第92話 五人の娘
「あら? それはそっちにとって都合の良過ぎる話じゃなくて?」
イモータルの怪しい提案にどう答えたらいいか迷っていると、母さんが訝しむような口調でそう尋ねる。
確かに今の状況は僕達が優勢だ。
特にブリュンヒルド達を人質に取っているのだから、このまま逃がすのはイモータル達に都合のいい話とも取れるだろう。
僕はイモータルの様子を伺い本心を探る。
するとイモータルは呆れた顔をして溜息を吐いた。
「ふむ。確かにそう言われても仕方が無いがの。じゃが、おぬし達とてマーシャルのその力は出来るだけ隠していたいのではないか? 人間とは愚かなものじゃ。もし、その力が知られようものならマーシャルを巡って多くの血が流れると思うのだがのう? 少なくとも今のマーシャルの実力では世界相手におぬし達の力でも庇い切れぬだろうよ」
「う……確かに……」
イモータルの言葉に思わず納得してしまった。
一瞬冒険者達がやって来る事で助かったのだと思ったけど、言われてみれば僕の存在は世間に知られちゃうとやばいんだった。
始祖の後継者でカイザーファングのマスター。
それに僕の知らなかった僕の能力は今の魔法学の常識を超える物だ。
もし僕の事が世間に知れ渡ると、イモータルが言ったように各国から狙われる事だろう。
そして実験動物としてとても酷い事をされるんじゃないだろうか?
ぶるるっ。
「儂らって言ったけど、ダークエルフ達はどうやって撤退させるの? 冒険者はもうそこまで来ているのではなくて? ぶら下がっている四体は死神ちゃんの魔法で眠らせてるからまだしも、ブリュンヒルドって子はあの姿のまま目覚める気配が無いのだけれど、人の大人より大きい狼を動かすのは大変でしょう?」
「あぁ、それなら問題無いぞ。儂は転移魔法が使えるしの。そやつらをアジトまで転移させるくらい一瞬じゃわい」
「えぇ! そんな事出来るの? ならなんで最初からこんな回りくどい事を?」
イモータルはさも当たり前のように母さんからの質問に答えた。
一瞬従魔術には従魔を呼び寄せる魔法でもあるのかと思ったけど、母さんが驚いている所を見ると少なくとも母さんは知らないようだ。
始祖が開発したけど今には伝わっていない従魔術なんだろうか?
「まぁ、それで事足りると思っておったのが大きいのじゃが、お口にチャックな秘密はこちらとて持っておるのだよ」
イモータルはウィンクをしながら人差し指を立てて口に当てた。
お爺さんな風貌には似合わない仕草にちょっと噴出しそうになる。
「おい! 奴の言葉を聞くな!! すまないがマーシャル。こいつ等の命は今この場で刈り取らせてもらうぞ。生かして帰せば必ずお前の命を脅かす者になるだろうからな」
突然サイスの叫ぶ声が辺りに響く。
どうやらダークエルフ達をこのまま逃がすのに反対のようだ。
なんだか円満に場が解決しそうな雰囲気に騙されていたけど、サイスの言葉は確かに尤もな事かもしれない。
ここで逃がせばこれから先、ずっとブリュンヒルド達に命を狙われ続ける事になる。
特にヒルドとロタには凄く恨まれているだろうしね。
だけど、ここで殺してしまうと折角纏まりそうな話が拗れてしまうのも確かだ。
僕とイモータルは宿敵。
和解は有り得ないだろうし、次会う時は敵同士だろう。
それは分かっているけど、ただ単に憎しみ合って争うのは定められた運命に流されたようでなんかヤダ。
それに言葉を交わせる相手なら、サイスの様にこうやって一緒に戦える日も来ると思うんだよ。
「……ふぅ、死神は相変わらず頑固な性格じゃのう。あの時もそうじゃったな。仕方無いの。……『聖光』」
「な、なにを? ぎゃっ!!」
イモータルが魔法を唱えた途端、サイスの周りに光が浮かびその身を焼いた。
焼いたと言っても火の力による炎じゃない。
聖なる力で闇の魔物を払うと言う浄化の光だ。
死神であるサイスには弱点とも言える魔法だろう。
不意を突かれまともに神聖魔法を食らったサイスは悲鳴を上げて木の上から弾け飛ぶように落ちていく。
「サイスッ!」
真っ逆さまに落下するサイスの名を叫ぶと、それに反応して空中でクルッと体勢を整えなんとか無事に地面へ着地しその場で肩膝を付きうずくまる。
慌てて駆け寄ったけど既に浄化の光は消えていた。
「大丈夫!?」
「あ、あぁ。驚いて飛び跳ねただけだ。ダメージ自体はそれ程でもない。服は少し焦げてしまったがな」
僕の心配の声に応える様にスッと立ち上がったサイスは、その言葉の通り『聖光』による影響は殆ど見られない。
服が焦げたと言っても元々真っ黒なのだから何処が焦げているのか良く分からないや。
なんにせよ無事で良かった。
ホッと安堵した所で今の出来事に対して疑問が沸いてきた。
「今のは神聖魔法だよね? なんで? ダークエルフの中には神聖魔法を使える奴が居るって事? そんなバカな」
僕がバカなって言ったのはちゃんとした理由がある。
『神聖魔法で魔物に対して効果があるのは攻撃魔法だけ』と言う不文律によるものだ。
昔はその事が神の敵である証拠だとされていたけど、それを否定する母さんの考察は始祖の手記によって証明された。
神聖魔法が大地に恵みを与える正の力とすると、創魔術はその大地から力を奪う負の力と言う事らしい。
創魔術によって生み出された魔物の魔石はそれが原因で神聖魔法と反発する。
だから魔物が神聖魔法を使える筈が無いんだ。
神聖魔法を使おうと魔力の源である魔石に魔力を込めた途端、魔石そのものにダメージを受けるからね。
と言う事は……、いや、でも……。
一つの仮説が頭の中に浮かんだけど、そんな事は有り得ないと僕の常識が否定する。
「薄々感づいている様だの。それが正解じゃよ。今の神聖魔法は儂の力じゃ。おぬしらは『結魔術』が従魔の魔法しか唱えられないと思っておるようじゃったから黙っておったが、ほれこの通り……土に大地の力、天に日の力、継承するは我が力。三位一体となり我が尖兵を造り出でん『神操兵鍛造』」
信じられない。
今イモータルが唱えた魔法は付与魔術の極大呪文だ。
僕の目の前で見る間に地面から土が盛り上がり人型の姿を成し始める。
十を超える呼吸もしない内に全身を禍々しい鎧で固めたゴーレムが出来上がった。
その生成速度は一流の付与魔術師でもある父さんより早く、またその異形から感じられる力もその比ではない。
一体だけだと言うのに僕や母さんだけでなく、死神であるサイスでさえも負けないまでも苦戦をする事が予想される魔力を放っていた。
それどころか、ここまでのゴーレムを生成するには普通の術師なら大量の触媒と儀式が必要になるだろう。
今の様に詠唱だけで造り上げるのは父さんでさえ不可能だ。
「ほっほっほっ。どうじゃ? そろそろ儂の力の程を信じられる様になったか? まだ信じられないのなら……マーシャルよ疲れてはおらぬか? 身体を癒してやろうではないか……『完全回復』」
「そ、そんな……身体の……疲れが……」
ブリュンヒルドとの戦いの後、気を失った僕が目覚めた時に魔力は充実していたものの、慣れない事をした疲れの所為か身体はどこか重く感じていた。
だけどイモータルが唱えた『完全回復』によってその疲れは一瞬で吹き飛んでしまったんだ。
その効果から今唱えたのはただのハッタリじゃなく、間違いなく治癒魔術と言う事だ。
しかも『完全回復』なんて治癒魔術の極大魔法が使える治癒魔術師なんてこの国でも片手で数える程度しか知られていない。
神聖魔法も付与魔術も治癒魔術も、イモータルは超一流の術師と言う訳だ。
もう僕の持っている常識は意味を成さなくなった。
恐らくその気になれば残りの黒魔術や精霊魔術も使えるんじゃないか?
そしてそれらも超が付く腕前なのだろうと思われる。
二系と魔術を操る父さんを越えた、五系統魔術と神の御業の神聖魔法を使いこなす者が存在するなんて……。
これが僕の宿敵! 新たなる魔王!
敵の強さを目の当たりにした僕は改めて微笑を浮かべているイモータルに目を向けた。
「やっと儂の強さを分かって貰えたようじゃの。その気になれば一瞬でお前達を塵と化す事も容易いと言う事をな」
「……悔しいけどそうね。じゃあ逆に聞くけど、なぜ私達を見逃す気になったの? マーシャルはあなたの宿敵でしょう?」
もう腹の探り合いは必要ないのだろう。
母さんは尤もな質問を直接イモータルにぶつけた。
その質問にイモータルは嬉しそうに頷く。
「それは決まっておろう。今のマーシャルは弱い。儂と比べると『覇者の手套』で実力を隠していた時に感じていた力と誤差の範囲と言う所かの。だが違うのは、おぬしの将来には見込みがあると言う事じゃ」
「あ、あの……見込みがあるのなら、僕が強くなる前に殺そうと思わないの?」
「ふむ、何度同じ事を言わせるのじゃ? 今の儂は喜びに打ち震えているとも言ったであろう。儂は儂が蘇った事の意味を無価値にしたくないのじゃよ。おぬしなら価値の有る生にしてくれるだろう。ただそれだけじゃ。それにの……」
「それに? 他にもあるの?」
「いや、その言葉は最後に取っておこうか。その前にわしをこのまま逃がせば褒美が報酬をやると言ったのを憶えておるか? それはそこのブリュンヒルド達に探させていた邪竜ファフニールの卵の事じゃよ。それをおぬしに譲ろうと思う」
「邪竜ファフニールの卵を譲る? でもそれってあなたが探していた物なんでしょ? それにそんな物を貰ってもどうしたらいいのか僕には分からないんだけど」
「あぁ探してはおったのだが、おぬしが現れてくれたお陰で手に入れる必要が無くなった。それにおぬしはこれから儂と言う宿命と戦う為に力を身に付ける必要があるからの。そしてその力とは五人の娘……既に獣皇と絆を結んだおぬしなら分かるな? そう、その卵とは、おぬしの力となる娘の一人なのじゃよ」
「なっ! なんだって!! 五人の娘って母さんの言葉じゃないか! なんでその事を知っているの?」
あれは母さんの思い付きだと思っていた。
数の根拠は戦隊モノだとか訳の分らない事を言っていたけど、僕の夢で見た娘達の数と一致していたのが不思議だったんだ。
イモータルも同じ事を言ったって事は全てが繋がっているとでも言うのか?
「ほう、おぬしの母親がのぅ。と言う事はおぬしの母親も宿命を与えられてこの世界に生れ落ちたと言う訳か。お互い気紛れな神には苦労させられておるな。マーシャルの母親よ、名を教えてもらえぬか?」
「仕方無いわね。私の名前はマリアって言うの。それと神様に苦労させられてるって話だけど、まぁ本当よね。でも私は今の人生に満足しているわよ。あぁ生まれて良かったって心から思えるもの」
「わっはっはっはっ! そうか。ふむ、そうじゃな。名を教えてくれてありがとう、マリアよ、おぬしの言う通りじゃ。儂の生前も悲しい事は沢山有ったが、それ以上に掛け替えの無い楽しい思い出もそれはそれは数え切れない程有ったのも確かじゃったよ。……では、話はここまでとしよう。マーシャルよ。次会う時は敵同士、今日の様に情けなど掛けぬからそのつもりでな。それまでに少しでも力を付ける努力を怠らぬ事じゃな。ではさらばじゃ」
イモータルはそう言うと、なにやら呪文を唱え出した。
それと共に木の上に吊るされているヒルド達や狼の姿になって地面に縛られているブリュンヒルドの回りに魔法陣が浮かび上がる。
その形状から恐らく転移魔法のようだ。
本当に発動させられるんだ。
しかも二箇所同時だなんて……これで黒魔術の腕も超一流だった事が証明された。
転移の魔法陣から発せられる光を少し呆けた目で眺めていると、今まさに転移を始めたイモータルと目が合った。
「あぁ、最後に一言だけ言わせてくれ…………マーシャル。ありがとうね。またスフィアに逢わせてくれて、本当に感謝してるよ……」
「え……?」
僕に感謝の言葉を述べたイモータルの顔に一瞬別の誰かの顔が重なったかのように見えた。
幻術の類かと思い慌てて目を擦ってもう一度目を向けたらそこには既にイモータルの姿は何処にも無かった。
それどころか周りを見渡すとブリュンヒルド達や即興で作り上げたゴーレムの姿も見えなくなっている。
どうやら僕が目を擦っている内に転移が完了したのだろう。
今見えた顔はなんだったんだ? 魔道具の不調なのか?
「はぁ~何とか命拾いをしたわ~。しっかし、世界は広い広い。あんな奴が存在するなんてね。マーシャル! 気張りなさいよ? あんたはあれを倒さないといけないんだからね」
「え? う、うん分かったよ。……ねぇ、母さん。最後あいつの姿っておかしくなかった?」
「おかしい~? う~ん、そうだったかしら。『さらばじゃ~』とか言ってすぐに消えたじゃない。特におかしなな事は無かったと思うけど?」
「あれ? そう……だったの? あれれ?」
「もう、マーシャルったら変な子ねぇ。それよりあいつの気が変らない内にファフニールの卵を見つけに行くわよ。あぁ、その前にこっちに向かってる冒険者も適当にあしらわないといけないんだっけ? 面倒臭いわぁ~。このままバックレちゃおうかしら?」
「そ、そうだね……うん」
驚く事に母さんには最後の姿が見えていなかったようだ。
僕の言葉に特に気にする事も無く、ここに向かってくる冒険者達の方角を眺めながら面倒臭そうな顔をしている。
アレは僕にしか見えなかったんだろうか?
それともなんとか切り抜けたって言う安堵が見せた幻覚だったのかな?
うん、絶対そうだよ。
だってお爺さんの顔が女の人の顔に見える訳無いもん。
書きあがり次第投稿します。




