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世界は仄暗い

作者: 花浅葱

 夏は嫌いだ。

ジリジリと焼けるアスファルトの熱さ。

蜃気楼のように揺れる景色。

皮膚を焼く日光の痛さ。


 何かが腐っていくような匂い。

 腐敗の匂い。

ボコボコと深い暗闇の奥底からじわりじわりと腐っていき、誰にも見られずに消え去ってしまいそうな。



 全てが嫌いだ。



 ーーーー


 コンクリートに覆われた学校という牢獄に唯一あるオアシスである屋上。山の中にあるおかげで蝉の鳴き声や日光を遮るものもないお陰でジリジリと暑い日光がダイレクトに皮膚を突き刺す。

 教室は嫌いではないがずっとそこにいると息が詰まりたくなってしまう。上を見上げれば突き抜けんばかりの青空と真っ白な雲。そして大層な宝石のようにキラキラと四方八方に輝きを見せつけんばかりに輝く太陽だけだ。


 真っ白い折り紙をコンクリートに半分に折る。開いて真ん中の折り目に合わせ角を折り上げる。それを逆も繰り返し、真ん中の折り目に合わせて更に折る。反対も折る。真ん中の折り目に合わせて折り上げ、同様に折る。

 そして、自分を照りつける日光を遮る影に気がついて顔をあげた。


「この暑さでも辛気臭い顔してんねー」


 双子の姉だ。彼女は僕とお揃いの黒髪を二つに結い上げ、お揃いの白い水平服を日光にさらしながら目を細める。白い服は光を含み一層に輝き、ハーフパンツからは子鹿のように細い足がスラリと伸びているのだ。

 彼女は僕の許可なく隣に座り込むと分厚いまつ毛を揺らしながら僕の顔を覗き込む。


「ーー君、いっちゃったね」

「そうだね」

「寂しくない?」

「別に」

「あたしは、寂しいかな」

「ふぅん」


 折りあがった紙飛行機を持って青空へ伸ばす。この紙飛行機は遠くまでは飛ばないだろう、万が一に飛んだとしてもすぐに高度が落ちて墜落してしまう。もしくは、よだかの様に太陽に焼かれてしまうかもしれない。そうしたら紙飛行機も星座になったりするんだろうか。


「あたし、来年、彼のところにいってみようかな」


 鈴を転がしたような声で姉が呟く。視線を青空から姉の方へ向けると彼女は眩しいのか目を細め笑っているのか、判断に困るような表情で僕を見ていた。ゴクリ、と唾を飲み込む音が聴覚を震わせる。


「迷惑でしょ」

「迷惑かなぁ、そうかなぁ」

「まずは手紙とか、メールとかで問い合わせてからにしなよ」

「それならお手紙がいいかな、今度レターセット買いに行くの付き合って」

「やだよ」

「やっぱり今日にしよう。学校が終わったら買いに行くよ」


 こうなってしまったら姉は頑固だ。僕が折れようが折れまいがそんなには関係ない、この時点で僕は弟というポジションから姉の従順な下僕と成り下がるのだ。この関係はきっとどちらかが土に還るまで崩されることはないのだ、ああ、神様、来世なんてものがあるのだとしたら次回は一人っ子がいいです。




ーーーー



 結局、あの後は僕の予定なんて聞き入れられず、強制的に文房具屋に連れて行かれた。そしてなぜか僕の部屋で姉はランプに照らされながら手紙を書いている。

 淡いピンク色をした万年筆のペン先を黒いインキにいれ、真っ白な紙にサラサラと文字を書き込む。姉の文字は細く繊細だが力強い。ペン先が動くたびにサラサラと紙が擦れる音がして、止んで、再度擦れる音がする。ゆらゆらとランプの火のゆらめきに合わせ姉の顔を暗く明るく交互に照らす。きっと姉は世間でいう美人という枠の人種なのだろう。黙っていればだが。だけれどそういう人種を好む人物らを姉はえらく嫌う。


 だが、彼は特別だったらしい。


 いや、彼は元々姉など見ていなかった。もっと違う別の世界を見ているというのだろうか、何が正しいのかを探すように必死に視線を瞳孔を動かしていた。自分の容姿を見ても何も言わず、見向きもしないそんな彼を見て姉は惹かれたのだろう。彼の繊細だが芯の深い仄暗い瞳の力強さに。


「あとどれくらいしたら、夏になるかしら」

「今は立秋だよ、まだまだ、364日くらいかかるんじゃないかな」

「あたし、それまで彼に会えるのを我慢できるかしら」

「まだ、立秋で暑いから夏といえば夏と言える時期なんじゃないの」

「……そうね」

「そんなに会いたいの?」

「もちろん、彼に会ってあたしの世界は360度変わったのよ。まるで鈍器で後頭部を殴られた気分だったわ」

「バカじゃないの」

「恋というものは。泥沼に顔面を押し込まれて苦しくて起きあがろうとしても泥が邪魔をして起き上がれないの。そのまま腐って行くのを待つような感じ、泥と自分が一体化して新しい泥になるのよ」


 チリリ、とランプの火が鳴いた。


 外ではリーリーと虫が鳴いている。


 それ以外は何も聞こえない、静寂。


 姉は微笑むとペンをコトリと机に置いた。


 ランプに照らされた姉の瞳は黒曜石のように照らされ、鈍くどんよりと輝く。




「僕ちゃんにはまだ早いかしら」





 

 それから姉は川へ身を投げて亡くなった。引き上げられた時には水分をふんだんに吸ったのだろう、顔は膨れ上がりあの瞳は角膜が剥がれ落ち別人だと言っても過言ではないくらいだ。

 立秋というには暑く立っているだけで額から汗が吹き出し肌をつたい、そのまま地面へと落ちる。川からは卵が腐ったような腐敗臭と泥臭さが漂って鼻腔を刺激する。


 世界は酸欠によって多くの生物が死滅し、死骸が至る所に広がる仄暗い空間。そこは酸素なんてなくて、回復することもなくて。彼女が望んだ世界はそこにあったのだろうか、酸欠になり麻痺していく脳内で彼女は何を感じたのだろうか。彼女の瞳には何が映っていたのだろう。

 彼女が握っていたボロボロの手紙を開く。それは水によって滲んで何も解読できないインクのシミがお行儀良く並んでいるだけ。

 だけれど、きっと姉は幸せだったのだろう。


 愛する彼と同じ季節に同じ死に方を選んだのだ。


 ざあざあと生ぬるい風が肌を滑る、生臭い匂いを嗅ぎながら僕は手紙を川へ放り投げた。



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― 新着の感想 ―
[良い点]  私の好みの作風です。繊細な描写と、主人公と姉の微妙でかつ共依存的な儚い関係性が最高です。最後の伏線回収には鳥肌が立ちました。 [気になる点]  
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