第43話 不思議な声
『……が……い……』
ここは王国南方にある大森林。
東西を険しい山脈に挟まれるように平がる大森林は古の頃より数多の魔物の住処となっていたんだ。
その大森林を縦断する形に整備された街道を馬車に揺られながら進んでいた僕の脳裏にふと不思議な声が聞こえて来た……様な気がする。
「今……なんか聞こえませんでした? なんか女の人の声みたいな……?」
僕は一緒に馬車の荷台に乗っているホフキンスさんに微かに聞こえた声が僕の空耳なのかを確かめる為に聞いてみた。
それはとてもか細くて、なんだか僕に助けを求めている様に聞こえたからだ。
ここは魔獣蠢く大森林。
と言っても、広大な大森林において街道が造られたこの場所は、一番南北の厚さが薄い場所を開拓したので十五キロ程度の距離しかなく警戒しながらの移動でも二時間足らずな行程だ。
場合によっては一気に飛ばして突き抜ける事もある様だけど、その際に注意しないといけないのは街道に紛れ込んだ魔物との衝突なんだって。
うちの馬車の場合はバイコーンが大抵の魔物をぶっ飛ばすけど、普通の馬車なら大惨事になっちゃうからね。
だから安全に進むなら今回の様な周囲を警戒しながらの行軍が確実なんだ。
それも危ない事は危ないけど、街道周辺には元々森の浅い所に生息する魔物くらいしか生息していないので滅多に狂暴な魔物は現れないから大丈夫みたい。
……滅多にって事だから稀にAランク級の魔物が気紛れで現れないとも言い切れないし、実家に居る時にはたまにそんな号外が町を賑やかせていたっけ。
そんな危険を孕んでいる大森林なもんだから護衛を雇っていても不測の事態は起こり得る。
もしかしたら今聞こえた声もそんな魔物に襲われた人の悲鳴なのかも。
「いえ……私には特に聞こえませんでしたね。御者さん、何か聞こえましたか?」
「ん? いや~ここに居たら馬の足音と馬車の音がうるさくてね。あっしにも何も聞こえやしませんでしたわ」
ホフキンスさんと御者さんがそう答える。
二人共聞こえてないみたい。
ライアは……っと、いまだオネムの真っ最中。
聞こえてる聞こえてない以前の話だよ。
乗り物に弱いから馬車に乗るといっつもグロッキー気味なんだけど、こんな長距離の旅は初めてなもんだから休憩で停車する以外はずっと寝てるんだ。
すやすやって感じじゃなく、少し辛そうで眉間に皺が寄ってるんだけどね。
早く実家に着いてゆっくりと休ませてあげたいよ。
「あれ~? 聞き間違いだったのかな? すみません変な事聞いて」
う~ん、皆が聞こえていないって事はやっぱり気の所為だったのかな?
まぁ、ガタゴト揺れる馬車の中で微かに聞こえるレベルなら外で護衛してくれているダンテさん達なら聞こえてるか。
特に反応している様子もないし風の音を聞き逃したんだろう……。
『……がい……きて……』
その時もう一度声が聞こえた。
「っ!? やっぱり聞こえる!!」
相変わらず何を言っているのかまでは聞き取れないけど、さっきよりはっきりと聞こえた。
それは何かを懇願する様なそんな声だ。
「ホフキンスさん。聞こえませんでした? なんかこっちに来てって感じの声が」
僕が興奮してホフキンスさんに尋ねると、ホフキンスさんは何故か納得した様な顔をして頷いている。
その態度に僕は訳も分からず首を捻った。
「はっはっは。なるほどねぇ~。そう言う事かい」
御者さんが笑いながらホフキンスさんの態度に追従する様な事を言ってきた。
更に僕は首を捻る。
「坊ちゃん。あんた『アルラウネの呼び声』を聞いたね?」
笑った後、振り返った御者さんが首を捻っている僕を見兼ねて説明してくれた。
ちょっとばかし恥ずかしい『坊ちゃん』って呼び方だけど、御者さんったら僕がクロウリー家の長男って事を知った途端、僕の事をそう呼びだしたんだ。
そりゃ成人してないから子供扱いは仕方無いけど『坊ちゃん』は止めて欲しいと思う。
それを聞いたバーディーさんが、ふざけて『坊ちゃん』って呼ぶんだもん。
「アルラウネ? って、あのアルラウネ? この森に居たの?」
アルラウネ―――。
それは深い森の奥に棲むと言われている綺麗な女性の姿をした魔物だ。
人型の魔物では有るんだけど、その構造は植物そのものらしく、女性の姿をしているのは花で言う所のメシベに当たり、根元にはオシベもちゃんと存在する雌雄同体性なんだって。
一応オシベは普通の花と形は同じで、別にちっちゃい男性達が生えている訳じゃないみたいだから一安心だ。
そんな物が根元に沢山生えていたら気持ち悪くて仕方が無いよ。
基本的には地面に根を下ろしてそこから地面の栄養を吸い取って暮らしているらしいんだけど、それだけでは栄養が不足する場合は恐ろしい事に動物の生き血を啜って栄養補給するんだって。
その際、魅了効果のある綺麗な歌声で惑わして、自分の元に誘き寄せるらしいんだけど……。
「おや? ガイウース出身なのにこの噂を知らないのかい?」
「噂ですか? う~ん、この森にアルラウネが居るなんて噂は聞いた事なかったです」
母さんの授業でもこの森の生態は習ったんだけど、その中にアルラウネは出て来なかった。
ただ奥に行くと同じ植物の魔物であるトレントやエントが居るみたいだから絶対に奥に行かない事と言われてたっけ。
そもそもこの森自体ガイウースからは結構離れているし、小さい時から森には絶対に近付くなって言われてるからそんな怖い噂知らなかったよ。
僕が知らないだけで街でも有名な噂かもしれないけど、僕ってば小さい頃から怪談話は苦手だったし、多分そんな噂は耳塞いで聞かなかった事にしていたんだろうな。
「ふむ、現地の人には伝わってないのかな? いや、昔からこの森を行きかう旅商人の間では有名な話でね。なんでもこの森に近付くと今のマーシャル君みたいに誰かに呼ばれた様に感じる事が有るらしい。それを『アルラウネの呼び声』と皆は呼んでる。幸いな事に私は今まで聞いた事は無いけどね」
「いや~僕は怖い話苦手なもんで、聞かない様にしていただけかもしれません。そんな噂が有ったんですね。じゃあこの声に釣られて森に入ると……?」
「はははは、帰って来た者は居ないとされているよ。まぁ、帰って来なかった者が本当にその声の主の餌食になったのかは分からないんだけど。街道から一歩森に入れば、そこは危険な魔物が住む領域だ。何に襲われてもおかしくない。だから旅商人の間では『大森林の街道では何があっても前だけ向いて進め』と言われてるんだよ」
「ぞぞぞぉぉ~、ブルブル。危なかった……教えて貰わなかったら森の中に入っていたかもしれません。ありがとうございます」
そんな危険な事なら母さん教えといてよ!
ホフキンスさんに聞かなかったら、そのまま森の中に入って行っちゃってたかもしれないじゃないか。
「いやいや、こちらも貴重な体験でしたよ。噂で聞いていましたが、実際にその声を聞いた人を見るのは初めてでしたからね。実際に声が森から聞こえてくるのではなく、その人だけにしか聞こえないとは。これは良い商談の際の潤滑油を手に入れる事が出来ました」
そう言ってホフキンスさんは嬉しそうに笑った。
僕だけに聞こえた声か……。
それってなんだか従魔との念話みたい。
……いや、いまだかつて念話をした事が無いんだけどね。
なんでライアと念話出来ないんだろう?
ライアがカイザーファングだからなのかな?
『……ねがい……はやく……』
ううぅ、また聞こえて来たよ。
さらに強く、言っている言葉も分かるくらいよく聞こえる。
今丁度街道の真ん中くらいかな。
森の奥に居る声の主に近付いたのかもしれないや。
最初に感じたイメージ通り、どうやら助けを求めている声の様だ。
その声を聞いていると今すぐにでも助けに行きたい気になるよ。
でもダメダメ! その声に釣られて森に入ると魔物の餌食になっちゃう。
う~ん、これは幻聴幻聴、聞こえない聞こえない。
その後も暫くの間、助けを求める不思議な声を聞いたけど、無視をしていたらその内聞こえなくなった。
声の主の範囲外に出たのかもしれない。
幾度か通った事がある道だけど、今までこんな声を聞いた事が無かったよ。
それはバイコーンの馬車で駆け抜けていたからなのか、それとも別の理由なのか。
僕は左手の甲を摩りながらそんな事を考えた。
◇◆◇
「マーシャル君、もうすぐ森を抜けるようですよ。いや~しかし、今回は運が良い。いつもは魔物の襲撃が一度や二度は有るものなのですが今回は0でした。すれ違う馬車も戦闘は無かったようですし、こりゃマーシャル君が『アルラウネの呼び声』を聞いたお陰かもしれませんね」
声も聞こえなくなって暫く経った後、風に当たると言って御者席の横に座っていたホフキンスさんがそう声を掛けて来た。
「そ、そんな、僕のお陰だなんて……」
この褒められ方は喜んでいいのだろうか?
僕が危険な目にあったから皆が無事とか言われてもね。
「はっはっはっ、今回はキミのお陰で色々と貴重な体験をさせて貰いましたよ。『疾風の暴龍』の無事の確認に始まり、見事な採取の腕に御伽噺の様なロックベアのゾンビとかね」
「ぶふぅっ! それは止めて下さいよ。僕トラウマになっちゃったんですから」
本当は伝説の死神にも襲われたんだけどね。
昨夜また彼女が夢で襲ってくるかと思ってビビってたけど結局現れなかった。
もしかして本当にあのブローチを気に入ってくれたんだろうか?
いやいや、実家に着くまではまだ安心出来ないよ。
「それにしても実家かぁ~」
僕は御者さんの横から見える大森林の出口の光を見ながらそう呟いた。
一年前はこんなに早く戻る日が来るとは思わなかったよ。
せめて妹が成人して正式にクロウリー家を継ぐまでは帰らないつもりだったのに。
「そして……妹かぁ~……」
僕は妹の事を思い出し大きく溜息を吐いた。
大事の前の小事だった所為で今まで考えないようにしていたけど、本当は実家に帰るのは気が重いんだよね。
始祖の力や、死神に命を狙われるなんて事が無かったら実家になんて戻りたくなかった。
それもこれも全部妹の所為だ。
僕が持っていないモノをすべて持って生まれて来た妹の存在は僕の劣等感を刺激する。
美貌に才能……唯一勝てるとしたら自分でも上手く扱えない魔力量だけか。
それ以外は全部妹の方が上なんだよ。
『お兄様には冒険者なんて過酷な仕事は無理ですわ。ずっと家で大人しくしてらっしゃったらいいじゃない』
これは妹への劣等感から家を出たくて冒険者になるって言った僕に向けての妹からの言葉だ。
母さんも父さんも賛成してくれたのに妹だけは大反対して大変だった。
まだその頃は冒険者になって経験を積めば一流の従魔術師になれると思ってたんだ。
結局一年経っても芽が出ずに始祖の力を受け継ぐなんて羽目になっちゃったけど。
しかも僕の大きいだけの魔力と同じで、全く使い方も分からない力だ。
妹は監禁する勢いで僕を屋敷から出さない気でいたようだけど、ある日寝ている隙を突いて慌てて母さんと馬車に乗ってメイノースに向かったんだ。
その後連れ戻しに来るかと思ってたけど、僕が屋敷から逃げた事で諦めたみたい。
小さい時は『お兄様! お兄様!』って僕の後ろばかりを付いて来た妹。
その類稀なる才能が開花して僕より強くなった頃から僕の前を歩くようになっていった。
『私が前を歩きますわ。お兄様は私の後ろに居なさいな』ってね。
母さんは僕に才能が有るかの様に叔母さんに言っていたようだけど、本当に才能が有るのは妹の様な人間なんだ。
帰ったら僕の顔を見るなり笑いながら『あらもう戻って来たのですね。お早いお帰りで』とか言うんだろうな。
「はぁ~本当に気が重いよ……」
僕は今日体験した不思議な声の事も忘れて深く溜息を吐いた。
書き上がり次第投稿します。
ちなみにマーシャルが魔物に襲われなかったのは死神さんが陰ながら頑張っていたお陰です。
いつかその閑話を書いてみたいなと思います。
次回から実家編が始まります。




