第80話 あの日の……
「こ、この魔力……。き、貴様は一体何者だ!!」
突如現れた闇を纏う少女に対してブリュンヒルドは焦りを含んだ言葉で叫ぶ。
どうやら魔物だからと言って、その全てがかつて魔王の下で総司令として魔物を率いていた死神の事を知っている訳じゃないようだ。
そりゃそうか。
だって死神はサンドさん達が目覚めさせるまでの三百年もの間、ずっと遺跡の奥で寝ていたって話らしいし、知っている方がおかしいよな。
そんな事より今は『なぜこの場に死神が現れたのか』って事の方が重要だ。
ブリュンヒルドと言う化け物の存在によってもたらされた絶体絶命のこのピンチ。
母さんが本気を出してくれたお陰で何とか打破出来そうな雰囲気になったところだったのに、なんでよりにもよってこの場面で僕の命を狙っている死神が乱入してくるなんて。
一体どうなってしまうんだ?
「答えろ! その魔力の波動からするとお前は従魔の契りを交わしていないのだろう。 なら、なぜあの人間に味方する!?」
空中に浮かんだまま何も喋らない死神に対してブリュンヒルドはさらに激しく声を張り上げた。
だけどその言葉は間違っている。
死神は僕達の味方じゃないよ。
その証拠に当の本人である死神は、ブリュンヒルドの言葉など意にも介す様子もなく、その赤い双眸を僕にだけ向けているのだから。
感情など一切感じられない吸い込まれそうなその瞳に、僕は言い知れない恐怖を感じる。
その瞳が意味するものは、この場において僕の命を奪い魔王を復活させると言う事しか興味が無い事の表れだろう。
ただ不思議なのは母さんが死神の行動を知っていたと言う事実だ。
それどころか、その登場すらまるで母さんが合図を送ったようだった。
ロタ達を倒したのも状況的に死神の仕業としか考えられない。
母さんは死神を追っ払ったって言っていたけど、もしかして実は仲良くなっちゃたとかないよね?
僕の命を狙う敵と仲良くなるなんて有り得ないとは思うんだけど、破天荒な母さんなら十分考えられるから恐ろしい。
それなら良いんだけど、う~ん……どうなのかな?
僕の事を無表情な顔でずっと凝視してるあの目は完全に獲物を狙う捕食者の目にしか見えないんだけど。
ロタ達を倒した真意が分からない限り安心するのは早いだろう。
ただ単に魔物内での派閥争いの可能性も有るし、何より僕を生かしたまま何処かに連れて行こうとしている連中を自分の目的の妨げになると思って排除しただけって線も考えられるな。
敵の敵は味方じゃなくてやっぱり敵なんだよ。
母さんと友達……なんてのはただの現実逃避の妄想だ。
母さんの発言だって、ただ単に死神の魔力を察知したからドヤ顔でそれっぽい事を言った可能性だって十分有り得るしさ。
まだ安心は出来る状況じゃない。
僕は少しばかり緩んだ気を引き締め直し、死神の行動を見逃さないようにじっと見詰めた。
「おい! なぜ無視する! くっ仕方が無い。これ以上任務の妨げとなる不確定要素は看過する訳にはいかぬ。我らと敵対すると言うのならば排除させてもらうぞ! 冥府より呼びし我が氷の槍にて串刺しとなるがいい! はぁぁ! ニブルヘイムの息吹よ! 我の求めに応じ飛槍と成して敵を貫け!『冥氷飛槍』!」
死神に無視されていたブリュンヒルドは、とうとう怒りを露わに呪文を唱え出した。
母さんの本気モードと突如現れ仲間を倒した謎の敵。
二対一はさすがに不利だと判断したのだろう、まずは正体不明の存在から排除する作戦に出たようだ。
その身体から立ち上る魔力の高まりからすると、かなり高度な魔法だと思う。
少なくとも魔法学の授業に出てくる魔法では詠唱の一小節すら該当するものを聞いた事が無い。
恐らく一族に伝わるような所謂奥義や秘技と呼ばれるものなのかもしれないな。
その効果も凄まじいもので突き出した手の周りには無本の氷の槍が現れ、死神目掛けて次々と飛び出していった。
その余波だけでブリュンヒルから少し離れている僕のところに残留魔力を含む風が吹き付けてきて魔力酔いを起こしそうになる。
僕より近くにいる母さんやドリーが特に怯んだ様子も無く立っているのはさすがだ。
だけど、大型魔法を使った直後は必ず隙が出るのは逃れられない宿命だ。
それはブリュンヒルドでも同じだったみたい。
無防備にも横腹をこちらに向け、その横顔は死神だけを睨んでいた。
僕の位置からじゃ遠いしそもそも有効な攻撃手段を持ってないけど、母さんはすぐ側にいるんだからこの隙に攻撃したら良いのに。
けれど母さんってば腕を組んで、ただその光景を見守るだけだった。
チラリと見える横顔にはうっすら笑みが浮かんでいるようにも見えなくも無い。
見た事のない魔法をその眼で堪能しているのかもしれないな。
本当に母さんって一体何を考えて生きているのか息子の僕でも分からないや。
今まさに死神へと届かんとする幾本もの氷の槍。
本来単体に対する魔法ではなく広域を殲滅する魔法だったみたいだ。
集束率は低く放射状に散らばるそれは、死神より手前に立ち並ぶ周囲の木々を抉り掠めて薙倒して行く。
その一本一本が必殺の威力を持ち、僕なら確実に五回は殺せる程の魔力を持っているようだ。
これならば例え死神であろうとも、ただでは済まないんじゃないだろうか?
正直ブリュンヒルドと死神は、僕にとってどちらも恐るべき敵であるのは間違いない。
互いに潰し合ってくれるのなら助かる……助かるんだけど。
槍に貫かれる死神の姿を想像すると、何故だか胸がとてもざわついた。
僕はこのまま見ているだけで良いのだろうか?
正体不明の感情に戸惑っている僕の目に、死神の胸に何かがキラリと光るのが映った。
あれは? あの日の……ブローチ?
それに気付いた瞬間、僕の脳裏にあの日の夕暮れ。
そして確かに聞いた「ありがとう」の言葉が蘇った。
「サイス!! 危ない! 避けてっ!」
僕は思わず死神に対して大声でそう叫んだ。
なんでそうしたのか自分でも分からない。
あの日僕の幼馴染を名乗った少し年上の女の子。
だけどその正体は僕の命を狙う敵だった。
そんな事は分かっているのに何故か僕は彼女の名前を叫ばずにはいられなかったんだ。
そして……僕はそれを目撃した。
それまで感情など抜け落ち赤い宝石が填まっているだけに見えた彼女の目が驚きに見開いた事を。
その口にはあの日の女の子と同じ笑みが浮かんでいるのを。
「ふぅ、マーシャル程度の雑魚に心配されるとは心外だ。なによりこの程度の魔法で私が傷付くと思われているとは。頭の中に詰まってるのは空気なのか?」
一瞬の後、口元の笑みが消え無表情に戻った死神は感情を一切感じさせない抑揚の無い口調でそう言った。
え? 何かとんでもない悪口を言われたんだけど……。
そんなショックを受けている僕を気にも留める様子もなく、おもむろに右手を上げた死神は、サッと羽虫でも払うかのような動きをする。
その動きに何の意味が有るのだろうか? と思うのも束の間、手で払った位置を中心に闇が広がり、迫り来る氷の槍は次々とその中へと消えていくのが見えた。
全ての氷の槍が闇の中に消えると、闇はかき消すように木漏れ日の中に霧散する。
そして消えた闇の向こうには、空中から見下ろす形でブリュンヒルドに顔を向けている死神の姿が目に入った。
「其処な従魔。よもや死神と呼ばれる我に向かって冥府の魔法を使うなど。ふん、無知蒙昧にも程がある」
死神は自分の必殺の魔法があっさり無効化され茫然としているブリュンヒルドに向かってそう言い放つ。
棒読みには変わりないものの、先程とは異なるどこか高圧的なその物言いに、これが魔王軍副官としての本当の死神の姿なのだろうと少しの落胆と共に僕は納得した。
やはりあの日の明るい女の子は僕を欺く為の演技だったんだな。
そして……あの『ありがとう』も。
でも、それでもあれが本心だと感じたのは、ただの僕の願望でしかないのだろうか?
「なっ! し、死神だと? 人魔大戦以降消息を絶ったと言われるあの死神か! まさか……生きていたとは……」
死神の名を聞いてブリュンヒルドはその真偽を確かめる為に問い質した。
生きていた事に驚いてる所を見ると魔物達でも死んだ事になっていたのか。
なら、姿を見た時に気付かなかったのも頷ける。
「他に死神が居るのなら会ってみたいものだな。我の異名を騙る不届き者として冥府に送ってやるのに」
「くっ!」
一々棘のある言葉を返してくる死神に対してブリュンヒルドは悔しそうな声を上げる。
自身の必殺の魔法が効かなかった事を認めたくないのか、ブリュンヒルドはもう一度魔法を唱えようと右手を突き出したが、既に死神の姿はそこには存在していなかった。
「ど、何処に消えた?」
突如消えた死神の姿にブリュンヒルドだけでなく僕達も辺りを見回す。
何処に行ったんだ? もしかしてロタ達を倒したんで、もう気が済んだから姿を消したんだろうか?
それとも僕が身の程知らずにも「避けて」って言ったから怒って帰っちゃったの?
実際どちらにせよ、居なくなってくれた方が助かるかも。
始祖の手記の所為も有って、なんだか死神を見てると落ち着かないや。
勝手に愛の力で助けろとお願いされても困るよ……って、ん? あれ?
皆が死神の行方にキョロキョロとしている中、母さんだけはニヤニヤした笑顔で僕をじっと見ていた。
無事だった僕を見て安心して笑ってる……にしては、なんだか下世話な顔だ。
ゴシップな噂好きの先輩とかが新しいネタを仕入れた時の顔に似てるかも。
なんでそんな顔で僕を……いや、違う。
なんか目線が少しずれている気がする。
僕と言うより、僕の後ろ?
あっ! ブリュンヒルドもこっち見た!
って、同じく僕の後ろを見て唖然としているな?
なんだ? 一体僕の後ろに何があるて言うんだ?
「ひっ!」
母さんの目線の先を追って後ろを振り返った瞬間、僕の口から引きつったような悲鳴が出た。
思わず反射的にその場から飛び退く。
だって、振り返った顔のすぐ近く、そう今にも鼻と鼻がぶつかりそうな程近くに真っ赤な目で僕をじっと見ている死神の顔が有ったんだから。
いつも読んで下さってありがとうございます。
書き上がり次第投稿します。




