第10話
それから駐屯地は大騒ぎだった。ヤニスが客室に戻った後、ラクリスはピズマ兵長に十発は殴られた。
「このバカモンが! 俺が怒りを必死にこらえていたというのに全部無駄にしやがって! この! この!」
「か、返す言葉もありません」
「しかも決闘だと? ヤニス様の実力を忘れたのか! 死ぬぞ! 犬死にだ! ……いや、人として意地を張って死ぬのだから犬ではないな。だがどちらにせよ、無駄死にだ!」
「そうだそうだ!」
アプロスも隣で同調する。
「いくらヤニスがむかつくからってあんなこというなんて! 心臓が縮んだだろ! まぁお前が止めてくれなきゃ俺も何言ってたかわかんないけどさ!」
「正直、やってしまったと思っている。なぜあんなことを言ったのか自分でも分からん」
自分の目的は己の居場所を作ることではなかったのか? 自分が他者の幸せに貢献できるような場所、その成果をもって自分の存在を認めてくれる場所。そのためにあらゆる苦しみに耐えてきたはずだ。その努力は、あのようなくだらない挑発に乗って捨ててしまっていいものではなかったはずだ。
「ま、過ぎたことはしょうがない。ラクリスはこれからのことを考えなよ。逃げた方がいいって。ヤニスは強すぎるし、相性が悪すぎる。絶対勝てない。というか死んじゃう可能性の方が高いだろ。今すぐ船を探してアルヒ島を出るんだ。もしかしたら二度とこの島には帰って来れないかも知れないし、俺は寂しいけど、ラクリスが死ぬよりはずっといい」
「アプロス……」
ラクリスはこの期に及んで自分の身を案じてくれる友人に涙が出そうだった。だがその提案はのめない。
「だめだ。この島の市民たちは俺を疎み怖がりはしても、積極的に排除しようとはしなかった。それは俺がこの島の生まれだからだ。俺が生まれてからどのように生きてきたか、彼らは知っている。その結果「危険を冒してまで殺す必要はない」と思ってくれているから俺は今まで生きてこられた。だが他の島では、だめだろう」
「そんな……」
「ラクリスの言うとおりだろう。そして俺はここで逃げ出して自分の言葉を嘘にするヤツの面倒を見てやるほど優しくはない。そうなればこの島にお前の居場所はなくなる。せいぜいヤニス様の情けに期待するんだな。生きていれば、また雇ってやらんでもない」
突き放すような口調だったが、以前に比べればずいぶんと思いやりに満ちている。ラクリスが感謝を述べると、ピズマ兵長は非常に不快そうな顔をした。
「とにかく、言ってしまった以上俺はこの決闘から逃げるつもりはありません。即死しないで済むよう、この一週間のうちに出来るだけのことをしようと思います」
「当然だな。ならもう帰れ。生きるか死ぬかの戦いだ、日銭を稼いでいる暇はないだろう」
「俺に手伝えることがあったら言えよ!」
ラクリスは再度二人に礼を言うと、その場を後にする。
駐屯地を出る前に、一度だけ振り返る。兵士たちが騒いでいるのが見える。彼らはラクリスを見ていた。その視線のほとんどは好奇と嘲笑だ。
「面白いことになったな」
「身の程知らずが……」
「どんな死に方するか、賭けようぜ」
「どう死ぬにせよ、せいせいするな……」
兵士たちは善人ではない。だが悪人でもない。彼らはラクリスを仲間と認めていないだけだ。仲間ではない人間の命運を対岸の火事として楽しんでいるだけだ。
ラクリスはその視線のすべてを受け止めてから、門を潜る。
「まだ、俺は居場所を手に入れてはいない」
だからまだ死ねない。死んでたまるものか。
家に帰ったラクリスはマティナにヤニスとの決闘について話した。
「冗談ですよね」
マティナの笑顔は凍り付いていた。手にしていた工具が滑り落ちて鈍い音を立てる。
「本職の魔術師との一対一、しかも相手は破落戸のヤニスですって? どうかしてます」
これまで聞いたことがないほど辛辣な口調だ。そもそもマティナはラクリスの前で一度も怒ったことはなかった。なのに今、マティナはこれ以上ないくらい怒っている。
「私言いましたよね。あんまり危ないことしたら怒りますよって。しかも昨晩の話です。何なんですか、ほんとに。ラクリスさんは本物の馬鹿だったんですか? 《抵抗》でちょっと戦えるようになったからってはしゃいじゃったんですか? 見損ないましたよ」
「すまん」
マティナは目を閉じ、何度か深呼吸して気持ちを落ち着かせてから、
「もういいです。売り言葉に買い言葉でやらかしたことは私にもありますし。とにかく旅の支度をしますよ。この島には戻ってこれませんが、自業自得と思って諦めてください」
「それはできん」
ラクリスは事情を説明した。アルヒ島以外の島に行けば殺される可能性が高いのだと。マティナは無表情でうなずく。
「よく分かってるじゃないですか。仮に魔術を使われなくても数で攻められればラクリスさんだって簡単に死ぬでしょう。――でも、それが何だって言うんですか」
マティナは堰を切ったようにまくしたてる。
「島の外に出れば死ぬかも知れない! でもヤニスと戦えば絶対に死ぬんです! あの人は殺します。ヤニスは敵が多い人間で、決闘を挑まれることも少なくなかったと聞きます。でも彼と決闘して生き残った人はほとんどいないんです! 生き残った人も、もう二度と普通の生活は出来なかったと聞きます。島を出るか、ここで死ぬか。簡単な話です、なのにどうして分からないの!?」
「それは……」
言われてみればそうだ。都でも有数の魔法兵であるヤニスと戦うより、他の島で新たな生活基盤を築くことに賭ける方がずっと分がいい。
だがラクリスは自分がヤニスとの決闘にこだわっていることに気付いた。理由は分からないが、戦わねばならないという思いが強くなっている。
「本当に、すまん」
謝罪になっていないのは分かっていた。だが言葉が見つからず、そう言うしかなかったのだ。しかしそれは、すべてを終わらせてしまう台詞でもあった。
「そうですか。あくまで戦う、って言うんですね」
マティナは素っ気なく背を向けた。
「マティナ、俺は……」
「新しいアミュレットは一週間後までに仕上げます。ですからどうせ死ぬなら決闘で試験運用をしてから死んでください。私としても金づると労働力、かつ貴重な実験体を失うのは惜しいですが、これ以上馬鹿に付き合う余裕はありません。――ああ、もう話しかけないで下さいね。作業のじゃまですので」
ぱたぱたぱた、と足音をさせてマティナは二階へ上がってしまった。ラクリスは何も言えずマティナを見送る。
「怒らせてしまったか。無理もない」
ラクリスは壁に身を預けずるずると座り込んだ。
「アミュレット製作を助けると約束しておきながら、だからな」
当然死んでしまってはマティナの助けにはなれない。マティナにとって何より重要なのはアミュレットの研究だ。ラクリスがいなくてはそれが滞る。だからマティナは怒っているのだろう。ラクリスは拳で自分の額を打った。
「俺はどうしてヤニス視察官にあんなことを言った? マティナに恩を返すと決めたのに、これでは彼女を裏切ったも同然だ」
罪悪感は深まるばかりだ。自分の行動が許せない。本当にマティナに恩を感じているのなら今すぐ前言撤回し、アルヒ島を出て、他の島で改めてマティナを手伝うべきだろうに。
だがラクリスはそうせず、これから決闘にどう備えるかを考え始めている。
「《抵抗》でちょっと戦えるようになったからってはしゃいじゃったんですか?」
マティナに言われたことが頭をよぎる。ラクリス自身にはそのつもりはなかったが、実際はその通りなのだろう。普段は周囲の人々に認めてもらえるよう自分を殺してきたが、本来のラクリスは自分本位な人間だったのだ。それが《抵抗》をきっかけに表出したのだ。
「つくづく度しがたいな、俺は」
こうなった以上、負けようがどうなろうが何とか決闘で生き残り、その後にマティナに謝るしかない。
こうしてラクリスは決闘の準備を始めることにした。