開く。悲鳴を上げられるか? ラクリスは思わず身構える。

 だが少女の第一声は悲鳴ではなかった。

「……お客様ですか?」

「あ、ああ……もしよければ品物を見せてもらいたい」

 この状況で客扱いされると思わなかったラクリスは内心動揺していたが、本当に度肝を抜かれるのはここからだった。

「これはこれは失礼しました」

 少女がこほんと咳払いをする。そしてしゃべりはじめた。

「ようこそいらっしゃいました私はアミュレット職人のマティナといいますメソン魔術学校魔導具学科を去年卒業したばかりの新米ですが何卒よろしくお願いしますねところでお客様はアミュレットに対してどのような印象をお持ちですか値段の割には役に立たない装飾品?魔術師が小遣い稼ぎに作る詐欺商品?そう思われるのも無理はありません実際巷に流通しているアミュレットの大半は魔術的に見て全く効果がないものですしかしながらどうか先入観をもたず私のアミュレットをご覧になってくださいなきっとアミュレットに対する印象を変えて見せますからさてさて最初にお見せしますのは――」

 そしてバタンと倒れた。

「ど、どうした!?」

 ラクリスは何もしていない。少女――マティナがいきなりうつ伏せに倒れたのだ。そのままぴくりともしない。

 尋常ではない自体にラクリスは

「返事をしろ! 何かの病気か!? 今医者を……!」

 大いにうろたえながらマティナの体を仰向けにする。呼吸はあるものの反応は弱々しい。薄く開いたまぶたから焦点の合わない青い瞳がのぞいている。

 必死の呼びかけの成果か、マティナは意識を取り戻しラクリスの方を向く。

 そして最後の力を振り絞りながら言った。

「ああ――飢え死にするんだ、私」

 ぐぎゅるるるるー、と間抜けな音が鳴り響くのをラクリスは呆然として聞いていた。


 つまり空腹で倒れたということらしい。

「全く人騒がせな……」

 面倒ごとに巻き込まれたな、と後悔半分でラクリスは近くの酒場へ向かう。

 右腕でマティナを抱え、左手にマティナの荷物を載せながら、である。通行人の目線が突き刺さる。それは普段の恐怖の眼差しだけでなく、変質者に向ける冷たい眼差しだった。

 ああ、ついにあのデカブツがやったか。女の子をさらうなんて、結局そういう怪物だったんだ。だからもっと早くに追放しておくべきだったんだ。

 と、彼らの気持ちをまとめるならこんな調子だろう。

 分かりきっていた結果だが、あのままマティナを放置してもそれはそれで後々通報される。ラクリスは常に衆人の監視下にあるのだ。目立つ、とはそういうことだった。

 事ここに至ってラクリスに出来ることはせいぜい堂々とすること、最速でマティナを回復させ事情を説明してもらうことぐらいである。

 嫌な汗をかきながらようやく到着した酒場は、子供の頃何度か親に連れられて通ったことのある場所である。ここならば問答無用で追い出されることはないはずだ。

 屋外のテーブルにマティナを座らせて給仕に注文を伝える。入り口に陣取るのはある種営業妨害だが、店内に入れないのだから仕方ない。

 マティナは再び意識を失っていたが、料理が運ばれてくるとすぐさま目を覚まし、無言で食べ始めた。スプーンとフォークがかき消えて見えるほどの勢い、それでいながら丁寧な印象が醸し出されている食べ方がラクリスには不思議でならない。

「ありがとうございます」

 食器を空っぽにしたマティナはまっすぐにラクリスを見上げた。

「一週間何も食べていなかったんです」

 ラクリスの想像以上に、マティナは逼迫していたようだ。放置していれば死んでいたかもしれない。

「そ、そうか。苦労していたようだな……だがそれだけ絶食していたのにいきなり食べて問題なかったのか?」

「あ、お気遣いなく。胃は頑丈なんです。それより、助けていただいて本当にありがとうございました」

「気にするな。ただの保身だ」

 ああ、とマティナは得心したようにうなずく。それだけでラクリスの事情を察したようだ。ドライな反応だったが、安っぽい同情よりは好ましい。

 話題を変えるようにマティナが話を振ってくる。

「アルヒ島以外にもいくつか島を巡ってきましたがあなたほど大きな人はいませんでした」

 正直最初は怖かったです、と言うマティナは冷静すぎるほどだった。

「今は怖くないのか?」

「女一人で島を渡りながらアミュレットを行商するんですから、多少のことは怖くありません」

 そう言うとマティナは右手を掲げてラクリスに見せた。人差し指に指輪がはまっている。よく見れば印章をかねているようで裏返った紋章が刻まれている。

「メソン魔術学校は優れた生徒に印章の指輪を授けると言うが……これがそうなのか」

「魔導具学科ですから戦うことは苦手ですが、窮地をやり過ごす手はいくつかありますよ? 例えばですね……」

 マティナは微笑むと、旅の話をはじめた。

 十六歳の時に魔術学校を卒業したこと。学校を出た後はアミュレット職人になったこと。だが学校の周辺では売れなかったこと。アミュレットを売るために各地の島を巡って行商をしていること。行商を続けて一年、アルヒ島にたどり着いたもののお金がなくなり追い詰められていたこと。

 十七歳の少女にしてはアグレッシブすぎる経歴だ。聞けば盗賊に襲われたこともあるという。だが今まで無事だったと言うことは魔術師としての腕は確かなのだろう。指輪持ちは伊達ではないと言うことか。

 ただ、解せないこともある。

「どうして指輪持ちの魔術学校卒業生がアミュレット職人を? こう言っては何だが世間でのアミュレットの評判はひどいものだ。儲かるわけでも尊敬されるわけでもないだろう。進路はよりどりみどりだっただろうに、どうしてもっと他のよい道を選ばなかったのだ?」

 ラクリスが素朴な疑問をぶつけると、マティナは一瞬顔をゆがめたようにみえた。

 しかしすぐに微笑みを浮かべると、

「アミュレットは、世界なんですよ」

「……?」

「当然ですよね。身につけるだけで魔術の効果が得られる。それはアミュレット単体で魔術が完結すると言うことです。ただの石ころや金属片に、何度も何度も魔術を刻む。術式が輪になって閉じるように、それでいて着用者に干渉するように。それは世界のありようです。アミュレットは世界を作る芸術なんですよ」

「……????」

「美しいと思いませんか?」

「お、おう」

 魔導具にはそこそこ詳しいラクリスにとっても理解しがたい内容だったが、とりあえずうなずいておく。所詮ラクリスは非魔術師、魔術師の考えは理解できないのだ。

「とにかく趣味ということです。というわけで買っていきませんか? 食事のお礼です。値引きしますよ」

 マティナはいくつかの金属片や石片を取り出すとテーブルに並べた。アミュレットだ。

「さっきも思ったが……見たことのない形をしているな」

 取り出されたアミュレットの形状は当然、それぞれ異なっている。だが全体に共通する印章として「不格好」だった。

 細工が悪いのではない。むしろ繊細で丁寧なのだ。だが、そもそもの形状が美しくない。 概形が左右非対称だったり、彫刻の深さや細さの調子が一定でなかったり。そのため不格好なものを高度な技術を持って作ったかのような、そんなちぐはぐな印象を受ける。

 通常アミュレットには効果はほとんど期待されない。ちょっと割高な、おまけ付きのアクセサリーとして購入する人間が大半で、彼らが求めるのは造形の美しさだ。

「道理で行き倒れるはずだ、このデザインでは売れるはずがない」

 だがラクリスにとって魔導具のデザインは二の次だ。ラクリスが魔導具を集める理由は「何かに使えるのではないか」という期待を味わうためなのだから。

 ラクリスはアミュレットの一つを慎重につまみ上げ尋ねる。

「これはどんな効果がある?」

「《涼感》(ドゥロセロス)ですね。日が中天より西にある間、体温をわずかに下げます。右耳に引っかけてみてください」

 言われるがままラクリスはアミュレットをつけてみた。アミュレットが右耳に触れた途端、氷を飲み下したかのような涼感が体の芯から広がっていく。

 鮮烈すぎる感覚に思わずアミュレットを耳から離してしまう。すると涼感は嘘のように消え去った。

 劇的な効果を体感し放心するラクリスをマティナは微笑しながら見守っている。

 ラクリスはやっとの事で落ち着きを取り戻すとただ一言、

「素晴らしい」

 《涼感》は低位魔術の名前でもあり、魔術として使う場合は夏場や風邪の熱冷ましに用いられる。アミュレットに刻む魔術としては定番中の定番だが、実際に涼感を得られるアミュレットとなるとラクリスは一度も見たことがなかった。

「他のも試させてくれ」

 それからラクリスは並べられたアミュレットの効果をすべて試した。いずれも効果は劇的で感動的だった。

 ラクリスの魔術耐性の低さがアミュレットの効果を高めたのかもしれないが、それを差し引いても素晴らしい品であるのは間違いなかった。これの購入をためらう理由はない。

「いくらだ」

 一般的なアミュレットなら10ラクミーから手に入る。ここまで効果が高いなら倍くらいはするかもしれないが、幸いラクリスは先週一週間分の給与をもらったばかりである。買い物の後ではあるが、まだ100ラクミーはあったはずだ。

「もちろんどのアミュレットかによって値段は変わりますが……例えば最初の《涼感》(ドゥロセロス)のアミュレットなら命の恩人割引込みでなんと――」

 財布を確かめるラクリスにマティナはにっこりと笑いかけながら

「おひとつ99ラクミーです!」

「高すぎる! 横暴だ!」

「ソウデスカネ? ほんとうなら198(イチキュッパ)のところを半額ですよ? お買い得です!」

「お前の命は99ラクミーだとでも言うのか? 命の恩人というならもう少しまけてくれ」

「いやぁ、近頃は人の命が軽くて困ります」

「限度があるだろう……兵士の昼番なら六日、夜番なら五日分だぞ」

「そうですたった五日分なんです。だから払えますよね?」

 マティナはもうこれ以上値引きするつもりはないようだ。ニコニコしながらラクリスの決断を待っている。

「ぼったくりか……? いやしかし効果を見れば妥当なのか……?」

 何しろ既存のアミュレットの枠組みに収まらない規格外の商品だ。相場が分からない。

「だが彼女は今一文無し、たとえ赤字になってもラクミーがほしいはず」

 ラクリスは顎に手を当て思考を巡らせる。

 どうしてマティナはここまで強気の商売が出来るのだろうか。マティナはラクリスを「初めて見たから怖かった」と言った。当然ラクリスが魔術に極端に弱いことも知らないだろう。なら、彼女の目にはラクリスは未だに「恐ろしい巨人」として映っているはずだ。

 それほどまでに魔術に自信があるのだろうか。それとも身の危険はないと計算しているのか。仮にラクリスが巨体を武器にマティナを脅したとしても、その時はアルヒ島にいられなくなり、デメリットが大きすぎる。初対面でそこまで察した? だとすれば最初に財布を出したのはうかつだった。金がないふりをすればもう少し値切れたかもしれないのに。それか、もっとアミュレットに興味がないふりをすべきだった――

 考えてもらちがあかない。ラクリスは早々に諦めた。

「参った、その値段で買おう。だが今の手持ちではせいぜい一つしか買えん。とりあえず商品を全部見せてくれ」

 大分日も傾いてきた。酒場がもっとも繁盛する時間にラクリスが長居するわけにはいかない。急いでどのアミュレットを買うか決める必要があった。

 しかしどれを買ったものか。ラクリスの魔導具集めの最終目標は「最低限魔術に抵抗できるようになる」こと。《涼感》だの虫除けだのはあまり役に立たない。

「――でこれが《抵抗》(アキロシ)。魔術耐性を高め、素人の低位魔術程度なら自動で無効化するスグレモノです」

「買った」

 迷いはなかった。

 他の魔術師が同じものを売っていても胡散臭いと思って買わなかっただろう。だがマティナの技術は信用できる。

「お買い上げありがとうございます、123ラクミーです!」

 マティナはにんまりと笑った。文無しからの逆転劇、笑いは止まらないだろう。

 ラクリスの財布の中身は空っぽになってしまったが、かつてない高揚を感じていた。

「では取引も成立したことですし帰りますね、いろいろとありがとうございました。もうしばらくアルヒ島にいるつもりなのでまた来てくださいね?」

「ああ、気をつけて帰れ」

 色々とあったが、よい一日だった。これならば軽やかな気持ちで家に帰れるだろう。心なしか、黄昏の空が美しく見える。酒場の店主がやっと出て行ったか、と胸をなで下ろしているのも気にならない。

 だが好事にはケチがつくものだ。マティナと別れようとしたラクリスの前に現れたのは、

「よう、ラクリス」

「なんだ、アプロスか。酒場で遊ぶと言っていたが鉢合わせるとは思わなかった」

「いやそうしようと思ったんだな……」

 どうにも歯切れが悪い。アプロスはマティナをちらりと見る。

 変だな、普段のアプロスならマティナのような少女を見ればすぐにでも粉をかけるのに、とラクリスは疑問に思ったがはたと気付く。

 アプロスはラクリスの気づきの答え合わせをするように言った。

「その、ラクリス。ぜってー嘘だと思うんだけど、お前が女の子を誘拐したって通報があってさ……話、聞かせてくんね?」


「悪かった! このとーりだラクリス!」

「いつものことだ、気にしていないといっているだろう」

「あははは、薄々気付いていましたがお客様ひどい扱いされてますね……」

 誤解はスムーズに解けた。アプロスは元々ラクリスを疑っておらず、飲みに行く途中に市民から通報を受けたため、友人の冤罪を晴らすべく時間を割いてくれたのだ。

 マティナの証言もあって無事、ラクリスの疑いは晴れた。

「そっちの娘もごめんね?」

「いえいえ、私のせいでこうなったのですから」

「んなことないって! 女の子に飯をおごるのは男の義務だし気にしちゃダメだ。もちろんコイツだってこれっぽっちも悪くないんだけど」

「ついでにいうならばその市民も悪気はなかっただろう。ただアルヒ島では毎年何人かが行方不明になる事件が起こっていてな、人さらいだとかそういった噂には敏感なのだ」

「え、でもあれって「魔の森」のせいってことで決まりじゃないの?」

「行方不明事件、ですか?」

「そうだな、マティナも知っておいた方がいいだろう」

 人が消える、というのは当事者にとっては重大でも他人からすれば珍しいことではない。

 漁に出た男がボートだけ残していなくなる。遊びに行った子供が帰ってこない。

 そうした事件では死体が見つからないことも多いが、大抵は不幸な事故で片付けられる。

 だがアルヒ島ではここ十年ほど行方不明者の数が増加していた。それもただ数が増えたのではない。なぜいなくなったのか見当もつかないような行方不明者の割合が増えたのだ。

 いなくなる人間は老若男女を問わず、ある日突然消える。唯一共通するのは「魔の森」と呼ばれる森の近隣に住んでいるということ。

 そのため「魔の森」に住む凶暴な獣たちに跡形もなく食べられてしまったのだと噂されているが、行方不明者達が「魔の森」に足を踏み入れた理由について納得のいく理由がなく、真相は謎に包まれたままだ。

「町の外の森にそんな噂が。少々都合が悪いですね……」

「どうした?」

「いえ、こちらの話です。それでお二人も「魔の森」が原因だと思っていらっしゃるんですか?」

「盗賊団が奴隷として島の外に売り払っているのだ、と主張する者もいる。少数派だが」

「マティナちゃんだっけ? 君すっげぇかわいいから、どっちにしても夜道には気をつけた方がいいぜ。何なら送ってくけど!?」

 アプロスは気のいい男だから心配しているのも嘘ではないだろうが、どう考えても下心の方が勝っている。

 とはいえマティナもその程度でのぼせ上がる程うぶではなく

「そうですねー、アミュレットを買ってくれたら考えてもいいですけどぉ」

「え!? え!? いくら!?」

「そちらの大きなお客様のお友達だそうですから友人割引込みで130ラクミーからになります!」

「……ごめん、まだそこまで甲斐性ないわ」

 アプロスはあえなく撃沈した。その様子にラクリスは口元を緩めると今度こそ酒場を後にする。

「指輪持ちに心配は無用だろうが気は抜くな。アプロスも飲み過ぎて道端で倒れるなよ」

「はっ、いらない心配だっての。最近酒も飲み慣れてきたんだ。今度こそいけるって」

「お客様も気をつけて。それではご機嫌よう」


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