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「おい……引き返した方がよくねぇか?」
「なんだか嫌な音がするのですが……」
京橋と津坂が、階段の先を見ながら怖々と声を出す。
二人が警戒しているのは、グリントロルが暴れ回っている音のせいだろう。
「確かに不気味だが、しかし……引き返す道など……」
国木田がちらりと、階段下、俺の方に目を向けてくる。
俺は魔力を込め、黒炎の勢いを上げる。階段通路を黒炎が埋め尽くし、一気にクラスメイト達の後を追う。
「残念だけど、迷っている道はないようだ!」
彼らは一気に駆け上がり、炎に追い立てられて八階層へと身を投げ出す。
そして、そこにある地獄を目にする。
「な、なんだこれ……」
八階層にはややこしい通路などなく、ただの広間だ。
いや、ただの広間だった、が正しい。
所狭しと散らばるゴブリンとリザードマンの惨死体、崩された壁に開く大穴。
そしてそれらの中央に存在する、淀んだ緑の体表を持つ、ひしゃげた轢死体を連想させる崩れて角張った醜悪な顔の巨人、グリントロル。
グリントロルは両の手にゴブリンを持ち、それを床へ、天井へ、壁へと打ち付ける。
「グルジャァァァアアッ!」
おぞましい声を上げながら振り回し、再び床へ叩き付けながら手を放す。
叩き付けられたゴブリンはとっくに息絶えており、四肢を歪に曲げ、口、鼻、目から体内の中身を垂れ流しにしている。
グリントロルは「フーッフーッ」と腐臭を撒き散らしながら、その小さな目をクラスメイト達へと向ける。
圧倒的な体格差。
グリントロルの存在は、黒炎よりもずっと具体的に、クラスメイト達に不可避の死を告げた。
俺は階段を上がりきったところで黒炎を留め、彼らがどうするのかを見物することにした。
「ああ、あり得ないわ……そんな、なんで……破壊の巨人、グリントロルが……こんな、レッドタワーに……」
レイアには前情報があるらしく、5人の中で一番事態の異常さを認識しているらしかった。
目を剥き、唇をわなわなと震えさせていた。
グリントロルは彼らに目を向けながらも、しかしなかなか襲いかからない。先ほどの暴れん坊振りが嘘のようだ。
ただ立ち止まり、じっと観察をしている。
そんな中、真っ先に動いたのが京橋だった。
目前の恐怖を具現化したような存在……グリントロルに震え、固まっている女子、津坂。
京橋は津坂に背後から忍び寄り、隻腕の肘で首を絞めつけた。
「キャァッ! な、何をするんですか!」
「お、おい! 京橋くん! ふざけている場合じゃ……」
「ふざけてなんかねぇよ! へ、へへ……ふざけてなんかねぇよ!」
京橋は津坂の首を絞めながら、彼女を引き摺るように広間の端へと移動して、グリントロルから距離を取る。
「ちょ、ちょっとやめてくださ……」
「抵抗すんな津坂ァ! お前が抵抗したり、誰かが邪魔しようとしやがったら、その時点で俺の『超衝撃波』で頭ァぶっ飛ばすぞ!」
京橋は止めようと近づいてきた国木田を目で牽制し、動きを止めさせる。
「国木田ァ! お前は、あの怪物を挑発して、そんで引き付けて逃げ回れ! その間に俺は、最期を楽しませてもらうからよォッ! へ……へへ、もう終わりなんだよ! あんなのどうしろっつうんだよ! オラァッ! 従えやぁっ! クラスメイトは守るんだろぉ? 生徒会長さんよぉっ!」
「レッドタワーには、屋上がありますので。奥の階段から上に向かって……そこから助けを呼べば、まだ助かる見込みがないわけでは……」
「間に合うわけねぇだろうがぁっ! このクズッ! 役立たずがぁっ! レイアッ! お前にはもうウンザリしてんだよ! 早くしろ! あのデカブツの気を引けぇっ!」
グリントロルは大声で喚いている京橋の方へと、ゆっくり顔を向け始める。
「ひぃっ! い、嫌! 嫌です! 京橋君、放してください! それに、あの怪物が……」
「口答えしてんじゃねぇ! 黙って犯されろや!」
京橋は津坂の首から腕を外す。
解放された津坂が咳き込みながら下を向いた隙を突き、タックルしながら下腹部を殴打する。
「あ”……お、ぼぉ……」
「へ、へへへ……おら、国木田、早くその怪物を……」
苦しむ津坂の顔を見ながら京橋は笑い、国木田を振り返る。
しかし国木田は、行動に出る様子を見せない。
「お、おい! お前、早くしやがれっ!」
焦る京橋を無視し、国木田はレイアに向かう。
「レイアさん、怪物の足止めを頼めないか? 僕は、絶対に椎名を死なせたくない。我が儘を承知でお願いする。屋上に、僕と椎名を行かせてほしい。アイルレッダが、ある武装集団への対抗策として僕達を大事にしていることはわかっている。僕なら必ず、その役に立てる。国のため、勇猛に戦ってみせると誓う」
「……そう頼んだら私が断れないって、よくわかってるわね」
「卑怯な言い方で申し訳ない。肯定だと、そう受け取らせてもらう」
国木田はそう言うと、椎名の手を取る。
そして逆の手をゆっくりと持ち上げ、京橋に向ける。
「お、おい! お前……クラスメイトを見捨てる気かぁっ! ふざ、ふざけんじゃね……」
「京橋くん、津坂さん、許してくれ。僕は、自分が正しいと思った道以外は選べない。轟け、『風の暴発』」
「やや、やめろぉっ! ふざけんなぁっふざけんなぁぁぁぁぁっっ!!」
国木田の指先から魔弾が飛び、京橋のすぐ前の床に着弾した。
一瞬床が光り、派手な音が鳴って空気を揺らがせた。
「あ……あ、死んで……ねぇ……?」
京橋が、津坂から手を放してよろめきながらその場に倒れる。
津坂も津坂で、へたりとその場に座り込みながら耳を押さえる。
破壊力よりも、音を鳴らすことに重きを置いた魔法のようだった。
そしてその音は、気紛れで様子を窺っていたグリントロルを挑発するのに充分なものだった。
「アグルジャァヴァルグアァッァァッ!」
グリントロルが雄叫びを上げながら、大股でドシドシと床を鳴らしながら京橋へと近づいてく。
「ひ、ひぃっ! 来るな、来るなぁっ! 国木田、お前ぶっ殺してやる!」
「レイアさん、申し訳ありません」
「……どの道私は、アナタ方を全滅させてのこのこと帰れば、首が飛びますので。アイルレッダのことを、お願いしますわ。アナタは、もっともっと、強くなるでしょう」
国木田は京橋の声を無視してレイアと言葉を交わし、国木田は椎名の手を引いて屋上への階段へと向かう。
「津坂さん、怪物を擦り付けるような形になってしまって申し訳ない。この塔で殺された皆の分も、僕が生きるよ」
京橋には謝らず、津坂にだけ最後に声を掛け、国木田は足を早め、階段へと向かう。
「なんで、なんでですかぁっ! 国木田君は助けてくれるって、私、信じていましたのにッ!」
グリントロルは床にへたり込んでいる京橋を掴み、あっさりと持ち上げる。
「やめ……やめで……やめでぐれ……やめてくださ……」
グリントロルはそのまま床に京橋を叩き付けようと肩を振るうが、杖を構えているレイアが見えたらしく、彼女へと思いっ切り投げつけた。
「あ……が……」
巨人の全力投球を身体で受けたレイアは床を転がり、壁にぶち当たってようやく動きを止める。
グリントロルは素早くレイアの後を追う。
自分の築き上げた魔物の死体を踏み荒らしながらレイアの傍まで一瞬で移動し、彼女の腹に蹴りを入れた。
ただの蹴り、されど巨人の蹴り。
その一撃で骨が折れ、肉が弾け、後ろの壁ごとレイアの身体を破壊した。
あっさりと、簡単に。まるで蟻でも踏み潰すかのように。
あの人に別に恨みがあったわけじゃない。
状況への打開策も持っていなかった。生かしておいてもいいかと、一瞬頭を過りもした。
それでもクラスメイト達の生還が目的だというのなら、決定的に相容れない。
ぱさりと、レイアの被っていたとんがり帽子が床に落ちる。
身体がべちゃりと潰れており、死んでいることは明らかだった。
胸骨、肋骨、腰椎、骨盤。身体の中心を支える骨が、すべて駄目になっている。
目を剥いてはいるものの、整った顔が傷ついていないことが唯一の救いか。
ただ彼女の口から下は、溢れ出すように口から湧き出る血に汚れているが。
今まで頼り切っていたレイアが何をする間もなく惨殺され、京橋と津坂は恐怖で動けないでいるようだった。
両者とも床に座り込んだまま、ガチガチと歯を打ち鳴らして動けないままでいる。
抵抗は無駄だと、脳が、身体がそう理解したのだろう。
打ち倒すことも、逃げることもできない。できるはずがない。
目の前の存在こそ破壊そのものであると。
もう、隠れている意味もないか。
俺は階段の最後の段から足を進め、八階層の広間へと入り込む。
黒炎から抜け、姿を晒す。
「よう、久し振りだな。京橋、津坂」
顔を真っ青にして震えながら、ただグリントロルを見上げている二人に声を掛ける。
「あ、ああ?」
「え、な、カ、カタリ?」
京橋と津坂は恐怖に染まった表情のまま、俺を見る。
まったく状況が理解できていないようだ。
「なんで、なんでお前が火の中から出てくるんだよぉっ!」
京橋が叫ぶ。
俺はそれには何も返さず、京橋へと近づく。
俺が京橋の目前で足を止めると、一歩後ろの位置でエレの足音も止まった。
俺はちらりと、壁際に立っているグリントロルと、その傍らのレイアの死体へ目を向け、それからまた京橋へと視線を戻した。
ここで京橋と津坂を殺せば、残るのは屋上へと逃げた国木田と椎名だけだ。




