22
山の火は、もう収まりそうにない。
芹沢があちこちに放った火が、枯れた花や木に引火して燃え広がっていた。
最初考えていたように、水魔法で消化しようとももう思えなかった。
魔法樹が燃え尽きたと同時に、山の植物は皆枯れてしまった。
火を消そうとも、もうどうにもならない。
俺は横たわっているローズの背をさする。
初めて会ったときは黄緑色だった彼女の肌は、枯草のような茶へと変色していた。
桜色の花弁のように美しかった髪も、今や見る影はない。
「カタリさん……です?」
返事こそすれど、ローズは目を開かなかった。
魔法樹が燃えたせいで、もう目を開くだけの余力もないのだろう。
起き上がっているマンドラゴラはただの一匹もおらず、全員地に伏せていてピクリとも動かない。
喋れるだけ、ローズはまだ体力が残っている方だ。
とはいえ、彼女の残り時間がそう長くないのは明らかだった。
「……ああ」
「ごめんなさい……カタリさん。指きりまでしたのに、約束、守れなかったです……」
ローズが弱々しく腕を上げたので、俺はその手を握った。
苦悶の表情が、少しだけ和らいだ。そんな気がした。
『だから言ったのだ。平和ボケした魔物は、ロクなことにはならんと』
トゥルムは吐き捨てるように言う。
そんな言い方はないだろうと、俺は地に置いた魔導書を睨む。
「本当は、わかってたです……。先代のちょうろうさまが、正しいんだって。ニンゲンさんを見つけたら、脅かして追い返さなきゃいけないって……みんな、本当は、わかってたです」
トゥルムとローズの間で会話が成立したようだったが、それは偶然だったのだろう。
トゥルムの声がローズに聞こえたわけではないはずだ。
「前に訪れた冒険者さんが、ローズ達のことを広めてくれなかった理由も……わかってたです。敵意も力もないひ弱な魔物がどうなるか……きっと知ってたんです」
それでも、とローズは続ける。
「それでも……そうなるかもしれないって思ってても……それでも、ローズはニンゲンさん達と仲良くしてみたかったです。怪我している人達を癒してあげて……それから……キノコを御馳走してあげて……外の色んなお話を聞かせてもらって……そんなことが、してみたかったです」
「……ローズ」
「だから……カタリさんに会えて、幸せでした。今日カタリさんに会えなかったら、きっと、悔やみながら……恨みながら、落胆しながら、ローズ達は死んでいたかもしれないです」
俺は何も言えず、黙ったままだった。
礼を言われることなんて、何一つ俺は彼女達にしていない。
案内されているときも半信半疑だったし、山に着いてからもただもてなされていただけだ。
そして何より、力があったはずなのに、芹沢達からローズを守れなかった。
「なぁローズ、何か、俺にできることはないのか? なんでもいいから、山を元に戻せる可能性がありそうなことを言ってくれ!」
魔導書の力さえあれば、何かできることがあるはずだ。
『妾の下僕よ、それは無理である。禁魔導書で聖なる木を戻すなど、そんなことはできん。火を消しても、もう遅い。泉が黒く染まった時点で、すべて手遅れだったのだ』
「じゃあ……ひとつだけ、我が儘言ってもいいですか?」
「な、なんだ? なんでもいい! 俺がなんとかしてみせるから!」
トゥルムの言葉に絶望しかかっていた俺は、ローズのその言葉に喰い付いた。
ローズはちょっとびっくりしたように身体を揺らし、それからくすりと笑った。
「指きり……し直してほしいのです」
「え?」
「この泉のこと、ローズのことを忘れないって、指きりして約束してほしいのです」
握力がすでに失せているようで、ローズは指を曲げることさえもできなかった。
俺は彼女が指を曲げるのを逆の手で助けながら、指を絡め合った。
俺は忘れない。
無邪気で、ちょっと不器用で、優しくて、寂しがりやな彼女達のことを、絶対に忘れはしない。
「ありがとうございました……カタリさん。もう、ローズはダメです。火の手が回ってきますから、早く山を降りていってくださいです。ローズの仲間がかなり下の方まで運んでくれたはずなので大丈夫だとは思うのですが……お連れのメアリーさんのところまで、火が及ばないとも限らないです。早く、早く行ってあげてくださいです」
指きりが終わった後、冷え切っている彼女の手を強く握り締めた。
「ありがとう。ごめんな、ローズ」
手を放し、俺は立ち上がる。
後ろ髪を引かれる思いに襲われながらも、俺は走った。
少し離れてから、俺は半身だけで振り返る。
ローズの手が、何かを求めるように俺へと伸ばされていて、
「あ……寂し……手、握って……」
根本部分が焼かれ、上部を支えきれなくなった大木が彼女へと倒れる。
ローズは押し潰され、そして彼女の姿は見えなくなった。




