四
俯いてぶつぶつと呟き、彼女は膝から崩れ落ちて項垂れてしまった。
マスターはまたもや困惑しどう声をかけていいかわからずにいた。
「えーと」
だから、代わりに言葉をぶつけた。
「おい、メンヘラ女。そんなところで項垂れても可愛くねぇんだよ。鏡見ろよブス」
「なんですって!」
「これで復活したな。マスター今日もいつものやつで頼むぜ」
復活した相田を黙殺し、マスターにいつものメニューを頼んだ。
「えぇ、それは受けたわりたいところなのですが、生憎いま買い出しに行く途中でして」
すると、申し訳なさそうに後頭部を掻く。
確かに店側から来ていたなと思い、ふとある提案をした。
「じゃあ、俺らが代わりに買ってくるからさ、マスターは店で待っててよ」
「そんな訳には参りません! お客様にそんな雑用を」
買い出しを代わりにやると申し出ると、焦ったように早口で断った。
「いや、マスターにはいつも美味いケーキ作ってもらってるからな。それにこいつにもそれを味わってほしいからな」
言いかける寸前に、美味いケーキを食べさせて貰っている感謝を述べた。後に付け加えるようにして、相田を一瞥してそう言うと一瞬。彼女から訝しむような視線が刺さる。
「わかりましたよ、そこまで言うのならお願いしますね」
相田の険しい表情で自分をあまりよく思ってないことに気がついたのか、マスターは少しうーんと唸った末に了承した。
「それでは、お願いしますね」
買い物のメモとエコバックをマスターは微笑みながら相田に手渡す。彼女は渋々と受け取り「お任せください」とぎこちなくお辞儀をする。
マスターも礼儀に沿って頭を下げ返すと、店の方向へと踵を返す。
振り向きざまに「お待ちしております」と告げて小走りで店に帰って行った。マスターの背中が見えなくなったところで、相田は眉を寄せて詰め寄る。
「どういうつもり?」
「そんなことよりよ、早くこれを解いてくれよ」
「質問に答えなさい」
「いや、答える答えないとかじゃ」
「何あれやっば」
「ちょっと、目を合わせちゃダメだって」
このままだとあらぬ誤解を招くことになると指摘しようとしたが、聞く耳をも体ないので通りすがりの女子高生達に失笑されてしまう。
羞恥心で顔が赤くなり相田は身を硬直させた。
「だからよ、早く」
「わかったわよ!」
再び指摘しようと口に出した途端。無気になって相田は声を荒げて鎖を解いた。
不服そうな彼女と共に駅と隣接したスーパーへと買い出しに行った。
必要な食材を買い揃え、レジ袋を両手にぶら下げた自分と相田は、途中まで歩いた道をまた通って店まで向かうこと十分。店に着いた。その扉前まできたところで相田は不審に思って尋ねた。
「本当にここが店なわけ?」
「あぁ、確かに初めのリアクションはそうだろうな」
彼女が怪しく思うのも無理はない。なぜならここは古びたアパート。その一室の真ん前だからだ。店の看板もないその横には洗濯機が設置されておりただのアパートの一室に見える。最初カナタもあのマスターに招待された時、目を疑いここを店だと言い張るのは無理があると少しいやかなり引いた。
五年くらい通い詰めているが、いまだにこの景色には慣れない。
扉を開けて中に入ると、相田は訝しみながら見回した途端。目を丸くし驚いていた。
なぜなら、ワンルームの一室からは想像もできない。三十畳くらいの広さだった。
二メートル程度の廊下を進むと、丸テーブルが等間隔に六つほど設置されていた。
その左手にあるキッチンは整備されており、調味料やコーヒーミルが置かれていた。
「おい、マスター買ってきたぞ」
「あっ! あぁ、ありがとうございます」
隅にある冷蔵庫から牛乳を取り出しているマスターに声をかけると、不意を突かれたかのように体がびくつき、痞えつつ礼を述べると真ん中の席に案内されて相田と向かい合わせに腰をかけた。すると「少々お待ちくださいませ」と一礼しキッチンへと消えて行った。
「改めて聞くけど、なんのつもり?」
「は?」
要領を得ない相田の質問にカナタは息を漏らして目を細めた。
「とぼけないで、あんな人の良いお爺さんを使って何がしたいの? 油断を誘おうってわけ?」
どうやらまだ、信用されてないらしい。普通に飯を食って親睦を深めようというのにこれではどう答えても話を聞き入れてもらえないだろう。
そう踏んで何も答えずにいると、拍車がかかったように相田は口を動かした。
「何も答えないってことは、そうなのね。やっぱり、私を油断させようとあのお爺さんと結託して私を殺そうとしてるんでしょ!」
「テメェ、言わせておけば」
自分のことならどんな非難をされてもいいが、マスターをも巻き込むのは我慢ならずに諫める言を出そうとするとしわくちゃな笑みを浮かべたマスターがトレーに載せたコーヒーカップ割って入った。
「お嬢さん、お言葉ですが彼の話をよく聞いてみては?」
「こんな人殺しを正当化する奴の話なんか」
「では、ワタクシの昔話を聞いてくださいますか?」
マスターの提案を蹴り、相田は敵意を剥き出しにしてこちらを睨みつけた。人差し指を向けて非難を口にする最中に、ふたたびマスターは提案を持ちかけた。
「は? なんでよ」
「話を聞いてくださいますか?」
訝しみ相田は反抗的に返すと、再び同じ言葉使いで問われた。
「そこまで言うのならどうぞご勝手に」
「えぇ、喜んで」
また聞き返されるのも面倒だと思ったのか、相田は敬意のかけらも無い態度で了承した。
それにも関わらずマスターは快く胸に片手を添えて一礼。
そして語り始めた。
「あれは四年前の春。ワタクシの妻は瓦礫に押しつぶされて、死にました。魔物が暴れた余波で崩れたんですよ」
「え?」
唐突なマスターの身の上話に相田は戸惑って曖昧な息を返す。
「その時に彼がカナタ君が助けてくれたんですよ。あの時の妻は位置が悪かった。玄関の手前まで来ていれば一緒に助けられた。ほんの一瞬。こっちに来ていれば助かったんです。でも、間に合いませんでした」
マスターは胸倉をガシッと掴んで、辛い記憶を思い起こしている。表情からもそれは物語っていた。俯いて瞼を閉じて下唇を血がでそうなほどに強く噛んだ。
彼女は目の前の老年の男が苦しそうにしているのを察して、口を挟まずにただ黙っていた。真剣な眼差しで聞き入っていた。
「私は彼に当たり散らしましたよ。なぜ早く来なかったんだとか魔物をここに誘導する前に倒していればと。今考えてもお恥ずかしい限りですよ。こんな孫ほど歳が離れている子供に理不尽な物言いをするなど。でも、彼はそんな私にこう声をかけたんでです」
自分を一瞥し微笑んだあと少しの間を置いて続けた。
「俺を恨みたければ、勝手にすればいい。でもなアンタが生きている限り、婆さんは死にはしない。最初聞いた時は何を良い加減なことを言っているんだと思いました。でもね、後になってようやく気づいたんですよ。なぜ彼がそう言ったのかを。本当は妻も助けたかったんですよ。でも間に合わなった。だから確実に助けられる私を必死になって守ってくれたんです。こんないつ死ぬかもわからない老耄を」
「確かにそれは仕方がないことだわ、でもこいつは」
「貴方も気づいているのでしょう? その殺人が仕方がないことに」
語り終えたと彼女は踏んで口を挟み、こちらを一瞥した。すると反射的にマスターが問いかけると、図星だったのか「うっ」と息を漏らす。
「おや、もうできたようですね。少々お待ちを」
オーブンのタイマーをセットした時間になったのか、ピーという電子音が鳴ったのにマスターは気づいた。話を一旦、中断して左手のキッチンへと入り作業を開始した。
数分してケーキとコーヒーをトレーに乗せて運んできた。
目の前に出されて、相田は唾をゴクリと飲んだ。
「これ毒とか」
「良いから食え!」
また失礼な物言いをする前にカナタは、彼女の皿の近くに置かれたフォークを強引に奪って、ケーキを一口分さして放り込んだ。
途端に彼女は目を見開いて「美味しい! 何これ」と叫んだ。
「お喜び頂いて何よりです」
「あっ」
一礼したマスターの言葉により我を取り戻した彼女は赤面した。その様子を見ておかしく思い堪えきれずに失笑する。その瞬間に物凄い勢いでこちらを睨みつけた。
「気に入ったんなら、俺の分もやろうか?」
口を押さえたまま、皿を彼女の方に向けてそう提案すると「結構よ」と即答した。
「でもよ、美味かったろ? ここのケーキ」
「えぇ、確かに美味しいわ。でもね、こんなので私がアンタを信用すると思っているわけ?」
「甘いものはよぉ、人を幸せにするんだぜ。どんなに悲しいことや辛いことがあっても変わらず包み込んでくれる。まぁ、万能じゃないけどな。でも、少しでも美味いと思えたのなら少しは忘れられただろ?」
そう問われて彼女は目を丸くし、瞬き目を細めた。
「アンタ、何言ってるの?」
「え?」
「え?」と息を返す自分たちを見てマスターはふふっと失笑した。
「これでわかったでしょ? 彼は単に貴方にこのケーキを食べさせたかっただけですよ。本当に貴方を殺す気なのならとっくにそうしているはずでしょう」
そう指摘されて合点がいったのか相田はこちらに「そんなに私と打ち解けたかったの?」と嘲笑を浮かべた。
「あぁ、そうだけど。それ以外、何があるんだ?」
首を傾げて率直にそう言うと、帰ってくる反応が予想外だったのか彼女は「え?」とまた息を漏らす。
それにまたマスターの失笑がこぼれ落ちた。