09 ミリヤ・シュトロホーンだと……
【前回までのあらすじ】
魔王ミリヤ・シュトロホーンは、先代魔王が病死してから十年以上が過ぎても、なかなか勇者が討伐に訪れないので退屈していた。
サキュバスのお目付け役ラララノ・ララミィは、そんな魔王を『暇潰し』と称して、城下町に連れ出して街の現状を視察させる。
魔王は言葉遣いを嗜められ、魔法を封じられ、身分を偽って街を散策していたが、あろうことか城下町で庶民からレアカードを搾取するリザードマンに立ち向かって、これを力で圧倒してしまった。
この一件を皮切りに魔王ミリヤは、城下町の顔役になっていくのだが……
※ ※ ※
「な、何者だ!」
血涙を流した執政官ドンは、名乗りをあげた方に顔を向けた。
「俺はジパングの貴族サイトウさんだッ、二度も言わすな!」
「おのれサイトウとやら……お前も、この小娘のように八つ裂きにされたいのか」
ミリヤはオークの目玉を刺さった指でVサインを送るが、サイトウはオークの返り血を浴びた彼女のドレスを見て、全身の毛を逆立てた。
「おのれ魔王軍の悪魔めぇ、このようなお美しい姫を血で汚すとは……万死に値するぞ」
「サイトウ様、姫様のことはアリスたちにお任せください!」
「アリス、デミ、カルミ、お美しい姫は、我が邸宅にて介抱して差し上げろ」
「はい。サイトウ様、ご存分に」
「こいつを倒したら、俺も合流するぜ!」
ミリヤを拘束していた憲兵は、背後に現れた女騎士デミの当て身で気絶させられた。
「姫様、こちらへ!」
「お、おう……わかった」
事態を飲み込めないミリヤだったが、アリスたちに姫様扱いされて手を引かれると、なんとなく彼らに従ってしまう。
魔王が振り替えると、視力を奪われて手探りで敵と戦う執政官ドンが、サイトウの聖剣エクスカリバで斬りつけられていた。
この場合、魔王としてはどちらの味方をすべきか迷ってしまう。
突如現れたジパングの貴族が、自分のために剣を振るっていると思えば、魔王の胸中は複雑だった。
「私の名前はアリス、いま回復魔法を唱えているのがカルミです。魔界には、主人のサイトウとともに交易の申し入れにきたのです」
「そうであったか……ここは?」
「サイトウ様が、この街の友人から借り受けた邸宅です」
ミリヤが連れて来られたのは、町外れの丘に建てられた一軒家であり、窓からはシュトロホーンの魔城がよく見えた。
話を聞けば、彼女たちの主人サイトウは、遠く離れたジパングという小国から魔王軍との交易を目的に、城下町に訪れたと言う。
しかし魔王シュトロホーンや魔王軍とのパイプがなく、こうして目的を果たすまで城下町に滞在していたところ、先ほどの騒動に出くわしたらしい。
「ならば残念であったな。先ほどサイトウ殿が戦っていたのは、この街の執政官だぞ。これから交易を申し入れる相手をのしてしまっては、まとまる商談もまとまらないだろう」
ミリヤが嘲笑すると、サイトウとデミが屋敷に戻ってきた。
サイトウは血塗れの上着を脱いで、アリスから濡れたタオルを受け取った。
「デミは先にシャワーを浴びておいで、オークの血は臭うからね」
「ほう、サイトウ殿は執政官たちに勝ったのか」
「いやいや、さすがに悪魔クラスの中ボスを倒せるはずがありません。俺とデミは、命からがら逃げてまいりました」
「従者に話を聞かせてもらったが、お前たちは魔王軍と交易したいらしいな。口利きが必要ならば、この私が城の者に紹介してやっても良いぞ」
サイトウは、アリスと目配せする。
魔王軍との交易は偽りで、彼らは魔王シュトロホーン討伐のために情報収集している。
しかし執政官のオークに襲われていた少女は、シュトロホーンの魔城の関係者と通じているようだ。
「俺の名前はサイトウ・タカシ、ちりめん問屋の一人息子でジパングの商官をしている。あなたはどこぞの姫君とお見受けするが、お名前をお聞かせください」
「私の名前か……そうだな」
ミリヤはこういうとき、ララミィに答えさせていた。
しかしお目付け役は、先ほどの騒動の渦中ではぐれてしまった。
「私の名前はミリヤ・シュトロホーン、訳あって素性一切は秘密だ」
「ミリヤ・シュトロホーン……ミリヤ姫だと」
「平凡な名前だろう?」
「いいや、ミリヤ・シュトロホーンは平凡な名前じゃねぇぜ!」
勇者サイトウは利き脚を一歩引くと、腰に下げた聖剣エクスカリバの柄を握りしめた。
勇者は生唾を飲み込むと、姿勢を低くした。
「どうしたサイトウ殿、顔が真っ赤だぞ?」
「ミリヤ、シュトロホーン……な、なんて、お美しい名前なのだ。ミリヤ姫、どうか俺に忠誠を誓わせてください!」
ミリヤは『よかろう』と、床に膝をついて跪くサイトウに右手を差し出した。