愛故に、この手で
楼がこの世に生を享けた日。誰よりも一番に喜んでいたのは、母親だったという。
だが、八歳の誕生日を迎えた楼にはとても信じられなかった。
「誕生日? あなたは明日試験があるのだから、そんなこと言ってる場合じゃないでしょう!? 術の練習だって、まだまだなのに……!」
ヒステリックに叫ぶ母。それがいつの間にか日常となっていた。
毎日毎日、勉強と鬼退治士の修業をしろと言われ続け、楼はかなり精神的に追い詰められていた。
どうしてこんなに母は躾に厳しいのか。それは跡取り問題に関係があるようだった。楼の父親は朝桐家の現頭首で、通常ならばその息子である楼が次期頭首となるはずだった。しかし、楼が生まれるのはあまりにも遅かった。分家にはすでに息子がおり、彼が頭首となる一番の候補となっていて、楼が生まれた後もそれは変わらず、現状に至る。
母としてはどうしても楼を次期頭首にしたかった。頭首の妻としてのプライドがとても高い人だったのだ。
「ボク、もう学校に行かない。勉強も修業もしたくない」
楼は投げやりに言った。楽しみにしていた誕生日。今日くらいは母の笑顔を見られると思っていたのに。もう限界だった。
すると、母の形相は今までに見たことがない程に歪み、何を言っているのかわからないくらい高い声で叫び出した。
「あなたは!! そんなことで頭首になれるとでもっ、思っているの!?」
バシリと頬を叩かれ、その勢いで後ろに倒れ込んでしまう。母を見上げれば、もう誰だかわからない程に老いた表情をし、髪の毛は真っ白になってしまっていた。
――怖い。
そう思う間もなく、母に掴み掛かられ、頬を二発、三発と殴られ続ける。彼女の甲高い声が響く中、意識が朦朧とし始める。
「何をしているんだ!」
その時聞こえた声は、父の声だった。楼はそのまま意識を失った。
次に目覚めた時は病院で、父が付き添っていた。母は精神に異常があると診断され、別の病院に預けられているという。
「すまなかった、楼……」
父は項垂れ、とても辛そうに呟いた。これまで彼は、母と楼のことには無関心を装っていたのだ。けれど特に楼は父を恨めしいと思ったことはない。それが当たり前だと思っていたからだ。
「母さんが……お前に会いたいと、そう訴えて泣き止まないそうだ……」
どうする――と父は問う。
あんなに怖い顔で怒っていたのに、まだ自分に会いたいというのか。驚きと共に少し嬉しくなった。どんな人だろうと母親だ。嫌いにはなれない。
楼は父と一緒に、母のいる病院へと向かった。
そこには、哀れな姿となった母親がいた。
老婆が泣き叫んでいる――楼は泣きそうになるのを我慢して「お母さん」と呼び掛ける。
こちらを振り向いた彼女は一瞬黙り込み、
「あなた誰?」
不思議そうに首を傾げた。
父が「息子の楼だろう」と驚くが、
「楼? ……楼はもっと立派な人よ。朝桐の頭首として、素晴らしい力を持っているの!」
本当にひどい人だと思った。この人はもう、夢の中で生きているのだと。そしてそこにはもう、自分の居場所はないのだと。
だけどやっぱり母親は母親なのだ。完全に嫌いになどなれない。良い人だった記憶だって、僅かだけれどある。
「お父さん……お母さんと二人きりにしてくれない?」
父は躊躇するが、黙って部屋を後にする。
母は居もしない『楼』を呼び続け、泣き続けている。
苦しそうに生きる母を放ってはおけない。でも今の自分ではどうにもできない。
懐から鬼退治の為の短刀を取り出す。昔、母から授かった物だった。
母はもう、元には戻れないのだろう。ならば、この手で殺してあげることが彼女の為になるのだろう。
安楽死――
それが、楼の下した決断だった。
父が部屋に戻ると、返り血を浴びた楼がいた。しかしそんな息子を見ても、彼は何一つ驚くことなく異様に落ち着き払っていた。
「……母さんは自害したんだ」
そう言って楼の肩に手を置く。
「……生んでくれて、ありがとう――」
楼は母の遺体にそう言葉を掛けた――