その目
夜の暗がりが終を迎える少し前。ルドルフは宿屋を飛び出し、東門へ向かっていた。昨日までの激しさはどこへ行ったのか、とても心静かに歩いているように見える。
しかし、内心はそうでもない。昨日の様に外側に向けることは無いが、内側では焦りを感じていた。宿に知らせが来なかったという事は、ライド達では見つけられなかったという事だからだ。
静かに見える歩きも、よく見れば地面を蹴る様に歩いている。静まり返った街にはルドルフの足音だけが響いていた。
(ほぉ。もう居るのか)
東門には既に多くの兵士が集まっており、皆整列していた。装備を整えて準備万端と言う感じなのだが、どこか緊張感の抜けた空気が漂っている。
そんな中、重そうな鎧に身にまとい、身の丈ほどある大剣を背負ったモンドが兵士達の前に立っていた。号令をかけるところなのだろう。
「今日は捜索範囲を広げる。東の平原はもちろん北の森、南の森も捜索を行う」
一瞬にして緊張感漂う張り詰めた空気に変わった。南の森の捜索という言葉が緊張感を生んだんだろう。
兵士達は二つの反応を見せた。列の先頭に立つ小隊長らしき兵士達は、生唾を飲み覚悟を決めていた。既にモンドから化物の正体を聞かされているのだろう。
だが、事情を知らない兵士達は一様に取り乱していた。
「南の森だって」
「なんで化物なんかの為に」
号令の途中にも関わらず兵士達は声も潜めず不満を漏らしている。
「静かにしろ。号令の途中だ」
モンドの一言で兵士達は静まったが、納得している訳ではない。不満そうな顔をする者も居れば、天を仰ぐものも居た。
「部隊の割り振りを伝える」
兵士達の間に緊張が走る。事情を知っている小隊長達ですら不安そうな顔をした。誰しもが南の森の捜索などしたくないのだろう。
「第1小隊から第7小隊までは北の森を捜索しろ」
呼ばれた者達は手に拳を握り喜んだ。北の森がいい場所というわけでは無いが、南の森とは比較にならないほど安全だ。そんな様子に気づいているモンドだったが何も言わず続けた。
「第8小隊と第9小隊は平原の捜索をしろ」
第8,9小隊の兵士達は笑みをこぼして喜んだ。広い平原の捜索を2部隊で行うのは相当辛いことなのだが、安全と比べれば疲れなど大した事ではない。
だが、1つ疑問が残る。今並んでいる小隊は1から9までしか無い。ならば南の森の捜索はどの部隊が・・・
「そして南の森の捜索だが、俺とルドルフさんで行う。他の者は絶対に近づくな」
兵士達は安堵した様な様子を見せた。モンドはわざと南の森と言う単語を出し、空気を張り詰めさせただけだった。ただの兵士が南の森で通用しない事など、副隊長を務めるモンドが一番知っている。
「今日見つからなければ、明日は全員で南の森を捜索する。死にたくなかったら死ぬ気で探せ」
「以上、全兵搜索に取り掛かれ!」
「はい!」
兵士達は一斉に搜索に向かった。安心と緊張を交互に与えた中々いい号令だった。
「中々の号令だったじゃないか。これで、一定のやる気は出すだろう」
モンドは突然声をかけられ少し驚いた様子を見せる。気づいていなかったのか。
「ルドルフさん。見ていたんですね。今から呼びに行くつもりでした」
「早起きは得意でな」
年をとって早く起きてしまうだけなのだが、そんな事はわざわざ言わなくていいか。
「それで、昨日頼んだ事はどうなった」
「全て手配済みです」
昨日の様子から少し心配していたが、心配の必要は無かったか。
「小隊長にだけ捜索対象の正体を明かし、酒場の人間とダナトス、ページ両名には監視をつけました」
「それと、酒場の前の道を調べましたが、あの凹みはダナトスの槌と見て間違いないです」
「何故、言い切れる」
「ダナトス自身がそう証言しています。あの傷は化物を追い払うために振った槌が、避けられて付いたものだと」
「溶けている方はどうなんだ」
「調べたら強力な酸だと分かりました。この国であれほど強力な酸を手に入れれるのは道具屋のページくらいです」
「ページは認めているのか」
「いえ、ページは化物が吐いたものだと証言してます」
自分のやったことを擦り付けて罪を逃れる気か、そんな事はワシが断じて許さない。
「そうか、ならば酸がページの物と分かれば追い詰められるな。そちらの調査も頼む」
「分かりました」
しっかしとした様子で返事をするモンドの姿に、自然と安心感が湧いてくる。
「では、」
「隊長!」
出発の掛け声をかき消すような大声を出し、こちらに兵士が向かってきた。
「どうした」
兵士は酷く慌てた様子を見せている。何かあったのは明白だが、とても嫌な予感がする。
「ワーウルフが、街道にワーウルフが現れました」
「なんだと!」
本来縄張りから出ないワーウルフがなぜ、これも凶暴化の影響なのか。いや、今はそんなことはどうでもいい。
「すぐに向かうぞ」
足に気を纏い急いで街道へ向かう。
東門を抜けると直ぐに状況が見えた。既に複数の兵士が殺されており、どの兵士も酷い姿をしている。生き残っている兵士もいるが、恐怖からか動こうとしていない。
「全員下がれ!」
モンドが声を張り上げて指示を出すと、我に返った様に兵士達は一斉に逃げ出した。だが、
「あ、あ、ああああああ」
ワーウルフは逃げようとする兵士に襲い掛かり、一瞬にして命を散らせていった。その様子を見た兵士達は急いで逃げようとするが、足がすくんでしまって動けない。
(くそ、遠い)
必死にワーウルフの下へ向かうが、その間にもワーウルフは兵士を襲い続けた。素早い動きから繰り出される強力な一撃は、鎧ごと兵士の体を引き裂いた。辺りには肉片が舞い、血の匂いが漂う。
その姿を見る度に、その匂いを嗅ぐ事に、兵士たちの中から希望が消えていく。一歩踏み出せば次の瞬間には死んでしまうじゃないか。何か思う時間もなければ言い残す時間も無い。ならばいっそ、生きるのを諦め、最後の瞬間は思い出の中で過ごしたほうが良いのではないか。
「諦めるな!足を動かせ!」
必死に指示を出し続けるモンドだが、その声はどれほど兵士に届いているのだろう。兵士の中には生きることを諦め動きを止める者もいた。
着いた頃には搜索に出た兵士の半数以上が犠牲になっていた。辺りには肉塊が転がり、至る所に血だまりが出来ている。悲惨、と一言で片付けるにはあまりにも酷い状態だ。
「よくも俺の部下を!!」
激高したモンドは剣を抜き怒号を上げながら斬りかかった。全ての怒りを剣に込め、渾身の力で剣を振り下ろす。
(ここまで、差があるのか)
モンドの全力の一撃をワーウルフは片手で受け止めた。実力違いは分かっていたがここまで違うものなのか。その思いが一瞬モンドの反応を遅らせた。
「があぁ」
次の瞬間ワーウルフの手がモンドの腹を殴り、モンドを大きく吹き飛ばした。重厚な鎧は簡単に砕け散り、骨まで砕かれた。
受け身すらとれず叩きつけられたモンドは、あまりの衝撃に動けなくなってしまった。そんなモンドにワーウルフは容赦なく襲いかかる。
万事休すか。自分の無力を悔しく思いながらも何も出来ないモンドはただ諦める事しか出来なかった。
「全く、世話の焼ける」
その言葉をモンドが理解するよりも早く、ルドルフはワーウルフを2回斬った。先程まで凄まじい勢いだったワーウルフは、頭から血を噴き出しその場に倒れた。
状況を理解出来ていないモンドは戸惑いの表情を見せたが、直ぐに表情を変えた。それは、生き残った喜びの顔でもなく、仇を討てなかった悔しい思いを抱いた顔でもない、その顔は恐れを抱いた怯えた顔。ワーウルフに命を刈り取られそうになったからでは無い。あの、ワーウルフを一瞬で仕留めたルドルフの力に対する恐怖。
(またその目か)
モンドはまるで化物を見るかのような目でこちらを見ている。複数の感情が押し寄せてくる中で、ワシに対する恐怖が特別色濃かったのだろう。昔よく向けられていた目だ。なんとも思わんさ。
「モンド、大丈夫か」
モンドは何の反応も示さず、ただ怯えた目でこちらを見るばかりだ。最早一緒に行動するのは無理だな。
「後始末は任せた。南の森はワシ一人で捜索する」
それだけ言い残しルドルフは南の森に消えた。




