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俺の顔は、火事の火傷ということになった。
明らかに違うと見てわかるはずだが、医者や警察にどれほど訴えても無視された。
火事は、母親が夜中に揚げ物を作ろうとしたのが原因らしい。
どう考えても不自然だが、そういうこととして処理された。
俺は父と母と、それから三つ下の妹の葬式に出席した。
移植手術はとりあえず終わったが、痕を目立たなくするためにはまだ後数回手術を繰り返す必要があるらしい。
顔の左半分を包帯に覆われたまま俺は病院を出た。
家を失った俺は、祖父の家で暮らすことになった。
半分ぼけかかった祖父との共同生活の一週間後、朝の五時、俺は包丁を持って学校に登校した。
殺す。殺す。
黄坂を、赤木を、青野を殺す。
優も殺す。他のクラスメイトも殺す。
あのクソ教師も殺す。1年C組を、全員殺してやる。
まずはクソ黄坂だ。
早朝に学校に忍び込み、あの信号トリオを手紙で呼び出すのが目的だ。
包丁を持っていても勝てるかどうかはわからない。
それでもやるしかない。
最初は教室で暴れてやろうと考えていたが、しかしそれでは何人か取り逃がすことが前提となってしまう。
黄坂、赤木、青野……それから優は、なんとしてもぶっ殺してやりたい。
だから、まずは信号トリオは呼び出して殺す。
それから教室に行き、優を刺し殺す。そこからは大暴れし、一人でも多く殺してやる。
『おひるやすみ、屋上に来てください』
これだけを書いた手紙を、三人の靴箱に入れる。
女の子用のメモ帳を使った。字はなるべく丸っこく書こうとしたのだけれど、怒りのあまり指がぶれ、カクカクとしたものになってしまった。
恐らくあの三人なら互いに見せ合うだろうし、不自然に思うかもしれない。
でも、それでも、まさか俺が屋上に隠れていて、包丁を握り締めているだなんて考えないだろう。
少なくとも黄坂は来る。
あいつは馬鹿だし、寝ても覚めても刺激を求めているようなジャンキーだ。
多少危険だと判断しても、他のふたりを誘って嬉々として屋上に来るはずだ。
「アメリカだったら銃持ち出してたんだろうな」
鞄に入っている武器は包丁一本。その事実は、ひどく便りないものに思えてきた。
こんなもので本当に人を殺せるのか? 素手と変わらないんじゃあないのか?
「怖気ついてんのかよ、ダッセ」
頭に浮かんだ疑問を考えないようにし、屋上への階段を登ると、先にひとりの女子生徒が歩いているのが見えた。
同じクラスの黒崎メアリーだ。
ハーフで、確か幼少期は外国で育ったという話を聞いたことがあった。
日本に上手く馴染めず、またそのハーフ特有の美貌のせいで嫉妬されていたこともあり、彼女も一部の女子から虐めの標的になっていたはずだ。
子供っぽいまじないの類が好きというも、またそれを助長していたのかもしれない。
「なんで、こんな早朝に……」
優からは、メアリーも登校拒否になったという話を聞かされたことがある。
今となっては、信憑性の薄い情報源ではあるが。
メアリーは教室の方へと向かう。
俺はすぐに屋上に上がるつもりだったけど、メアリーの後をつけてみることにした。
彼女が何をするつもりなのか気になったのだ。
階段で一分ほど身を潜めてから、息を殺して教室へと向かう。
鍵はすでに借りた後だったらしく、1―Cの扉は開けられていた。中からチョークで何かを書き殴るような音がする。
「……何やってんだ」
教室に入り、俺は隻眼でメアリーを睨みつける。
彼女は驚いたらしく、手にしていたチョークを黒板にぶつけ、へし折った。
「ななな、なんで、なんでこんな時間にいるんデスカァッ!?」
黒板にはラテン語のような文字列や奇妙な図形が、円状に配置されている。
教卓の上には、古ぼけた大きな本が開いて置かれている。
「魔法陣?」
「……邪魔、しないでくだサイ。ワタシは、クラスメイトを全員悪魔の生贄にしてやるんデスッ!」
「悪魔の生贄って……そんな幼稚なことやってっから、虐められてたんだろ」
「カタリには言われたくないのデスッ! みんな、みんなみんな、死んじゃえばいいのデスッ!」
怒鳴るメアリーを尻目に、俺は最前列の机に座った。
「そーかよ。ここから見ててやるから、悪魔でもなんでも呼び出してみろよ」
俺が言うと、メアリーは黙ったまま腕を動かす。
何度も古ぼけた本と見比べながら、あちらこちらに加筆していく。
馬鹿馬鹿しい。
しかし、なんだろうか。俺と同じことを考えていた人間がいたというのが、少しだけ嬉しかった。
彼女は確か、一部の女子グループから虐められていたはずだ。
この魔法陣は失敗する。
でも、その後、俺が教室で暴れるときは、例の女子グループを優先して殺してやろう。
時計が六時半頃になった。
七時代になれば、そろそろ生徒が来たっておかしくない。
魔法陣も完成が近づいている……と見ていると、急にメアリーが手を止め、肩を震わせ始めた。
「どうした?」
「カ、カタリには、関係ないのデス……」
言いながら、ぽろぽろと涙を零し始める。
彼女の様子をじっと見ていると、唇を噛み締めていた口を開き、ぽつりぽつりと小声で話す。
「図形の調整が、甘かったデス……。この四辺形と円の成す空間に、目を模した記号の中央が来なければいけなかったデス……」
「じゃあそこ消したら……」
「無理デス……。ここを書き換えたら、こっちの文字列の修正する必要があるデス。だったら、書き直した方が早いデス。どっちにしろ……もう、間に合わないデス」
はあ、と俺は溜め息を吐く。
「明日やれよ。今日はもう、帰れ」
「今日しか……できなかったんデス。次の機会は、7000年後になるのデス……」
俺は鞄を開き、中から包丁を取り出す。
「安心しろ。俺も、本当は同じ目的で来たんだ。お前が嫌いな奴、全員ぶっ殺しておいてやる。だから、今日は帰れ」
「エッ!? ソ、ソンナことしたら、カタリ……犯罪者に……」
「いいんだよ。もう、どうでもいいんだよ。お前はまた、ほとぼりが冷めた頃にでも学校にくればいいさ。今よりはマシになってるだろうよ」
「…………」
少し、沈黙が続く。
「アノ……カタリ、一緒に魔法陣、描いてくれまセンカ? ふたりでやったら……まだ、間に合うデス」
「はぁ? 俺はそんなガキっぽいもんするかよ!」
「……魔法陣だったら、カタリも、犯罪者にならなくてすむデス」
メアリーは俺の前まで歩いて来て、さっき折れたチョークの下半分を俺に差し出す。
「一緒に、描いて欲しいデス」
「…………」
なんでだろうか、俺は、そんな非科学的なものを信じたことは小学生低学年以来なかったはずだ。
魔法だの悪魔だの、世界を救う勇者だの、そんなものはゲームの類か頭のいかれた宗教の中でしか存在しない100%だって、そう考えて今まで生きてきた。
なのになぜか、俺はそのチョークを受け取ってしまった。
メアリーはにっこりと笑って、欠けて落ちた下半分のチョークを拾う。
メアリーの笑顔を見たのは初めてだったな、なんて、ちょっと場違いなことを考えながら俺は席を立った。
思えば誰かと何かを作るだとか成し遂げるだなんて、中高と部活動に入っていなくて、文化祭でも蚊帳の外だった俺にはあまり記憶がない。
だからだろうか、クラスメイトを生贄にするための魔法陣を描いているのが、ちょっと楽しいだとか、そんなバカなことを考えてしまうのは。
「あーっ! ソコ、描き直しデース!」
「う、うるせぇな! 言われなくても描き直すつもりだったよ!」
メアリーから黒板消しが投げられる。
俺はそれを受け止めるものの、ばふっと粉が辺りに舞った。
制服と顔に粉が掛かる。
「あ、コラッ! 何しやがるっ!」
俺は黒板消しを持った手を大きく上げると、メアリーは脅えたように屈み、顔を伏せた。
「ゴ、ゴメンナサイデス……。こんなふうにはしゃぐの、久し振りだったから……つい……。ゴメンナサイ、ゴメンナサイ……」
「…………」
俺は彼女に近づき、ぽんっと頭に手を置いた。
「悪い……そんな、怒ってたわけじゃねぇよ。ほら、さっさと再開しようぜ。時間との戦いなんだから」
時計に目をやる。
六時五十分、もうすでに誰かがきてもおかしくない時間帯だ。