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「キョウちゃん、今日一緒にサンタモニカ行かね」
「パス。最近『ちょっと』な」
「ああ、そ。じゃあまた今度ね」
「キョウちゃん」というのはキョウコのことではない。加地恭介。それが俺の名前だ。キョウコとはたまたま被っただけで、漢字は知らない。それに親近感の「し」の字も、興味の「き」の字も沸かない女だった。ちなみに「サンタモニカ」も例のクラブの名前である。
「ちょっと」という言葉にカンタも興味を持たない。「いつものこと」であるのと同時に、そもそもカンタも俺に興味がないのだ。
「S@Hさん、スタジオ入りお願いしまーす」
ノックの後にミチヒサがかったるそうに返事をすると、白いドアを細く開けてADが顔を出し声をかけてきた。俺はこの、白を基調とした布の一部に黄色の粗いグリッターが加工されているジャケットの襟を下へ引っ張って、腰を上げた。
「やっぱさー、キョウちゃんはS@Hのビジュアル担当だから。やっぱ助かるわ。会場が沸く、やっぱ」
口癖かよ、と言いたいほど「やっぱ」を繰り返すミチヒサだが、単純に「顔が良い」と言われるとやはりどこか照れ臭く小さく口が綻ぶのを自覚した。
「いやいやー、俺だってカワイイ系担当だよ。結構イケてたっしょ、今日も」
自慢げに、少し前のめりにカンタが口を挟むと、ぶはっ、とマサシが軽く噴き出して「確かにそうな」とどこか宥めるように言った。
「入りますよー、お疲れ様です、いや、今日もすごかったですね、流石S@Hですよ、やっぱり何度見ても感動します、この盛り上がり」
ノックのあと返事を待たずしてドアノブを回す音を立て入ってきた脇田は、両腕でペットボトルを五本抱えていた。ゴトゴト、とテーブルの上に転がしてから、それぞれの前へ立てながら両手で置く様子は、大雑把なのか律儀なのかわからない。この様子が、ライブやバラエティ番組でイジられているのをどう思っているのだろうか。イジられているという自覚もなく「なんか言われているな」という感覚なのだろうか。
しかし、ひとりひとりに配られたペットボトルは誰がどのようなものを好んでいるのか、こういうときはどの飲み物を差し出せば良いのかをきちんと把握しているようで、根は律儀なのだろう。だからこそ、信頼できるマネージャーなのだ。
「脇田はさ、ほんとはどのグループに付きたくてうちの事務所に応募してきたの」
「ええっ、それ今訊きます」
このワタワタしている脇田の様子が見たくてカンタは訊いているのだろうが、本当に何故今のタイミングなのかと思うと笑えてくる。
しかし、周りも笑いを小さく吹き出しつつも脇田を馬鹿にする気持ちもないようで、じっと言葉を待った。
「あっ、あの……俺、自分、とにかくカサイ・コーポレーションに憧れてて、というか、『カサイ・コーポレーション』っていうアイドルの形に憧れていたので……誰、とかどこ、っていうより、ほんの一部でも力になりたくて……ってS@Hが『一部』って言いたいわけじゃないんですよ、あ、えっと……」
「はは、わかったよ。好きなんだろ、俺らのこと。事務所ひっくるめて」
膝に肘を突いたスグルが嬉しそうに、穏やかに、慌てる脇田を落ち着かせるように目を細めた。周りにも笑顔が伝染した。
この瞬間だ。
誰を否定するでもない、ただ認める、そういう感触を得られるこの環境に何より救われている。恵まれている。それだけで、この世界で生きるのが楽しいのだ。
だがしかしまあ、誰もが誰にも興味がないからこそ成立する空気なのだろうが、それでも俺は「職場」というものに恵まれている。変な話、「ここ」が一番、居心地の好い場所なのだ。