第57話 世界中の誰よりも
「それで二つ目なんだけど、これも言うだけは簡単な事なのよ」
成長していると言う実感を噛締めていると、母さんはニヤッと笑いながら僕を見る。
そう言えばやるべき事は三つと言っていたっけ。
一つ目も言葉で言うと簡単な事だった。
実現は僕の努力次第なんだけどもね。
今の言い方からするとなら二つ目も実現は難しいって事なんだろう。
さて、どんな難題を言うのかな?
「それはね、始祖の弟子達が従魔戦争の後に施した封印を解く事よ」
「えっ? ……えぇぇぇ~~!! ちょっと待ってよ! それ犯罪じゃないか。僕が解いたのは始祖の封印だからギリ大丈夫と心の平安を保ってたのに」
権力者の命令だけじゃなく、他の魔法系統の人間達の思惑も絡んでたって母さんが言ってたし、僕が解いたりなんかしてバレちゃうと、暗殺部隊とか送られてきそうなんだけど。
ちょっとリスクが高いんじゃないかな?
「だから言うのは簡単って言ったでしょ? けれどマーシャルのキャッチがアレな感じに酷いのは第二の封印の所為だと思うのよ」
「アレな感じに酷いって……さっきから母さんの言い方が酷いよ!!」
まぁ、確かにそうとしか形容出来ないけども。
さっきからわざと酷い言葉を選んでない?
「だから言葉の綾だって。それで解説なんだけど、マーシャルの赤い契約紋について現在のところデメリットの方が多いと思うの」
「それは……確かに……。『絆魔法』も自由に使える訳じゃないし、契約を解除出来ない癖に自分の力を超える従魔はしっかり代償として命が使われるもんね。マジで呪いだよ」
「本当にね。実のところ始祖のキャッチがどんなものだったかは不明なのよ。光輪式の従魔術は始祖が普及用に開発した従魔術だからね。だけどマーシャルは赤く光る契約紋を持っているのに光輪式のキャッチに縛られている。と言う事は、普及用に制限された従魔術と弟子の子孫達による従魔制限の二つの封印がマーシャルの魔力の器を無理やり押し込めている状態なわけなのよ」
「二つの封印……だから制御が難しいって事?」
「恐らくね。もしかすると魔力チューブに関して最初の発動以降は無意識で発動出来るようになったのも、マーシャルの必死の思いが第二の封印を魔力チューブの形で歪ませたからかもしれないわ」
「そうかもしれない……。二回目以降は魔力を込めると言うよりも流し込むって感覚だったよ」
本来のキャッチは従魔制限と言う第二の封印の所為で、魔力をいくら込めようと受け付けない。
だけど、あの時の僕の強い想いが第二の封印を歪ませ、それが鋳物の型みたいな傷を付けた。
だからそれ以降、僕の魔力は強い想いが無くてもただ第二の封印に出来た型に魔力を流し込むだけで使える様になったんだな。
「じゃあ、さっき言っていた魔力制御の訓練だけじゃ不十分かもしれないのか。でもだからと言って封印を解くのはなぁ……。弟子の子孫達しか知らない真実はさておき、一般的には権力者が強過ぎる力を恐れて封印した事になっているんだから。僕が解いた事がバレると賞金首にされるかもしれないよ」
「バレなきゃ大丈夫よ。お母さんも色々とひみつ道具を開発してるけど、バレたらヤバいレベルの物はこの眼鏡だけじゃないんだから。 その存在が外部に知られただけで、マーシャルが道具との交換要員として拉致されるレベルの物とか有るのよ。絶対に外で話しちゃだめよ? 例えばこの四次……げふんげふん。異次元ポケットなんだけど……」
そう言って母さんはスカートのポケットを指差した。
何か言い掛けて言い直したけど、そんな事よりやっぱりそれも魔道具だったのか。
通りでガサゴソと腕が肘まで入ってるからおかしいなと思ってたんだよ。
ん? 母さんてば今『例えば』と言ってなかった?
ちょっと! と言う事はそれヤバい奴じゃないか!
外で話すなとか言いながら、新たなネタを教えないで!!
「あーーあーーー聞きたくないし、知りたくない!! ったく、本当に母さんは自由人過ぎるよ!!」
そもそも犯罪勧める親ってどうなの?
そりゃ封印された奥義の安置場所は一般には知られてないし、もしかしたら今じゃ誰も管理してなくてセーフの可能性も有るかもしれないけどさ。
逆に、こんな弱い僕にどうやってそんな秘密の場所を世界中から見付けろと言うんだ。
「ちなみに母さんは第二の封印が隠された場所って知ってるの?」
「あら? そこはマーシャルが頑張る所よ。全部人任せじゃなく、マーシャル自身も動かないとダメ」
「う……確かにそうだけど、取りあえず第二案は一旦保留させて。最後の第三のすべき事を教えてよ」
もし今でも権力者によって管理されていた場合は絶対護衛とか居るだろうし、下手すれば弟子の子孫達が封印ついでに強力な守護者を配置してる可能性だってある。
そんなの相手じゃ僕なんかじゃ手も足も出ないよ。
「もう我儘ね。じゃあ、第三のするべき事を言うわよ」
「それも言うのは簡単でやるのは難しい事?」
「そうよ。でも一番単純明快ね」
母さんはそう言って少し意地悪そうな顔で笑った。
僕はその笑顔に悪い予感しかしない。
今までの経験上、母さんがこんな顔した時は大変な事が待っているんだから。
「マーシャル。強くなりなさい。お母さんよりも……いえ、世界中の誰よりも」
「へ?」
母さんの言葉に一瞬真っ白になる。
強くなりなさい? しかも母さんどころか世界中の誰よりも?
いやいやいや! 無理でしょ!
それが最後のやるべき事なの?
「強い魔物と契約しても大丈夫なように、封印を管理している奴らが報復して来ようと目じゃないくらいに。全てはマーシャルが世界で一番強くなれば解決する問題よ。魔力制御を極めるって解決法も出て来たけど、どっちみち魔力の器に振り回されないくらい自身が強くなるのが近道なんだから同じ事よ」
「本当に大変な事だよ!! 世界で一番なんて無理だよ無理! そりゃ始祖の力を継いだみたいだし、始祖が目指した世界を見たいとも思ったけど、僕はただ自由に魔物と契約したいだけなんだよ。そもそもこんな雑魚テイマーな僕が世界一なんて無理……」
ここまで喋って僕は言葉を止めた。
僕は母さんに愚痴を聞いてもらう為にここに帰って来たんじゃないんだ。
強くなる為に帰って来た。
僕のキャッチで魔物を殺したくないし、自分も死にたくない。
母さんの言った様に本当に強くなれば全部解決するんだったら願っても無い事じゃないか!
「分かったよ。世界一強くなれるかは分からないけど、元々実家に帰ってきたのは強くなる事……それが目的だったんだ。僕は全てを解決する為に強くなってみせる!! そして……」
「新たなる魔王を倒す……そうよね?」
母さんは僕の決意の宣言の最後、確証の無い未来だったから言葉にするのを躊躇った後を継ぐようにそう言って締めた。
「母さん、知っていたの? 新たなる魔王の事!」
「えぇ。禁書に書かれていた『新たなる災厄』についてはずっと調べていたからね。今日あなたが帰って来た事で全てのピースが填まったわ。けれど、それにはあなたが強くなるだけではダメなの」
「えぇ? 強くなるだけではダメってどう言う事?」
折角の決意が台無しになるような言葉に僕は情けない声を上げる。
世界一強くなれと言ったり、強くなるだけじゃダメと言ったり、僕どうすればいいの?
「さっき三つと言ったけど、それはあくまでマーシャルが制限される事無くテイマーとなる為の方法よ。あなたが既に新たな魔王の事を知っているのなら、もう一つすべき事があるわ」
「もう一つのすべき事? 世界一強くなっても勝てない相手なの」
母さんはコクリと頷いた。
僕はそれを見て奇妙な違和感を覚える。
叔母さんと一緒に研究していたから母さんが新たなる魔王の事を知っていても不思議じゃないけど、母さんの言葉はまるでその魔王が何なのかを知っているかのようだった。
「一人じゃダメって事。心強い仲間を探すのよ。それもただの仲間じゃないわ」
「ただの仲間……じゃない……? 冒険者パーティーとかじゃないって事?」
「そうよ。それはね、心と心が強い絆で結び合った家族同然の存在の事よ」
冒険者パーティじゃなくて、家族の様な仲間?
一瞬「お母さんも魔王と戦ってみたかったのよ~」と言って無理矢理僕とパーティーを組みたがってるのかな? と思ったけど、母さんの目が違うと語っていた。
それ以上に母さんの言葉に何故かライアの顔が浮かんで来たんだ。
『絆魔術』……それは心と心が強い絆で結び合った時、発動する魔法だと言う。
僕とライアはその絆によって本当の親子の様な関係になったんだ。
もしかして、その事と関係有るのかな?
母さんは僕の考えを読んだかのように笑顔で頷いた。
「新たなる魔王を倒すのは、あなたとあなたの従魔達の絆の力が必要なの。ライアちゃんがその一人目ね。少なくともあと三人……いえ四人の娘を探しなさい」
「娘? ライアは娘だけど、家族同然って事なんだから他の従魔はお兄さんや弟、それに息子でも良くない? なんで娘限定なの?」
「それは予……いえ、何でもないわ。女の感ってやつよ。マーシャルが持つケモナーの本質はライアちゃんが証明しているもの。五人全員娘の筈よ。抗おうとも全ては運命と言う名の縁が互いを結び付ける事になるの」
「ちょっと母さん!! 何度も言うけど僕にはそんな本質なんて無いから!! あれはライアが願った姿なんだよ。そもそも五人の娘って……五人の娘?」
「マーシャル? 急にどうしたの?」
『五人の娘』
その言葉に僕は何かが引っ掛かった。
何処かで聞いた話だ……違う!
聞いたんじゃなくて見たんだ。
始祖の封印を解いたあの日に夢で!
夢自体は殆ど覚えていないけど、まだうっすら憶えている内に叔母さんに話した記憶は残っている。
それにはライアの他に四人の従魔が出て来たんだ。
そして、僕は五人の娘達と共に新たなる魔王と戦っていた。
「そ、そんな……それって夢で見たのと同じじゃないか……」
夢で見た娘達の事を思い出した僕は、母さんの言葉に震える。
あれは僕の身にこれから訪れる未来を知らせる予知夢だったんだろうか?
「あら? 夢って何? 母さん気になるわ。詳しく聞かせて貰えるかしら?」
そう言えば夢の話について母さんにはまだしてなかったんだっけ?
母さんってばすっごく目をキラキラと輝かせて興味深々と言った感じだ。
少し恥ずかしいけど、僕がモコの事をライアと呼ぼうと思った切っ掛けの話を母さんに語るとしよう。
「うん、分かった。あのね……」
「ちょっと待って。ここじゃ何だし、そろそろ休憩しましょうか。ぶーちん、ちょっと書斎に行くから片付けお願いね。それと後でお茶をお願い出来るかしら?」
「かしこまりました。マスター」
母さんは言うや否や僕の手を引っ張り歩き出す。
興味の有る事なら暴走しがちな母さん。
そんなに夢の話が気になるの?
「ちょっと、ここで良いよ。そんなに腕を引っ張らないでって……。うわっ興奮して聞いてないな? 痛いってば……もう」
こうして僕は母さんに引っ張られながら書斎へと向かい、そこであの日見た夢の事を話した。
勿論詳しい内容は思い出せないし、娘達の名前さえ覚えていない。
だけど母さんは何度も頷きながら聞いていた。
娘の人数の根拠を聞いたけど「戦隊モノと言えば五人じゃない」と良く分からない事を言われてはぐらかされた。
「そして、マーシャルは指令ポジね」とはどう言う意味だろう?
残り四人の手掛かりを知らないか聞いたんだけど「一人は心当たりがあるわ」と言っていたけど、本当かなぁ?
知っているなら教えてって言ったのに「その内ね」って笑ってたんだもん。
取りあえず、僕がこれから歩まなければいけない人生は『世界一強い男になる』と言う空より高い目標に決まってしまったようだ。
あの夢が本当に予知夢なら、こんな雑魚テイマーな僕でも頑張れば強くなれるのかもしれない。
始祖が目指した世界……そして僕が見たいと思った世界。
それを見る為にはどうやら新たなる魔王を倒さなければいけないようだしね。
明日から頑張ろう! そう思いながらライアと一緒のベッドで眠りについた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
数奇な運命の元に生まれた少年テイマーが決意を胸に眠りについたその頃。
『城塞都市ガイウース』の城壁の上から少年が眠る屋敷を見下ろす者が居た。
しかしその姿は闇と同化する様に何者をもそれを目で捉える事は出来ない。
いや、同化する様ではなく、それは闇その物であった。
生まれ出でて数千の月日の間、闇と共に生き数多の人間を闇に葬ってきた存在である。
だが、現在屋敷を見下ろすその瞳には闇以外の色が浮かんでいた。
闇がこの場に留まり続けて半日が経ったであろうか?
闇はその間、瞬きもせずに少年テイマーが消えた屋敷の扉だけを見続けていた。
数千年生きて来た闇にはその程度の時間は、それこそ瞬きもしない刹那と同じ事である。
恐らく少年テイマーが再び屋敷から出るまで何日も何ヶ月も何年も、いや何百年でもその場で見守っているだろう。
その闇の名はデスサイス。
かつて魔王の片腕として人々から恐れられていた死神である。
しかし、それも過去の事。
現在の彼女は、仕えていた魔王の復活よりも、憎き人間共の魂を狩る事も、もはやどうでもいい些事であった。
数日前、初めて感じた少年の手の温もりによって、闇以外存在しなかった彼女の心に明かりが灯った。
それは、かつての宿敵の現在の姿を目に映した際、一つの道となったのだ。
今の彼女の心は、その道の先にある世界の到来を望んでいる。
だが、そこに至る手段を彼女は知らない。
彼女が生まれ出でてから蓄積されたその膨大で博識な知能にも刻まれた事の無い情報であったからだ。
しかしながら、人間の研究は飽きる程して来た。
その概念も知ってはいる。
実際に自分の身を犠牲にしてまで××を助けようとする人間は吐いて捨てるほど見て来たのだ。
『××』
そこに当て嵌まる言葉を彼女は理解しているのだが、今までの彼女の人生では取るに足らぬくだらない物として、まるでゴミ箱に丸めて捨てる様に意識の底へと沈めていた。
彼女はそれを意識の底から拾い上げて言葉にしようとする。
「こ……い……び………」
その言葉は、最後まで紡がれる事は無かった。
なぜならば、彼女自身が自身の口を言葉が漏れでない様に塞いだからだ。
闇となっていた彼女の周りは激しく呼吸するように震えていた。
実際にその姿が見えていたら彼女は肩で大きく息をしているのが分かっただろう。
そして、白磁のように色の差さぬ筈のその白い顔が、まるで夕日の様に耳まで赤くなっている事も……。
「違う……そこまでは望んで……い……ない」
少しばかり落ち着いた彼女は一度深呼吸をして自らの想いを否定する言葉を絞り出すように吐いた。
ただこれも彼女の本心であるのは確かだ。
今の彼女の目指す道は、見る影も無い幼子の姿と成り果てたかつての宿敵がその言葉と共に教えてくれた。
そう……今の彼女が目指すのは……。
「あら? これは思った以上の状況になっているようね」
突然闇の背後から声が聞こえて来た。
闇である彼女は神出鬼没の死神である。
数千年の月日の中、自らが人知れず愚かなる獲物の背後を取る事は砂漠の砂如きの数有れど、自らが背後を取られる失態を演じた事など一度も無かった。
彼女である闇が、その始めての失態に大きく震える。
そして闇は、背後に現れた声の主に対峙する様にその姿を現した。
それは数日前に見せた姿ではなかった。
黒き甲冑を身に纏い、その両手には数万の魂を刈り取った大きな鎌が握られていた。
この出で立ちは数千年の月日の中でも幾度も見せた事が無い姿。
死神の完全武装の戦闘装束。
自らの背後を取る者は敵だ。
しかも、それは宿敵でも憎き従魔術師でも為しえなかった事なのだ。
声を掛けられるまで全く気配さえ感じられない相手に、死神は完全武装で望む事にしたのだった。
「……何者だ?」
死神は声の主をじっと見据え、地獄にまで届くかの様な殺気を込めた言葉が静かに響かせた。
並の人間では、これだけで命を落とすだろう。
しかし、声の主である目の前の人間はそれを涼しげな眼で受け止めて笑っていた。
『こいつ……出来る!』
彼女は三百年振りに全力を出さなければならない事態だと悟る。
額に冷たいものが流れたのを感じた。
どうやら全力同様三百年振りに冷や汗を掻いている様だ。
彼女はギュッと手に力を込めて大鎌を構える。
身体を沈め両足に力を溜めて戦闘の準備をした。
自らの後ろを取り、しかも冷や汗を流させる相手だ。
長引くと厄介、勝負は一瞬で決めなければ。
彼女はそう思い、いつでも飛び掛れるように相手の出方に意識を集中させた。
「なんだかんだと聞かれたら! 答えてあげるが……っと、これ以上は色々と問題が出そうね」
声の主は突然彼女の想定など及びもしない程の暢気な声で、彼女の理解を超える言葉を吐き出した。
そして、苦笑しながら腕を組み首を捻っている。
声の主は隙だらけな姿だったが、彼女はその隙を突く為に飛び掛る事はしなかった。
なぜならば、理解を超える状況に戦意が削がれ戸惑った事も理由の一つだが、その月に照らされて浮かび上がる顔に見覚えが有ったからだ。
「お前は確か……」
「まぁ嬉しいわ。憶えていてくれたのね」
にっこりと声の主は笑った。
そうだ、昼間少年テイマーと一緒に屋敷の中へと消えた人物。
それを思い出した彼女であったが、その意図が分からず困惑した。
「私の名前はマリア。あなたが追いかけているマーシャルの母親よ」
「マーシャルの……母親……だと? 母親とは女性の場合のパパを表す言葉……。もしかしてお前は」
彼女は他の多くの魔物と違い、親と言うモノを持たず闇から単独で生まれた存在だった。
知識として親と言う存在を理解しているが、男の親の事を『パパ』だと言う事を認識したのはつい先日。
目の前の人間が語る、母親と言う言葉の意味を認識するに当たり『パパ』と言う言葉を経由する必要が有ったようだ。
その言葉を聞いた声の主……マーシャルの母親マリアはその場で崩れ落ちた。
彼女の攻撃を受けた訳でも、病で力尽きた訳でもない。
いや、ある意味彼女の攻撃を受けたとも言えるだろう。
身体ではなく精神的に……であるが。
「どうしたのだ? マーシャルの母親?」
攻撃した覚えの無い相手が突然膝を付いた事に驚いた彼女は、思わずマリアに声を掛ける。
それと共に身を包んでいた黒い甲冑も手に持った大鎌も消え失せ、黒のドレスと月明かりに輝く銀髪、そして美しい貌が露わとなった。
「どうもこうも無いわよ。いや~ここまで拗らせてるとは思わなかったわ」
「拗らせる? どう言う事だ?」
素顔を晒したが、まだ警戒を解いた訳ではない。
彼女はマリアの一挙手一投足を窺うように理由を尋ねた。
「いえ、こちらの話よ。けど、安心したわ。さすがの私も死神である貴女と戦ったらただではすまなかったしね」
そう言って少し大袈裟に胸を撫で下ろす仕草をしたマリアに、彼女は『安心だと? なんとわざとらしい』と目を細めた。
なにしろ目の前に居るマリア一人でさえ、死神である彼女とて決して気を抜けないと思える相手と感じている。
恐らく数年前に目覚めてすぐと言うブランクは有ったとは言え、殺し損ねると言う失態を犯して逃げられた冒険者よりも数段以上に手強い相手だろうとその強さを値踏みしていた。
それ程までに警戒すべき相手。
しかし、現在彼女が相手しないといけない者はマリアだけじゃなかった。
つい先程までは全くその気配に気付かなかったのだが、武装解除した途端あえてその存在をアピールしてきたのであろう。
彼女は既に周囲を取り囲まれている事に気付いた。
気配は七つあり、その全ては自分に対して敵意を抱き警戒の色を隠そうとしない。
漂ってくる魔力の匂いからするとその気配達は魔物であろう事が分かった。
魔物が自分に敵意を抱いている……と言う事は七体の魔物は従魔であるのは明白。
しかもその一つ一つが一騎当千の強者……信じられない事に三百年の昔かつて自分の配下であった魔王軍師団長達に匹敵する力を秘めているようだった。
もし、攻撃する手を止めなかったらただで済まないのは自分の方だっただろう。
そんな死神らしからぬ死の予感に、背筋に冷たい物が走り生唾を飲み込む彼女。
だが、幸いな事にマリア自身からは敵意は一切感じない。
『安心するのは自分の方だ』と、彼女は観念して警戒を解く事にした。
すると、周囲の気配も穏やかな物になった。
「……マーシャルの母親である貴女が私に会いに来た理由を教えてくれないか?」
彼女はマリアに対して両手を広げ敵意の無い事を見せながらそう言った。
するとマリアはにっこりと笑顔で頷く。
「ふふふ、これでゆっくり話せるわね。改めて自己紹介するわ。私の名前はマリア。そう私は貴女の想い人の母親よ。始めまして死神さん」
「おおおおお想い人なんて、そんな」
自分の心の内を読まれたと思った彼女は、相変わらず棒読みでは有るが明らかに感情が発露する程慌てふためいた。
その様子にマリアは笑いながら話を続けた。
「……そして、貴女の味方でもあるの」
「み、味方……? 一体それは……どう言う意味だ!」
人間から味方だと言われた事に彼女は戸惑った。
既に戦意のない彼女とて想像だにしていなかった言葉だ。
マリアは自分を息子の後を付けている死神だと知っている。
そんな人物が味方だと言う。
一体何を考えているのだろう?
彼女の脳裏にそんな疑念が過る。
それに『あなたの想い人』とまで言い退けた。
魔物が人間を想うなど有るのだろうか?
従魔契約しているのならいざ知らず、今はただの人間と魔物の関係。
その様な事、彼女とて数千年の月日の中でも寡聞にして知らない事である。
こんな得体の知れない者に慕われるなど、親と言う存在なら排除しようとするのではないか?
人間の世情など良く知らない彼女でも辛うじてその事は理解出来る。
それなのになぜ……?
「それはね……」
まるで心を読んだかのタイミングで彼女の疑念に答えるようにマリアは理由を丁寧に語りだした。
その言葉に彼女は驚きながらも熱心に耳を傾ける。
やがて話が終わると彼女は大きく頷いた。
「分かった。おばあちゃん」
彼女の言葉に、マリアは笑っているが眉が少しヒクヒクとしている。
そして立ち昇る闘気から表情とは裏腹に怒っている事が明らかに読み取れた。
「ん~? 今の姿でそう言われると少し傷付くわね。それは計画が成功してからにして」
「う……じゃあ、マーシャルのママにする」
大人しく人間の言う事を聞く日が来る事など今の今まで思った事は無かったのだが、不思議な事に彼女の心の中に不快感は無かった。
むしろ自らの望む世界への道を示してくれた事に感謝している。
そう……やがてそう呼ぶ日が来る事を願うマリアおばあちゃんに。
今、彼女は世界中の誰よりも心が喜びで満ち溢れていたのだ。
第二章最終話です。
すみません二つに分けたのに長くなってしまいました。
書きあがり次第投稿します。




