39
クラスメイト達は五階に上がったばかりの位置、そして俺達が隠れているのは、六階へと上がる階段の手前だ。
ついに、あいつらがすぐそこまできた。
『この階層にはリザードマンがいますから、気をつけてください』
エレの精霊魔法が、レイアの声を拾う。
『そそ、そんなに危ない魔物なんでしょうか? ウチ……』
気の弱そうな、聞き覚えのある声がする。
確か名前は、椎名だったか。国木田の彼女だ。
『大丈夫さ、僕がいるからね。気負わなくたっていい』
気障に答える国木田。
嫌味ったらしい笑みが、頭に浮かぶようだった。
音だけしか拾えないのでわからないが、きっと椎名は顔を赤らめて、こくこくと頷いていることだろう。教室で何度か見たことのあるパターンだ。
リザードマン……とは、蜥蜴を大きくしたような魔物のことだろう。
途中、数体撃退した記憶がある。
『リザードマンは、平原で出るような魔物より獰猛で、タフで、凶悪な牙を持っていますので。このレッドビルで、最も強い魔物といっても過言ではないですわ。万が一、今回死傷者が出るとすれば、リザードマンのせいでしょうねぇ』
レイアはそう言うが、リザードマン如きで恐れていられては困る。
一番上の階層には『破壊の巨人』が、六階に上がったすぐそこには『八足の暗殺者』がいるのだから。
いる、というよりは、俺が召喚したのだが。
あの二体は、リザードマン100匹を相手にしたとしてもあっさり勝ってしまうだろう。
やがて聞こえる、リザードマンの鳴き声。
そしてそれに続く、クラスメイト達とレイアの声。
魔法を撃つ音、魔物が地を蹴る音。
掛け声、時に混ざる悲鳴。詠唱と爆発音。
リザードマン相手には国木田ひとりでは仕留めきれないらしく、レイアはいい機会だと手を最小限しか出していないようだ。
『ざけんじゃねぇぞ木村ぁっ!』
小心者の木村が逃げようとして、京橋に叱咤される。
布の千切れたような音がした。
京橋に掴まれたのを木村が振り切ろうとし、服が破れたのだろう。
リザードマンが椎名に爪を立てようとする。彼女を守ろうとして飛び出した国木田が腕を引っ掻かれ、見かねたレイアが呪文を詠唱するのが聞こえてきた。
攻撃を受けたリザードマンに隙ができたらしく、それに対して各々が魔法で追撃していく。
お蔭で追撃に加わった者の得意魔法は、なんとなく把握できた。
今までの戦闘の様子や盗聴している会話会話からから察するに、断言はできないが、風魔法を扱えるのに長けていそうなのは国木田だけだ。
国木田の実力次第では、彼に塔から飛び降りて逃げられる可能性が出てくる。
『国木田さん、魔力はかなりある方のはずなんですが……上手く扱えていないようですわね』
音を聞くに国木田は間違いなく今回で一番動いているはずだが、レイアからの評価は芳しくない。
それはクラスメイト達からしても意外であったらしく、疑問の声を上げている。
しかしこれはマイナス評価ではなく、それだけ魔法に関する潜在能力が高い、という話なのだろう。
運動能力抜群、成績学年トップ、容姿端麗。
人望も厚く、その上に魔力まで優れていたとは思わなんだ。
神に愛されていると、そういった類の人間なのだろう。
が、しかし、その才能の全ても、今日で潰える。俺が潰す。
芹沢と対峙したときのような過ちは繰り返すものか。
高みから甚振り、後悔させながら殺してやる。
俺に今までしてきた仕打ちを、そして生まれてきたこと、それ自体を。
「あの……御主人様。気配を薄くしているとはいっても、ちょっとしたことで見つかりかねませんので……」
エレが言い辛そうに、俺に忠告する。
興奮したせいか怒りのせいか、自分の息が荒くなっていた。
「あ、ああ……悪い」
俺は息を止め、自分を落ち着かせる。
リザードマンを倒してからは、連中は順調にこっちまで近づいてきていた。
『ああ、あれ、階段じゃないかな』
国木田の声がダブって聞こえる。
俺はエレの肩に乗せていた手をどけ、彼女に目で合図をする。
エレが聴覚強化と感覚共有の精霊魔法を解除する。
俺とエレが隠れている窪みのところまで、わずか数メートルといったところだ。
先頭を意気揚々と歩く国木田が、一歩一歩と近づいてくる。
ごくり、唾を呑み込む。
その音にさえ俺は焦り、すっと手を添えて口を覆う。
十人分の足音が通路を鳴らす。
その音がだんだんと増していって、そしてすぐそこまで来ただろうというとき、彼らは手前で曲がる。そこに階段があるのだ。
「ようやく六階かよぉ……後三階層もあんのかぁ? もう歩き疲れたってーの……」
京橋が文句を口にし、それから全員が階段を登る。
もう飛び出してしまうか?
まだだ。 いや、しかし、もう……。
焦ることはない。まだ階段の中腹程度で……いや、もう飛び出してしまった方がいいのか?
すぐそこまで機会が来てしまうと、どうにも急かされているような気になる。
魔導書に、怨みに、破壊衝動に。
「御主人様……?」
「エレ、環境適応の魔法はきっちり発動してるよな?」
「は、はい! 指示通り、魔力をこれでもかというほど注ぎました!」
エレの確認を得てから、俺はわざと音を立てて乱暴に立ち上がる。
それからクラスメイト達の後を追い、階段を登る。
物音に気付いた国木田が足を止める。
丁度、国木田が上に登りきったところだったようだ。ベストタイミングだ。
「ま、魔物……?」
木村が周囲に問うよう声を出す。
俺は魔導書を開き、あいつらの姿がギリギリ見えない位置から階段の先へと手を向ける。
「聖女は偽りの十字架を背負い刑に処された。彼女を焼き殺した炎は黒く染まり、刑場を覆いて観衆を呑み込む。そしてついには、王の命さえも灰に帰した。禁魔術、『断罪の火刑』」
俺の目前が、黒い炎に包まれる。
それは凄まじい勢いで燃え広がっていき先へ進むクラスメイト達を追いかけていく。
俺とエレは黒炎の中を進み、炎に続いて進んでいく。
環境適応の精霊魔法、、『女神の贔屓』のお蔭で火傷はしない。
元より、火の中や水の中を突き進むための魔法だ。
「キャァアァアアッ!」「え、何? 何が起きたの?」
「お、おい! 階段が燃えてんじゃねぇか! 降りらんなくなっちまったぞ!」
「な……なんで?」
「ありえない……黒い炎は、あいつらの……」
口々に悲鳴を上げるクラスメイト達。
五階から六階に繋がる階段はひとつしかない。これで退路を奪った。
後はゆっくりと相手の手段を奪い、追い詰めて行くだけだ。
「皆落ち着こう! 僕の声を聞いて! とりあえず階段から離れるんだ! そうだ、木村くん! なるべく規模の大きい水魔法を炎に撃ってみてくれ! ちょっとは勢いが弱まるかもしれない!」
「う、うん……」
階段の曲り角を登りきると、その先にクラスメイト達の姿が見えた。
丁度、こちらに杖を向けて震える木村と目が合う。
「救いあれ、濁流に……あ、あれ、火、火の中に誰かいる? いや……でも……」
木村が呟く。
「破壊よ、我が元に集いて炎を象れ。禁魔術、『破滅の豪炎』」
木村の肩へと手を向ける。
真っ赤な光の玉が木村へと向かい、狙った部位にふっと吸い込まれていく。
「え……あ、ああ……いぎゃぁぁぁあああっ! 熱い、熱い熱い熱いィッ!」
木村の肩が、肉片を散らしながら爆発する。
杖を握り締めていた腕が吹っ飛び、前方に立っていた女子の目前に落ちる。
一瞬の沈黙の後、恐怖の悲鳴が飛び交う。
こっちに気付いていたのは、魔法を使うため炎を注視していた木村だけのようだ。
気配を薄くする精霊魔法のお蔭だろう。
木村は痛みに堪え切れず、爆ぜた肩を逆の手で必死に押さえながら階段を転げ落ちる。
「木村さんには悪いけど、逃げるわよ! かなりヤバい奴がいるわ!」
レイアが怒鳴るように叫ぶ。
錯乱している一行を落ち着かせる意味合いもあったのだろう。
しかしレイアの声を無視し、国木田が木村を追って燃え盛る階段を駆け降りる。
「木村くん、手を伸ばして僕の手を……」
「ない! 俺の腕ないよぅっ! ないようっ! なんで、なんでなんでぇっ!」
「逆の手を伸ばせぇっ!」
国木田が叫ぶも間に合わず、木村は黒炎に呑まれていく。
「熱い熱い熱い熱いィッ! 助けてよぉっ! 飛びごんでごいよぉっ! 死んじゃう! おばえが来ないから死んじゃう! ひとごろ、ぎとごろいぃぃいいっ! イヒギャァァアアアアッ!」
断末魔を上げながら木村は真っ黒に全身を焼き焦がし、身体を砕きながら階段を転がり落ちて行く。
国木田は呆然と、炎へ腕を伸ばしたままの姿勢で固まる。
「国木田君っ! もど、戻ってきて! 早く! 国木田君も死んじゃうっ!」
椎名に声を掛けられ、はっとしたように国木田が目が開く。
それから国木田は、炭の化した木村の更に向こう、炎の奥に俺の姿を見つける。
黒い炎の壁に阻まれ、はっきりとは見えないはずだが、誰かいるということだけはわかったらしい。
そしてそれが木村を殺した犯人であるのだと結び付けたようで、国木田は俺を睨む。
「君がやったのかぁっ!」
国木田は杖こそ持っていなかったが、俺へと向ける人差し指に指輪が着いていた。
魔法の発動を助ける、杖のような道具なのだろうか。
「風よ、邪を断ち切れ! 『風の双刃』!」
俺はすっと国木田に指を差す。
彼のすぐそこまで迫ってきていた黒い炎が勢いを増し、国木田の手へと伸びた。
「くっ!」
国木田は大きく仰け反り、回避する。
しかし手が動いたせいで、風魔法が彼の後方へと飛ばされる。
白いブーメラン状の魔力の塊が、後ろから見守っていた女子のひとりを穿つ。
双刃の名の通りふたつに分離したそれは、女子の腹と右足を切りつけた。
切られた女子は、井上だ。
国木田の彼女である椎名だったらもっと面白かったのに、と少し想像する。
片足を失った井上は呆気なくその場に倒れ、尻餅をつく。
「え……?」
それから自らの腹部に手を当て、手に付着した液体の正体を確かめようと目線を落とし、零れ落ちる腸を直視し、ようやく何が起こったかを悟る。
「イ、イヤァァアァアアッ!」
「ど、どうしたんだい!」
国木田は振り返り、井上を見て唖然とする。
無残に臓物を垂らし血に塗れる痛ましい同級生、その原因が自分にあると気付いたのだろう。
「ぼ、僕の魔法が? そんなわけ……だって僕は、頼られる生徒会長で……僕が、僕が……あ、あぁぁぁぁぁあっ! なんでだぁぁああぁっ! してない! 僕は、僕は違うんだぁっ! 今だって木村くんを助けようとして……それで、それでぇっ! 見ただろう、僕が命張って木村くんを助けようとするところ! なぁっ!」
国木田は両手を動かしながら、必死にクラスメイト達へと弁解を始める。
その背へと向け、黒い炎が伸びる。
かなり熱いはずだろうにそれを気にも留めていない様子で、言い訳を続ける。
階段を駆け降りてきた椎名が国木田の手を握り、引っ張る。
「早く逃げよ! ね? みんなわかってるから! 誰も国木田君をせめてなんかないからっ!」
間一髪で火から逃れ、椎名が引っ張るようにして先導し、階段を駆け上がっていく。
「あ、ああ……あ、置いて行かないでよぉっ!」
井上は腹から零れた腸を無理矢理押し戻しながら、遠ざかっていくクラスメイト達へと叫ぶ。
国木田が振り返り立ち止まろうとするが、他の女子、遠藤から罵声が飛ぶ。
「あの娘はもう助からないわよ! 元々レイアちゃんの言う通りに真っ直ぐ逃げてたら、井上ちゃんは助かってたのよ! いい人面してんじゃないわよっ!」
遠藤が怒鳴ったのは国木田の身を案じてではなく、この場でレイアに次いで戦闘能力の高い彼を失えば自分が助かる可能性が減少すると考えてのことだろう。
国木田は彼女の言い方に憤りを覚えているようだったが、結局は彼女の言葉に従い、前を向き直した。
「ごめんよ……井上さん……。でも、僕が死んだら……みんなを守ってあげられないんだ。君はもう……ほら、助からないから……絶対」
「いやぁぁアッ! 死にたくないッ!」
井上はべったりと血の付いた手を同級生達へと伸ばしたときには、もう誰も彼女の方を向いてはいなかった。
国木田の手を引く椎名が一度だけ彼女を振り返ったが、そのまますぐに前を向き直す。
レイアを先頭に入れ替え、一行は階段付近から走って逃げて行く。
「友達でしょぉおおッ! なんでェ! どうしてぇえッ!」
井上以外の全員が階段を離れてから、俺とエレはゆっくりと階段を登る。
「……よう、久し振りじゃねぇか」
床に座り込んで泣いている井上へと声を掛ける。
馴れ馴れしく話し掛けはしたが、井上とまとも会話をするのは初めてだ。
俺がクラスに溶け込むよりも早く、赤木率いる信号トリオはイジメの標的として俺に目をつけており、周囲もまたそれに触発されていたからだ。
井上が一方的に俺を馬鹿にしてきて、それを聞こえない振りをしてやり過ごす程度のコミュニケーションしか取ったことはない。
「カ、カタリィ!? なんで、アンタがこんなところに……。たた、助け……助けて……なんでも……なんでもするからぁっ!」
井上は、捨てられた犬のような目で俺を見上げる。
俺がやったのだとわかっていないわけではないだろう。
それでも彼女は、目に映った人間に縋らずにはいられないのだ。
「エレ、井上……あいつの傷口を、氷らせてやってくれ」
「いいのでしょうか?」
「ああ」
座り込んで泣いている井上の前へと、エレが回り込む。
「手で押さえている傷を見せてください。それから、足をもっと伸ばして」
井上は言われた通り足を伸ばし、押さえていた腹部を露わにする。
「精霊魔術、『眠りの氷姫』」
「ひ、ひゃぁっ!」
井上の腹部の傷と、切断された足が凍り付く。
「はぁ……はぁ……はぁ……あ、ああ、アンタが……火を着けたの?」
「そうだ」
「アンタ自分が……」「生きたいんだったら、余計なことは言うなよ」
俺が言うと、井上は黙った。
「お前は国木田に足と腹を切られて、クラスメイトに置いて行かれたわけだが、あいつらが憎いか?」
「……え? あ、に、憎い! 憎い! 憎い!」
こう言うべきだけと判断したのだろう。
実際、憎くないことはないはずだ。呪い殺しそうな目で、クラスメイト達の背を睨んでいたのだから。
「ねぇ、早くしないと火が……」
「そうか、憎いか。仇は取ってやるから安心しろよ」
俺は彼女の襟を掴み、うつ伏せに床へと押し倒す。
頭が炎の方を向くように、だ。
乱暴に引っ張ったせいで服が破け、肩が露になった。
「い、痛いっ! な、何を……」
「エレ、こいつを氷で床とくっつけてくれ」
「はぁっ!? 違う! 話がぜんぜん違うじゃないッ!」
井上は血を吐き散らしながら怒鳴る。
「はい、御主人様! エレにお任せください!」
不服そうだったエレはにっこりと笑い、さっきと同じ氷魔法を唱える。
井上はがっちりと床に固定される。
「ちょっとやそっとで溶けてしまわないよう、強めにしておきました。ここは熱いですからね。もっとも……直接炎に当たったらさすがに溶けてしまいそうですが」
「よくやった」
井上は迫って来る黒い炎を目前にしながら、必死に身体を動かそうともがいている。
俺は彼女を置き去りにし、クラスメイト達を追う。
「なんでもするって、なんでもするって言ったのにぃッ!」
「助けて! 助けてよぉッ! 死ぬ、死んじゃうからぁッ!」
声を掠れさせながらも井上は叫ぶ。
「聞こえないな。人に頼みごとをするときは、こっち向いたらどうだ? そうしたらちょっとは考えてやるかもしれねぇぞ」
「し、死ね! 陰キャラ! 外道! 人殺しィッ!」
外道、人殺しか。
例のあの日、信号トリオをそう非難してくれる人間がいれば、俺はこんなことをしなかったかもしれないな。
目前に黒炎が迫ると必死の命乞いも無駄だと悟ったらしく、罵声へと切り替える。
だが鼻先を炎が掠めると井上は悲鳴を上げ、「なんでもするからぁぁぁぁァガハァツ!」と叫び、それを最期に炎に呑み込まれていった。
恐らく、熱を吸い込んで喉が焼かれたのだろう。
俺は黒い炎の中で人影が蠢くのを一瞬だけ振り返り、前へと目を向け直す。
それからまた魔導書を開き、通る先の通路へと黒炎を放っていく。
精霊魔法によって一時的に炎への耐性があるため、火の着いた道を通るのに苦にはならない。
こうやって上へ上へと、確実に追い詰めて行く。
行き止まり一本道、鬼ごっこの始まりだ。
木村と井上で男女ひとりずつ殺したため、これで残りはレイアを含めて7人だ。
男2人、女が5人。




