新庄
11月25日。
チャイムが校内中に響き渡る。生徒達は、足早に下校し始めた。
「新庄先生さよーならー!」女子達の黄色い声が耳に入る。
「さようなら。また明日ね。」
高校教師の新庄は、生徒達に愛想を振り撒いて、職員室に入った。
自分の机の前まで来て、座ろうと思い、椅子を引いた。すると後ろから声がした。
「新庄先生、少しお時間頂けますか?」
自分のクラスの女子生徒だが、まったく気配がしなかったことに驚いた。
「桜井さん。大丈夫だよ、どうしたの?」新庄は振り向いて笑顔を見せる。
「相談したいことがあるんですが。」
「分かった。進路室に移動しよう。」新庄は、持っていた教材を机に置き、桜井を誘導した。
進路室は窓が空いており、冷たい風が入る。
新庄は座り、桜井の話を待っていた。だが、いつまで経っても座ろうとしない桜井に疑問を持ち、近付いた。
「座らないの?桜井さん」
その瞬間、新庄の体は強く引っ張られる。唇に、柔く暖かい何かが押し付けられた。状況を理解するのに数秒かかった。
桜井の顔がだんだん遠退いていって、やっと自分が何をされたのかに気付く。
「人気者の先生と、キスしちゃった。」
桜井は、まるで子供のいたずらが成功したかのような、そんな笑顔を見せる。
それと同時に、「ざまあみろ」とでも言いたげな顔をしている。
「先生、私ね」桜井は両腕を後ろへ回した。「先生が好きです。」
心臓がドキリとした。一見ただの告白だが、新庄は、蛇の瞳に睨まれているかのような、蛇の舌で心臓を握られているような、そんな気分だった。
平然を装う。「そうか…」と、それだけを返した。
「付き合って下さいって言ったら、付き合ってくれますか?」
「生徒とそういう関係にはなれないよ。」模範的な返事を返すと、桜井は、ふふっと笑い口を手で覆った。
「何かおかしな事でも言ったかな?」
「だって、真面目なこと言うから。生徒に手を出す教師はたくさんいますよ?ね、先生?」
桜井の瞳が、また蛇のような瞳に変わる。また心臓が跳び跳ねた。
「そうだとしても、俺は違うよ」
「本当に?」
「本当に」まるで尋問のようだ。
「私、本気ですから。諦めませんよ。」桜井の顔が、また子供のような顔に戻った。
「では、私は帰ります。失礼しました。」
深々とお辞儀をして、桜井は進路室を出て行った。
この時間は一体何だったのだろう。一人残された新庄はぽつんとしていた。
進路室の、空いた窓から風が吹き抜けた。新庄の頬をかすめる。
その空間は寒かった。