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 魔導書を拾い上げる。

 国木田の手は皮が剥がれ血を垂れ流していたというのに、なぜかまったく汚れていない。

 さすがトゥルム、ということか。


「最期に言い残すことはあるか?」


 屋上の中心に蜘蛛の糸で縛りつけられている国木田へと、俺は問いかける。

 すでに階段から、黒い炎が登り始めていた。


 国木田を捕らえた功績者、『八足の暗殺者モルテア・アラネア』は擬態を解き、元の白色へと身体の色を戻している。


「はぁ……あぁ……あ……僕を、僕を殺じてすっぎりするどいうのなら”ぁっ……好ぎにずればいい……。でも、皆……グラズの……皆だけばぁ……」


 そこまで言って、国木田は言葉を途切れさせ、表情を豹変させる。

 最後の最期で、今更綺麗ごとを口にするのも馬鹿らしくなったのだろう。


「ぼぐは、らぐに死んでやる”ッ! ガダリィッ! おばえばっ! ぐるしんでじね”ェッッ!! おばえのがぞぐ、同様にな”ァッ!!」


 言いながら、国木田は吐血しながら舌を突きだす。

 そしてそれを、欠けて尖った自らの歯で噛み千切る。


「そのまま死んでも充分に苦しんだ方だと思うけどな」


 言いながら、俺は魔導書を捲る。

 かなり最後の方のページに手を挟み、そこに描いてある魔法陣を頭に入れる。


 見た瞬間、理解する。

 禁魔導書トゥルムの唯一の回復魔法にして、最悪の魔法。


「その箱を縋ってはならない。その箱に触れてはならない。その箱は開けてはならない。禁魔術、『悪魔の箱パンドラ』」


 国木田を挟むように浮かび上がる、二つの黒い腕。

 腕からは黒い液体のようなものが滴っている。


 黒い片方の腕が、国木田の口にねじ込まれる。


「おごォっ!?」


 ごきりと国木田の顎が外れ、腕が引き抜かれる。

 国木田が咳き込むが、さっきまで口から溢れていた血が治まっている。


「ひょ……ひょれ、ふぁ……?」


 外れた顎と短い舌で、国木田は言葉を紡ぎ、驚きを口にする。


「呪いを帯びた二本の腕に触れたものは、強い生命力を得る。喜べ国木田、ちょっとやそっとじゃ死ななくなるってことだ。怪我も治っただろ?」


「ありぃ、ありえなひぃ……ほんなぁ、ほんなぁ……」


 表情を恐怖に染め、糸から逃れようと国木田がもがく。


 黒い腕が、国木田の腕を、脚を、腹を、叩き潰す。

 だがしかし、身体は潰れるばかりで血がまったく出ない。


「ごろじ、ごろじれぇ……いだいぃ……」


 黒い腕が国木田の頭部を押さえ、そのまま首を捻じる。

 ゴキゴキゴキと嫌な音が鳴るが、不思議とそれが心地よい。


「あ”ぁ……じねるぅ……やっごじね……」


「何を勘違いしてるんだ?」


 首が逆さになっても、国木田はまだ生きている。


「あ”、あ”ァあ”? あ”? ガァーッ! ガァーッ!」


 腕だった肉の塊を振り回しながら、屋上をのた打ち回る。

 首が捻じれ、息ができなくなったのだろう。妙な角度で固まった首を、床へと打ち付ける。

 人間とは思えないほど苦痛に歪んだ顔で、雑音のような悲鳴を上げる。


「あ”ぁーあ”あ”あ”ァア”! あ”ぁあ”-あ”ァァァッ!!」


 ずきりと強烈な頭痛がし、それと同時に黒い腕が消える。

 この魔法、消耗が他の比ではないようだ。

 慣れればもう少し長く使えそうだが、完全に慣れるより俺が駄目になる方が早いかもしれない。


 鼻から液体が流れ出てくるのを感じて押さえてみれば、血が溢れ出てきていた。

 俺はそれを袖で拭う。


「じゃあな。その内黒炎が回ってくるだろうが、『悪魔の箱パンドラ』の魔力を帯びているお前の身体は、火の中でも数時間は耐えられるはずだ。ひょっとしたら、助けが来て間に合うかもしれない。諦めるんじゃねぇぞ。生きている限り、希望はあるからな」


「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”ァァァァァァァァアァァァアッァァアアアア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ァァァッッッッッ!!!」


 国木田だった奇妙な肉塊が、歪な身体から絞りだすように叫ぶ。

 捻じれた首についている目が、俺を睨んでいる。


 俺は大蜘蛛を帰し、黒い炎に包まれる階段を降り、屋上を後にする。


 声を出すのも地獄の苦しみのはずだが、国木田だったものの叫び声は鳴り止まない。

 階段を降り、エレと合流しても、あの断末魔が耳を離れない。


 炎の中を突っ切り、二人でレッドタワーの外に出る。

 レッドタワーが燃え尽きるのを、二人してぼうっと見上げていた。

 最後にレッドタワーが黒い炎の中で倒壊するのを見届けてから、森を歩いて王都へと戻ることにした。



「なぁ、エレ」


「はい、なんでございましょうか御主人様!」


「叫び声のようなものが聞こえないか?」


 俺が尋ねると、エレは首を傾げる。


「いえ、何も……エレには……」


 エレが答えるのを聞き、俺は笑った。

 そうだろうと思っていた。

 頭がおかしくなりそうなほどの絶叫なのにエレがまったく触れないし、何より彼女の声をすんなりと脳は聞き分けることができたから。

 国木田が生きていたとしても、声を出せる形を保っているはずがもうないのだ。


「何か気になることでもあるのですか? 精霊魔法で確認してみましょうか?」


「いや、なんでもない。忘れてくれ」


『あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”ァァァァァァァァアァァァアッァァアアアア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ァァァッッッッッ!!!』


 肉塊の断末魔が、頭から離れない。

 一瞬、自分の腕が『悪魔の箱パンドラ』のような真っ黒に見えた。

 さすがにそれはただの見間違いだったらしく、見返せばただの肌色に戻っていた。


 本格的に禁魔術の副作用が始まってきたらしい。

 トゥルムの忠告を無視して使い倒していたのだから、それも当然か。

 しかし、それに対する後悔はない。

 必ず、あいつらを殺すまでは朽ちない。

 自分の意思で命を繋いでみせると、その絶対の自信があった。

 国木田を苦しめるために余分な魔力を使ったことに対しても、これで良かったと思う。

 それがあいつの断末魔を俺の脳に刻む結果になったことを踏まえた上でも、だ。


『あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”ァァァァァァァァアァァァアッァァアアアア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ァァァッッッッッ!!!』


 この声がある限り、絶対に俺は戸惑いも迷いもしない。

 何をしているときも、決して恨みを忘れずにいられる。

 人の好意や善意に揺さぶられることも永遠にないだろう。


「御主人様、良かったですね!」


「ん?」


「え……と、上手く、いったんですよね? それに楽しそうに笑っておられますし……」


 ああ、俺は今、笑っているのか。

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