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「…………」


 気がついたときには、目の前に人の頭があった。

 首から下はなく、椅子の上にこちらを向いて置かれていた。

 紫のパーマが赤い血で染まっている。恐らく、本人のものなのだろう。


 少し考えて、それが落札した奴隷を石投げで殺すよう命じたオカマであることに気がついた。

 あまりにも酷い顔をしていたから、すぐにはわからなかった。


 ミーシャを殺した後のことが、思い出せない。

 本当に自分が彼女を殺したのかどうかでさえ、どうにもはっきりしない。


 自分の手を見る。

 真っ赤だった。


『とんでもないことをしでかしてくれたな』


 トゥルムが呆れたふうに言う。

 それにつられる後ろを向けば、最初の倍以上の大きさになった大樹が目に付いた。

 血だまりがあちらこちらにできている。


 生き残っているのは奴隷くらいだろうか。

 俺がいる位置とは反対側の扉、要するに、俺から一番離れたところに固まっている。

 助けてくれと泣き叫びながら、必死に扉を覆う黒い根を叩いていた。

 黒い大樹は植物にしてはかなり硬いらしく、奴隷の手は真っ赤になっていた。


『あやつらが外に出れば、妾がこの世界に戻ってきたことが公になるであろう。いや、そればかりではない。カタリ、貴様が妾の力を手にしていることも周知となるのだぞ。それがどういう意味か、貴様にはわかるであろう?』


 頭がまだぼんやりしていた。


「……クラスメイトの耳に入ったら、警戒されるかもしれねぇ。赤木が行方不明になる前に俺を追っていたことを、黄坂は知ってるはずだ」


 あの日、赤木は信号トリオの他の二人にも声を掛けたと言っていた。

 ついて来なかったから結局置いてきたが、とも。


 芹沢と会ったときの向こうの反応を見るに、クラスメイトの総意としては、赤木の失踪と俺を関連付けてはいないように思える。

 しかし俺に似た人間が禁魔導書を手にしていたという話を聞けば、赤木を殺したのも俺だと結び付けて考え、警戒されるだろう。


 不幸にも、俺の顔にはわかりやすい特徴がありすぎる。

 隻眼というのは、どこに行っても目立つ。


「じゃあ、あの奴隷も殺した方がいいのか?」


 トゥルムからの返事がない。

 妙に思い、俺は魔導書を見下ろす。

 それから自分の言った言葉の意味を思い返し、ようやくそれが異常なことだったと気づく。


「あ、ああ……あ……」


 急に、靄が掛かっていた視界が晴れた気がした。

 辺りに広がる血の海。その凄惨さを、ようやく脳が実感する。


「メアリー! メアリー! どこだ、メアリー! メアリー!」


 俺はメアリーの名を呼びながら、死体だらけの客席を歩いた。


 もしかしたら彼女も殺してしまったのではないかと、そんな考えが頭を過った。

 喉が潰れそうになるまで叫び、歩く。

 そして床に座り込んでいるメアリーを見つける。その背中がわずかに動いたのが見え、俺は安堵する。


「メアリー……」


 あらためて俺が声を掛けると、メアリーがこちらを向いた。

 彼女はミーシャを抱き締めていた。

 ミーシャは胸部から血を流しており、明らかに息絶えている。


「カタリ……デス、よね?」


 怖々と言ったふうに、メアリーが口を開く。


「その……正気に、戻ってくれたんデスか?」


「何……言ってんだよ。俺はずっと、正気で……」


『正気であった? そんなはずなかろう』


 トゥルムの横槍が入り、俺は黙る。


『禁魔術の乱用は心を消化すると、あれほど妾は言ったであろう。時間を置けばある程度は回復するものの、決して完全に元通りには戻らん。妾から見ても、さっきの貴様は狂人であったが』


「そ……そんな……だって……」


『妾は、散々忠告したはずであるぞ。諄い諄いと、貴様はまるで聞き入れんかったがの。見てみよ、この血の海と脅えきった奴隷共の顔を。トラウマに押し潰され、一線を越えてしまったようであるな妾の下僕よ』


 はぁ、とトゥルムが呆れたふうに言う。


『はっきり言っておいてやろう。貴様の蛮行で救われたものなど、ただの一人もおらんぞ。主を失った奴隷が、そのまま自由を手にできると? 依然変わらず人としての権利がないばかりか、居場所さえも失ったのだ。せいぜい、飢えて死ぬ前にまたどこぞやの奴隷商人に拾われるのを待つ身であろう』


 吐き気が込み上げてくる。

 魔法使用中のときとは、また違った頭痛だ。


『このペースで今後も妾の忠告を無視して禁魔術を使い続けていくのであれば、復讐を終える前に完全な狂人に成り果てるであろうな。その頃には、カタリの横にメアリーもおらんであろう』


「…………」


 ぐらり、視界が揺らぐ。

 俺は魔導書を手から落とし、それを追いかけるようにその場にへたり込んだ。


『ああ、そうであるな。たった一人だけ、カタリが救ったといえる者がおるぞ』


 先ほどの責めるような物言いから一転、トゥルムは甘ったるい声で言う。

 聞こえるというよりは頭に響いているだけなのだが、まるで耳元で囁かれているような、そんなこそばゆささえ感じる。


「……それって、誰なんだ?」


 縋るよう、俺は言った。


『ステージを見てみよ。さすが、エルフの中でも最も優れた種と呼ばれただけはある。あのダークエルフの娘、気こそ失っておるもののまだ生きておるぞ。傷口もすでに回復が始まっておる。

 あやつは、あのままだと間違いなく殺されておった。卑しき者共の日頃の鬱憤晴らしに、夜が明けるまで甚振られ、殺され、死体は魔具か剥製にされておったことであろう。それを止めたのは、間違いなくカタリである。これは誇ってもよいはずであるぞ』


 トゥルムの様子は少しおかしかった。

 しかしそのことを言及する余裕はなかった。


『……が、あの娘とて、街に出ればすぐに捕まるのがオチであろう。運が良ければあっさり殺され、運が悪ければ金持ちの玩具にされるであろうな』


 そこまで言い、トゥルムは黙る。

 こっちから何かを話すのを待っているようでもあった。


 トゥルムの言葉を頭の中で、ゆっくり整理する。

 そこでようやく彼女の意図が掴めた。


「……どうして、トゥルムはあのダークエルフを連れて行きたいんだ?」


 小さな笑い声が、俺の中で響く。


『貴様は、すぐ使い物にならんようになる可能性がある。約束の妾の力を回収する前に、狂人となって死なれてはかなわんからの。こちらとしても後続が断たれんようにしたい。ダークエルフの生き残りならば、魔力も憎悪も期待ができるというものよ』


「……お前、本当に悪魔だったんだな」


『笑止であるな。貴様、今まで妾が仲間意識なぞで身を案じていたのだと、本気でそう思っておったのか?』


「…………」


 随分と人間臭い悪魔もいたものだと、そう考えていた。

 認識の甘い悪魔だと思っていたが、甘かったのはこっちだったらしい。


 適当に使い潰してやるという宣言に他ならなかったが、それでもトゥルムを手放すわけにはいかなかったし、放っておけば確実に惨殺されるであろうダークエルフを放置していくわけにもいかなかった。


 トゥルムなしでは復讐を果たせないし、唯一自分が助けたといえるダークエルフを置いていけば、自分を失くしてしまいそうな気がした。


 俺は死体の着ていた藍色のローブを剥ぎ、ステージを上がった。


 台に拘束されている、エルフ耳の褐色肌の少女を見る。

 白い神秘的な髪が眉に被る高さで切りそろえられている、人形の如く整った顔立ちをしていた。

 右の頬を中心に、橙の魔法陣のような模様が描かれている。


 纏っているのはボロ布だけで、それも拷問で引き裂かれている。ほとんど裸だったダークエルフに紺のローブを着せる。


「……俺が駄目になったとき、この子にお前を引き継げばいいんだな」


『貴様が潰れたときの保険の話をしているというのに、落ち着いたものだな』


 復讐を終える前に潰れる気はない。

 ただ確かに、トゥルムの力を集める余力は残らないかもしれない。

 力を借りている身だ。無碍にされようと約束は極力守るし、それにどっちみち、この少女を放置していくわけにもいかない。


「ん……あ」


 少女を背負ったところで、微かに彼女の呻く声が聞こえてきた。

 彼女は恐る恐るというふうに辺りを見渡し、それからようやく俺に背負われていることに気がついたらしかった。


「これ……あなたが?」


「…………」


 これ、というのは辺りの血の海のことだろう。


 俺が黙っていると、少女はだらりと俺の背に垂れてくる。

 また意識がなくなったようだ。



 俺は少女を背負ったまま、ミーシャを抱きかかえているメアリーの元へと戻る。


「メアリー、ここで別れるか?」


 俺は尋ねる。

 少し間が開いた後、メアリーは俺に顔を向けないまま首を横に振った。


 それからメアリーは客席にミーシャを座らせ、恐怖を浮かべたまま見開かれている目をそっと閉じさせた。


「ずっと、カタリに付いていくって……決めましたから……」


『どこまで続くか、見物であるな』


 大事だからこそ耐え切れないということもあるのだからな、とトゥルムは続けた。


 俺は黒い根を必死に叩いている奴隷達へと視線を向ける。

 それから魔導書を捲る。


「トゥルム、記憶を誤魔化せそうな魔法はないのか?」


『前後に起こった事象を混濁させ、有耶無耶にするのが精一杯であるな。すでに混乱しておるだろうからそれなりに効果は期待できるが、少し不安は残るな。一人一人の言動を抑制する魔法はあるが、魔力が足りな過ぎる』


「前者で行かせてもらうよ。証言が割れれば、信憑性はからなり低くなるだろうし」


 俺が扉へと向かうと、メアリーがゆっくりと後を付いてくる。


「その蔦は地の果てから天にまで伸び、やがては神々を穿つ一本の槍となった。禁魔術、『魔界庭園の暴れ者オルトゥムアリムヘデラ』」


 蔦で奴隷を縛り上げ、一か所に固めた。

 悲鳴や命乞い。

 こっちとしても殺す気はなかったのだが、別に釈明もしなかった。


「夢か現か、幻か。その宴の主催者を、誰も覚えてはいなかった。禁魔術、『悪魔の宴パンデモウヌ』」


 ゆっくりと黒い霧が広がっていき、奴隷を包んで行った。

 叫び声がどんどん小さくなっていき、霧が晴れる頃には起きているものはいなかった。



『……黒い大樹イニュリアはどうしようもないの。奴らが、動くかもしれん』


 ぼそりとトゥルムが零す。

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