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前は崖、後ろからは水野、矢口、赤木が迫ってきている。
崖はかなり高い。
下には、流れの早い川が流れているのが見える。
ここから飛び降りれば、ほぼ間違いなく死ぬだろう。
「水野は右側から、矢口は左側から回り込むんだ。俺は、あいつらが真ん中からこっちに突っ切ってきたときに備えておく」
赤木が水野と矢口に指示を出す。
水野と矢口が、大きく左右に分かれる。
逃げ場が完全に防がれた。
一か八か、武器を持っていない矢口の側から逃げるか?
赤木も何も持っていないが、あいつと真っ向からぶつかって逃げられるビジョンがまったく浮かばない。
メアリーに目配せし、崖の手前で俺と彼女は大きく左に曲がる。
曲がってから気がついた。
俺は、例のあの日に左目を黄坂に煙草で潰されている。
だから、左に向かって崖と平行に走ると、矢口が完全に死角になってしまう。
あまりに咄嗟のことだったから、実際に曲がるまでそのことに思い至れなかった。
ああ、そのために武器を持っている水野を右から、矢口を左から行かせたのか。
これなら矢口も、俺に対して視覚的に大きなアドバンテージを得られる。
どっちに逃げられても大丈夫なように、この陣形を赤木は指示したのだ。
赤木は一瞬でこれに気付き、素早く命令を出したのだ。
こんな異常な状況だというのに、あいつは判断力、決断力に優れすぎている。
「はっ、逃がすかっつーのぉっ!」
顔の左側に強烈な打撃が加えられた。
首の骨が、メキリと嫌な音を鳴らすのが聞こえる。
完全に死角からの一撃だった。
俺は痛みを実感するまで、矢口が殴りかかってきたことにすら気がつかなかった。
俺はメアリーの手を離し、その場に倒れる。
仰向けになった俺に向けて、回り込んで追いついてきた水野が木槌を振り下ろしてくる。
もう駄目だ、殺される。
咄嗟に目を瞑ると、ゴンっという打撲音が耳に届いてきた。
しかし、不思議と痛みはない。
恐る恐ると目を開けると、メアリーが俺に覆い被さるようにしていた。
彼女の頭からは血が流れている。
俺を庇って、木槌で殴られたのだ。
「メア、リー……? お、おい!」
「……ろさ、ないでくだサイ。カタリは、日本でできた……ワタシの、たった一人のトモダチだから……だから……殺さな、いで……」
メアリーは力尽きたように、ぐったりと俺の上に凭れかかってくる。
俺の上半身が、メアリーの頭部から流れる血の色で染まる。
「あーっ! おいおい水っち、黒崎は俺にヤラせてくれるって話だっただろうが! 今ので死んだんじゃないだろうなぁ、おい! 死体弄る趣味はねぇぞ!」
「し、仕方ねぇじゃん! この木槌、軽く見えるだろうけど不格好で重心寄ってるから、途中で止められねぇんだよ!」
水野と矢口の言い争いが、どこかずっと遠くで行われているような錯覚を感じる。




