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レイン

 彼は、ユグドラシルの木の実として生まれた。


 世界の中心にそびえる、あの大樹の木の実として。



 ********



 全球を覆う大気は、古代この星に文明が栄えていた頃の8分の1程度しかない。この薄い大気の中で生物が生きていくのは、容易ではない。空気だけでなく、水分も不足気味の世界の中で、進化のスピードが追いつかなかった多くの生物が死滅し、生き残った生物たちは、奇妙な形態へと進化していった。

 そして知恵を持つ我々人類は。

 エッジワースシティと呼ばれる辺境の街の中心には、どの街にも高さ1000メートルほどの巨大な塔がそびえ立っている。網目状に組まれた鉄骨の周囲は、自己組織化繊維と呼ばれる植物由来の新素材で覆われており、年を経るごとに強固なものになっているらしい。街全体は透明な巨大なドームで覆われていて、ヒトが生きるための水と空気と気温を保証してくれていた。巨大な中央の塔は、そのドームを支える支柱の役目も果たしている。

 塔には何箇所か屋外展望室が設えられていて、高さによっては、街全体だけでなく、ドームの外の広大な景色をも見渡すことができた。

「探しましたよ、レインさん」

 塔の最上部の屋外展望室に姿を見せたのは、この街では非常に珍しい「子供」だった。

 このフロアまで上がるエレベーターがないため、途中から階段を駆け上ってきた。息が切れている。地表との気温差も10度以上ある。吐く息が白い。

 腰まで届くほどの長髪を、緩やかに三つ編みにまとめている。利発そうな表情に、まだほんの少しだけあどけなさが残る横顔の少年。または少女。

 この世界では、成人前の子供は髪を伸ばす習わしがある。そして何より、成人前の子供には、性別がない。強い宇宙放射線の影響でY染色体が消滅したのは、もう何世紀も前のことだ。それ以来、この星に残って暮らすことを許されている人は、後天的な性ホルモンの摂取によって性別を決めるASS(後天的性選択)を採用している。そもそも、生命の誕生に男女の別など必要ない世界だ。人口バランスに配慮する必要もないのだから、性別など、そもそも無駄な概念に過ぎない。それでもいまだに「男女」という性にこだわっているのは、ただ遠い先祖のことを懐かしんでいるだけなのかもしれない。世界に秩序をもたらす数少ない伝統的慣習として残っているにすぎない。だから子供たちは、自分の好みの性別を、自由に選択すればよかった。

 子供たちは15歳以上になると自ら性選択をすることができるが、10歳くらいから、男になるか女になるかの大まかな嗜好を定めることが多い。生まれた時に両耳につけられるピアスを片方外すことで、その性自認を対外的にアピールすることができる。

 もっとも、このルールは、二世紀前に流行ったもので、元来「生」のないエッジワースシティには、あってないようなルールだ。それでもこの街では、首長が復古主義者だったというのもあり、15年前から公式のルールとして採用されている。

 だから、左耳にのみピアスが残るこの子供は、「少年」と呼ぶことにしておく。

「親方が探しています」

 薄暗い屋外展望室の端のベンチに、人影が見える。鍔広の帽子の裾から、少しウェーブがかった黒髪が伸びて両肩にかかっている。彼の呼びかけは、その人影の背中に向けられていた。

「何の用だ」

 背後からの呼びかけに、レインと呼ばれた男は振り返りもせずに応じた。長いコートの裾が、ベンチの下まで垂れている。

「何の用だじゃありませんよ。親方が探しています」

「だから、その用事は何だ?」

「そんなの知りませんよ。親方に直接聞いてください」

「役に立たないな」

「はぁ!?」

 役に立たないという言葉に、明らかに機嫌を損ねた足音を立てて、少年は、レインの前に回り込んだ。襟の高いボウタイ付きの白シャツの上に抑えた光沢の黒い肉厚のベスト、その上にロングのジャケットを羽織り、下半身はジャケットと同じ肉厚の生地のパンツ。足元は膝まである編み上げのロングブーツ。腰にはレーザーガンを吊るしている。両眼を覆う濃い色のはめ込みグラスのせいで、レインの視線がどこに向けられているのかはわからない。

「わざわざ探しに来るくらいなら、ちゃんと用件も聞いてから来い。おい、何すんだミライ。返せ」

 レインの指先から火のついたシガーを取り上げて、ミライという名の少年は口をへの字に曲げている。

「3時間ですよ! 僕はもう3時間も、あなたを探していたんです」

「そりゃぁご苦労」

 揶揄するような台詞に、ミライの顔にあからさまな苛立ちの表情が浮かんだ。可愛らしい顔が、ギュッと険しくなる。

「そう怖い顔すんなって。俺だってたまには、のんびりと休みを満喫したって悪くないだろう?」

 街の中は気温コントロールがされているが、日が当たらない時間は急速に気温が低下する。

 レインはポケットの中から小さな銀色の缶を取り出した。両手には革の手袋を嵌めているが、指先だけが出ているために、小さな缶の蓋を開けるのは雑作もないことだった。中の液体をほんの少し喉に流し込んで、大きくひとつ息を吐いた。

 今では珍しい希少金属で作られたその缶は、スキットルという名前らしい。古代の遺跡からの発掘品だ。年代物だが、充分に手入れが行き届いているため金属光沢は失われていない。

「どうして通信を切ってるんですか? 何かあったらどうするんですか」

緊急防衛司令(スクランブル)の通信はちゃんとつないである。困りはしないさ」

 そう言いながら、レインは、通信ユニットを埋め込んである右耳をコツコツと叩いた。

 大人たちは、仕事に特化した機能拡張を行なっているのが通常だ。

 古代に流行った海賊(パイレーツ)に憧れているというレインは、服装や持ち物だけでなく見た目にもこだわっている。そのため、彼の体はヒトの形の常識に近い姿を保っているが、それは宇宙空間での任務が多い防衛部の中では極めて少数派だった。

「明日キャラバン隊が着く。アンジーの話は、どうせその話なんだろうよ」

「わかっているなら、聞いてあげてくださいよ、親方の、」

「そんなことより」

 立ち上がったレインは、まだ何か言おうとしているミライの口を、右手の人差し指でそっと塞いだ。

「見ろ。明日は雨だ。珍しく、雨が降るぞ」

 ミライは、レインの視線の先、眼下に広がる街のずっと向こう、ガラスドームの外側を見た。時刻は18時。1日が26時間のこの世界では、夜の時間に当たる時間帯だ。しかも今は冬季だ。夜が長い。何しろ、冬至と夏至では、12時間も昼の長さが違うのだ。

 ジャイアントインパクトで地軸が横倒しになってから、世界の水バランスは完全に狂ってしまっている。地下に水が溜まる縁に沿って作られたのが、エッジワースシティと呼ばれるドーム型の街だ。ガラスドームの向こう側には、不思議な世界が広がっている。視界の左半分は広大な砂漠、右半分がこげ茶色の森だ。一見すると枯れ木のように見えるその植物群は、地衣類が進化したものだ。その枯れ木の森をオレンジ色に照らしながら暮れていった夕焼けも、もうすでに地平線の彼方に沈んでいる。

 そして空には、巨大な人工の月「エデン」が浮かんでいる。

 エデンの灯りが夜空を明るく照らすのは、そこに雲がある証拠だ。

「環境部のやつら、最近妙にやる気を出してるな」

 地表の環境を管理している環境部は、もっぱらドームの内部の環境ばかりに配慮してきたのだが、ここ最近はドームの外の環境制御にも力を入れている。ラグランジェポイントに設置した新しい人工磁場発生装置が功を奏し、大気の厚みがプラスに転じ始めてきていた。それに安堵してようやく、域外の再緑化に本腰を入れ始めたらしい。

「信じられるか? この星は昔、水の惑星っていわれてたんだぜ? 俺ももちろん、そんな時代のことは知らないけどな」

 スキットルの蓋を閉めながら、レインは独り言のように呟いた。

 この星の地表面が、環境保全のために居住が制限された指定管理区域に指定されてから三世紀ほど経つ。大気中の酸素濃度が安定してきたのは、ここ半世紀の話だ。ドームの外は、生身の人類が生きていくのは極めて厳しい環境で、紫外線や熱を遮蔽する外骨格を発達させた一部の生物のみが、細々とした生をつないでいる。人類の多くはすでにこの星を離れ、管理のために残っている少数が、エデンに暮らしている。エデンを去ることを決めた人たちが建築して移住を始めたのが、このエッジワースシティなのだ。

「レインさんは、ユグドラシルを登ったことがあるんですよね?」

 遥か彼方で、神々しいばかりの眩い光を地上に落とすエデンを支えているのは、ユグドラシルという大樹、否、大樹の形を模した軌道エレベーターだ。もっとも、遠く離れたこの街からでは、天から垂らされる蜘蛛の糸のように細く、頼りないものとしか見えないのだが。

「あぁ、まぁな」

「いいな。僕は、大人になったら、絶対にエデンに上がるつもりです」

「エデンがどんな場所か、わかっているのか?」

「知ってますよ!」

 少し棘のある言い方だったからか、ミライの返事にも苛立ちの気持ちが含まれている。

 辺境の街に暮らす者の多くは、煌びやかなエデンの灯りに憧れる。

「エデンは死のない国、ユートピアです」

「近づきすぎて焼け焦げないように、せいぜい気をつけることだな」

 真剣に答えたミライの言葉を、レインは曖昧な表現で受けた。

 反論しようとしたが、立ち上がったレインに圧倒されて、その言葉を飲み込んだ。

 190センチを超える長身だ。さすがに迫力がある。

「レインさんは、そもそも、どうしてエデンを去ったんです?」

「さぁな」

「さぁな、って、ご自分で決めたことなんじゃないんですか?」

「そんな昔のこと、忘れちまったよ。アンジーにでも聞いてみたらどうだ?」

「親方は、理由なんてないって言うんです」

「まぁ、そんなもんだ。俺は、この殺伐とした大地が気に入っている」

 レインは唐突に、ミライを片手で制した。通信ユニットに短く応じてから、身をかがめた。

「悪い。出動命令だ。子供は早く家に帰れ」

 ミライの頭をぐしゃぐしゃっと乱雑に撫でる。その手で、先ほどミライが自分の指先から抜き取ったシガーを奪い返し、くるりと踵を返した。

「あ、ちょっと! 待って! レインさん!」

「早く帰れ。キャラバンが着くと、忙しくなるぞ」

 ミライは、レインの背中を慌てて追いかけたが、彼はすでに、背中に装備されているドローン装置でその場を去った後だった。

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