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フローレンス

 半日、すなわち約7時間遅れで、ユグドラシルの下の補給基地(ステーション)を離れたローバーは、これまでの遅れを取り戻すために、全速力で走っていた。乾燥した砂漠の中に敷かれた頼りない道の上だ。巻き上げられた砂塵で視界が煙る。肉眼での視界はほとんどゼロだが、操縦自体は自動制御で行われているため問題はなかった。6日ほど前に発生した想定外の大規模フレアの影響で、1日半ほど身動きが取れず、運行計画に大幅な遅れが生じた。夜通し走ってなんとか遅れを短縮させたが、それでも、ユグドラシルステーションに到着した時には予定よりも14時間ほど遅れてしまっていた。


 カン

 カン

 ガンガツン


と、大小の小石が外装に跳ね返る。

 ローバーの外装は分厚い装甲に覆われている。側面には、白と黒の巨大な鳥の絵が装飾されている。

 それと、【CICONIA III】の文字。

 このキャラバン隊の名前だ。この惑星全体が環境保護指定地域に指定されているため、キャラバン隊のようにドーム外を移動する仕事には統合政府からの許可が必要だ。それぞれの隊には、いずれも古代にこの星に生息していた大型の鳥類の名前が付けられている。中でも、コウノトリの番号(ナンバリング)を持つ3つのキャラバン隊は、ユグドラシルの根元にある補給基地と辺境の街々を繋ぐ連絡キャラバンで、エデンからやってくる人を辺境の街に運ぶ、特別な役目を担っている隊だ。

 旧世紀には、キャンピングカーという名前の車が存在したそうだが、ローバーはまさに、それを大規模に拡張したもので、過酷な環境を1〜2ヶ月走り続けても生活に困らないだけの設備を備えている。辺境の街を巡るキャラバン隊には不可欠な装備である。先頭の操縦車両(ユニット)の後方に、居住車両と貨物車両が連結されているのがローバーの基本構成だ。


 居住ユニットの一室で、二人の人物が向かい合っていた。外の轟音とは打って変わって、室内は驚くほどに静かだ。

「チェックメイト」

 左側の人物が、今まさに、盤上のビショップを動かしたところだった。

 フローレンス。このキャラバン隊の隊長だ。もう50年以上、キャラバン隊の隊長をしている。銀色のウェーブヘアが肩で揺れる。

「私の負けですな」

 ほんの少しの沈黙の後、右側の人物が、そう口にした。立派な体躯の男性だった。ほんの少し背中を丸めて盤面を見下ろしている姿は、古代に生息したクマという動物によく似ていた。

「結局、一度もきみには勝てなかったね」

 男は、負けたというのに、なぜだかとても満足そうな微笑みを浮かべている。

「嬉しそうですね、ジェットさん」

 フローレンスのガラスのようなアーモンド型の瞳が、照明を写してキラリと光る。髪だけでなく、彼女の肌全体が銀色がかって見えるのは、宇宙放射線から身を守るために銀化処理を施しているからだ。薄い大気の中を移動するキャラバン隊のメンバーの大半は、軟組織を保護するための機能拡張をしているものが多く、彼女もその例外ではなかった。

「きみが今回も、本気で勝負してくれたのが嬉しくてね。エデンでは皆、腫れ物に触るような接し方をするものばかりだったよ」

「あなたのような人物に対しても、ですか?」

「エデンには死がないからね。身近に『死に逝く者』がいるのは気分の良いものではないのだろう。皆、死を恐れているのだからね」

 腕組みをしたまま、愛嬌のある笑みを浮かべている大男の名はジェット。数日前まで、エデン第17区の区長だった人物だ。銀化しているフローレンスとは対照的に、ジェットの肌はベージュ色だった。しかもその肌には、加齢に伴って現れるシワやシミが浮かび、短く切りそろえられている髪も真っ白だった。

「私の見た目が老いていくのと比例してね。どう接したら良いのかわからないと」

 ジェットはそう言いながら、自らの手をいたわるように撫でた。

「エデンの民は、老いを徹底的に避けようとしている。人は時とともに老いていずれ死ぬ。この当たり前が無くなってから、世界は変わってしまった。薬をやめれば、止まっていた時間が戻り老化が始まる。私はこの、あたり前の時の中で逝きたいと思っている。ただそれだけなんだよ」

「あなたのお考えを、尊重します」

「あぁ、誤解しないでくれ。きみや、エデンの民を非難するつもりは無いんだ。個人の選択に何が正解か間違いか、答えなどはないのだからね」

 ジェットが慌てて付け加えた謝罪に、フローレンスは小さく頷いた。

「きみ達と出逢って、もう70年になるかな」

「正確には、73年でしょうか。僕がキャラバン隊の乗務員になった最初の年でしたから」

「あぁ、そうだったね。あの頃から、きみはかっこ良かった。揺るぎない信念を持っていたね。それに引き換えあの頃の私は。エデンこそが至上の場所だと信じていた」

 ジェットの目が、遠い昔を懐かしむような色を帯びた。

「死の星ともいわれるこの惑星の地表面を眺めていれば、みなそう思うものですよ。僕だって、かつては永遠の時を生きるシステムの中にいた者。エデンの人々を責められません」

 フローレンスは、壁面のボタンを左手で操作し、程よい温度に温められた琥珀色の液体をグラスに半分ほど注いで、テーブルの上に並べた。

「地表に調査官として赴任していなかったら、今もまだそう思っていたかもしれない」

「いえ。あなたならきっと、ずっとエデンにいたとしても、いずれは同じ結論に達したでしょう」

「そうだろうか」

 と、少し照れながら呟き、ジェットは、グラスに手を伸ばした。

「きみ達と旅していた頃が、一番楽しかったな」

 トロリとした琥珀色の液体を舌の上で転がす。

「薬をやめてから、年々味覚は衰えているが、今はこの感覚がとても誇らしい。懐かしい味だ。準備しておいてくれたのだろう? 最後にこれを味わえてよかった」

「今夜も持って行きますよ」

「あぁ。楽しみにしている」

 フローレンスは、「えぇ」と、少し切なそうな声で応じて立ち上がった。

「あと2時間ほどで、辺境九区第三都市に着きます。下車のご準備を」

「ありがとう」 


 ビーッビビーッビビーッビーッビビーッ


 いきなり、けたたましい警報音が室内に響くのと、ジェットが空になったグラスをテーブルに戻すのとはほぼ同時だった。

「どうした!?」

 フローレンスがすぐに隊長の顔になる。

 視線を向けた空間に、人物の3Dホログラムが浮かび上がった。副操縦席に座っている操縦士のウーだ。

鬼孔虫(きこうちゅう)の大群です! 急に岩陰から湧いてきて」

「回避は?」

「ダメです。すでに接触まで180秒を切っています」

「第三都市に救援要請を送れ。火炎砲で追い払いながら、速度を上げて突っ込んで行くしかないか」

「これだけ多くの鬼孔虫の成虫がいるエリアを突破するとなると、シールドは万全ではありません。速度を上げると接触速度も増して危険です。シミュレーションでは、50%を超える被害推定がされています」

 鬼孔虫は、酸素濃度が低い外気に適応した生物の中で、最も繁栄を遂げた生き物といっても過言ではない。鈍色に光る外骨格は非常に固く、激しくぶつかれば、3センチ厚程度のCF鋼板など余裕で貫通するほどの威力を持つ。ドームの強化ガラスにも深刻なダメージを与えるため、各エッジワースシティでは、鬼孔虫の群れを追い払うための駆除隊が配備されているのが普通だ。

 フローレンスは、ウーが共有してくれている被害想定シミュレーションの画面をじっと見つめながら舌打ちをした。

 ついてない。

 鬼孔虫は、通常なら、水分のほとんどない砂漠地帯には生息していない。ローバーが砂漠地帯を選んで走行しているのはそのためだ。しかも、大きな群れをなすことなど極めて稀だ。長いキャラバン隊員としての生活の中で、鬼孔虫の大群に出会ったことなど数えるほどしかないのだ。しかも今回の群れは、かつて遭遇したどの群れサイズよりも格段に大きいようだった。

 ローバーの装甲に穴が開くことだけは、何としても避けねばならない。

「大至急居住ユニットを格納、遮蔽して、乗員を全員先頭車両に。停車してやり過ごす」

「承知しました」

 フローレンスは、ドアを開けるとともに、室内にいるジェットを振り返った。

「ジェットさん。申し訳ないのですが、このまま操縦ユニットへ」

 車内にはすでに、乗客に移動を促す緊急アナウンスが流されている。

「わかった」

 ジェットは小さく頷き、椅子の傍らに立てかけてあった杖を手にしてゆっくりと立ち上がった。

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