制服マジック
「今日からマネージャーとして頑張りますのでよろしくお願いします!」
グラウンドの隅で深々と頭を下げたその女の子は新入生のようだ。
そんな声が遠くから聞こえる。
今日からサッカー部のマネージャーになるのか。
ふーん。あんな雑用、オレなら願い下げだな。
どうせカッコいい先輩でも見つけたんだろう。
帰宅部のオレはそれを蚊帳の外から見ていることしかできない。髪の毛は黒色のショート。顔は凛々しく男装させれば、イケメンの男の子に見えないこともないような感じだ。
オレはもっと可愛い子がいいんだよな。ちょっとドジなぐらいで髪も長い方がいい。あの子は気も強そうだし、ないな。
そんなことを勝手に思っているけど、生まれてこのかた十六年。彼女なんていたこともない。相手を選べるほどオレは上の方に立つ人間ではない。
「帰るか……」
「いたっ」
翌日のことだ。下駄箱に通じる正面の入り口を入ろうとした時。頭の上に何かが降ってきた。上の階のベランダからだ。
ちょっ、やばっ。
何かが聞こえた気がする。
「ごめんなさい!」
上から聞こえる女の子の声よりも地面に落ちたものが気になった。たいしていたくはなかったけど、なんだか少し煙たい気もする。
それは黒板消しだった。きっとベランダに出て叩いているときにうっかり落としてしまったんだろう。その時偶然オレがそこにいた。それだけのことだ。
まわりにいる数名の生徒には少しだけ笑われて無視される。
「大丈夫だよ!」
オレは上を向いて小さく手を挙げた。
逆光で顔は見えない。
「そこ、置いといてください。取りに行きます」
ここから投げてもよかったけど、煙たくなるのを避け、この場に置いたままにすることにした。だからオレは触れてすらいない。
この学校はネクタイの色で学年がわかるようになっている。今年は一年が赤、二年が青、三年が緑となっている。女の子がいた場所は一年の教室だ。オレのネクタイは青。だから敬語だったのだろう。
「お前なんか、頭白いぞ。もう老けたか」
教室に入りオレを見るなり、爆笑しているこいつはオレの友達だ。こいつはいつもオレよりも早くここにいる。サッカー部で朝練をしているからだそうだ。
「笑うなよ。なんか黒板消しが降ってきたんだよ」
「はぁ? なんだそれ」
「とりあえず洗ってくる」
友達に言われて汚れていることにはじめて気づいた。
オレは荷物を自分の机に置くとトイレに向かった。鏡で確認すると結構白かった。ちょっと濡らすぐらいでは落ちそうにもない。
まぁいいか。
オレは洗面台の蛇口に頭を近づけた。
「探しましたよ!」
トイレから戻って後少しで朝礼が始まるというときに、教室に飛び込んできたのは一人の女の子だった。一年生のようで、昨日サッカー部のマネージャーになった女の子だった。
その子は窓を背に立っていたオレに近づいてくる。
「え? オレ?」
てっきりオレの隣にいるサッカー部の友達に用事があるのかと思った。そのサッカー部とは、私にはさっきオレを見て爆笑したやつだ。
「さっきはごめんなさい! これどうぞ」
女の子はオレにタオルを差し出した。
「なんで君が?」
「黒板消し……」
「あぁ、そうか。逆光で見えなかったんだ」
オレは何気なくタオルを受け取った。そのタオルにはサッカー部のロゴが入っている。
「これサッカー部のやつじゃん。いいのか?」
「良いんです」
その子は笑顔を見せて一礼をした。そして教室を後にする。
そのあとオレはそのタオルを遠慮なく使わせてもらった。
「このタオル部活ん時持ってってくれよ。サッカー部」
オレは隣にいるサッカー部の友達の肩に手を置いた。
「自分で返せよ」
その手は簡単に落とされた。
「……めんどくさい」
「あいつ、可愛いだろ?」
「何処が?」
サッカー部の友達は窓から外を眺めた。
「なんかオーラってゆーかさ、制服マジックってゆーかさ」
「なんだそれ」
「サッカー部って男ばっかじゃん。泥だらけのユニフォームの中に一人だけ制服姿の女の子がいるとさ、たいして可愛くなくても、可愛く見えちゃうんだよ」
「そうか?」
オレには全くわからない気持ちだった。だって今この教室には何人もの女子生徒がいるわけで、あの子よりも可愛い子だって何人かいる。純粋にそっちの方がいいなとは思った。
「洗って返せよ」
「サッカー部に返せばマネージャーがユニフォームと一緒に洗うだけだろ?」
「そうだけど、お前借りたならちゃんと洗って返せよ。どうせ母ちゃんに洗ってもらうだけだろうけど」
「……まぁ、そうだけど」
「失礼しまーす」
オレは母親に洗ってもらったサッカー部のタオルを放課後、古びたコンクリート造りの部室棟にあるサッカー部の部室に持って行った。ドアを開ける。マネージャーのあの女の子は洗濯して乾いたユニフォームをハンガーにかけているようだった。
「これ、助かった」
"ありがとう"その言葉は恥ずかしくて出てこなかった。
「あのときは、ごめんなさい」
女の子は部外者のオレをサッカー部の部室に入れたくないのか外に出てきた。
「もういいって」
「今更ですけど、怪我とか大丈夫ですか?」
少し汗臭い臭いがした。女の子の制服からというか、部室の中からというか、この辺一帯というか。
「あぁ……」
部室の中は暑いのか、女の子の顔には少し汗がにじみ出ていた。制服の脇の辺りも少し濡れているような気がする。
顔はボーイッシュ。髪はたいして長くはない。胸の膨らみもない。頭の上から足の先まで全てを見た。やっぱりこの子はオレのタイプじゃないな。改めて思った。
「どうしました? 先輩」
女の子はオレの顔を覗き込むように下から見上げてくる。
せん、ぱい……だと?
オレの心の臓の鼓動は早くなり、音も大きくなる。"先輩"と呼ばれたことにドキドキしてしまった。中学の時も部活には入ってなくて後輩と関わる機会なんて一度もなかったからだ。
ヤバい。これ聞こえてるんじゃないか? 落ち着けオレ。なんでもない女の子じゃないか。何処にでもいるような。
「あの、先輩?」
「あぁいやその、なんでもない。じゃぁな」
オレは女の子に背を向けた。
「私、波瀬由依です。先輩の名前は?」
女の子の名前紹介に足を止めてしまった。そして聞かれたことに答えてしまう。
「佐藤真琴……じゃぁな」
オレは一歩踏み出した。今度こそ帰ろう。名前を聞けて満足だろう。しかし、それに待ったをかけるように波瀬の声が聞こえてくる。
「佐藤先輩、これは何かの縁かと思うので、その、えっと、あのひとつだけ、お願い聞いてもらっていいですか?」
「めんどうはごめんだ」
オレは上半身だけを波瀬の方に戻した。
「先輩は今度の日曜日暇ですか?」
「まぁ今のところは」
「じゃぁ、昼前にここに来てくれますか?」
今ここにいるのに、なんで学校が休みの日曜日にわざわざ来なければいけないのか。わからない。
「気が向いたらな」
オレは一歩二歩と足を進めた。
「部活あるから、お昼までは私ここにいるんで!」
波瀬は背中からそんな声をオレにかけた。
「由依って呼んでくださいね。真琴先輩」
波瀬は覗き込むようにオレを見る。
またか。オレはきっとこのアングルが弱い。苦手とかじゃなくて何故か恥ずかしくなってドキドキしてしまう。
好きだ。
「そのうちな」
"お前"から"波瀬"になって"由依"って呼べるようになるのはいつになるのか。とにかく当分先だ。