取引
次の日の朝 西門の前
西門の前では積荷を乗せた馬車と空の馬車が数台並び、出発の前の最終チェックをしている。
「全て持ちましたね。それでは、参りましょう」
先頭の馬車に乗りレーナが元気よく掛け声をかけると、馬車は一斉に動き出した。
朝の街道は太陽が眩しく、両側にある木々が鮮やかさが増して見える一方で、直射日光がじりじりと身を焼いてくる。昔旅をしている時には日常茶飯事だったこの体験も、今となっては懐かしく、少し心が躍っている。
先頭を行くレーナもこの時間を楽しんでいた。
(こんなに綺麗なのですね。世界は)
小さい頃から城で暮らし、国を出る事も無かったレーナにとってただ街道を歩く。という経験は貴重なもので、この瞬間が嬉しくて堪らなかった。
そんな馬車の移動も数時間が経過し、日が真上に昇ろうとしていた。
太陽は存在感を強め、額の汗が止まらない程暑くなっている。そろそろ休みを取りたいと皆が思い始めていると、先頭の馬車が歩みを止めた。
「皆さん着きました」
やっと着いた取引現場。しかし、その場所にルドルフを始め、同行者全員が驚いた。何と、馬車が止まったのは街道を抜けて直ぐの草原だったのだ。
「ここで取引をするのか?」
思わず疑問を口にすると、レーナはケロッと「はい。そうですよ」と答える。しかしこれは異例中の異例だ。個人の小さな取引ならば街道などの道で取引を行うこともあるが、国との取引を安全の確保されていない外で行うなど危険すぎる。
「向こうがここを指定してきたのか?」
「いいえ、こちらから此処が良いと提示しました」
またしてもケロッと言うレーナに、ルドルフは驚きを隠せない。こんな条件の悪い場所、有利な立場であっても押し通すのは難しいだろう。それを立場の弱いこちらから提示し受け入れさせるとは。
(ワシが思っている以上に交渉力に長けているのかも知れんな)
レーナに能力を見直していると、前方に沢山の馬車が見えてきた。
(あれが取引相手か)
どの馬車も一回り大きい商業用の馬車だ。その中でも先頭を走る馬車は小さな家くらいある。
あまりのデカさに呆気に取られていると、先頭の馬車から大柄な男が降りてきた。
「いや~すいませんね。途中にあった大穴で遅くなってしまって」
手を後頭部に当て小さい、悪いと言う気持ちを感じさせない謝罪をする大柄な男。見るからに商売人らしい軽薄さとズル賢さを秘めていそうだ。
「いいえ、こちらこそ無理を言って申し訳ございません」
レーナが深々と頭を下げると、大柄な男は手を横に振って笑顔で答える。
「いやいや、うちは取引場所を選ばないですから全然無理じゃないですよ。それよりそちらは道中大丈夫でしたか?最近は化物も活発的ですし」
化物の凶暴化を知っているのか。露店商というだけあってこちらの地域情勢にも詳しいという事か。
「ええ大丈夫です。こちらにはこの方がいるので」
「この方?」
そう言ってレーナがルドルフに視線を向けさせた。
「うお、あなたは勇者ルドルフじゃないですか!」
大柄な男は驚いたように叫び近寄ってくると、思いっきり握手をしてきた。
「いやー感動ですよ!まさか勇者ルドルフにお会いできるとは」
心底嬉しそうにする大柄な男。見られただけで喜ばれると言うのは中々嬉しいものだが、この男の行動には注意が必要だな。
「田舎に居るって聞いてたんですが、どうしてこちらへ」
「今はリンドベルクに住んでいてな。国政にも関わらさせてもらっているんだ」
「そういう事でしたか」
納得したように頷き手を離すと、大柄の男はレーナの下へ戻っていった。あ奴、ワシが今回の取引に関わるかどうかを試してきたな。
「すいませんね。感動して思わず握手を求めてしまいました」
大柄な男はまたしても悪いという気持ちを感じさせない謝罪をして頭を小さく下げる。それに対しレーナも気にしていないように笑顔で返した。
「じゃあ、ちょっと遅くなりましたが取引を始めましょうか」
大柄な男はそう言って一歩下がると、深々とお辞儀をした。
「私は露店商会会長 ギルバート・エデルです」
「リンドベルク王女 レーナ・エルフレアです」
互いに丁寧な仕草で挨拶を済ませるが、その空気はピリッと張り詰めている。
「それで、商品はどれですか?でかいのが沢山あると聞いてましたが」
「それでしたら、こちらです」
レーナはワシに目配せをし、ギルバートを馬車に導く。その動きを見てワシが空の馬車に石像を出現させた。積んで運搬は出来ないが、乗せるだけならこの馬車でも耐え切れる。
「ほぉ、これですか」
ギルバートは感心した様な声を出し、1体1体目を通していく。その目利きの速さは素人目ではただ前を通ったようにしか見えない。
全ての馬車を一通り見渡したギルバートは、一息着き小さく笑顔を向けた。
「1体8,000Gでどうでしょうか?」
その提示金額にレーナは笑顔のまま表情を変えなかったが、ルドルフは驚きと違和感を感じていた。
この石像はおそらく1体10,000Gで創られている。いくら希少価値のある鉱石が使われているとしても、製造費の80%での買取は気前が良過ぎる。
(会長が目利きを間違えるハズも無い。何か試しているのか?)
思考を巡らせながら何も言わず取引を見守っていると、暫しの沈黙の後レーナは首を横に振った。
「それでは高過ぎます。3,000Gでどうでしょうか?」
その提示金額にレーナを除くその場にいる全員が驚いた。わざわざ高い査定額を蹴って打ち出した額があまりにも安すぎる。この鉱石ならば最低でも5,000Gは貰わなければ割に合わない。なのになぜこんな額を・・・
(どういうつもりだ。レーナ)
この理解できないやり取りにとにかく思考を回していると、ギルバートが困惑気味に尋ねる。
「3,000ですか。それで良いのならこちらとしては有り難いですが・・・本当によろしいんですか?」
その確認にレーナは「ええ、構いません」と笑顔で返す。その返事を聞いたギルバートは、何故か納得行っていないような顔をして契約書を差し出した。
レーナは笑顔で契約書を受け取り、一通り目を通すと契約書にペン先をつけた。
(いかんな、このままでは取引を終わってしまう)
どういう理由があるかは知らないが、このまま契約を済ませてはこちらが大損をしてしまうのは目に見えている。これを見す見す見逃す訳にはいかん。
耐えきれずルドルフが割り込もうとした瞬間、ギルバートがレーナから契約書を取り上げた。
(!?)
その行動に皆驚きの声を漏らす。あと少しで圧倒的有利な条件の契約が取り付けられたのに、何でそれを無為にするような行為を?
誰もが疑問で頭が埋まる中、レーナだけはその行動に驚いていない。むしろ満面の笑みでその行動を見ていた。その顔を見たギルバートは大きく溜息をつき、何故か小さく笑顔を向けた。
(なんだ?何かあったのか?)
皆が訳も分らず様子を窺っていると、ギルバートが契約書を破り捨て、新しい契約書を取り出す。
「すいませんが、あの額では契約できません。こっちの額でどうでしょうか?」
そう言って渡された契約書には『一体12,000Gで引き取る』と明記されている。
最初の提示額よりも高額な提示に、レーナは嬉しそうに驚くと、あっさりサインを書き記し契約は成立した。最初は蹴ったのに今度はすんなり受け入れる。これはどういうことだ・・・
その場の皆が付いて行けなくなる中、二人だけが分かるやり取りは進み、手早く商品の受け渡しとお金の受け渡しを済ませ、無事取引は終わりを迎えた。
「それでは、また、よろしくお願い致します」
「こちらこそ、よろしくお願い致します」
ギルバートとレーナは互いに頭を下げ、その場を去った。
途中、いや、かなり序盤からこちらも相手も殆どの人間が蚊帳の外であったが、ギルバートもレーナも満足げな顔をして取引を終えている。互いに満足はいっているという事か?
「思っていたより良い値になりましたね」
笑顔を浮かべ嬉しそうに言うレーナ。確かにそうだが、全く理解できない。
「レーナ、何故このような額で落ち着いたか説明してくれんか?」
「はい、では帰る道中お話しします」
そう言ってレーナは馬車に乗り込んだ。ルドルフもレーナの乗る馬車に乗り込み、2人は話し合いをしながら帰ることにした。
一方、ギルバート達の馬車でも、ギルバートが他の商人達から質問攻めをくらっていた。
「ギルバートさん、どうして3,000Gの契約書を破棄したんですか?しかもその後12,000G何て高額な値段で
契約してますし、最低でも10000Gで落ち着けないと」
「そうですよ。これじゃあ売っても殆ど儲けが出ないじゃないですか。リンドベルクは殆ど鎖国状態で世界情勢にも疎いんですから、ここは昔の相場の5,000Gって言って、取引を終わらせるのが一番良かったじゃないですか。どういうつもりですか?」
会長という事を一切気にせず商人達は質問を浴びせる。1人1人が独立している露店商会ならではの光景かも知れない。
「あれはな、今後のリンドベルクに対する先行投資みたいなもんだ。だから儲けが出なくて仕方ねぇんだよ。それに、取引は商品だけを見る訳じゃねぇ、相手を見て行うもんだろ。それをいきなり落としちまったらつまんねぇだろ」
商売の腕で会長まで上り詰めたギルバートの言葉だけあって、その行動には深い意味があるのだろうと思う一方で、今の情勢から見てその判断が正しいとは思えない商人も少なくない。
「どうしてそんな事を?今まで見てきてリンドベルクがもう終わった国という事は、知ってるじゃないですか。食糧支援だって年々反対の声が大きくなってますし。3,000Gで契約して関係を終わらせた方が良くなかったですか?」
3,000Gという誰が見ても損な価格で契約を結ぶという事は、今後の取引に影響を及ぼす。それを分かって契約を結ぶ事は関係の破綻を意味する。
「確かに俺もそう思っていたし、そのつもりだった。けどよ、あの王妃3,000Gの契約書にサインする時こう言って来たんだ。『差額の5,000Gは食糧支援の代金ですか?』てな」
その言葉にその場の商人は全員ギルバートの真意を理解した。この言葉は全てを分かった上で、喧嘩を売って来た事この上ない発言だったからだ。
「お前らには説明するまでも無いが、最初の提示額である8,000Gは理想的な額だった。今は鉱石が高騰してるから諸経費を引いて儲けだけを出すなら一番良いのが8,000Gだ。だが、あの国の人間は世界情勢に疎い人しかいない。そこで試したんだよ。8,000Gっていう昔の相場では高すぎる額にどう対応するかをな」
昔の相場ならばレーナ達とって8,000Gという額は大儲け出来る額だが、ギルバート達にとっては大損だ。それを知っていてそのまま儲けを受けとるか、ギルバート達の損を減らすよう配慮するか。相手を思いやる気持ちを確かめる為にギルバートは8,000Gと言う値段を提示した。
「だから私は、ギルバートさんに同じ事をしたのです。ギルバートさんの良心を試すために」
レーナから取引の駆け引きを聞いてルドルフは正直驚いていた。ここまでのやり取りがあったようには見えていなかったし、レーナに出来るとも思っていなかった。
「でもギルバートさんはそのまま契約を進めてしまったので、私が今の相場を知っている事を知らせたのです。少々言葉は乱暴だったかも知れませんが」
つまるところレーナの言った言葉は『関係を破綻させたいのですか?』と言う意味と、食糧支援という善意の行為に『貴方達は金儲けの為に支援していたのですね』と言ったのだ。
これを受けては関係の修復はほぼ不可能になり、それに加えて善意の無い金の亡者というレッテルを張られることになる。
「随分と強気な事をしたな」
「ええ、あそこで強気に出なければ関係は破綻へ向かっていましたし、私は『やれる人間』という事を示さないといけなかったので」
笑顔で話すレーナに、ルドルフは頼もしさと恐ろしさを感じていた。初取引でデカい商会の会長相手にここまで渡り合うとは・・・このまま磨けば末恐ろしい存在になるのは間違いない。
「とまあ、そういう事もあって俺は高い額で契約を結んだんだ。『こっちは今後のあんたに期待している』と知らせる為にな」
ギルバートの説明に商人たちは聞き入る様に驚いていた。ここぞという場面で侮辱をぶつける不敵さと、大物相手に物怖じしない度胸に感嘆声を漏らすものもいた。
「それと、いつもは取引のテーブルに王が座っていたが、今回の取引は全てあの王妃が取り仕切っていた。これは何か、大きく国が動く予兆だ。もしあの王妃が国を仕切ることになればあの国は絶対に建て直る。その時のためにも、今は厚い関係をより厚くすることが大事なんだ」
自信溢れるギルバートの言葉に、もう不満を口にするものは居なくなっていた。
「全く、これだから商売は止められねぇ。な!そうだろ?」
新しい商売敵の出現に、ギルバートは心底嬉しそうな笑顔を浮かべ同意を求めると、他の商人達も嬉しそうな笑顔を浮かべてそれに同意した。




