絶望少女と笑わない侍女
小さな鳥の鳴く声が聞こえ、私は目を覚ます。
体を起こすことが辛いのは昨晩のアレの影響なのはわかっている。
昨晩からずっと待機していたであろう私の専属の侍女、メリヤが声をかけてきた。
「お嬢様、不快感は消えていますか?」
無表情で淡々と告げるその言葉に私は頷く。
「ねぇ、メリヤ。何時になったら私を殺してくれるの?」
返事をしないことは知っている、アレの次の日に行う儀式のようなものだ。
アレの次の日は私と彼女だけで朝を迎える、この儀式は他の侍女や家族がいる時には行わない……ちょっとした楽しみでもあるやりとりだ。
彼女が自身の考えを変えて殺してくれることに僅かな希望を持っているのは否定できない。
返事をしない侍女に私は着替えと体を拭くのを手伝うように指示をする。
かしこまりました、といつものやりとり、あの事件以来それは変わらない……多分これからも変わらないだろう。
あの時の私は今以上に腐っていたし、死にたかった。
日々の生活に疲れ切っていた。
可愛がっていた弟と別れることになった
弟の末路を貴族の義務として見届けなくてはならなかった。
何時私が弟と同じ立場になるかわからなかった。
その恐怖から元の世界では考えたことはあるが実行に移したことがないことを移してしまった。
自殺……この時はまだ私は家族にそれをすると警戒されていなかった。
果物を望めば、目の前で皮が剥かれ新鮮な状態でそのまま食べることができた。
つまり、トレンチの上には小さな果物ナイフと装飾の施された皿の上に切り分けられた果物が並ぶことになる。
食事の際には侍女が一人のため、何か用事を言いつければ小さな果物ナイフを手に入れることができた。
ただ、何度もチャンスがあった中でメリヤの時にそれをしたのは、その時彼女には隙が多かったからだ。
いつもは無表情で何を考えているのかわからないメリヤが疲れた顔をしてフラフラの状態だったので相手に選んだ。
「もう一種果物が欲しいわ、急がなくていいから取ってきて頂戴」
その言葉を聞き彼女は今私が皿から果物を取っているのでトレンチを取るわけにはいかず、無手のまま果物を取りに戻っていった。
言葉通りに受け止める彼女なら多分帰ってくるのは10分後くらいだろう、冷蔵室まで行き果物を取り、食器を準備し、私の部屋まで戻ってくる、それまでに私は脳内で何度もイメージしていたそれを行わなければならない。
痛いのが怖く、恐ろしい私は自身で腕をナイフで切ろうにもためらったり上手くいかないことは自覚できていた。
私の手段は小さな花瓶を使った手段だ。
小さな花瓶を床に置き、その周りに厚めの本を重ねるように置き花瓶が倒れないように固定する。
次に果物ナイフを小さな花瓶の中央に入れハンカチを詰めそれを固定する。
後は心臓の位置を確認し、ベッドの上からそれに向けて落ちるだけ、これなら落ちさえすればためらいも何もないだろうとの考えだった。
後からゆっくりと考えればかなり杜撰だったなと思う、肋骨に阻まれたりうまく刺さらなかったりした時のことはこの時考えていなかったのだ。
それだけ私はすぐにでも死に逃避したかったのだと思う。
準備をし、自身の心臓の位置を確認し呼吸を整え、震える体と心も今終われば後は楽になると押さえつけ、やっとの思いでベッドから飛ぼうとした瞬間にノックもされずにドアが開かれた。
でもそれが良かったのか私はこのままではまずいと思い、恐怖を忘れ飛び降りようとしたのだが……。
次の瞬間には私の周りに突風が吹き荒れ、私をベッドの反対側へ吹き飛ばしたのだ。
腰と背中を強く打ち付け息ができなくなった混乱よりもどこか冷静な思考でああ、メリヤの風魔法に吹き飛ばされたのかと考えていた。
このことが両親に報告されたりしたらまずいなあと倒れたまま考えているとずしりと私のお腹の上に重さを感じた。
そちらの方を見るとメリヤが私のお腹の上に乗りゆっくりとこっちに手を伸ばしていた。
その顔は激情に駆られており、私の見たことがない表情だった。
そしてその手は私の首へとかかりぎりぎりと絞めはじめる。
「どうして! 貴方は生かしてもらえるのにそんなことをするの! どうして弟は死なないといけなかったの! どうして……どうして」
そう言いながら私の首をぎりぎりと力を強め絞めてくる。
絞められながらああ、最近彼女が疲れた顔をしていたのは弟が死んだからかなと私は思っていた。
家族が死んで可愛そうに。
「憐れむくらいなら助けてよ! 何で助けてくれなかったの!」
なおも叫び声をあげる彼女だったけどそもそも聞いてないし助けてとも言われなかったからそんなことを言われても困ると気が遠くなりながら馬鹿なことを考えていた。
「お前が代わりに死んでいれば!」
何を馬鹿なことを言っているんだ、代わりに死ぬことなんてできないだろう。
そして意識の途切れそうになるその間際である事実に気が付いた、やっと気が付いたというべきだったのか……。
"死"だ。
ああ、これで死ぬことができる……私の口元は自然と弧を描いた、意外と苦しくはなかったなあと思っていると突然首を占めていた力強さがなくなり絞められていた痛みと苦しみが戻ってきた。
私は咳き込みながらなぜやめたのかと思い彼女の方を向いた。
「どうして笑っているのよ! 何でそんな目で見るのよ!」
彼女の顔に浮かんでいた激情は消え、困惑しながら訳の分からない化け物を見るような目で私を見ていた。
「私は死にたかった、死んで楽になりたかった。この苦しみから……恐怖から解放されたかった」
そう言いながら私は彼女の手を取り首へと持っていく。
「私が憎いのでしょう、助けなかった私を殺したいのでしょう、死んだ弟の代わりに死んでほしいのでしょう? さあ、もう一度私の首を絞めて殺してください」
彼女の手がびくりと震えるが彼女は一向に首を絞めようとはしない。
「ああ、助けを請わないとわかりませんか。私は死にたいのです、助けると思って私を殺してください。私は貴方の弟を助けてほしいとは聞いていませんが、貴方は今聞いたでしょう? 助けてください」
ぐっと彼女の手を強く握る、先ほどとあんまり変わってないかもしれないが意志は伝わったはずだ。
「弟は……弟はお金があれば生きることはできた……貴方のように周りに魔力の操作が長けた人がいればもっともっと生きることができた。それなのになんでそんなことを言うの!」
理不尽なことを言われた気分だ、生まれや環境なんて私はどうすることもできないし、できる立場にない。
「同じ病気で貴方は生きているのに死にたいと言う、弟は外を見ることができずにずっとベッドの上で衰弱して死んでいった!」
同じ病気ね、メリヤの弟も私と同じ思いをしていたのなら生きたいなんて思えないと思うんだけどと思い尋ねてみる?
「ねえ、メリヤ……弟は生きたいと言ったの?」
こっちの世界でぼろを出すような発言はしたくないので色々濁して伝える。
この病気は魔力恐怖症とよく言われている、正確には魔力排出不能症だったか。
魔力に対する怯えからその制御が上手くいかなくなり体外に魔力を出せず体を蝕み衰弱させる病。
私の場合は前世のせいだろう怯えというよりかは嫌悪感、不快感のせいで制御できない、魔力集中ができないのだ。
虫に這われたことはあるだろうか……ムカデが自身の体を這うのをイメージしてほしい、気持ちの悪い多足系の虫が体の何処かを這う、チクチクするような感触と自身のモノでない何かが違和感の大きい何かが体を侵していくイメージを、失敗すれば噛まれそこを蝕む、これだけでもかなりの嫌悪感と恐怖があるだろう……魔力への集中、魔力の制御はそれの上をいく。
体を這うのではなく皮膚の下を這いずり回られるような感覚、魔力の制御に失敗をすればその箇所に起こる激痛。
激痛だけならまだよかった、前者の皮膚の下を這いずり回られるような感覚がとてつもなく私は嫌なのだ。
この世界の住人はこれを感じているがムカデ等具体的なイメージがないためそういうものだくらいの感覚ということなので羨ましい。
何にせよこの不快感と激痛を背負って生きたいなんて思わない、恐怖を乗り越えて制御できるのならこのような不快感はなくなるそうだがそれができるのなら病として扱われてはいないだろう。
色々と考えているとメリヤが止まっていることに気付く。
「その反応だと生きたいとは言ってなかったのかな?」
「それは……」
ならないと分からないのだ、この病気の辛さは。
「メリヤの弟も生かされなくて、自身が死にそうなときにはやっと解放されると嬉しいという感情はなかったのでしょうか」
私は弟の死に顔は見ていないけど症状が進めばそういったものが薄れ、唯々衰弱していくのみと聞いている。
そして眠るように息を引き取るらしいとも。
「弟の……弟の顔は安らかでした」
「そう……」
私はその弟が羨ましいよ、との言葉はとてもじゃないが言える雰囲気ではなかった。
私は病が進行する前に治療される、外部から魔力制御に長けたものが私の魔力を制御する。この時制御する人に私の魔力と親和性がなければとてつもない嫌悪感と不快感を生むのだ。
兄や治療術師が行う場合はそれが起こりかなり治療が辛いものになる、公爵家として長女を死亡させるわけにはいかないのだろう拒否することはできず、拒否しても強引に押さえつけられお前のためだと治療が行われる。
無理矢理生かされる生に何の意味があるのやら……。
姉様の治療は親和性が高いのかそういったことが起こらず綺麗に魔力が排出されるためとても楽になれるのだ。
姉様には感謝してもし足りない。
「ねぇ、メリヤ? 貴方は公爵家の令嬢であるこの私の首を絞めた、ただで許されるとは思っている?」
「申し訳ございません、如何なる処罰も受けるつもりです。弟のために働いていました、弟が死んだ今私は何をされても構いません」
私の上から降り、床に額を擦り付けながらメリヤは私にそう言った。
「そう、なら……この件はなかったことにしましょう。そしてメリヤ、また私を殺したくなったら殺しなさい。私専属の侍女になるように父に伝えるわ」
彼女は床に擦り付けていた額を上げこちらに呆けた顔を向けていた。
珍しい彼女の表情を見て思わず笑ってしまう、笑ったのはかなり久しぶりだ。
だが、その笑いは長くは続かなかった。
物音を立てたのが原因か他の侍女達がこの部屋にやってきて色々と騒ぎ始めたのだ。
騒いでいる原因はセットされている小さな果物ナイフだろうけど……。
幸い私達はベッドの反対側にいたのですぐに見えなかったようでその騒ぎに対処するために私は立ち上がりこう言った。
「私が不安になり、死にたいと思いそれを使って自殺しようとしたところをメリヤに助けられました。今は彼女に諭され落ち着いています。もう自殺をしようとは思っていません、安心して下しさい」
侍女達はその言葉に慄き、顔を見合わせ一人がドアの外に向け走っていき他の侍女はこちらにやってきて私を取り囲んだ。
それから色々あったが思い出すのも面倒なので詳細は省く、家族にこれでもかというくらい心配され撫でまわされ、心配され、私を助けたメリヤは私が口を利く必要もなく私の専属侍女となることになった。
私の身の回りから尖ったもの、ナイフ等金属製品が置かれることはなくなった。
食事についてもスプーンで食べるか、侍女に食べさせられるかになってしまったので食事すら苦痛になりそうだったけど今はもう慣れてそれが当たり前になってしまっている。
一生魔力制御できる日が来ることはなさそうなのと、この病による不快感や嫌悪感、それから先に起こる倦怠感等に慣れる気がしない。
食事も細く病のため精神的にも肉体的にも追い詰められている私は体がやせ細っておりまともに運動すらできないためほとんどがベッドの上での生活だ。
前世に比べれば最低最悪なこの世界で私は生かされ続けていくことになる、そんな私の楽しみは本ともう一つ、メリヤが私を殺してくれること……。
なので私は体を拭き終わり着替えを準備しているメリヤに笑いながらこう言うのだ。
「ねぇ、メリヤ。何時になったら私を殺してくれるの?」
初の一日二度目だ、ついさっき言ったばっかりだけどどことなくもう一回言いたかったのだ。
そんな私にメリヤは初めてこう返してきた。
「お嬢様が生きたいと思ったら殺してあげますよ」
無表情だけど声音は優しく労わるようで姉が妹を窘める様な雰囲気を持っていた。
唖然としている私を着替えさせ彼女はステップを踏みながらいつもの定位置、部屋の隅だがそこに戻っていった。
いや、部屋でスキップはないだろとか色々と突っ込みたいことはあったけど振り向いたメリヤは無表情のままであり、いつもと変わらない。
さっき見たのは幻だろうと結論付け、私の中でなかったことにし、朝食までの間本を読み始めた。
二作目書きあがりました。
そしてちょっとしたネタですが実はこのお話に出てくる侍女さんは前作のお話しでも実は描写していないだけでいます。
部屋の隅に立っています。
兄様はお話というより自身の恋に夢中で気付いておらず、少女はいることが当たり前なので気にしていません。