第12話
「これが新しい《抵抗》です。どうぞ」
翌朝、ラクリスにアミュレットを手渡したマティナはひどくやつれていた。
「ああ、ありがとう。この五つの石珠が残っている限り魔術を防げると言うことだな」
「ええ、以前話した仕様と大きく変わる点はありません」
淡々とマティナはアミュレットの説明を続ける。声には張りがあるものの、疲れを隠そうとしているのが分かる。
声や姿勢を取り繕ったところで、目の下のくまや手首の包帯などは隠しきれていない。そしておそらくマティナはそのことに気付いていない。
どうしてそこまでしてアミュレットを作るのかと、つい聞いてしまいそうになる。
だがそれはおそらくマティナの心の深層に関わる問いだ。ただの他人がみだりに踏み込んでいい領域ではない。まして今日死ぬかも知れないラクリスならなおのことだ。
「そういうことですので。そのアミュレットの性能はそれなりだと自負していますがヤニスに勝てるものではないでしょう。せいぜい、いいデータを取って死んで下さい。――何か遺言はありますか?」
マティナはラクリスをまっすぐに見上げた。
空の青よりも、海の青よりも、なお青い瞳。そしてその奥底で激しく燃える意思の輝きも今のラクリスは知っている。当然その瞳孔がかすかに揺れているのにも気付いている。
「遺言か」
何を言えばいいのだろうか。特に言い残すことはない。しかしせっかくだから一つだけゲンを担がせてもらおう。ラクリスはその場に膝をつき、マティナに顔を近づける。思わぬ行動にマティナは目を見開いた。
「遺言は不要だ。もとより死ぬつもりはないのでな」
「……え?」
「何を驚く。戦いとは勝たなければ意味がないだろう。戦争に行くのなら勝ったが死ぬ、ということもあるだろうが、決闘ではそれはない。勝って生き残るつもりで挑んだ戦いだ。遺言を残さない、というのはおかしなことではないだろう」
「下らない意地を張りますね。格好つけてるつもりですか? 死ぬ時後悔しますよ」
「そうは言うが、俺は孤独な身だ。俺を案じている人間など片手で足りる。彼らに伝えたいのは感謝のみ。その感謝を言葉程度で伝えられるとは思わないから、遺言はいらん」
「そうですか。結局ラクリスさんは最後まで馬鹿なままでしたね。……私は仮眠を取ります。決闘までには起きてアミュレットの動作を見届けますので、ラクリスさんは残された時間をご自由に使って下さい。では、さようなら」
マティナは亜麻色の髪をたなびかせて二階へ駆け上がっていく。ラクリスはマティナが戻ってこないのを確認してから、
「これでいい。マティナも死ぬ理由に自身を使われては不愉快だろう。もし決闘の理由を言えるとしたら、それは勝った後だ」
これでわずかな心残りも片付いた。さぁ、最後まで出来ることをしよう。
決闘は正午。それまでに腹ごしらえと最終調整を済ませておくのだ。
決闘は当事者がお互いの主張を力によって押し通す場である。だが同時に周囲の人間にとっての娯楽でもある。そのため決闘は開かれた場所で、大勢の人間が見る前で行われることが多かった。当事者からしても、己の勝利の証人は多い方がいい。
ラクリスとヤニスの決闘もこの習わしに則って市民たちに事前に告知されている。
想定される戦いの規模が規模なので、決闘の場は兵士の演習地として使われる空き地に決まった。大通りからはそれなりに歩くにもかかわらず、多くの市民たちが集まっている。
正午が近づくにつれ、人がさらに増える。アルヒ島では決闘の際、一名以上の執政官が立ち会うことになっている。今回立ち会うのは二人とも縁のあるエラトマだ。
エラトマが執政官として今回の決闘の意義について述べ始めた。もちろんラクリスが聞く必要はない。そんな余裕があれば目の前の相手を観察する。
「逃げんな、つったけどよ。マジで来やがるとは思わなかったぜ」
「そうでしょうね。自分でも不思議なくらいだ」
ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべるヤニスに特別変わったところはない。ただ武器として戦斧を担いでいる。さほど大きくはなく、片手でも十分扱えるだろう。
斧は魔術師の武器としてはメジャーな部類に入るらしい。魔導具としての性能と武器としての性能が両立しやすいという。向こうも流石に無手で戦うほどこちらを侮ってはいないようだ。魔導具を装備して、魔術の冴えも一段上がっているとみるべきだろう。
ヤニスに対して、ラクリスの武器は棍棒と槍を三本。槍のうち二本は腰に結びつけてある。防具は熊皮の腕甲とすね当てだ。熊の毛皮は見た目以上に堅牢だが、過信は出来ない。 そして、
「へぇ? オモチャが新しくなってやがるなデカブツ」
ヤニスが新しい《抵抗》に気付いた。
「だがそんなんじゃ俺の魔術は防げないぜ? 一発で焼き焦がされて、人生終わりってな」
「そうならないよう、準備はしてきたつもりです」
「ハッ! 準備、準備ねぇ! 舐めた口を聞きやがる。俺を相手に生き残れる可能性があると思ってるわけだ。けど許してやンよ。こんな田舎に行かされてキレそうだったが、巨人殺しになれるんなら多少は来てよかったと思える」
じりじりと場の緊張が高まっているのを感じる。ラクリスは今まで気というものを感じたことはなかったが、ここに来てヤニスの殺気をはっきりと感じ取っていた。
ここは死地だ。《調教》の魔術師を相手にしたときはピズマ兵長たちがいた。だがこの場で頼れるのは自分だけ。
「……違うな。俺だけでは勝負にもならない」
ラクリスはアミュレットを握りしめた。心細さや恐怖は気にならない。かつてまみえたことのない強敵を前に、ラクリスは自然体を保てている。
おそらく観客の中にはマティナがいる。アプロスもいる。ピズマ兵長もどこかにいるだろう。ラクリスが落ち着いていられるのは意地だけではなく彼らのおかげかも知れない。少なくとも彼らに認められるだけの価値が自分にはあると信じられるから戦える。
太陽が頂点に達する。それを見てエラトマが厳かに口を開く。
「正午になりましたな。ご両人、準備はよろしいかな」
「問題ありません」
「とっとと始めろ」
「では。これよりメソンの魔術兵ヤニスとアルヒ島の兵士ラクリスとの決闘を執り行います。一方を戦闘不能にまで追い込んだものが勝者となります。両者、位置について」
ラクリスは全身に力を込め、ヤニスをにらみ据えた。ヤニスの目から感情が抜け落ち、刃のような眼光が発せられる。
「――始め!」
号令とともに、ラクリスは全力でヤニスに向かって踏み込んだ。棍棒は振り上げず、地面を擦るように構える。最短最速の軌道でヤニスをかち上げるのが狙いだ。
だが一歩遠い。ヤニスが魔術を高速で発動させる。
「無形の縛鎖よ、絡め取れ《拘束》」
「グッ!?」
棍棒はヤニスに届く寸前でピタリと止まる。体が動かない。ヤニスの魔術は当然のようにアミュレットの防御を突破してラクリスを縛った。だが甘い。ラクリスは鋭く息を吐く。
「フッ!」
《拘束》系統の魔術は呼吸や鼓動まで止めてしまうわけではない。《拘束》を受けた場合は呼吸を起点に全身の自由を取り戻すのがセオリーだ。魔術教練で教わりながらも、耐性の問題で試すことの出来なかった技術だが何とか成功した。手足に力が戻る。
《拘束》を解除したラクリスにヤニスは目を細めたが、既に次の詠唱を完了させている。
「脚は強く、靴は軽く、されば十里を踏破せん《速駆け》」
脚力を増幅させる魔術《速駆け》は一般兵士ですら使える魔術だ。だがヤニスの手にかかれば効果は段違い。ヤニスは風のような速さで後方に飛びすさり、ラクリスとの距離を離す。信じがたい速度だ。ラクリスは直ちに跳躍し間合いを詰め直すもまた一歩及ばない。
「油断も容赦もない……!」
ラクリスは呻いた。牽制に《拘束》を放ち、その隙に《速駆け》で間合いの優位を確保する。なんと洗練された戦いの技か。《拘束》を成功させたことに慢心していれば、その時点でラクリスの棍棒がヤニスに届いたかも知れないというのに。
「何を驚いていやがんだ。いくら俺でもその丸太みてーな棍棒を食らうわけにはいかねぇ。一発食らえば負けなんだ、慢心するなんて馬鹿でもしねぇよ。――そら、食らいやがれ!」
「グウッ!?」
短槍を投げ詠唱の妨害を試みるも躱され、未知の魔術がラクリスを捉える。効果は不明。ダメージはないが、ぴしりと音を立ててアミュレットにはまった石珠の一つが砕ける。開始数秒でラクリスはアミュレットの力の五分の一を消費してしまったのだ。今まで落ち着いていたラクリスもこれには戦慄を禁じ得ない。
「これも弱めるか。そのオモチャ、たしかに妙に高度な技術で作られてるのは認めてやる。だが意味があるかは別。結局俺に勝てねぇならただの鉄くずだな?」
「ッ!」
ラクリスの動揺に切り込むかのようにヤニスが挑発してくる。タイミング、選んだ文句、どちらも的確だ。ラクリスはまんまと隙を作ってしまった。ヤニスはそれを見逃さない。
「赫き柏手、灼と裂を以て粉砕するものなり――」
「! ま、不味い!」
聞こえてきた詠唱は狼を蹴散らしたあの魔術だ。ラクリスは瞬時に防御の態勢を取り、魔術の発動地点を見極めようとする。
「――即ち汝《発破》(ピリティダ)!」
対応できたのは幸運に過ぎない。直感的に背後を振り返ると、膨れ上がる赤い光。光を遮るように腕甲を壁にした瞬間、手のひらを打ち鳴らすような間の抜けた音が響く。
「グァッ!?」
光が爆発した。音とは裏腹に衝撃は大きい。腕甲で受けたにもかかわらず、腕の芯まで痺れるような威力だ。腕甲からしゅうしゅうと煙が立ち上る。
しかし負傷自体はかすり傷で済ませた。火傷の痛みは無視して棍棒を構え直す。
ヤニスは《発破》の結果を見て、
「たとえ魔術であっても物理的な衝撃は軽減できねぇんだな……つってもデカブツをぶっ壊すほどの威力を出すには詠唱時間が足りねぇ。それと、アイツ《発破》の発動地点に気付きやがったな? 耐性が低い分魔力に敏感なのかねぇ。面白くなってきたじゃねぇか」
などと分析している。
ヤニスはあれほど圧倒的な力を持っていながら雑な戦いをしない。手堅く慎重だ。到底全力には見えないが、それは隙が生じるのを嫌っているのだろう。どんな事態にも対応できるように余力を残していると言ってもいい。
「しっかし低位や中位の魔術ばっかで嬲り殺しってのもつまんねぇな。仕掛けてみるか? 命は世界なり。肉体は大地なり。血潮は大海なり。精神は大空なり――」
忘れもしない《告死》の詠唱だ。効果が効果だけになんとしてでも妨害しなければならない。ラクリスは即座に距離を縮めようとしたが、疑問がよぎる。
「……待て。この距離でどうして詠唱の長い《告死》を?」
罠だ。ラクリスは直感した。自分の攻撃を誘っている。見え透いた、しかし避けられない罠だ。ラクリスは棍棒を振らざるを得ない。
案の定、ヤニスが笑う。途端、《告死》の詠唱をやめ、別の魔術を発動させる。
「突き立てよ銀剣、迎え撃つ汝の名は《剣柱》!」
突如、地面からきらびやかな銀色の長剣が飛び出して、柱のように屹立した。
そしてそこは棍棒の軌道上だ。ラクリスが咄嗟に腕から力を抜くも、棍棒は慣性によって速度を保ち、《剣柱》の刃にぶつかる。刃はさしたる抵抗もなく棍棒の先端に食い込み、棍棒を輪切りにした。
「クッ!」
短くなった棍棒は、《速駆け》を使っているヤニスを捉えられず虚しく空を切った。
「さて、これでリーチを削った。この分なら多少大技をかましても詠唱が間に合う。行くぜ……冥界は第三煉獄! 彼の地に赤はなく青もなく、漆黒業炎が暗光を満たすのみ。命ず、汝、蜃気の狭間に具現せよ! 《闇焔ノ幻想》!」
現れたのは黒い火の海だった。黒炎は爆発的に広がり、ラクリスもろとも決闘場全体を飲み込んだ。
「グァアアアアアアア!?」
全身を焼かれる痛みにラクリスは悶える。《発破》(ピリティダ)で負った火傷などもう忘れてしまった。炎が体表面のすべてを舐め尽くしているのを感じる。痛みに叫べば口や鼻から炎が侵入し、体内まで焼き焦がす。
「ハッハッハ! 今までせこい魔術ばっかで悪かったな。だがこの《闇焔ノ幻想》は違うだろう? 人を壊すためだけに作られた上位魔術、てめぇはどこまで耐えられるかな!?」
ヤニスの嗜虐的な声もラクリスにはほとんど届かない。地面に倒れ散々にのたうち回る。
熱い。熱い。熱い。この世にこんな苦痛が存在するなど知らなかった。こんなものを味わうくらいならいっそ生まれてこなければよかった――。
もうラクリスは痛みに正気を失っていた。戦いも、意地も、感情も忘れてただ叫ぶ。
だが目の前にあるものが映った時、ほんのわずかに思考が回復する。
「アミュ、レット……?」
誰かに作ってもらった《抵抗》のアミュレット。五つの石珠が魔術を無効化する。《抵抗》に残っている石珠はあと三つ。
「三つ……?」
おかしい。さっきまでは四個残っていたはずだ。《闇焔ノ幻想》を受けたのだろうか。
「おか、しい……物理的な衝撃は……防げない、のでは……?」
自分のつぶやきにハッとする。そういえば、体が燃えていない。感覚は炎熱をはっきりと感じているのに、皮膚が焦げている様子がない。体だけではない。揺らめく黒炎の狭間に見える雑草や木々、棍棒や遠くの地面に突き刺さる槍も何一つ燃えてはない。
「なんだこの炎は!」
「黒い炎なんてあり得るはずがない!」
「……けど変だ。なんでこれだけ大きな火が出てるのに俺たちに燃え移らないんだ?」
「皆様落ち着いて! この炎が皆様を害することはありません。そういう魔術なのです!」
ざわめく観客の反応も併せて考えれば答えは一つ、この炎は本物ではない。
ラクリスはこの炎を幻のようなものと理解した。黒い炎の幻を見せることで、本当の炎に焼かれているような幻覚を与えるのだ。もし《抵抗》なしで受ければ即座に狂死していたのだろうが、実際にはこうして精神も回復し、術の性質を見破ったことで苦痛も若干弱まった。これなら少しだけは動ける。
「グ、オオオオオオ!」
上半身を起こして短槍を投げた。苦し紛れの投擲だったが、短槍は過たずヤニスに向かって飛んでいく。
「何ィ!」
予想外の反撃にヤニスの反応が遅れた。脚が居着いていたのか、回避は間に合わない。だが体勢を大きく崩しながらも斧で短槍を打ち払った。
短槍はダメージを与えられずに終わったが、ヤニスの集中を乱した。《闇焔ノ幻想》が消失する。
「よし!」
痛みが消えたラクリスは立ち上がる。炎は幻だったのだから体は問題なく動く。ただ幻覚の残滓か、五感は未だに狂いが残っている。
ラクリスは不調を押し隠し、武器を構える。右手に棍棒、左手に最後の短槍を。未だ戦意を失わないラクリスにヤニスは苛立っている。
「チッ! 《闇焔ノ幻想》に二十秒さらされておいてまだ立ち上がンのか! だが!」
ラクリスの胸元から黒い塵がこぼれ落ちる。三つ目の石珠も《闇焔ノ幻想》で砕けていたのだ。もう石珠は二つしか残っていない。
「その鉄くずのゴミみてぇな効果もそろそろ限界みてぇだな! ならあと四回も低位魔術で削れば終わりだ。そうすりゃてめぇはクソザコ耐性のデカイだけの的に成り下がる!」
その通りだとラクリスも思う。
何も出来なかった。ラクリスは詠唱妨害に専念する「守り」の戦いをするつもりだったが、ヤニスの魔術はあまりに素早く妨害が一度も間に合わなかった。それだけではない。挑発のうまさといい、棍棒を切り落とした手並みといい、戦いの経験値が違いすぎる。
このままでは負ける。ならば。ラクリスは諦念とともに深呼吸する。
「何だァ?」
様子の変わったラクリスをヤニスが警戒している。ラクリスは苦笑しながら、
「全く、都の魔術師がこれ程とは。余力を残してコレだからな」
「ったりめーだ。万が一にも足を掬われちゃつまんねぇからマジメには戦ってやったがよ。てめぇごときが俺の全力拝めると思うなよ」
「そうでしょうか? 俺には貴方が人に力を見せつけることをためらうようには見えない」
思い返せば、視察団が到着した日、ヤニスは狼相手に自分の力を誇示するように魔術を使った。その翌日も似たような示威行為をしたと聞いている。そんなヤニスが決闘という絶好の場で自分の力を隠そうとするとは思えない。
「……何が言いてぇ」
ヤニスが低い声で問うたが、ラクリスは答えるつもりはなかった。
ラクリスが今から極めて危険な賭けに出ようとしている。十中八九失敗し、そのまま敗北すると思っていた作戦だ。
だがヤニスは敢えて余力を残している――想定外の事態に全力で対応するために力を温存している。ここに来ても慢心しないヤニスに絶望してしまいそうになるが、裏を返せばラクリスにはヤニスが警戒するような勝機が残されているということだ。
となると案外この賭けも分が悪いものではないのかも知れない。
ラクリスはそう思い込むことで恐れを断ち切る。
もう「守り」の体勢ではいられない。ここからは――
「行くぞ」




