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ジェット

 分厚い特殊強化ガラスのドームで覆われたエッジワースシティには、地上部に入口が存在しない。エデンの方向に一キロメートルほど離れたところに人口の丘が作られており、その側面に設けられたゲートから、地下トンネルを通って街の中に入る構造になっている。トンネルは一旦斜めに深く下ってから、再び緩やかに斜めに上る構造で、途中に、気圧調整などのためのゲートが数カ所設けられている。同じようなトンネルが何本かあり、すべて、「港」と呼ばれる制限エリアにつながっている。

 港の前に自走車を止めて、アンジェロとミライは、港の施設に入ろうとしていた。

「コウノトリが鬼孔虫の群れに襲われたこと、聞いておられますか?」

 入り口の警備兵が、アンジェロに入構表を差し出しながら言う。

 ミライが港にやって来たのは初めてのことだ。港のある地域は、子供が入ることを禁じられているエリアだからだ。街の中では見たことがない、巨大なクレーンのついた機械や、辺境の街との交易に利用されている四角いコンテナなどが山積みされている。その間を、無人で動く作業ロボットが縦横無尽に走り回っている。どれもが物珍しい。キョロキョロと周りを見回しながら、ミライは、大人たちの慌ただしい様子に、ただならぬ雰囲気を感じ取っていた。

「到着が遅れているって?」

 サインをしながら、アンジェロが視線を上げずに兵士に尋ねる。

「遅れていたのですが、ちょうど数分前に無事に到着して、今は消毒中です。もうしばらく待機場でお待ちください」

「わかりました。ありがとう」

 アンジェロは、受け取ったばかりの首にかけるタイプの入構許可証のひとつをミライに差し出しながら、自分に付いてくるようにと声をかけた。

「親方。キャラバン隊、何かあったんですか?」

「鬼孔虫の群れに襲われたみたいだね」

「鬼孔虫?」

「硬い鋼板にも穴を開けてしまうような厄介な虫でね。しかも、毒針も備えているんだ。キャラバン隊を悩ませる危険生物の一つだよ」

「隊は無事なんですか!?」

「当たり前だ。俺たちが援護に出たんだぜ」

 頭上からの声が、ミライの質問に答えた。声がした方を見上げると、中二階の手すりのところにレインが立っていた。

「レインさん!」

 レインは、軽やかに手すりを乗り越え、ふわりと地上に降りてきた。

 昨夜、塔の上の屋外展望室で別れた時とは違う、獅子のマークの入ったジャケットを羽織っている。防衛隊の制服だ。

「お疲れ様。レイン。大変だったみたいだね」

「あぁ。ひどい数でな。駆除隊だけでは対処できなくて、俺たちも出動したんだ。再緑化のための降雨プロジェクトの副作用ってやつだな」

「昨日は、久々にまとまった雨になったようだからね。しかしそれは困ったね。何か対策は立てられているんだろうか」

「どうだろうな。環境部のやつら、いつも行き当たりばったりだからな」

 レインはなぜか、環境部を目の敵にしている。特別に言葉がきつい。

「来ないかと思った」

 並んで歩きながら、アンジェロがレインに話しかける。

「まさか。大事な友人の、人生最大の大事な儀式だぜ?」

「そうだね」

「準備は万端か?」

「もちろん。最高傑作ができたよ」

「そうか。きっとあの人も喜ぶ」

「だといいけど」


 アンジェロとレインの後ろには、ミライが黙って付き従っている。

 3人は、細長い通路をまっすぐに歩いて、突き当りのゲートをくぐって右に曲がった。

 その先に、一方通行の表示がつけられたドアがある。左手には、荷台に幌をつけた自走式の運搬車が何台も止まっている。

「キャラバン隊の車は、街の中に入れないからね。このゲートから荷物をあの車に詰め替えるんだよ」

 アンジェロが指さしながらミライに説明する。

 そう話している間にも、ゲートが開いて、荷物を山に積んだ自動カートが運搬車の方に運ばれていく。

「来ましたよ、レイン」

 アンジェロが顔を向けた先に、大柄の男性が歩いてくるのが見えた。両手で杖をついてはいるが、足取りはしっかりしていた。

「来てくれたのか、アンジー。さっきの部隊には、レイン、きみもいたんだろう?」

 親しみ溢れる声。こぼれ落ちるほどの笑顔。3人の仲が一瞬で想像できる、そんな表情だった。

「元気そうですね、ジェット」

「お久しぶりです!」

 アンジェロとレインが、ジェットの元に駆け寄る。足早にゲートを抜けてきたジェットは、杖を持ったままの両手を広げて二人と交互に抱擁を交わしている。

「会えて嬉しいです」

「私もだ。ここに来ると、やはり落ち着くな」

「旨い酒を用意してあるんです。今夜は存分に、最期の晩餐といこうじゃないですか」

「あぁ、是非そうしよう。フローレンスも、例のやつを持ってきてくれるらしい」

「それは楽しみです」

「あぁ」

「楽しい夜にしましょう」

 3人の笑い声が、離れて立っているミライのところまで響いてくる。

「そうだジェット。紹介しますよ。おいで、ミライ」

 ひとしきり話し込んだあと、アンジェロはようやく思い出したように、ミライの方を振り返り手招きした。ミライはおずおずと三人の元へと歩み寄る。

「この子が、あの時の実か?」

「そうです。あなたが持ってきた、あの時の実です」

 レインが応じる。

「なんと。廃棄処分予定だった実が、なんとも立派になったものだな」

「ミライ。今では私の後継者です。15年という歳月は短くありませんよ」

 ジェットは、ミライの姿を指の先から頭のてっぺんまでを、じっくりと舐めるようにゆっくりと3回眺めて、

「なるほど、そのようだ」

 と感慨深げに呟いた。

「腕がいいんです。それに、センスも」

「そうか。それは将来楽しみだな」

 ジェットの瞳が、心なしか潤んでいるように見える。

「ミライ。こちらが、昨日見せた心臓の依頼主。ジェットさんだ」

 ミライはペコリとお辞儀をして名を名乗った。

 背後で再びゲートが開いて、キャラバン隊の荷物が山のように積まれた台車が、ロボットによって運ばれていく。

 

 その時ふいに。

 ブゥーーンという、空気を振動させるような重低音の羽音がゲートの奥から聞こえてきた。

 誰かが「鬼孔虫だ!」と叫ぶのと、「危ない、伏せろ!」と叫ぶのがほぼ同時だった。

 気がついた時には、ミライはギュッと目をつぶっていた。

 頭のすぐ上でレーザーガンが空気を切り裂く時のビリリという小さな乾いた音がして、何かが焦げるような不快な臭いがする。

「おい、大丈夫か!?」

 レインの声で慌てて目を開いたミライの視界は暗かった。ミライの体に覆いかぶさるようにして影を作っていたのは、ジェットだった。視界の隅で呆然としているレインの右手に、レーザーガンが握られている。

「ジェット!」

 そして、アンジェロの叫び声。聞き慣れているはずのアンジェロの声が、異様に高く聞こえた。それはまるで、女性の悲鳴のようでもあった。

 ドサッ

 と。ジェットが前かがみに膝をついた。そのまま、ミライの体にもたれかかるような体勢になる。

「ジェット、さん!?」

 ミライは、自分にもたれかかっているジェットの体を支えるように、その背中に手を回した。ぬめりとした生暖かい何かが、その指に触れる。

「ジェット!」

「しっかりして下さい、ジェット!」

 アンジェロとレインが駆け寄り、ジェットの体を起こし、仰向けにさせる。

 体が自由になったミライは、自分の右手を見た。その指先に、べっとりと赤い血が付いていて、はっと我に返った。

「どうして? ジェットさん!?」

 レインの体に支えられるようにして天を見上げているジェットの首元からは、ダラダラと赤い血液が流れ続けていた。

「くそ! 鬼孔虫のやつ! どこかの隙間に入り込んで消毒室をかいくぐりやがったな?」

 レインが忌々しげに睨みつける先には、レーザーガンで真っ黒に焦げた塊が燻っていた。熱だけではなく分子振動を引き起こす特殊な波長を組み合わせた、鬼孔虫を駆除するための特殊なレーザーガンだ。完全に破壊されたようで、すでにピクリとも動かない。

 アンジェロが、着ていた上着を脱いで、それをジェットの首元の傷に充てがう。白い上着がみるみると真っ赤に染まっていく。傷口は、左下から右斜め上へ。喉を串刺しにする形で貫いていた。鬼孔虫が貫通した穴だ。

「おい! 誰か医療班を呼べ! ナノボットを1ユニット、」

 騒ぎを聞きつけて、港で働く人間たちが4人の周りに集まって来ていた。

「よせ、……レイ…ン」

 ジェットの手が、レインの腕を掴む。

「ジェット!」

「いいんだ……レイン……」

 ジェットが弱々しく首を横に振る。

「死ぬため、に……来たんだ……こ、の、まま……逝かせて……くれ」

「しかし、」

 程なくストレッチャーが運ばれて来て、ジェットの巨体はそこに乗せられた。

 そこで初めて、地べたにへたりこんだままだったミライは下半身に力が入らないことに気がついた。腰が抜けているのだ。

「大丈夫かい? ミライ」

 先に港に来ていたロードとライトが、ミライの元に駆け寄ってその体を支える。

「ジェットさん、どうして、どうして……」

 声が震えている。

「ミライ、か……気にしないでくれ、私は、……こん……や……最期を、迎えるつもりだったんだ……それはもう、……半年も前……か、ら、決めていたこと……なんだ。だから、おまえ……を、守れただけで、……さ、最高、だ……」

 ストレッチャーの傍らにたどり着いたミライは、ジェットの右手を優しく包み込んだ。今にも、泣き出しそうな顔をしている。

「ジェットはハートレスです。私のクライアントです」

 対照的に、ミライの傍らで、駆けつけた医師に状況を説明するアンジェロの声は、妙に落ち着いて聞こえた。

 医師は自身の耳の後ろからケーブルを引き伸ばし、それをジェットの体の上に乗せた小さな端末につなげた。彼の目の前に現れる立体映像には、ジェットの全身の状態が克明に映し出されている。表示されている数字が刻々と変化していく。

「あと3ユニット流血すれば昏睡と呼吸不全が起きます」

「わかっています」

「同意の上ですか?」

「今夜、葬送の儀式の予定でした」

「た、のむ……」

 アンジェロの言葉に、ジェットが弱々しく頷く。

「わかりました。ですが、『祈りの館』までは保たないでしょう」

 医師が首を横に振る。

「ではここで儀式を。手伝っていただけますか?」

「わかりました。ストレッチャーは、隣の待機室へ。必要なものがあれば、看護師にお伝えください」

「では、30センチ四方程度の白い布と、三方(さんぽう)を」

 アンジェロに替わって、ライトが医師と話を始めている。

「それなら祈祷室にあります」

「祈祷室の十字架を借りても?」

 こちらの質問はロードだ。

「もちろん、構いません」

 ジェットを乗せたストレッチャーは、音を立てて通路を運ばれていく。それに付き添う三人の会話は、どんどんその場から遠ざかっていく。

 アンジェロが後ろを振り返った。ミライに声をかけようとして思いとどまる。魂の抜けたような顔で立ち尽くしているミライでは役に立ちそうにない。

「装甲車の消毒をもう一度やり直せ! 隅から隅まで、徹底的にだ」

 その向こうでは、レインが警備兵達に指示を出している。

「レイン、申し訳ないのですが、私の車の中から、道具と心臓(ハート)を持ってきてくれませんか? ケースの上に、ジェットの名前が書いてあります」

「わかった」

 その場の指揮を別の者に委ねて、レインはすぐに駐車場の方へと飛んで行った。

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